シリーズ「南極観測隊員が語る」第7回

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隊員たちに喜ばれる料理を作りたい

第58次南極地域観測隊 越冬隊員 調理担当 青堀 力  内村 光尚

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青堀 力さん

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内村 光尚さん

インタビューは2016年10月27日に国立極地研究所(東京都立川市)の南極観測センターで行いました。

インタビュアー:福西 浩

福西 本日は第58次南極観測隊で調理を担当される青堀さんと内村さんに、南極を目差す動機などいろいろとお伺いしたいと思います。内村さんは今回が初めての南極行きですが、青掘さんはすでに第49次南極観測隊に参加し、今度が2度目の南極行きですね。それでは最初に青掘さんの方から南極観測隊に参加しようと思ったきかっけなどをお話しください。
青堀 そうですね、小さな頃から知らない所に行ってみたいという気持ちがいっぱいありました。山登りが好きで、極地に憧れがあったんです。そんな時に、先輩の調理師から料理人で南極に行けるっていうことを聞きました。それを聞いた途端に、一人前になったら絶対南極に行ってみたいと思ったんです。それがきっかけでしたね。
福西 49次隊の時は応募してすぐに南極に行けたのですか。
青堀 いえ、まず48次隊で応募したのですが、落ちてしまったんです。その時、極地研究所の担当の方が、「これに懲りずにもう一度必ず受けてみてください」と言って下さったんですね、メールで。じゃあ次の年も受けてみようと思いまして、受けて採用していただきました。
福西 今度はどういう動機で再び南極観測隊にチャレンジしたのですか。
青堀 前回は、調理担当のもう一人の方が経験者だったんで、その方がいろいろと用意してくれたので、自分は行きたい行きたという気持ちばっかりで、連れて行ってもらったという感じがかなり強かったですね。で、49次隊の越冬が終わった時に、今度は自分の力で食糧の調達など、何でもやってみたいという気持ちになりました。そのために自分に足りない物は何だろうと考えたんです。和食の知識がなかったり、中華の知識がなかったり、そういうのが49次隊で浮き彫りになったんです。それでそれを身に着けてからもう一回手を挙げようと考えたんです。その結果が今回の二度目の南極行きです。
福西 内村さんの方は今回が初めの南極行きですが、どんなきっかけで南極観測隊に応募しようと思ったんですか。
内村 きっかけは僕の先輩が48次隊で南極に行きまして、49次隊の青堀さんと引き継ぎをしているんです。今回、青掘さんと南極に一緒に行くことになって、何かのご縁かと思ってます。それが10年前ですね。その時、昭和基地からアザラシの写真とかペンギンの写真などを送ってもらったんですが、すごい環境で料理が作れるんだ、楽しそうな所だなという思い出がありました。でも僕の場合は、南極に憧れがあったとか、南極に行きたいという想いで今回応募したのではないんです。そうではなくて、何て言うんですかね、仕事として自分の持っているキャリアというか、自分の料理が南極でできるという、そういう想いで応募したんです。料理というもので国家事業に参加できる。自分の技術で南極に行ける。そういう所にちょっとステータスを感じたんです。青堀さんは48次隊で応募して、49次隊で再度チャレンジしたというすごく精神旺盛な方で凄いなっと思うんですが、僕の場合は今回、一発限りと思って面接を受けました。来年は来ないと(笑)。
越冬中に食べてもらいたい料理
福西 越冬隊の場合、洋食担当と和食担当という感じて二人の調理担当隊員は選ばれているんですか。
青堀 いや、必ずしもそうではありません。洋食、和食で手を挙げる方がバランスとれてればいいんですけれど。僕も前回南極に行った時は洋食・洋食だったんです。今回も、洋食・洋食なんです、はい。まあそこは、しょうがないですね。でも、僕は公邸料理人もやってたんですが、そこに行く前に和食屋さんで修行したりしたんで、まあ1年位だったらボロを出さずに乗り越えられるかなって感じてます(笑)。
福西 内村さんは、これは食べてもらいたいというのはどんな料理ですか。
内村 そうですね、青堀さんが本当に和とか中華とかできる方なので、僕は今までやってきたフランス料理って所で、ミッドウインター祭ですとかそういう随所随所にあるイベントの時に、スペシャルなフレンチを出してあげようかなとは思ってます。
福西 内村さんはフランス料理専門でずっとやってこられたのですか。
内村 そうですねずっとフレンチで来たので。逆に他のジャンルの料理を知らないです、、、はい。
福西 フランス料理にもいろいろとあると思うんですが、得意料理は何ですか。
内村 そうですね、やはりジビエとかそういうのはフランス料理の神髄なので、今回もまあジビエではないですけれど、鳩とか羊とかそういうのを仕入れています。そういう料理を南極で出せたらいいなと思っています。
