ロシア北極域の経済発展を考える

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田畑 伸一郎(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター 教授)

1.資源開発と先住民

私は、文科省の北極域研究推進プロジェクト(ArCS)のテーマ7「北極の人間と社会:持続的発展の可能性」のなかで、ロシア北極域の持続的経済発展に関する研究を行っている。よく知られているように、ロシア経済は、石油・ガスに大きく依存する。石油・ガスは、連邦財政収入の4割強を提供し、輸出の5割以上を占める。そして、その石油・ガスの生産において、北極域と見なされる地域が大きな役割を担っている。原油については、北極圏ではないが、北緯58度30分~65度30分に位置するハンティ・マンシ自治管区が4割強のシェアを占め、北極域と合わせると6割強のシェアとなる。天然ガスについては、北極圏に位置するヤマロ・ネネツ自治管区が8割のシェアを占める。このような北極域が、石油・ガス大国ロシアを支えているのである。

一方で、北極域は先住民が暮らす土地である。シベリアで石油・ガスの生産が大々的に行われるようになったのは、1960年代以降のことであった。ロシアには自治管区と呼ばれる行政区画(日本の都道府県に相当)が4つあるが、現在では、それはすべて北方の地域に位置する。自治管区は、先住民の人口が多い地域に民族管区として1920年代~1930年代に設置され、1977年に自治管区に改称された。

このうちヤマロ・ネネツ自治管区の人口は、52.3万人である(以下、注記しない限り、人口は2010年国勢調査の数字である)。うち、ロシア人が31.2万人(59.7%)、ウクライナ人が4.9万人(9.4%)、ネネツ人が3.0万人(5.7%)、タタール人が2.9万人(5.5%)、その他が10.4万人(19.8%)である。いわゆる先住民は、上掲のネネツ人を含めて4.2万人(8.0%)ということである。自治管区という名称が付いているとは言え、現在では先住民以外の人口が92.0%を占めているわけである。

ヤマロ・ネネツ自治管区の人口のうち、44.3万人(84.7%)までが都市に住んでおり、10万人を超える都市が2つ存在する(ノーヴィ・ウレンゴイとナヤブリスク)。8.0万人(15.3%)が都市以外に住んでおり、先住民の大半はそうした地域に住んでいると見られる。

ヤマロ・ネネツ自治管区は、面積が77万㎢もある。日本の丁度倍の大きさである。そこに50万人ほどしか住んでいないのであるから、パイプラインそのほかの輸送インフラを考慮に入れても、実際には多くの土地が手付かずのわけである。

ヤマロ・ネネツ自治管区の先住民、特にネネツ人の生活にとって重要なのは、トナカイ飼育である。トナカイの飼育頭数において、ロシアは世界の7~8割を占めると言われている。ロシアにおけるトナカイの飼育頭数は、ソ連崩壊の1991年末には226万頭であったが、1990年代に半減し、2000年代に回復して、2011年末に158万頭になっている。そのようななかで、ヤマロ・ネネツ自治管区においては、1991年末の54万頭から、2011年末には68万頭にまで増加し、現在では80万頭近くに達していると見なされている。ヤマロ・ネネツ自治管区は、天然ガスの生産でロシアと世界をリードすると同時に、トナカイの飼育においてもロシアと世界のリーダーとなっているのである。

 このような状況をどのように理解すべきであろうか。一方で、ガス開発が自然環境を破壊し、それが先住民の生活に大きな影響を及ぼしていることは紛れもない事実であろう。他方で、ヤマロ・ネネツ自治管区に限らず、ロシアのトナカイ飼育民の間にスノーモービルが普及していることもよく知られた事実である。

 私は、2015年に総勢15名の日本やフィンランドなどの研究者とともにヤマロ・ネネツ自治管区を訪れた。自治管区の首都サレハルトからヘリコプターで1時間ほどのところにあるパユータという交通の要所に行き、そこでトナカイ肉の加工工場を視察した(写真1)。その工場は自治管区の政府がフィンランドの設備を購入して作った施設で、先住民からトナカイ肉を買取り、それを加工してフィンランドやドイツに輸出している。こうしたことが可能なのは、自治管区の政府がガス会社などからの税収により、豊富な資金を持っているためであろう。

