シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第4回

雪氷上滑走路

国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二

1.南極点への初飛行
1903年(明治36年)のライト兄弟の初飛行から26年後の1929年(昭和4年)11月29日、米国のリチャード・バードは、南極点上空から米国国旗を落下し南極での米国の存在をアピールしました。上空からとはいえ南極点に到達したのは1912年(明治45年)のスコット以来の出来事でした。英国人のスコットは、ノルウェーのアムンセンと南極点初到達を争い、破れ、帰路、全員が遭難死亡した悲劇の隊長でした。
バードは、南極探検に関わる前の1926年5月9日には、航空機による北極点初飛行を成功させており、航空機で両極を制覇した最初の人です。さらに、1927年6月には、賞金のかかった大西洋無着陸横断飛行を実施、フランス大西洋のノルマンディの海岸沖に不時着しています。リンドバーグの初飛行から40日後の出来事でした。その後、バードは南極飛行に情熱を傾けたのでした。
彼の第2回目の南極探検飛行は、1933(昭和8年)から1935年(昭和10年)にかけて行われ、ロス海とウェッデル海を繋ぐ海峡などは存在せず、南極は一つの大陸であることを示しました
戦後の1946/47年のシーズンには、海軍で昇進したバード少将は、「ハイジャンプ作戦」を実施しました。海軍艦船13隻、航空機23機、人員4,700人を投入し、南極海岸線全域の約60%におよぶ航空写真撮影を行いました。

2.大陸間フライト
1957年から1958年に行われた国際地球観測年(IGY)に先立ち、米国は、「デープフリーズ作戦」を立ち上げました。1955年12月、3,840km離れたマクマードの氷上滑走路に向けて、6機の航空機がニュージーランドのクライストチャーチから飛び立ちました(図1参照)。R5Dスカイマスター2機(車輪)、P2Vネプチューン2機、それと悪天候のため途中で引き返したR4Dスカイトレーン2機でした。マクマードまでは14時間の長い飛行でした。滑走路は、マクマード基地の南西4.6kmの海氷上に設定し、ブルドーザで約1,800mにわたり除雪し、造成しました。翌シーズンには、自重46トンのC-124大型輸送機がマクマード基地に車輪で着陸しました(図2)。

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図1 現在の主な大陸間フライト

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図2 マクマード氷上滑走路に着陸したC-124輸送機1956(photo by Jim Waldron; http://icecores.org)

3.南極点への着陸
“Que Sera Sera”と命名し、スキーを装着したR4D機(DC-3の米海軍バージョン)は、マクマードを離陸し、1956年10月31日、南極点に着陸しました。スコット以来実に40年振りに南極点に足跡を印したのです(図3、文献1)。

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図3 南極点に着陸したスキー付き航空機 http://www.douglasdc3.com/quesera/quesera.htm

この飛行に先立ち、大型輸送機C-124グローブマスターから4,500kgもの器材がパラシュートで投下されました。この中には、グラスホッパー(バッタの意味)という気象観測装置も含まれていました。この装置から6時間毎に発信されるデータは、1,350km離れたマクマード基地で受信され、南極点の気象状況が把握できました。南極点の気温は-51℃、着陸後49分に離陸を試みましたが、推進力が足りず、あらかじめ用意したジェット推進離陸装置(JATO(jet-assisted takeoff))に点火し何とか離陸できました(文献2)。

この飛行に成功した後、大型輸送機から1日3回の物資投下を繰り返し、アムンセン・スコット基地と命名された南極点基地の建設が始まりました。大型航空機の総輸送量は、750トンに達しました。海兵隊が建てた7棟の建物でサイプル隊長のもと総勢18名の初越冬が始まりました。サイプルは南極の手ほどきをバードに受けた科学者で、南極観測のベテランでした。

1957年から1958にかけてのIGY期間中、米国の「ディープフリーズ作戦」では、総フライト回数1,646回、飛行時間5,450時間、5,277人と4,050トンの人員・物資輸送を実施しました(文献3)。

