シリーズ「南極・北極研究の最前線」第4回

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メルツ氷河の崩壊が全球スケールの海洋循環に与えた影響

国立極地研究所助教 田村 岳史

近年、南極大陸上の氷床・氷河の融解・崩壊が激しい。この原因としては、自然に起こる水循環の一環、あるいは近年の地球温暖化によるものが考えられるが、いずれにせよ、全球海面水位上昇に直接、結びつく重要な現象であり、大きな注目を集めている。一方、氷床・氷河の融解・崩壊は、海面水位上昇以外にも思わぬ影響を与えており、その具体例について解説する。 東南極の東経145度付近の沿岸域にはメルツ氷河と呼ばれる氷河が存在する。この氷河が、2010年2月に大規模に崩壊した。メルツ氷河の周辺海域では、この氷河が存在することによって海氷(流氷)が大量かつ効果的に生産されていた。この海氷生産はメルツ氷河の形に大きく依存し、非常に局所的に起こるもので、まるで海氷生産工場とも言えるような場所になっていた。海氷とは、海の水が凍ってできたもので、凍る際には、海水中の塩分をできる限り外に排出しようとする性質がある。そのため、この海氷生産工場は、同時に塩分排出工場とも言える。海水は、塩分濃度が高いほど重くなる性質があるため、海氷生産による大量の塩分排出によって、ここでは南極底層水という地球で最も重い水が作られる。 活発な海氷生産によって生成された南極底層水は、地球規模の海洋大循環にとって重要な駆動源になっている。風の力で海をかき混ぜる事ができるのはせいぜい水深100 m程度までである。海は数千mの深さがあり、地球の海水をくまなくかき混ぜ循環させるためには、お風呂をかき混ぜるように、海水が海の表面から海底まで動くことが必要である。南極底層水が作る流れにはそのような駆動力が備わっているが、それはどこででもできるわけではなく、南極でも3~4か所でしかできない。その一つがこのメルツ氷河周辺域である。 2010年2月にこのメルツ氷河(正確には氷河が海に突き出ている氷舌と呼ばれる部分)が大規模に崩壊するイベントが起きた(図1参照)。その影響の甚大さを考慮し、我々はさまざまな角度から集中的に観測・研究を実施した。 2011年、数値モデル研究により、ここでの海氷生産量が大きく減少する可能性が示唆された。一方、衛星リモートセンシングという観測手法によって2012年、海氷生産量を直接的に求め、この海域での海氷生産量の減少を定量的に明らかにした。さらには、研究観測船(オーロラオーストラリス号)による現地での直接的な海洋物理観測によって、この海域での高密度水の生成量の減少、植物プランクトンの増殖とCO2吸収量の増加が定量的に明らかになった。

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図1:メルツ氷河周辺の衛星画像。(a)は崩壊前の2008年1月14日の画像で、(b)が崩壊後の2011年1月14日の画像である。MGTがメルツ氷舌、B9Bは1992年からこの海域で座礁していたロス棚氷起源の巨大氷山。FIは定着氷域、PIは海氷域、IBが氷山、MGがメルツ氷河、赤線が海岸線。2010年2月に、これまで座礁していた巨大氷山(B9B)が移動してメルツ氷舌に衝突し、折れたメルツ氷舌は速やかに他の海域に移動し、B9Bが同海域内に留まった。
メルツ氷河周辺の海氷生産量推移を調べる方法は次の通りである。衛星赤外データから正確な沿岸線(氷河・氷床・氷山・定着氷と海洋・海氷域との境界線)を求める手法(詳細は省く)と、衛星マイクロ波データから海氷生産量を求める手法(詳細は省く)とを組み合わせて、2000~2011年(12年間)の、各年の海氷生産量を算出した。メルツ氷河周辺の具体的な海洋観測については、2011・12年の1月に同海域に赴いた観測船(オーロラオーストラリス号)により、表層から底層にわたる採水等を実施し、物理・化学・生物学的解析に必要な各種現場観測データを取得した。そして、氷河が崩壊した2010年以前に取得されていた過去の観測データと比較して、同海域の水質の経年的な変化を明らかにした。 衛星データの解析結果は、メルツ氷河崩壊後の海氷生産量が以前のそれと比べて14~20%減少したことを示唆していたが(図2参照)、崩壊後の2010年と2011年の現場データは、海氷が生産されやすい気候条件(低温・強風)であったにも関わらず、実際、海氷生産量が減少していたことを明らかにした。今後もさらに海氷生産量が減少する可能性が極めて高い。
(a)

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(b)

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(c)

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図2:衛星データから見積もったメルツ氷河周辺の海氷生産量の分布図。海氷生産が起こっている場所を色づけしている。赤線が海岸線。暖色ほど、生産量が高い(右・カラースケール参照)。(a) 2000-2009年の平均値、(b) 2010年、(c) 2011年。
この海氷生産量の減少は、メルツ氷河の崩壊によって海氷生成域が根本的に変化した事によって引き起こされている。現場海洋観測データの解析結果は、メルツ氷河崩壊後の表層塩分が1 g Kg-1ほど低塩化したことを示している。また、この低塩化傾向は底層にまでわたっており、この海域で生成される南極底層水が低塩化していた事が明らかになった。このように、現場観測データは、衛星リモートセンシングの研究結果で明らかになった低塩化とも良く対応している。 この低塩化の傾向は過去30~40年の低塩化の傾向に比べて5倍と急激なものである。メルツ氷河浮氷舌の規模が崩壊前のレベルまで復活すると予測される50年後まで、この低塩濃度傾向は続くものと予想され、それは即ち今後50年にわたって、この海域で生成される南極底層水が低塩濃度であり続ける事を意味する。 また、メルツ氷河崩壊と周辺の定着氷の流出による古い氷の融解は、鉄の流出を引き起こしたと考えられ、プランクトンの爆発的な増殖であるブルームが起きるなど植物プランクトンの活動が盛んになり、それによってCO2の海洋吸収量が崩壊前のそれと比べて約2倍に増えた事が明らかになった。 氷河の崩壊は自然現象であるが、崩壊の引き金となる氷河・氷床の底面融解は海水温の上昇によるものである。南極周辺での温暖化は、今後もこのような現象が引き続き起こりうるという事を意味する。氷河崩壊は海洋循環やCO2を含む物質循環及び生物生産に顕著な変化を引き起こす現象であり、全球規模の海洋大循環や気候システム、物質循環を予測する上で、今後も南極沿岸域の監視と分析を続けていく事が大変重要である。 この紹介記事は、主に下記論文他をもとにまとめたものである。さらなる詳細は、本論文及びその引用文献を参照されたい。 Shadwick, E. H., S. R. Rintoul, B. Tilbrook, G. D. Williams, N. Young, H. Marchant, J. Smith, A. D. Fraser, and T. Tamura (2013): Glacier tongue calving reduced dense water formation and enhanced carbon uptake. Geophysical Research Letters, 40(5), 904-909, doi:10.1002/grl.50178. Tamura, T., G. D. Williams, A. D. Fraser, and K. I. Ohshima (2012): Potential regime shift in decreased sea ice production after the Mertz Glacier calving. Nature Communications, 3:826, doi:10.1038/ncomms1820.

田村 岳史(たむら たけし)プロフィール

国立極地研究所助教、総合研究大学院大学助教。2007年北海度大学大学院地球環境科学理学研究科修了、博士(地球環境学)、低温科学研究所研究員、タスマニア大学研究員、国立極地研究所助教を歴任。2003年、2007年、2012年のオーストラリア南極観測隊に参加。専門は衛星リモートセンシング・極域海洋海氷物理学。
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