昭和基地のアマチュア無線局

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小林正幸((公財)日本無線協会、第25次、第46次南極越冬隊員)

昭和期地にて

はじめに

 「アマチュア無線」と言っても、携帯電話やスマートフォンという無線装置を自由に使いこなしている最近の若い人にはピンとこないと思います。誰かと話したり、インターネットを利用したりするのに、有線とか無線とかを意識する必要がないほど無線通信は日常生活に浸透しています。これら無線を使った装置は、使用する目的に合った電波(周波数)を使っていますが、そんなことを意識する人は、よほどの「無線オタク」以外にはまずいないでしょう。しかし、無線通信で使う電波(周波数)は、水や空気のような「人類共通の財産」であり有限な資源なのです。

 電波を利用するには、携帯電話や放送局に代表されるように、営利を目的とするものと、非営利なものに大別されますが、「アマチュア無線」は営利を目的としない条件で、法律で決められた周波数の範囲で、その貴重な財産をかなり自由に使うことができます。そのために、アマチュア無線局の運用には国家資格が必要になっていますが、「アマチュア無線局」を使った実験や研究から、新たな知見が得られたり、後々の技術の礎となったものも数多くあります。

 アマチュア無線は、知らない同士であっても簡単な設備で世界中の人達と、それぞれの立場に関係なく交信ができ、また携帯電話の無かった時代の友人同士のコミュニケーションツールとして若い人を中心に人気がありましたが、1995年3月末に136万4,316局をピークに増減を繰り返しながら2020年1月末には40万1,104局と大きく減ってしまっています。しかし、最近ではインターネットと接続したり、新しい方式のデジタル通信技術が開発されたりと若い人達の参入も期待されています。

1.昭和基地のアマチュア無線 事始め

 さて、日本の南極観測の歴史は、南極でのアマチュア無線の歴史でもあります。第1次隊には朝日新聞社の作間敏夫さん(故人)が通信担当の越冬隊員として参加しており、日本人として南極から初めてアマチュア無線の電波を出しています。作間さんの手記によると、南極昭和基地と日本との最初の交信は昭和32年(1957年)6月16日のことでした。

アマチュア無線を楽しむ作間隊員  (写真提供:西堀栄三郎記念 探検の殿堂)

 当日は、昭和基地からの電波を日本で待ち構えていた多くの局からの応答があり、すごい混信だったそうです。昭和基地から日本までは14,000kmの距離がありますが、電波は地球の周りを囲むようにある電離層で何度も反射を繰り返して届きます。太陽の活動に影響される電離層は気まぐれですが、機嫌が良いと、日本からの電波は国内のラジオを聴いているかと思うほどはっきりと聞こえてきます。そうかと思うと受信機が壊れてしまったかのように何も聞こえないときもあり不思議です。

モールス通信で日本と交信する作間隊員(写真提供:西堀栄三郎記念 探検の殿堂)

 当時は今と違って家族の声は聴くことができない時代でしたが、アマチュア無線が隊員の思いに一役かったそうです。アマチュア無線局の電波に声を乗せて送信できるのは、国家試験に合格して無線従事者免許を持つ者にしか許されていませんが、周囲の雑音までは規制することはできません。とある日曜日、都内のアマチュア無線家の無線室に関東近隣の越冬隊の家族が集まり、“バックノイズ”として家族の声が昭和基地に届ことになり、隊員一同オングル島(昭和基地)に来て以来、最高の日曜日になったとのことです。越冬中の国内外の多くのアマチュア無線局と交信した作間さんは、手記の中で「外の社会とは隔絶されているが、基地は孤独ではなく、世界中の人々に連なっている感動がヒシヒシと胸に伝わってきた」と書いています。

 作間さんは自分で撮影した氷山のカラー写真を記念に交換する交信証明書(QSLカード)として、1,000局近い交信相手に送ったとのことです。見知らぬ国や土地の様子を知ることができるQSLカードの収集もアマチュア無線の楽しみのひとつとなっています。珍しい地域のカードを集めるのは、現代のトレーディングカードの収集にも似ています。            

作間さんのQSLカード(交信証)

2.昭和基地のアマチュア無線局の歴史

 アマチュア無線局にはその無線局を識別するために指定されたコールサインがあります。このコールサインは、個人に割り当てられるもの(個人局)とクラブ等の団体に割り当てられるもの(クラブ局)があり、1次隊の作間さんのコールサインは個人局のJA1JGでした。日本の南極観測隊では1次隊から5次隊までは、有資格者による個人局で運用されていました。6次隊では越冬観測がなく、その後の4年間、南極観測は中断していました。新たに観測船ふじが就航し、1966年の昭和基地再開以降は、日本アマチュア無線連盟(JARL)のクラブ局としてコールサイン8J1RLが指定され現在に至っています。下図はJARLのクラブ局(8J1RL)としての初めてのQSLカードです。

