シリーズ「南極にチャレンジする女性たち」第2回

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やりたいと思ったら行動することが一番

第57次南極地域観測隊 地殻圏変動モニタリング観測担当 笹森映里

sasamori_1 現在、昭和基地には第56次南極地域観測隊の越冬隊が滞在し、気象、オーロラ、雪氷、生物、地学など様々な分野で観測・調査活動を行なっています。この隊と交代する第57次南極地域観測隊の越冬隊にはこれまでで最多の5名の女性隊員が参加します。越冬隊の総数は30名なので、女性の比率は17%となり、日本の南極観測隊では画期的なことです。「女性が輝く社会」が南極観測隊でも実現しようとしています。女性隊員がどうして南極にチャレンジしようと思ったのかを知りたく、地殻変動モニタリング観測担当の笹森映里さんにインタビューしました。インタビューは11月10日に、日本極地研究振興会の立川事務所で行いました。

インタビュアー:福西 浩

福西 最初に笹森さんの生い立ちについてお伺いします。北海道出身とお伺いしましたが。
笹森 そうですね。札幌で生まれ、札幌の郊外にある北広島市にずっと住んでいました。2年間だけ大阪に住んでいたことがありますが、その他はずっと北海道です。
福西 小さい頃から自然が好きだったのですか。
笹森 自然は大好きです。子供のころから星を見ることが大好きだったんです。でも自然が好きだとはあまり意識していなかったのです。ただ中学生の時に父の仕事の関係で大阪に引っ越しまして、そこで星が見えない夜になって、緑も少ないのを感じて、その時初めて自分は自然が好きなんだと意識しました。
福西 北海道を出たから気づいたのですね。小学校、中学校はどんな環境でしたか。
笹森 小学校も、大阪に引っ越す前の中学校も北広島市にあり、周りには自然がある程度残っていました。
福西 出身高校はどこですか。
笹森 出身高校は札幌市東区にある札幌開成高校です。
福西 札幌開成高校はどんな校風の高校ですか。
笹森 2012年からSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に指定されていたことがある高校です。私は数学や理科、英語に力を入れるコズモサイエンス科という学科で学んでいました。北大と連携した講義や実習もありました。
福西 中学や高校での部活はどうですか。
笹森 バトミントンや陸上競技をやっていました。陸上ではずっと走り幅跳びをやっていましたが、長距離はそれほど得意ではないんです。
福西 どちらも体力勝負の部活ですね。スキーやスケートはどうですか。
笹森 家族でスキーに行くことはよくあったのですが、そんなには滑れません。でも小学校はスケートの学校だったので、スケートの方が慣れています。
福西 ずっと北海道での生活だったので寒さには強いですよね。
笹森 北海道は寒いですが、南極は北海道よりもずっと寒いのでどうでしょうか。
福西 兄弟はいらっしゃるのですか。
笹森 弟が二人います。
福西 大学はどこに進学されましたか。
笹森 地球や惑星に興味があったので北海道大学の理学部地球科学科に進学しました。大学院は同じ大学の理学院宇宙理学専攻に進学しました。
福西 海外の経験はありますか。
笹森 高校の卒業旅行でオーストラリアに行ったのですが、それが初めての海外旅行でした。そのあとは北海道大学に入って、第2外国語で韓国語を勉強したので、日韓交流で2週間ぐらい韓国の大学を訪問しました。また、スタディツアーでカンボジアに行きました。でも最も大きな経験は、学部4年を終え、大学院で正規の研究を始める前に1年間休学して海外に行ったことです。
福西 大学院に進学する前に1年間休学しようと思ったのはなぜですか。
笹森 惑星を研究したいという気持ちがあって大学院に進学したのですが、研究以外にも外国に行きたいとか、大好きなペンギンに会いたいとか、いろいろな気持ちがあって、全部同時にやるのは無理だと思ったのです。それで大学院で研究を始める前にまず海外に行って、研究以外のやりたいことをやって、それから研究をやろうと考えました。
福西 具体的に休学中にどのような経験をされたのですか。
笹森 まず、小笠原諸島の聟島で1か月アホウドリの飼育ボランティアをしました。そして南アフリカにあるケープペンギンの保全を行っているSANCCOBという施設で2か月半働き、最後に2か月半ほど東南アジアを旅しました。タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジア、マレーシア、シンガポールを陸路で回りました。
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聟島で(山階鳥類研究所提供)

