シリーズ「昭和基地だより」 第2回

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10年ぶりに流れた海氷

第57次南極地域観測隊 越冬隊長 樋口 和生

南半球の春分を目前に控え、一日の半分の時間太陽が顔を見せてくれるようになった。 南極入りして約9ヶ月、越冬生活が始まって8ヶ月を迎えようとしている。太陽が昇らない極夜を越えてきた身としては、暖かさを増した日の光がことのほか嬉しく思える。我々57次越冬隊は、これまでのところ大きな事故やトラブルもなく、隊員は精力的に任務をこなし、昭和基地での生活を楽しんでいる。 機器や設備のちょっとしたトラブルは越冬生活につきものだが、そこは30人のプロ集団だけあって、それぞれの特技と知恵を活かしてその都度対応している。とはいえ、いくらプロ集団であっても自然の流れに逆らうことはできず、ブリザードが来れば外出はできなくなるし、海氷の状況が悪ければ海の上を渡っていくことはできない。  3月31日、2日間に渡って吹き荒れたブリザードが収まった翌日、昭和基地の西側の景色が一変した。それまでは白い海氷に覆われていた所に黒々とした海が広がっていたのだ。 昭和基地の西約14kmにある弁天島まで海が開いているという情報を事前に国内から得ていたのだが、その辺りまでは昨年も海が開いたもののその後順調に海氷が発達したため、それほど気にはしていなかった。 しかし、目の前に広がった海を見て、我が目を疑うとともに「南極では何が起こるかわからない」という先人の言葉を改めて思い起こすこととなった。  昭和基地は、東オングル島という名の島の上にある。東オングル島周辺には、西オングル島、テオイヤ、オングルカルベンなど大小の島が集まってオングル諸島を形成し、幅約4~5km、水深約600mのオングル海峡を挟んだ東側に南極大陸がある。島から外に出て観測活動を行なうためには凍った海の上を移動する必要がある。 海氷が充分に発達して厚さが1m以上になれば、大型の雪上車も移動することができるようになるが、表面から見ただけでは氷の厚さはわからない。また、平坦な海氷上で地吹雪などの影響で視界が遮られてしまうと、進むべき方向を見失ってしまう。そのため、島外に観測に出かけるのに先立って、ルート工作を行なう必要がある。  海氷上のあるポイントで積雪深と氷厚を測り、氷厚が充分にあることを確認できたらGPSで緯度経度を測定して次のポイントまで進み同じ作業を行なう。後続者が手前の旗から次の旗までの方位と旗と旗の間の距離を測定して次の旗まで移動する。この一連の作業の繰り返しで海氷上に少しずつルートを延ばしていく。海氷上では、割れ目(クラック)や海氷同士が押し合って盛り上がったプレッシャーリッジと呼ばれる氷脈などの障害物に出くわすこともあり、気の抜けない作業だ。
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写真1.凍った海氷の上に作ったルートに沿って雪上車で移動する。

 測定したデータは基地に戻ってから整理し、ルート方位表と呼ばれる一覧表を作成して隊の中で共有する。海氷上に一旦ルートが出来上がると、観測に出かける際にはそのルートを辿ることになる。海氷は常に変化しているため、一旦出来上がったルートでも気を抜くことはできないが、氷厚を測定して比較的安全と確認されたルートを外れないことが原則となる。 57次隊では3月に海氷上のルート工作を開始し、東オングル島周辺から少しずつルートを延ばして順調に進んでいたが、その矢先に海氷が流れ出し、せっかく作った西オングル島に向かうルートの後半部分が失われてしまった。  その後、海氷の割れ込みは昭和基地が位置するリュツォ・ホルム湾の奥まで進み、4月8日には湾の再奥部にある白瀬氷河の末端まで海が開くと同時にオングル諸島南側の海氷も流出した。ここまで大規模な海氷の流出が起こってしまうとこの後どのように海氷が変化するかは予測できず、場合によっては大事故につながってしまうかもしれないため、この時点で東オングル島直近と新たに設置し直した西オングル島へのルート以外の海氷上での行動は見合わせることにした。 4月にはブリザードが3回やって来たが、ブリザードが明ける度に海氷に変化が見られ、4月28日にはオングル海峡の海氷も流されてしまい、東オングル島の東岸までが波に洗われることとなった。 この時点で海氷が流出しなかったのは、昭和基地の北~北東方向のみとなり、国内から送られてくる衛星画像を見ると、広大なリュツォ・ホルム湾の中でもこの部分だけに海氷がかろうじて取り残されているように見えた。オングル海峡の海氷が流出したのは10年ぶり、リュツォ・ホルム湾の海氷がここまで大規模に流れたのは14年ぶりのこととなる。
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写真2.見晴らし岩上空からオングル海峡を望む(2016年4月27日撮影)。10年ぶりにオングル海峡の氷が流れ、季節はずれのペンギンの姿も見られた。