福西 フランス料理にはワインなどお酒も大事ですよね。その辺の準備はどうですか。
内村 そうですね、前職がそういうワインのお店で料理を作っていたので、いろいろと調達しました。今回の隊のワインは充実していますので、マリアージュ的な雰囲気で食事を楽しんでもらおうかなと思ってます。
青堀 今回、お酒の調達は全部内村さんがやってくれたんで、それは凄く楽しみな所です。
福西 青堀さんは洋食で特に得意な料理は何ですか。
青堀 勤めていたホテルではコースとバイキングに別れていたんですが、自分はコースばっかりやってたんです。それでミッドウインター祭は主に内村さんにやってもらいますけど、月に1回位、好きな時間に食べに来れて、好きな物をチョイスできて、というのをやろうと思っているんですよ。まあ日曜日ですね。11時位に起きてきて、今日のメニューはこれですよと渡されて、それを選択して好きな時に好きな人と好きな時間に食べる。そういうのを月に1回位やりたいと思ってるんです。それは洋食に限ってじゃないですけど、今日は和食のレストランの日とか、今日は割烹料理屋さんの日とか、、、
歩んできた調理師の道
福西 越冬中の楽しい料理の企画を聞いて大変うらやましくなりました。ではここで調理師への道を歩まれたいきさつをお二人からお聞きしたいと思います。子供の頃は何に興味があったのか、いつ頃調理師になろうと思ったのか、そういうことを話して頂けますか。
内村 僕のおやじは岩手なんですが、集団就職で東京に出てきて、寿司屋さんで修行して、おじいちゃんが亡くなった時に岩手に帰ってきて、それからはもうずっと30何年魚市場に勤めてたんです。それで自分は小さい頃から魚しか食べたことがなかったです。肉をほとんど食べたことがなかったんです。台所に立つのはおやじの方が多かったんで、そういう男の料理をしている姿を見て育ったんです。高校の時に、保父さんになるか料理人になるか、両極端のようですが、どっちになろうかと迷ったんです(笑)。でも最終的にはおやじの一言というか、まあ、そういう姿がやっぱり印象に強かったので、僕も料理の方に行こうかなと思って、東京に出て、同じ道を歩んできたんですね。ただおやじは和の方だったので、僕はちょっとカッコイイ方のフレンチがいいかなと思たんですね(笑)。
福西 青堀さんの子供の頃を教えてください。
青堀 僕も子供の頃からキッチンに入るのが好きで、ご飯のことばかり気にしてましたね。食べることは好きだったし。親が作る料理で美味しくない物は食べなかったし、、、まあ殴られてたけどね(笑)。
福西 料理人になろうと決心したのはいつ頃ですか。
青堀 高校の時に一回悩んだんです。料理人になるというのはまだ漠然としてて、高校の教師に「大学に行ってからでも遅くない」、「もう一回きちんと大学4年間で考えなさい」と言われて大学に行ったんです。でもバイトで入った天ぷら屋さんで、 人がいなかったんで仕込みでも何でもやらせてくれたんですね。そうするとそればかりになっちゃってたんです。それで大学中退して専門学校行って料理人の道に入りました。で、カッコ良さで洋食を選びましたね。
福西 それでは料理人になってから歩んでこられた道についてお聞きしたいと思います。どういう所で働いてこられたかなど。
内村 僕は調理師専門学校を卒業し、それから国分寺のジョルジュマルソーというシャトーレストランに始まり、銀座有楽町のアピシウス、表参道のアンフォール、レストランひらまつと回りました。その後渡仏して、今はもうないですが、ジャルダン・デ・サンスっていう三ツ星のレストランで働きました。帰国後、丸ビルのサンス・エ・サヴールに行って、そこは結構長いです。さらに赤坂に行って料理長をやり、その後、浅草で働きました。そこは母体がスーパーマーケットで、酒屋さんと飲食店を持っていた所です。ワインを凄く安く提供できるという、今流行りのビストロスタイルの走りという所で、オープニングスタッフで入って8年位やらしてもらいました。そして南極観測隊という流れです。なのでもうずっとフレンチしか知らないので、世間知らずな感じで来てしまった感じです。
福西 それでは青堀さんはどんな所で働いてこられたのですか。
青堀 僕は専門学校を卒業して、イタリアンに行きました。地元の福岡に帰って、そこで4年位やりました。そこで一緒にやった先輩が地元の大分で店をやるってことで、二番で付いて行ってたんです。そこでやってるうちに、イタリアンって家庭料理の延長なんで結構すぐ覚えられるっていうか、天狗になれるんですね。でも料理雑誌を読んでいるとフランス料理のことがまるで分かんないんです。やっぱり人がやれない様な、主婦が真似出来ない様な料理でないとプロにはなれないと思って、そこからフレンチに転向しました。 結婚式場だったんですけれど、料理に力入れている所で、数もこなせるってことで、効率的に覚えられるかなと思って入ったんですね。そこで4年位やりました。一応シェフ候補として一つの会場を任されるようになったんで、もうこれでいいかなと思って、第49次南極観測隊に応募したんです。
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昭和基地で(第49次南極地域観測隊)