JARLのクラブ局(8J1RL)のQSLカード

 日本の南極観測隊にはその他に、8J1RM(みずほ基地、あすか基地)と8J1RF(ドームふじ基地)が免許されていますが、閉鎖中の基地(あすか基地)を含め、現在は運用されていません。

みずほ基地のQSLカード(21次隊)
ドームふじ基地(のQSLカード44次隊)

 昭和基地のアマチュア無線局は、日本アマチュア無線連盟(JARL)が南極観測隊にその運用と設備の維持を委託し、観測隊員の中の有資格者によって運用されています。日本にいる時からアマチュア無線を楽しんでいた経験の豊富な隊員がいる一方で、日本を出発する前に資格を取得して、初めて電波を出すのが昭和基地からだという隊員もいます。

 それぞれ自分の余暇を利用して、主に日本との交信を楽しみに無線機の前に座りますが、電波の状態の良い時には、昭和基地と交信したい日本中の局がいっぺんに呼んでくるので混信で相手局のコールサインがなかなか聞き取れず、初めてマイクを握る隊員はその様子に驚かされます。昭和基地から世界の国々と交信する場合は、通常は電離層で反射する短波帯の電波が使われますが、電離層は太陽活動の影響を受けるので希望する地域といつも交信できるわけではありませんが、その不安定な自然現象を楽しむ通信とも言えます。

一方、経験豊富な隊員はいろいろと新しいことにチャレンジしています。

(1)人工衛星を経由する通信

 地球の周りには国際通信事業に使うもの、研究や観測に使われるもの等、いろいろな目的の人工衛星があります。あまり知られていないかもしれませんが、アマチュア無線用の中継装置を積んで南極と北極を経由する極軌道を飛んでいるものがあります。

この人工衛星を経由して、お互いに人工衛星が見えている時間に交信ができます。 17次隊(1975~1977)で初めて衛星通信装置を持ち込みましたが、当時はまだ衛星通信ができる局が少なかったようで、わずか1局としか交信できませんでしたが、その後、40次隊(1998~2000)、44次隊(2002~2004) 等の運用で多くの局と人工衛星経由での交信が成功しています。

(2)国際宇宙ステーション(ISS)との交信

 51次隊(2009~2010)の越冬中の2010年4月29日(昭和の日)には国際宇宙ステーション(ISS)に滞在中の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の野口聡一宇宙飛行士と交信しています。アマチュア無線を利用したテレビ会議システムで、4分間弱の短い時間ながらも音声と動画によるいろいろな情報交換ができたとのことです。この交信は当時、国際宇宙ステーション(ISS)からの最南端の交信記録となりました。

昭和基地と交信した国際宇宙ステーション(ISS)

(3)日本アマチュア無線連盟(JARL))「こどもの日」特別運用

 毎年5月5日の「こどもの日」に併せて、日本国内の小・中・高校生を優先して交信を行うイベントが行われています。これに協力するため、昭和基地側ではアンテナや機器の整備をして当日に備えています。日本側では東京の日本アマチュア無線連盟(JARL)事務局に交信希望者が集まり南極からの電波を待ちますが、電離層を何度も反射しながら届く電波は日によって大きく状態が変化するので、何時間待っても聞こえないこともあれば、すぐ近くにいるかのように聞こえることもあり、自然現象の不思議さを実感させられます。

  このイベントには、過去に南極で越冬した8J1RLの運用経験者が、南極観測隊の活動についてお話させていただき、交信の際にも立ち会いますが、交信が成立したときの嬉しい様子はとても感動的です。昨年(2019年)には、わずか出力10Wで昭和基地と交信することができて、同伴の親御さんを含めて大興奮でした。

2019年のこどもの日 昭和基地と交信後の集合写真(JARL Webより)

(4)南極観測60周年記念局の開設

 平成29年(2017年)1月に、南極観測が始まって60年を迎えました。これを記念して特別なコールサイン(8J60JARE)の免許を得て、58次越冬隊員が昭和基地から世界に向けて電波を出しました。これは子供たちに無線通信の素晴らしさと、日本の南極観測事業や自然科学に広く興味をもってもらおうという趣旨で、南極でアマチュア無線局を運用して帰国した南極OBで組織した「南極OB会アマチュア無線クラブ」が免許人となり、58次越冬隊のメンバーに運用を託したものです。国内外の約2,700局との交信で、60周年を迎えた日本の南極観測事業を広くアピールしました。

