シリーズ「極地からのメッセージ」第3回

北極点無補給単独徒歩に挑む

北極冒険家 荻田 泰永

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1909年にアメリカの探検家ロバート・ピアリーが、歴史上の共通認識としての北極点人類初到達を果たしてから100年余。以来、人々は様々なかたちで北極点を目指してきた。100年前には難攻不落の地球の果てであった南北両極点も、航空機の発達とともに今では観光客が機内で居眠りをしている間に乗り入れることができる場所となった。しかし、そんな時代になった今でも、ナンセンやピアリー、アムンセンといった”英雄時代”の極地探検家たちが味わった辛苦に追随するように、人間の限界に挑む冒険家たちがいる。

私は現在、北極点無補給単独徒歩に挑んでいる。手段を選ばず行く気になれば誰でも行ける北極点に、わざわざ遠回りして、厳しい条件を課して挑もうとする者のひとりだ。

北極点無補給単独徒歩とは、行程の途中での第三者からの物資補給(他者によるデポも含む)を一切受けず、一人きりで、エンジンや犬ぞりなどの機動力を使わずに、自力のみで北極点まで到達することを意味する。

これまで無補給単独徒歩で北極点到達を果たした人物は、過去に一人。1994年にノルウェーの冒険家ボルゲ・オズランドが成功した例のみだ。それから21年、無補給単独徒歩で北極点に到達した人物はいない。これまで挑戦者はあったにもかかわらず、成功者の出ない理由のひとつは、近年の著しく減少した海氷の変化にあるのかもしれない。かつてよりも薄くなった海氷により、北極点を目指す冒険の難易度が高まっていることは明らかだ。

私は2012年と2014年の2度、北極点無補給単独徒歩に挑戦したが、どちらも途中での撤退を余儀なくされている。進行を阻むのは、巨大な壁のようなプレッシャーリッジ、海氷が割れた水路のようなリード、周囲の氷盤が丸ごと破壊された乱氷帯など、海氷の動きによって発生した障害物だ。また、私自身が経験した最低気温氷点下56度という極低温下でのキャンプ生活も、少しのミスが命に関わる事態に繋がる。

乱氷帯では、スタート時で118kgにもなった二台のソリを分割して運搬し、歩みは尺取り虫のように遅い。約2ヶ月かけて直線距離800kmを踏破する予定だが、出発直後はソリが重く、カナダ北岸の大乱氷帯にも阻まれ、一日歩いても3kmほどしか進めない日が続く。水平面で歩いていると、乱氷帯の先の状況や、迂回をしたほうが良いのかどうかは全く分からない。目前の巨大な氷の壁に恐れを成して迂回したとしても、迂回先の状況が更に悪いこともよくあるのだ。北極海では「急がば回れ」ではなく「急がば直進」が常套手段となる。可能な限りの直進こそが、最短経路なのだ。

あちこちから聴こえる海氷の割れる「バキ!」「ビシ!」という破壊音や、遠くで氷が流れているであろう「ドドドド…」という重低音に恐れを抱きながら、自分の感情と客観性をコントロールしてひたすら北を目指す。北極海の恐ろしさは、実際にその場所に立って行動した者でないと分からないだろう。

当然のことながら、100年前にも乱氷帯などの障害物は存在していたが、現在と当時では頻度や発生規模が異なっているのでは?と思わざるを得ない。

100年以上前のピアリーの探検隊が、自分たちで置いた食料デポを帰路に回収しながら陸地に戻ってきたことは、私が実際に体験した北極海氷の流動性を思うと驚愕に値する。カナダ側北極海の北緯84度近辺まではそれほどの海氷の動きは見られないが、85度以北の東(グリーンランド北岸から大西洋方向)への海氷の流れは尋常ではない。ブリザードで4日間停滞している間に、東へ80km近く流されたことを思うと、いまの海氷上にデポを置いても帰路にそれを見つけることは不可能に近いと思う。これは、比較することが不可能となった100年前と現在の海氷の流動性の差から来るのだろうか。また、1968年から69年にかけて北極海を犬ぞりで横断したイギリスの探検家ウォリー・ハーバート隊が、アラスカのバローを出発し、北極点経由でスバールバル諸島まで行ったという事実も、現在の海氷状況からは考えられないことだ。