南極から帰って来てからですが、職があまりなかったですね。で、ちょうど公邸料理人を探していたので、ラトビアという国に行って日本大使の公邸料理人として働きました。帰国後すぐに東日本大震災があったです。あの時、日本中がストップしている様な感じだったんです。本当は福岡に帰って探したかったんですけれど、あまりなかったので、日本全国で探していたらたまたま白馬で「料理長、今空いてるよ」と言われたんです。それで白馬のスキー場のホテル行きまして、5年やって今回の応募ですね。
南極に向けての準備作業
福西 お二人とも調理師としてものすごい経験を積んでこられたのが分かり驚きました。南極で一番楽しいものは食事だと思うんですが、58次隊の医療担当の二人の隊員にインタビューした時に、「越冬中は太らない様に気をつけなきゃ」なんて話もありました。日本では専門の調理師が作ってくれる美味しい料理を毎日食べられるってことはあり得ませんからね(笑)。それでは越冬隊の調理担当として、現在どのような準備をされているのかお伺いします。隊員の好みなどはアンケート調査されたのですか。
青堀 はい、それは南極観測隊の冬季訓練の時にアンケート調査をしました。
福西 その結果はどんな感じでしたか。
内村 「濃い味が好きですか」というようなザックリとした質問では、薄味の人が多いんですね。僕は東北人で味が濃いんです。ちょっとのおかずで凄く白米食べれるようなタイプなんですよ、僕は(笑)。それで僕が心配なのは、皆さん薄味って言ってることですかね。
福西 ただ、私も3回越冬した経験ですが、日本と南極は環境が違いますよね。向こうに行くと、脂っぽい物が結構普通に食べられるんで、意外と濃い味のものが欲しくなると思います。今、調達した食料品を大型コンテナに積み込みをされていますが、最終的に越冬隊用の食料品の重さはどの位になるんですか。
青堀 今の所35トンです。58次越冬隊は33名なので、1人1トン位ですね。
福西 それはお酒を含めての重さですか。
青堀 そうです、お酒も含めて食料品全部の重さです。
福西 食材を集める期間はどの位だったのですか。
青堀 7月から始まって、昨日全部入れ終わったんで、まあ4か月弱位かかったんですね。普通のホテルとかレストランでもこれだけの数を納入するには時間がかかるんです。集めたものを保管しておける業者も限られるんです。それだけの大きな場所をもってる業者は少ないんで。普通、発注があって横流しにスライドしていくんで、業者と密に連絡を取り合って調達していきます。
福西 肉は南極観測船「しらせ」が寄港するオーストラリアでも購入するのですか。
青堀 いえ、全部日本で調達します。オーストラリア産も含まれてますが、美味しい国産牛が主です。
福西 1年分の食料を調達するのは品目も多くて大変な作業だと思うんですが、それには前回の49次隊の経験が生かされていますか。
青堀 そうですね。だいたいこの位あれば足りるということが分かるので。あとはもう2人の腕でカバーですね。
福西 49次隊で越冬された時に途中で足りなくなった食材はありますか。
青堀 そうですね49次隊ではこれまでの南極観測隊にはない特別の事情がありました。それは49次南極観測隊が初代「しらせ」の最後の航海だったんです。後継船の建造が遅れ、越冬に入った2月時点ではどうやって帰るかも決まっていなかったんです。もしかしたら2年越冬なるかもしれないので覚悟してくれと言われていたんです。それで食料も最初はかなりケチって使っていたんです。で、多分5月位に決まったと思うんですが、帰れるからバンバン使えっていう話になったんです。
福西 それは大変でしたね。確か「しらせ」後継船の就役が2009年度より遅れたことから、2008年11月に出発した第50次隊は日本政府がチャーターしたオーストラリアの砕氷船「オーロラ・オーストラリス」で南極に行き、49次越冬隊はその船で日本に帰国したんですね。
青堀 そうなんです。それで5月からはどんどん使ったんですが、それでもかなり残ってしまったんです。予備食も1年分ありましたし。でも今回は2代目の「しらせ」で確実に帰れますので、最初から自分たちが持って行った食料をバンバンとばして使かおうと思っています。そうすると食材によってはなくなってしまって、「もうそんなのもないの」と言われても構わないです。「しらせ」が迎えに来た時に嬉しさが倍増するのではないかなと思うので(笑)。