 昭和基地対岸の南極大陸沿岸部は、大陸氷床が海に落ち込むために氷の断崖となっていたり、上陸に適した平坦な海岸の奥の氷床上にはクレバス帯が広がっていたりするため、大陸の奥地に進むルートを設定するのが難しい。そのため、昭和基地の北東約14kmに位置する「とっつき岬」から上陸することになるが、まさにこのとっつき岬に至るルートが走る海氷だけが取り残されたことになる。
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写真3.昭和基地対岸の大陸氷床縁。大陸にはどこからでも上陸できるわけではない。

 5月に入って冷え込みが強くなると開いた海も少しずつ凍り始め、日が経つにつれて海氷に目立った変化は見られなくなった。太陽が昇らない極夜の6月を過ぎ、このまま順調に海氷が成長してくれるととっつき岬ルート以外のルート工作も再開できるかもしれない。そうすれば、遅れ気味ではあるものの大陸沿岸で予定している観測も一通りできるのではないかと思っていた。  しかし、何が起こるかわからないのが南極。7月中旬に訪れたブリザードが明け、昭和基地の小高い場所から南に目をやると、遠くに再び海が開いているのが見えた。さらに8月中旬のブリザード後に確認した衛星画像では、リュツォ・ホルム湾入り口からオングル諸島の南方面に幅数kmに渡って開いた海が水路状に延びているのが確認された。  リュツォ・ホルム湾の海氷は、冬に凍り夏に流される1年氷と何年にも渡って流されずに成長する多年氷に分かれる。その境界線は年によって変化するものの、ここ数年は弁天島付近となっていた。53次隊と54次隊では、2年連続して観測船「しらせ」が昭和基地に接岸できなかったが、接岸を断念した地点がおおよそ1年氷帯と多年氷帯の境界のあたりだった。  日本が世界に誇る砕氷能力を持つ「しらせ」を苦しめた厚さ6m以上の海氷が、これだけ広範囲に流出するということは俄かには信じられなかったが、その現実を目の前にして自然の奥深さを感じるとともに、南極では過去の経験が通用しないことが起こるのだということを改めて実感している。  この後どの程度まで海氷が成長するかは分からないが、いずれにしても例年と比べて行動範囲はかなり制限されるだろう。野外での行動を楽しみにしている隊員には申し訳ない気持ちで一杯だが、まずは安全が第一ということで理解してもらい、制約のある中でも南極の自然を楽しめる機会をできるだけ持ちたいと考えている。

2016年9月20日 昭和基地にて

樋口 和生(ひぐちかずお)プロフィール

第57次南極地域観測隊副隊長兼越冬隊長。国立極地研究所南極観測センター専門員。1962年、大阪府枚方市生まれ。北海道大学農学部卒。山岳ガイドを経て、第50次越冬隊、第52次越冬隊に野外観測支援(フィールドアシスタント)隊員として参加。第52次隊帰国後の2012年4月から極地研南極観測センターに勤務。2012年12月~2013年1月、オーストラリアのケーシー基地にて環境保全現況調査。2013年2月、中国南極観測隊冬期訓練参加。
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