福西 その旅行計画はどのように立てたのですか。
笹森 できるだけ綿密に計画を立てました。初めての長期旅行だし、人との交流もしたいけど、観光もしたいので、それを落とさないようにいろいろと調べました。旅行費用がどのくらいかかるか分からなかったので、どういうことをして、どういう風に移動して、それらを考えてお金の計算をしました。
福西 一人で旅行されたのですか。危険だと感じることはなかったのですか。
笹森 一人で行きました。結構怖がりなので、本やネットで危険な場所はよく調べ、夜は行動しないとか、そういうことに気をつけていたので大丈夫でした。
福西 一番思い出に残った国はどこですか。
笹森 最も思い出に残っている国はカンボジアです。カンボジアには先にツアーで行ったことがあり、そのツアーは半分が観光で、半分は子供たちとの交流でした。そのときの子供たちにまた会いに行きたいなという気持ちがあって、東南アジアを旅しようと考えたのです。カンボジアに行ったときは、その町に2週間ぐらい滞在して、子供のところに行って、遊んだり、日本語を教えたり、交流しながら、その町に半分住んでいるような感覚になって過ごしました。
福西 カンボジアでは何が一番印象に残ったのですか。
笹森 カンボジアって辛い経験されている方たちなんですね、歴史的に。それなのに明るく接してくれる、笑顔が素敵なんですね。こういう現地の人たちと交流できたということが一番印象に残っています。
福西 他に行った所はありますか。
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SANCCOBで