福西 最近は冷凍技術が進歩しているので日本で使っている食材はたいてい南極でも使えると思うんですが、冷凍で南極に持っていけない食材はどんな食材ですか。
青堀 やはりコンニャクなどは冷凍して解凍しても固くなるんで食べれないですね。冷蔵期間でもつだけです。生卵もそうですけど、今は凍結全卵もあります。あと冷凍できない物といえば、、、まあ生野菜は普通そうですよね。
福西 保存するためには温度管理の違う冷蔵庫があるわけですよね。
青堀 そうですね、マグロなんかは-80度くらいの冷蔵庫が昭和基地にあるみたいです。僕が前回行った時はなかったんですけど。その冷凍庫が設置されたことによっマグロもいつまででもいい色で食べられるみたいです。
福西 南極越冬中の一番大きなお祭りは冬至前後のミッドウインター祭ですが、そのお祭りでのパーティー料理に必要な食材も調達されたんですよね。
内村 ミッドウインター祭は4日間にわたるので、僕だけじゃなくてもちろん青堀さんと交代でやろうかという話なんですけど。そのお祭りのための食材ももちろん調達しました。
越冬中の食事
福西 1年間の越冬生活ですが、基本的にレシピは決めているんですか。
青堀 ミッドウインター祭で、「じゃあメインに何使う」というような話は二人でしていますが、毎日何を作ろうかというのは、昭和基地に行ってから、皆がどういうのが好きなのか、そういうのを考えながら作ります。まあ、毎回レストランで出すような料理を出されると食べる方も疲れちゃうんで。ここぞっていう時には出しますが、でもその分引出しが多ければいろんなことができると思うんで、、、。内村さんはさっき言ってたように、名店ばっかり回ってきて、引出しが凄いんで、、、。
内村 それはないですよ。思ったほどないですから(笑)。
福西 6月の国立極地研究所での隊員室開きで、お二人が指導して隊員たちが料理を作ってましたね。岡田越冬隊長が言ってたんですが、お二人は他の隊員をうまく巻き込んで料理を手伝ってもらうのが非常に上手だと。他の隊員も凄く料理に興味を持ってきているようですが。
青堀 やっぱり一人では絶対店は回らないんで、僕もホテルでやってきて、周りの人にやってもらってなんぼなんですよね。だから、そういう意味では二人ともうまいと思います。
福西 私も越冬隊で良かったのは、全然抵抗なく調理担当隊員から料理を教えてもらえたことです。これは隊員にとってはとても良い経験だと思うんです。日本に帰ってきたらすごく役立ちますからね。最近は料理をやる男性が増えてきましたが、やはり料理は自分でやってみないと楽しいということは分かりませんね。ところで青堀さんは極地用のフリーズドライ「極食」の開発チームの一人ですよね。
青堀 そうですね。フリーズドライというのは凍結乾燥で作るので、凍結ができる物じゃないとダメなんですよ。なのでコンニャクなどは絶対にできないですね。フリーズドライの開発に結構長い間関わらせてもらったことで、冷凍に向いてない食材というのがあるということがよく分かりました。
福西 「極食」っていうのは、南極の場合、昭和基地で食べるんじゃなく、野外の行動食として使っているのですか。
青堀 はい、そうですね。昭和基地からの調査旅行で、テントを張って生活している隊員の食事に使っています。
福西 水かければすぐに食べられ、しかも「軽い」ということが行動食に便利だということですよね。私もサンプルを頂いて食べたんですけど、簡単に作れるのにすごく美味しいので驚きました。
青堀 ありがとうございます。
福西 これもやはり南極での経験が生かされたっていうことですか。
青堀 そうですね、元々は全部、南極観測隊員に出した食事のレシピを元に「極食」を開発したんです。45種類あるんですが、誰でも45日間経つと、45日前の食事は絶対覚えてないというか、記憶がなくなるんで、45日サイクルで作ったんです。
福西 内村さんも南極から帰って来て、こういうのを開発したいですか。
内村 いや~~、それは青堀さんにお任せします(笑)。