南極観測60週記念のQSLカード

(5)現在の昭和基地のアマチュア無線局

 61次隊ではアマチュア無線の経験者が多く、アンテナ用鉄塔を新設する等設備も更新され活発な活動が期待されていますが、今年はまだ電波伝搬の状況が良くなくあまり多くの方との交信できていないようです。最近は微弱な信号でも通信ができる新しいデジタル通信方式が開発されて交信できる局数は増えていますが、キーボードやマウスを使った通信は味気なく、やはり音声での通信ができないと物足りないとのことです。今後の電波状態が良くなり、昭和基地から元気な声が聞こえることを期待しています。

61次隊の設備 無線機(上)、アンテナ(下)

4.アウトリーチ活動としてのアマチュア無線

 アマチュア無線を通して日本の南極観測事業や観測隊の活動を紹介することで、自然科学や科学技術への興味を深めてもらうことは、観測隊員としては望外の喜びです。昭和基地で8J1RL運用した隊員の多くは、帰国後は南極OB会アマチュア無線クラブのメンバーとして、日本各地で行われるアマチュア無線のイベントに参加することで活動に協力しています。こどもの日の特別運用もその一つですが、毎年夏に東京ビッグサイトで行われるハムフェアにはブースを出して南極関連写真パネルや装備、氷山氷や岩石資料等を展示し、南極観測の紹介や記念品や書籍の販売をしています。昨年(2019年)には2日間で延べ42,000人の入場者があり、南極の氷や岩石資料に自由に触れられる展示はとても珍しく、人気があり、日本の南極観測事業の一端を知ってもらう役割を果たしています。    

写真は2019年のイベントの様子

5.アマチュア無線局の役割

 アマチュア無線は業務用通信とは別に日本や外国と交信できることから、使用可能な独立した通信系統が複数あることを意味し、昭和基地の通信システムのバックアップの役割も担っていいます。このことは、1次隊から現在まで続いている昭和基地のアマチュア無線局が趣味とは別の大きな役割を担っているとも言えます。同じような理由で、現在南極にある各国の越冬観測基地の多くにアマチュア無線局が設置されています。

 日本でも大きな災害の際には、公共の通信が途絶した地域から有効な情報がもたらされるなど、アマチュア無線が活躍しています。日常的に無線通信をして、無線装置の扱いに慣れているために、いち早く迅速に通信体制が整えられることから災害等で社会インフラとしての通信回線(電話やインターネット等)が使えない場合や、使うことが著しく困難な場合には、有効な通信手段となるという側面を持っています。

 実際に東日本大震災の時には、通信が途絶した地域からの情報収集の手段として活躍しました。国の中央防災会議が作成する防災基本計画にも通信手段の確保としてアマチュア無線の活用が書かれており、平常時から機動性に富む通信手段として使われているアマチュア無線は社会貢献の意味でも期待されています。 

今後も昭和基地から世界に向けてアマチュア無線の電波を発信することで、日本の南極観測の広報活動の一翼を担い、南極の自然科学や科学技術に興味をもってもらえるようなアウトリーチ活動を進め、さらに昭和基地の通信システムのバックアップとして、機器の整備と運用実績を重ねることが、昭和基地のアマチュア無線局のもつ役割だと考えられます。

資料提供

  • 西堀栄三郎 探検の殿堂
  • 日本アマチュア無線連盟
  • 第61次南極地域観測隊 アマチュア無線係
  • 南極OB会アマチュア無線クラブ

参考資料等

  • 国立極地研究所 「昭和基地Now」
  • 日本アマチュア衛星通信協会ML
  • 電子情報通信学会 小特集:今時のアマチュア無線

小林正幸(こばやし まさゆき)プロフィール

1955年東京生まれ 第25次、第46次南極地域観測隊に通信担当隊員として越冬し、昭和基地、みずほ基地でアマチュア無線局(8J1RL、8J1RM)を運用。アマチュア無線は中学2年の時(14歳)以来、生涯の趣味として楽しんでいる。2016年に南極観測隊経験者の有資格者で「南極OB会アマチュア無線クラブ」を組織、2017年に昭和基地開設60周年記念局(8J60JARE)、2018年に初代南極観測船「宗谷」建造80周年記念局(8J80JDOX)を企画、アマチュア無線を通して南極の自然や観測事業を広く紹介する等、アウトリーチ活動をしている。帰国後は越冬経験を活かし、極地向けの無人気象観測装置のシステム設計を手掛けた。NTT、気象・環境計測機器のシステム会社を経て、現在(公財)日本無線協会勤務。

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