笹森 ペンギンがすごく好きで、触ったり、お世話をやりたくて、南アフリカのケープタウンに3カ月間ぐらい行き、海鳥やアフリカペンギンの保護活動を行なっているNPO「SANCCOB(南アフリカ沿岸鳥保護財団)」でボランティアをしました。
福西 ケープタウンでは会いたかったペンギンにはたくさん会えたのですね。
笹森 仕事以外にも、ペンギンのコロニーを見に行くことができて、野生のケープペンギンが生活する様子をたくさん見ることができました。
福西 実際にはどのような仕事をされたのですか。
笹森 油で汚れたり、けがをしたり、親を亡くしたりしたペンギンが運ばれてくるところで、そのペンギンたちの世話をしていました。決められた時間に決められた量の水や餌、薬を与えたり、プールで泳がせたりします。また、餌の準備や使用する器具の洗浄、施設の掃除などいろんな仕事がありました。野生復帰するペンギンの放鳥にも行きました。ペンギン以外にもウミウやカモメ、カツオドリ、アホウドリの世話をすることもありました。
福西 野生動物の保護やボランティア活動に関心をもったきっかけは何ですか。
笹森 野生動物を含め自然が大好きで、それを知りたい、守りたいという気持ちがあったので、そういう活動をすることは自然なことでした。
福西 短期間にいろいろな経験をされていることをお伺いし、大変行動力があるので驚きました。では次にどのような研究をされてきたかお伺いします。大学院で惑星の研究を始める動機は何だったのですか。
笹森 もともと星を見るのがすごく好きだったので、惑星にも興味を持っていまして、北大に進んだのも惑星を研究している研究室があったのが一番の理由です。理学部地球惑星科学科の4年生の時に惑星研究をされている倉本圭先生の研究室に所属し、木星の衛星イオについて調べました。卒業論文のタイトルは「イオの熱源と熱輸送様式」です。
福西 大学院修士課程ではどのような研究をされたのですか。
笹森 惑星の中で太陽に最も近い水星はまだあまりよく分かっていませんので、水星の材料物質についてコンピュータを用いて研究しました。修士論文のタイトルは「形成期の水星におけるコア-マントル間の硫黄の分配」です。
福西 大学院修士課程を修了して、今度は第57次南極地域観測隊の越冬隊員として南極に行くことになったのですが、南極に行きたいと思ったのはいつ頃のことですか。
笹森 強く行きたいと思ったのはここ数年のことですが、南極というものを知った子供時代からずっと行きたいと思っていました。
福西 修士課程の惑星研究を継続するのではなく、別のことに挑戦されようとしていますが、南極に行くには相当の決意がいると思うんですが、その辺はどのように考えられておられるのでしょうか。
笹森 南極に行くことに対して大きな決意はなかったし、すごく特別なことという思いはなかったです。もともと学部は地球科学科に所属していて、地球を含め惑星に興味があったので、そんなに離れたところに来たという感覚はないですね。
福西 実際に南極観測隊員になるまでの経緯を教えてください。
笹森 大学院の講義の中に、自分の専攻にかかわらず誰でも受けられる大学院共通科目というものがあるのですが、そこに南極に関する講義がいくつかありました。それで南極に興味があったので、それらの講義を受講しました。そこで北大で南極に行ったことがある先生に、南極での観測や生活についての話を聞き、その時に南極に行きたいと強く思ったのです。
福西 東北大学の私の研究室から高橋幸弘さんと佐藤光輝さんが博士課程の学生だった時に南極越冬隊に参加し、博士論文を仕上げ、現在は北大の宇宙理学専攻の教員として教えていますが、二人からも話を聞きましたか。
笹森 お二人からも聞いたことがありましたし、澤柿教伸先生、杉山慎先生、大島慶一郎先生などからも南極での観測の話や自然についていろいろと聞きました。印象に残っているのは生活の話で、南極越冬隊のイメージができました。ただ国立極地研究所が南極観測隊員を公募しているということは前から知っていたのですが、最近までは自分が応募するとは思っていなかったんです。
福西 それはなぜですか。
笹森 自分は応募しないと思っていたのは、大学院の修士課程ではコンピュータを用いた研究していて、南極観測隊員に必要な観測の経験や技術がなかったのが一番の理由だったんです。でも第50次南極観測隊の越冬隊に参加し、気水圏変動のモニタリング観測を担当された武田康男さんに、たまたまイベントでお会いする機会があって、南極に行ってみたいと言うと、観測技術は訓練があるから大丈夫だと言われました。それを信じて、昨年11月に国立極地研究所のホームページに南極観測隊員を募集しますというアナウンスを見て、それで応募しました。
福西 自分が歩んできた道の延長線上でなく、新しい道に挑戦することには勇気がいると思いますが、笹森さんはごく自然に新しい道を歩もうとされているのには感心しました。ところでご家族は今回南極に行くことをどう思っていらっしゃいますか。