福西 調理師は自分の調理器具にこだわりがありますよね。自分が使っていた調理器具を南極に持って行くんですか。包丁とか。
青堀 包丁は買って貰いました。やっぱり帰って来てから職をしないといけないんで。そこは自分の包丁は取っておかなければいけないんで。南極に持って行っても、もしかしたら持って帰って来られないのもあるかも知れないし。冷凍物をかなり切るんでかなり研がないといけないんで、消耗も激しいからですね。
福西 越冬中の調理は一緒にやるんですか、それとも交代でやるんですか。
青堀 基本は一人ずつです。朝番の人がいて、別の人が昼夜を作るみたいな。それで回していきます。
福西 南極では流しそうめんを毎年恒例でやっているようですが、今年も外で流しそうめんをやるんですか。
青堀 そうですね、氷山での流しそーめんはやはり伝統としてやらないと(笑)。みんな多分期待していると思いますので。
福西 寒い所で凍ったりなんかしないんですか。
青堀 しますします。だからお湯で流すんですが、最後の方は凍っちゃうんです。
越冬中の楽しみ
福西 越冬中は余暇をどのように楽しむんですか。
青堀 僕は走るのが好きなので、東オングル島内一周トレイルランみたいなのができないかなと考えていて、それは持っていくんですけど。まあそれは越冬隊長の許可次第ですが(笑)。あとは、ちょっとみんなの協力を得てできないかなと考えているのは、昭和基地から南極大陸の上陸地点にあるとっつき岬まで走って、南極大陸に渡るとか(笑)。
内村 僕は、前から好きってわけじゃないんですけど、今回はプラモデル作りをやろうと思っています。南極では時間あると聞いたので、大きいのを買って作とうと思っています。軍艦が好きなもので、戦艦大和など何隻か作って、それを外に持っていって、ペンギンかなんかいたら、そこにプラモデルを置いて写真を撮るです(笑)。あとは、三線ですかね(笑)。このまえ沖縄行って目覚めまして、三線を買ったんです。三線を南極で一曲くらい弾けるようになれればいいかなと思って、三線を持って行きます。
福西 内村さん今度南極が初めてですが、南極の素晴らしい自然では何を見てみたいと思っていますか。
内村 僕がこの前、岩手に帰った時に南極の経験者の方に会って、やまと山脈の写真を見せられたんですね。すごい山で、行ってみたいと思いました。下から眺めるだけでもいいんですが。
福西 野外観測支援で一緒に行って、やまと山脈を見てみたいと。
内村 そうですね、はい。是非。
福西 青堀さんは49次隊でいろいろと見られたと思うんですが、前回見た南極の自然の中で一番素晴らしいと感じたのは何ですか。
青堀 やっぱり氷山ですかね~。僕、内陸のみずほ基地にも行かせてもらったんでが、やっぱり内陸より沿岸の方がいいな~っていうのが正直な感想ですね(笑)。ただ、みずほ基地までだったんで、今度はドームふじ基地までの旅行があるんです。メンバーはもう決まってるとは思うんですが、ドームふじ基地までだったら行って見たいなっていうのはありますね。
福西 こんどはドームふじ基地までの旅行があるんですか。
青堀 越冬明けの夏、59次隊の夏隊に58次越冬隊からも参加します。雪上車のピステンブーリを運転する伊藤さんが多分確定で、サスツルギを掻き分けながら先頭に立って行くと思うんですが、あと1人くらいは行くのかな~、まだ分からないですけど。でも自分は多分無理だと思いますが。
福西 ドームふじ基地まで行かなくても、野外調査支援でいろいろありますよね。
青堀 ドーム基地への旅行があるんで、途中のみずほ基地への旅行は必ずあるんです。燃料デポで。で、僕は前行ったんで、もし良かったら今度は内村さんと思っているんです。
内村 いや~近場でいいです、近場で(笑)。基地をあんまり離れたくない(笑)。
福西 ペンギンはどうですか、見てみたいと。
内村 そういう方がいいですね。はい。戯れたいですけど、触っちゃダメなんです、南極の環境保護条約で。
福西 ペンギン調査もやりますよね、毎年。
青堀 今年は生物担当の方も2人越冬しますので、沿岸隊は冬が明けたらすぐにあちこちに行きます。野外調査はいっぱいあると思います。
家族のこと
福西 ご家族の事をお聞きしたいんですが、南極に行くとなった時にご家族の方はどういう反応でしたか。
