シリーズ「南極観測隊員が語る」第1回

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念願の南極昭和基地

第55次南極地域観測隊 水田 裕文

南極へ行ってみたい。そう思ったのは今から7年前の2008年。NECネッツエスアイ(入社当時はNECシステム建設)に入社後、システムエンジニアとしてキャリアを積んでいたが、社内公募に南極越冬隊の項目があったので素早く反応してしまった。よく、なぜ南極に?と聞かれることがあるが、理由は簡単、『行ってみたいから』。何があるか、どんなことが起こるかわからない。こんな面白そうな職場は会社のどの部門にもありえまい。家族のことを顧みず、ただ自分の冒険心を満たすために2度の落選にもめげず、3度目の社内公募への挑戦で念願の南極行きの切符を手に入れたのだ。 水田原稿1 社内での観測隊候補に選ばれてから約2年の社内研修を経て、冬期訓練、夏期訓練、国立極地研究所の隊員室で、これから一緒に生活する55次の南極経験者から話を聞いていたものの、到着した昭和基地では予想を超えるほどの風景がそこには広がっていた。採石場だ、ここは。昭和基地に初めて訪れた人が最初に感じることはきっと同じだと思う。勝手に、昭和基地は氷と雪に包まれた白銀の世界と思っていたのが、実際に目の当たりにする風景は、土と岩と泥だらけの世界。昭和基地についた感動などどこへやら、到着したらすぐに自分たちの食糧の運搬やら、ここでの生活ルールの順守など、日本とは違う生活に戸惑いつつも、否が応にもこれから1年以上ここで暮らさなければいけないという現実が待っていたのだ。 水田原稿2 昭和基地に到着直後の夏期間は土木作業支援が多く、毎日の肉体労働に、この採石場で死ぬまでこき使われるんじゃないか、、、という不安が脳裏をよぎる。ムチがあればアメもあるもので、前次隊が開催してくれる歓迎会やら個別の引継と称した宴会などで、関係を深めるとともに、少しずつココの生活に慣れていくというのが、昭和基地流のやり方なのだろう。最初は戸惑った肉体労働も、少しずつ慣れていき、今まで会社では覚えることのなかった。屋根の雨漏り補修の方法や、生コンクリートの作り方など、日本に帰って役に立つのか、微妙なスキルを身に着け夏の作業をこなしていくのである。 そして、時は過ぎ、夏作業も概ね終えた2月1日の交代式を過ぎると、昭和基地の維持管理が自分たち越冬隊で行うこととなる。それまでは、第一夏期宿舎(通称レイクサイドホテル)というホテルとは名ばかりの簡易宿泊施設に押し込まれていた環境から、念願の個室が与えられることとなるのだ。ようやく手に入れた個室や、自分たちで自由に楽しめるBARや娯楽室、生活の中心となる管理棟(食堂、通信室、医務室などがある基地の心臓部)など、これから越冬生活への期待に胸を膨らませる。一方、管理棟周辺を巡って思うことは、今まで、電気、ガス、上下水道が自由に使えると思っていたのは、すべて、今までの南極観測隊OBが作ってきた設備とそれを維持管理していた前次隊のおかげだったんだなと、感謝の気持ちと自分が受け持つことの責任を痛感するのである。 第二次ベビーブームの終焉のころに生まれ、モノがあふれている、お金さえあれば好きなものが手に入る時代を生きてきた筆者としては、あることが当たり前だと思っていた生活インフラが、ここ昭和基地では、自分を含めた24人で維持、管理しなければ、すぐ隣で氷の女王が待ち構えているなんて、思いもしなかったのである。遅い時間まで引継に付き合ってくれた前次隊の先輩や過酷な夏作業で共に死線を潜り抜けた戦友のような友情の芽生えた夏隊が越冬交代を経て、次々とヘリコプターで昭和基地を後にし、しらせに向かうと、夏期間は賑やかだった昭和基地も我々の他は近くにペンギンすらも居ない孤独な世界となるのである。 よく南極には菌が居ないから病気にならないと、言われるが、昭和基地に来て感じることは、菌が居ないという受動的なものではなく、付近に菌が寄生するだけの栄養となるものがなく、菌が繁殖しえない、生物にとっての死の世界というのが昭和基地に来て強く感じたことである。 水田原稿3 世界中探してもここにしかない、究極の死の世界。だからこそ広がる美しい自然が人を魅了して止まない南極の地、社会人にとっては、嫌味な上司やメンドクサイ予算管理もない自由な場所が昭和基地には広がっているのだ。さすがに、南極に来ただけで有名人と崇められる時代は過ぎ去ったものの、身内からは尊敬の目で見られ、会社でもちょっとした有名人になれる。南極で一年過ごした身としては、一人でも多く南極の素晴らしさを伝えて興味を持ってもらい。今まで脈々と続いてきた南極観測を続けるためのお手伝いをしていきたいと強く思う次第である。

水田 裕文(みずた ひろふみ)プロフィール

第55次南極地域観測隊で多目的アンテナを担当。出向元はNECネッツエスアイ、人工衛星の送受信システムを主業務としており、南極でも人工衛星からのデータ受信を担当した。生活係では、娯楽スポーツ係長、自主的活動では毎週日曜日にスイーツを制作し、隊員に振舞ったり、第55次隊唯一の調理隊員が野外に出た際には、ピンチヒッターとして、調理場に立つなど、多目的に活躍。
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