笹森 心配しているところもあるんですが、でも気をつけて頑張って行っておいでと言ってくれました。
福西 第57次越冬隊では何を担当されるのですか。
笹森 地殻圏変動のモニタリングを担当します。地震計とか重力計とか、地球の微小な変動を観測する装置のメンテナンスとそれを用いた観測を担当します。
福西 これらの観測装置を扱うための訓練は受けましたか。
笹森 はい、7月から極地研究所勤務になって、研究所にある装置で訓練を受けました。他の研究所で訓練を受けたこともあります。
福西 南極で運用する自信はできましたか。
笹森 そうですね。自信はすごくあるというわけではないですが、自分で扱えるようになってきました。
福西 南極では体力も必要ですが、体を鍛えることはしていますか。
笹森 最近はあまりやっていないんですが、時々山に行ったりはしています。南極ではかなり力も必要なので体力作りはやっていこうと思っています。
福西 第57次越冬隊は男性25人、女性5人の30人ですが、観測隊の中で、男性、女性はあまり意識していませんか。
笹森 普段は全然意識していないですが、やはり重たいものを運ぶ時など、私が頑張って運んでいても結構気を使って運んでくれたりするんですね。気を使ってくれることはとても嬉しいんですが、そういう時に女性だと感じてしまって、そうならないように頑張らなきゃと思ってしまいます。
福西 力仕事ではあまり頑張らなくてもいいと思います。無理して腰を痛める心配もありますから。ところで自分が担当する地殻変動モニタリング観測以外に南極でやってみたいものがありますか。
笹森 担当の仕事以外に研究という感じのものはあんまりないんですが、多分見たことがないものばかりだと思いますので、とにかく初めてのものは何でも見たいなと思います。特にオーロラやペンギンなどを観察したいですね。あとは南半球の星ですね、自分の望遠鏡も持っていくことにしています。
福西 オーロラは昭和基地では晴れた日はいつでも見ることができます。また空気が日本では考えられないほど澄んでいるので、星の数も全然違っていて、星雲もはっきりと見ることができます。マゼラン星雲ですが、大マゼラン星雲と小マゼラン星雲を肉眼ではっきりと見ることができます。また、昭和基地を離れて、リュツォ・ホルム湾沿岸の露岩地域や南極大陸の自然を知るには調査旅行に参加する必要がありますが、そうした予定はあるのですか。
笹森 夏期間は何回か野外調査に行く予定があります。越冬中はまだわかりませんが、行くことになると思います。
福西 越冬隊は30人という限られた人数で昭和基地の設備をメンテナンスし、様々な観測や野外調査を行っていますが、これはかなり大変な仕事です。自分の仕事がうまくいくように努力するだけでなく、他の隊員たちの仕事がうまくいくように、互いに助け合い、チームとして行動することが求められますが、その点はどうですか。
笹森 チームでやることが好きなので、その生活を楽しみにしています。チームでやるときの一番大事なことはコミュニケーションを取ることだと思いますので、そういうことを大切にしたいと思っています。
福西 でも南極でのチームと日本でのチームとの一番の違いは、南極は閉鎖社会だということです。そこがすごく違っていて、2月に南極観測船「しらせ」が昭和基地を離れると12月末に「しらせ」が迎えに来るまではどんなことがあっても帰れません。しかも同じメンバーと毎日顔を合わせる生活です。そこで毎日の生活が楽しくなる工夫をし、生活を楽しむ気持ちが大事ですね。私の3度の南極越冬隊の経験から言えることですが。
笹森 そうですね、閉鎖社会は、聟島という無人島で生活したことがあったのですが、そこでは週に1回は船便があったのですが、その他は完全に閉鎖社会で、期間は短かったのですが、そういう生活ができたので、今回も大丈夫かなと思っています。
福西 越冬生活を楽しみながら任務を遂行するためには、南極は厳しい自然環境の場所ですから安全に対する意識を日本にいる時よりも格段に高める必要があります。観測隊には安全に行動するためのルールがありますが、そのルールは越冬生活での様々な経験の中で絶えず見直し、与えられたルールではなく、自分たちで工夫したルールにする必要があります。一番大事なことは、「どんな場合でも安全を確保できるようにするにどうしたらいいのか」ということをいつも考えていることだと思います。
笹森 安全に関しては、一番言われていることで、とにかく安全第一の大切さはよくわかるので、よく考えて行動したいと思います。
福西 南極に1年半行って、帰国後はどのような道に進むのか、考えていらっしゃることはありますか。
笹森 自然が好きなので、自然のあるところに行きたいとか、自然を守る仕事とができたらいいなとなんとなく思っているのですが。南極越冬隊としてこれから南極に行って、いろいろな経験をして、そのときどう感じるかは今から分からないことなので、今はそれ以上は考えていません。その時、どう思うか、どう思ったかで次の行動をすると思います。
福西 大学院の博士課程まで行くことは考えていないんですか。