内村 僕は独身なので、親の話になっちゃうんですけど、即「よかったね、行って来い行って来い」って感じでしたね。何の迷いもなく。ちょっとびっくりするか戸惑うかと思ったんですけど、母親なんか特に「行って来い行って来い」って。
福西 やはり隊員に選ばれることは名誉なことですよね。
内村 そうですね、世代というか、そういう人たちですから。70代世代なので、喜んでくれましたね、名誉なことだと。
福西 そういう家族からの応援があるのは嬉しいですね。
内村 そうですね、兄弟から親から親戚から、全員が良かったねって言ってくれました。
福西 青堀さんのご家族はどうですしたか。
青堀 前回の越冬隊では独身で、帰って来てすぐに結婚したんです。待たせていたことになるんですが、そういう気持ちはあんまりなかったですが。今回、子供もできて、応募した時は全然思ってなかったですけど、いざこうやって国立極地研究所の隊員室勤務なり、白馬と東京と離れて暮らしていると、去り際とかに子供が泣いたりするんです。まだちっちゃいんで。あ~やっぱり寂しいなっていうのはありますね。ただ、大きくなれば分かってくれるのかなって思っています。まあ南極から写真もインターネットで送れるし、電話もできるので。
福西 今は納得していますか。
青堀 そうですね、前は毎晩毎晩泣いていたみたいですけれど、徐々に慣れてきたみたいです。7月からこの4か月位で。電話してもちゃんと笑顔でしゃべってくれるんで、この慣らす期間があって良かったかなと思います。いきなりボンと南極に行っちゃうと大変なことになったんでしょうけど。
南極を目指す人たちへのメッセージ
福西 最後に、これから南極観測隊員を目指したいと思っている人たちに対してメッセージをそれぞれお願いします。
青堀 調理師っていう仕事をしてると、仕事以外の人たちと話す機会があんまりないんですよね。仕事ばっかりになってしまうので。観測隊のように、いろいろな分野の人と横並びで仕事ができるっていうことはあまりないんです。それで前回南極に行ったあと、本当に考え方も変わったし、すごく自分にプラスになったと思うんです。ぜひ皆さんにも南極を目指して頂きたいと思います。南極に行きたいと思えば、諦めなければ行けると思います。
内村 どんな経歴とか、どうすれば南極観測隊員になれるんですかと聞かれることもあるんですが、立派な経歴だとかそういうのではなく、気持ちが大事だと思っています。僕も和食も中華もできないと思ってますし、要は気持ちで美味しいものを作ってあげようというか、お母さんの様な気持ちで、また飲食店とは全く違う形で、毎日の生活の中で料理を作ると、優しい気持ちになれると思います。本当の意味で人を喜ばせられる気持ちの料理を、技術ではなくて、そういう志を持った方に応募して欲しいし、来てほしいなと思っています。そんなに技術はいらないんじゃないかって思うんです(笑)。
福西 今日は大変楽しい話をたくさんありがとうございました。南極での活躍をお祈りしております。

青堀 力(あおほり ちから)プロフィール

1975年鹿児島生まれ。父親の仕事の都合で幼少期、九州各地を転々とする。福岡県立筑紫高等学校卒業後、調理の道へ入る。数店のイタリア料理店、フランス料理店を経て第49次南極地域観測隊に調理担当として参加。帰国後、在ラトビア日本大使館公邸料理人、ホテルグリーンプラザ白馬料理長を経て今回、再び第58次南極地域観測隊調理担当として参加。趣味はトレイルランニング、マラソン。

内村 光尚(うちむら みつなお)プロフィール

1977年生、岩手県盛岡市、高校卒業後、上京。多摩調理師専門学校と朝日奨学生制度の両立、卒業後、都内レストランで修行。25歳で渡仏、モンペリエのジャルダン・デ・サンスで研修。帰国後、丸ビルのサンス・エ・サヴール勤務、その後赤坂のビストロブルゴーニュ、浅草の酒の大桝 wine-kanでの8年間料理長を経て第58次南極地域観測隊に調理担当として参加。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。
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