4. LC-130輸送機の導入
1960年に入ると、車輪の下にスキーを装着した航空機がクライストチャーチからマクマードに就航しまた。スキーを装着しているため、空気抵抗が大きく、車輪だけの機体に比べて飛行時間が余計にかかり、搭載重量も少なくなります。しかし、夏期に表面が多少融解した雪面上にも着陸できるようになりました。1960年1月、米空軍は、7機のスキー付きLC-130輸送機を南極に導入しました(文献4)。この航空機は、米国だけが運用する特殊な機体で、現在も4~7機を運用し、アムンセン・ストッコト南極点基地や南極大陸の広範囲に設置した無人気象観測点の保守などを行っています。マクマードから南極点基地まで、約12トンの物資が輸送できます。2000年初期まで、すべての輸送をこの輸送機に頼っていましたが、現在は、トラクター輸送も併用しています。11月から2月までに400回のこの航空機によるフライトがあります。

マクマード基地の海氷滑走路は、11月までは海氷上に車輪で離着陸し、それ以降はWilliams Field Skiwayと呼んでいる棚氷の雪面滑走路に移動し、スキー装着の航空機の運用になります(図4参照)。

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図4 マクマード基地の滑走路(NSFの資料より)

5. 氷上滑走路の造成
年間を通してタイヤで地着陸できる滑走路として1966/67シーズンに造成したのが、ペガサス滑走路です(図5)。ここは、基地から12km離れたロス棚氷の裸氷地帯で、完全なブルーアイスではなく、ホワイトアイスと呼ばれています。ただ、夏期には、滑走路表面に厚さ15~20cmの雪をかけて日射の影響を防ぐ必要がありました。しかし、2000年に入って、裸氷上に薄く雪を敷き詰め100トンローラで踏み固めるという工法により、夏期でも堅雪の強度を落とすこと無く運用が可能になりました。この滑走路の造成により、海氷滑走路に限られていた夏季のC-141、C-17グローブマスターⅢ、C-5ギャラクシーなどの大型輸送機の離着陸が可能となりました。現在、C-17機(最大離陸重量285トン)は、8月から2月まで55回(2007/08年シーズン)ものフライトがあります。

ishizawa_5図5 ペガサス氷上滑走路(NSFの資料より)

6.ロシアの航空機運用と雪上滑走路

1956年、北極探検で有名なミハエル・ソモフ博士が率いる100人からなる第一次南極探検隊は、デービス海沿岸にミールヌイ基地を開設しました。次のシーズンには2,430mの雪上滑走路を造成しました。同年2月25日、ソモフ博士を載せたIL-12型機は、その後ボストーク基地となる南磁軸極付近の偵察飛行を行いました。同年3月3日には、標高3,719mの到達不能極上空を偵察しました。翌1958年10月には、IL-12型機が南極点経由で米国のマクマード基地まで14時間かけて飛行しました。

ロシア隊で注目すべきことは、昭和基地から東に300km離れたマラジョジナヤ基地にタイヤで離着陸できる雪上滑走路を造成したことでした。圧雪滑走路を造るには、トラクターが牽引するイボイボ付きの撹拌機などで、雪を粉砕し、その後、重いローラーで何度も雪を踏み固めます。下部に支持層となる硬い氷があれば別ですが、雪だけで造成し、車輪で大型航空機を運用したのは、南極ではここが初めてです。1980年の2月にIL-18D機(最大離陸重量71トン)がこの滑走路に着陸しました。その後、1992年まで、夏期に数便の運航が継続されましたが、滑走路の造成などに100人近い要員が必要となるため、打ち切られました。

日本でも、同じような工法での圧雪滑走路造成試験が第46次隊により実施されました。ロータリー除雪機で撹拌した雪を雪上車やブルドーザで踏み固めるものです。雪の焼結作用により、ある程度固くなったようですが、その後の検討はなされませんでした。