笹森 今は考えていないんですが、もし南極に行っている間にそういう気になったらそれもあるかも知れないし、どうなるか今はわかりません。
福西 すごく柔軟性がありますね。今の若い人はすぐ先のことが決まっていないと心配になって、例えば就職でも海外に行ったら不利になるなど、いろいろと言われてますよね。それと正反対の生き方のような気がしますが。自分でこうしたいと思っても将来不利になるからやらないという人が多いと思いますが、そう考えない理由は何かありますか。
笹森 そういう方がいろいろと心配しているのはお金のことだと思うんです。最低限のお金さえあれば生きていけるような気がしています。全然計画性がないかもしれないですが。東南アジアを旅をしているときにいろんな生き方をしている人を見ました。日本人も海外に出て現地の人と同じような生活をしている人を見ました。東南アジアの途上国と呼ばれる国々で、ギリギリで暮らしている人たちをいっぱい見たんですが、本当に幸せそうな顔をしているんです。日本で忙しく毎日働いている人たちよりも。お金はないんですが、のんびりして、すごい笑顔で、人間らしさをすごく感じました。
福西 先日、第55次越冬隊の調理担当隊員で、南極から帰ってきたばかりの竪谷博さんにお話をお伺いしました。西荻窪に「じんから」というお店を出されたのですが、南極に行ってかなり人生観が変わったとおっしゃっていました。南極という究極の大自然の中に1年いたので、調理も自然の素材を生かしたシンプルなものにするようになったと。そういう経験こそ南極観測隊員にとって貴重だと思います。笹森さんも南極では相当いろいろな経験をされると思います。
笹森 そうですね。私は、小笠原や東南アジアでの経験からそのようなことは感じています。南極に行くとさらに深く感じられそうですね。南極から帰ってきたあとに、何をするのか、どう生きていくのか、自分でも楽しみです。
福西 南極観測隊員は南極の自然を自ら体験し、自然の素晴らしさと尊さを知ったのに、その南極での貴重な体験を子供たちに伝える機会があまりないと思っています。これはもったいないですね。1956年に始まった南極観測は今年で60年、たくさんの南極観測隊OBがいるんですが、小中高の教育に南極があまり生かされていません。私たちの日本極地研究振興会は公益法人として研究者の支援だけでなく、南極観測を教育にもっと生かしていく活動を始めています。こういう活動には興味がありますか。
笹森 すごく興味があります。
福西 現在の教育は知識を獲得することにあまりにも力を入れて、自然そのものを知る教育はあまりやっていない気がします。私が育った時代は周りに自然が残っていたので、遊びの中で自然から学ぶという機会があったのですが、だんだんそれが少なくなっています。そこで自然を学ぶこともちゃんと教育の中に取り入れる必要があると思っています。
笹森 小学校では授業で自然観察することが結構あったと思います。中学生になると自然から離れてしまうことが確かにありますね。どうしても受験のための勉強が中心になって、自然を学ぶ巡検なんかはあんまり残っていないですね。南極観測隊での経験が小中高の教育に役立てれば嬉しいですね。
福西 最後に、これかも南極に行きたいと思う若者がどんどん出てきてもらいたいと思いますので、後輩へのメッセージをお願いします。
笹森 南極に行きたいと思ったら、どんな事でもいいと思うので、行動することが一番だと思います。ちゃんと行動をしていたら、自然に必要な人やものに出会うことができると感じています。なんでもいいんで、自分で動くことがいいんだと思います。行動しなければ何も始まりません。
福西 本日は楽しい話をたくさんありがとうございました。

笹森映里(ささもり えり)

プロフィール

1989年生まれ。北海道大学理学院修士課程修了。地球を含めた惑星科学や地球の自然に関心があり、これまでにSANCCOBでのペンギン保全活動などに参加している。趣味は旅。地球に優しく生きることが目標。第57次日本南極地域観測隊では地殻圏変動のモニタリング担当で越冬する。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

東北大学名誉教授、理学博士。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了後、米国ベル研究所、国立極地研究所を経て東北大学教授として宇宙空間物理学分野の発展に努める。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。2007年から4年間、日本学術振興会北京研究連絡センター長を務め、日中学術交流の発展に尽力する。専門は宇宙空間物理学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。
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