   
  写真1 パユータ(ヤマル半島)のトナカイ肉加工施設
注:右手の木の柵の内側はスロープになっており、トナカイが搬入される。
出所:筆者撮影(2015年9月)
 

2.ロシアにおける財政資金の循環

 私は、ロシアにおいて財政資金が中央と北極域の間でどのように循環しているかを調べている。ここで北極域とは、図1に示した9つの地域である(A1、 A4、 A6、 A9の4地域は地域全体、他の5地域は地域の一部が北極域と定義されている)。これら9地域の基本統計は表1に示したとおりである。これら9地域は、人口ではロシア全体の5.3%を占めるに過ぎないが、面積では48.3%を占めている。GRP(地域のGDP)では9.5%を占め、投資では15.6%を占めている。こうした経済活動をリードしているのは、ヤマロ・ネネツ自治管区である。同自治管区において投資活動が盛んであったのは、ヤマル半島に液化天然ガス(LNG)の生産設備と輸出施設が建設されたためである。LNGの輸出は2017年末に開始された。



図1 ロシアの北極域 注:A1~A9などの地名は、表1参照。B1~B3の地域は比較のために示した。
出所:ロシア連邦政府決定などをもとに作成。
表1 ロシア北極域の基本統計


注:A2、 A3、 A5、 A7、 A8の地域は、その一部が北極域に含まれるだけであるが、本表には地域全体のデータを示した。
出所:ロシア統計局ウェブサイトから作成。

地域が中央に送る税収から、中央が地域に配分する補助金を差し引いた額を地域のネットの財政貢献であると見なし、計算した結果を表2に示した。北極域では、ヤマロ・ネネツ自治管区が12.4%もの貢献をしているために、北極域9地域の合計として、17.7%もの貢献となっている。実際には、ロシアでは、準北極域のハンティ・マンシ自治管区、モスクワ市、ヤマロ・ネネツ自治管区の3つの地域が連邦財政を支える構造となっている。この3地域で、表2に示した財政貢献は、58.3%にも達している。

表2 ロシア北極域の連邦予算に対する純貢献額(2015年)



出所:ロシア統計局、連邦出納局、連邦税務局などのウェブサイトから作成。

ロシア経済を支えるのは石油・ガス部門であるが、地域で見るならば、それは石油・ガス生産地域であり、その多くが北極域周辺に位置するという構図となっている。したがって、ロシアにとって北極域の開発は必須であるが、先住民の生活環境や自然環境にどこまで配慮してそれを進めることができるのかが今後も大きな問題であり続けるであろう。ロシアは、外国人に対してこうした地域の研究や調査を自由には行わせてくれないのであるが、我々研究者としては、できるだけ客観的にこうした地域の実情を伝えていくことが必要であろうと考えている。

参考文献
田畑伸一郎(2018)「ロシア北極域経済の現状:地域財政の分析を中心に」
『ロシアNIS調査月報』第63巻第3号, pp. 10-20. 檜山哲哉・藤原潤子(2015)編著
『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』京都大学学術出版会 吉田睦(2012)
「シベリアのトナカイ牧畜・飼育と開発・環境問題」高倉浩樹編著
『極寒のシベリアに生きる―トナカイと氷の先住民』新泉社,pp. 137-156.
Detter, G. F. (2017) “The Economy of the Northern Reindeer Husbandry in Yamal: Problems and Opportunity,” Scientific Bulletin of Yamalo-Nenets Autonomous Okrug, No. 4, pp. 4-16 (in Russian).
Ivanov, V. A. (2014) “Reindeer Breeding in the Arctic Sub-region: Situation and Directions of Development,” Region: Economics and Sociology, No. 2, pp. 39-51 (in Russian).
Tynkkynen, V., S. Tabata, D. Gritsenko and M. Goto (2018) eds., Russia’s Far North: The Contested Energy Frontier. Abingdon, Oxfordshire, UK: Routledge.

田畑伸一郎(たばた しんいちろう)プロフィール

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授。東京大学教養学部卒(1981年)、一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学(1986年)。専門は、ソ連・ロシア経済論。統計データを用いたマクロ経済発展の分析に従事。文科省北極域研究推進プロジェクト(ArCS)テーマ7「北極の人間と社会:持続的発展の可能性」のPIを務める。

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