7. 豪州ケーシー基地近傍の滑走路
ケーシー基地から南東に70km入った内陸氷床上に大型航空機が離発着できる滑走路を2006年に造成しました。この場所は、裸氷の上に80mmの積雪があります。標高720~780mで年平均気温は-14℃です。筆者は2006年3月にここを訪問し、造成方法などを担当者にインタビューしました。米国マクマード基地のペガサス滑走路と同じ工法です。

最初に、グレーダーで裸氷表面を平坦に均します。次に、裸氷の上に雪を20cmほど敷き詰め、10cmの高さになるまで踏み固めます。これには、航空機のタイヤの上に55トンの錘を載せた重量物をブルドーザが牽引して行います(図6)。雪を敷き詰める理由は、滑走路表面の融解を防ぐことと、着陸時の摩擦抵抗を増やすためです(文献6)。2006/07年シーズンにデモフライトを行い、翌2007/08年から乗客・物資輸送を開始しました。航空機は、エアバスA319を利用していましたが、2015年11月に豪州空軍のC-17Aの試験飛行を成功させました(図7)。これによりホバートまでの3,450kmを5時間で結ぶことが可能になりました。

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図6 豪州Wilkins氷上滑走路の造成(AADの資料より)

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図7 Wilkins滑走路でヘグランド雪上車を降ろす空軍のC14A輸送機(AADの資料より)

8. DROMLAN(ドローニングモードランド航空網)
東南極に基地を持つ11か国が民間空機をチャーターして2002年から運用しています。ALCIという民間航空会社が、IL-76ジェット機を11月から2月まで約11往復運行します。ケープタウンからロシアのノボラザレフスカヤ基地付近の裸氷上滑走路に離着陸します。ノボラザレフスカヤからはスキー付きバスラーターボ機(図8)に乗り換えそれぞれの基地やフィールドに向かいます。昭和基地の海氷上滑走路や大陸の雪上滑走路に毎年飛来します。

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図8 スキー付きバスラーターボ機(ALCIのHPより)

9. 民間航空
1985年にアドヴェンチャー・ネットワーク・インターナショナルという会社が、主に探検家や冒険家を南極に空輸する仕事を始めました。現在は、ALE(Antarctic Logistics and Expeditions)という会社になっています。チリのプンタアレナスから出発し、エルスワース山地のユニオン氷河の裸氷滑走路に着陸します。ここは、青氷表面の凹凸を平坦にし、タイヤで離着陸する滑走路で、チリ航空局の認可を受けたものです。ロシアのIL-76が主に11月から翌年の1月まで運航しています。乗客60人、または17.5トンの物資を搭載し、3,010kmを4時間15分で飛行します。ここでスキー付きのツインオッターかバスラーBT-67機に乗り換えて各地に向かいます。

文献1 www.nsf.gov/news/special_reports/ National Science Foundation, A special report, Aviation Opens Antarctica.

文献2 加納一郎(1986年):加納一郎著作集第1巻 p254~269、教育社

文献3 Beau Riffenburgh (ed.) (2007), Encyclopedia of the Antarctic,  Routledge, p116

文献4 Williams Field: the history of an icy aerodrome(1983), Antarctic journal of the United State, Vol.18, No.2

文献5 http://www.ilyushin.org/en/press/news/ev2595/?print=y

文献6 石沢賢二・北川弘光(2007):オーロラ・オーストラリスによる輸送とオーストラリアのケーシー基地およびマッコーリー島基地の施設、南極資料、Vol.51, No.2, 209-240

石沢 賢二(いしざわ けんじ)

プロフィール

国立極地研究所極地工学研究グループ技術職員。同研究所事業部観測協力室で長年にわたり輸送、建築、発電、環境保全などの南極設営業務に携わる。秋田大学大学院鉱山学研究科修了。第19次隊から第53次隊まで、越冬隊に5回、夏隊に2回参加、第53次隊越冬隊長を務める。米国マクマード基地・南極点基地、オーストラリアのケーシー基地・マッコ-リー基地等で調査活動を行う。

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