難易度の高まる北極海の状況がありながら、冒険の手法はより困難な制約を設ける方向へと進む。大規模な「遠征隊」から小規模な「個人」へと移行し、航空機を利用した物資補給を受けない「無補給」が近年の主流となっている。

その手法の極みが北極点無補給単独徒歩である。海氷減少の著しい北極海の現状を鑑みると、21年前に成功した唯一の例は参考とはならない。私が北極点を目指すにあたっては、頻発する海氷の割れ目は専用のドライスーツを着て泳いで通過し、大きく発達したオープンウォーターは新たに開発した極寒冷地用の小型フォールディングカヤックで対応している。90年代までは海氷の対処だけをしていればよかったのだが、現在では、どうやって海水の露出した箇所も安定的に通過するか?までを考えた準備が必要となっている。

そもそも冒険とは、試行錯誤の産物であり、システム化された世界から飛び出す行為だ。北極海の状況が変化したことを理由に、それまでの手法が通じないのであれば、すでに構築されたマニュアルを打ち破り、新たなやり方を自分たちで考えていくことが必要となる。それは、なぜ人間だけが冒険するのか?という命題とも繋がる答えを導きだし、その答えは「人間には試行錯誤を行なう知恵があるから」に他ならない。

ナンセンは北極海の海氷圧力に負けない”フラム号”を設計士コリン・アーチャーと共に造り、誰も想像しなかった北極海の漂流という一大偉業に臨んだ。システムの内側の住人たちは、ナンセンの行為を無謀と非難しただろう。しかし、ナンセンには確固たる自信とそれを裏付ける実績があった。

「できなかったことができるようになる」ということが、一個人の人間の成長であるとともに、人類の歴史でもある。産まれた子供が立ち上がり、やがて社会へと飛び出していくように、人類もまたアフリカからの拡散を経て、宇宙にまで飛び出している。人類共通の成長を支えるのは個々人の冒険心であり、マニュアル化されたシステムの外側に飛び出す挑戦心だ。

私は2016年に3度目の挑戦となる北極点無補給単独徒歩に臨む予定だ。過去2回の北極点挑戦の経験を経て、ようやく”北極海の正体”を掴んだ気がしている。北極海とは、自分の足下で海氷が割れ、ブリザードにより一晩で20kmもテントごと流されるような世界である。人間の想像が及ばない”不確定な世界”に臨むには、人間基準の物差しでは計り知れない。わずかな海氷の異音に耳を澄まし、朝日とともに細胞の一つひとつが活性化していくような動物的本能と、次第に研ぎ澄まされていく五感の鋭さも要求される。

北極点への冒険においては、野生の感覚を取り戻した“動物としての人間性”と、主体的に能動的な試行錯誤を行ない、リスクを乗り越えていく“知恵を纏った人間性”の両面が求められるのかもしれない。

そこで得られた知恵や教訓、知識や経験は、やがて必ず誰かの役に立ち、本来自己満足の産物であった“冒険心”に社会性が与えられる瞬間はやってくる。ただそれは、行動のあとの話しである。

荻田泰永(おぎた やすなが)プロフィール

北極冒険家。1977年神奈川県出身、北海道在住。2000年よりカナダ北極圏やグリーンランドにおいて、おもに徒歩による冒険を行なう。これまで13回の北極行で8000km以上を旅してきた。現在は北極冒険の最高峰である”北極点無補給単独徒歩到達”に挑戦中。著書に「北極男」(講談社刊)がある。 http://www.ogita-exp.com

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