シリーズ「南極観測隊エピソード」第6回

南極観測と朝日新聞その6 生きていたタロ、ジロ

元朝日新聞社会部記者 柴田鉄治

 第2次観測隊を乗せた「宗谷」が氷に閉じ込められて動けなくなり、米国の観測船「バートンアイランド号」が救出に来てくれたが、それでも昭和基地には近づけず、結局、第2次隊は「本観測だ」としていた越冬隊を残すことができなかったことは前回記した通りである。
 その教訓を生かして、第3次隊は物資の輸送方法を1,2次隊とはガラリと変えた。「宗谷」に大型ヘリコプターを積み込み、空輸で物資を昭和基地へ運び込む方式に切り替えたのである。

 大型ヘリ、シコルスキー58型機を2機搭載、物資を空輸

 そのため「宗谷」を大改装して、シコルスキー58型ヘリコプターを2機、積み込めるようにした。「宗谷」は船尾にヘリが離発着できる大きな飛行甲板が持った「ヘリ空母」のような形の船に様変わりしたのである。
 それに伴って、1,2次隊では朝日新聞社機が大活躍し、パイロットも整備士も朝日新聞社の航空部員が担当していたのが、3次隊からは海上保安庁のパイロットや整備士が主として担当するように変わった。
 第3次観測隊は、1,2次隊に引き続き永田武隊長が指揮を執り、越冬隊長には、第2次越冬隊長に予定されていた村山雅美氏が、そのまま3次越冬隊長に指名された。
 3次隊の「宗谷」は、2次隊のときと同じように氷に阻まれ、昭和基地からかなり離れたところからシコルスキー58型ヘリによる空輸を繰り返し、合計53トンの物資を送り込むことに成功した。
 それによって第3次越冬隊も成立し、村山隊長以下14人が越冬観測に従事できたわけだが、53トンという物資は、けっして十分な量ではない。1次隊の残した物資がかなりあったので、3次隊が越冬できたというぎりぎりの量だったのである。
 そう考えると、空輸作戦に切り替えたことは大成功だったともいえるが、それより、1次隊の幸運があらためて浮かび上がってくる。砕氷力の弱い「宗谷」がするするとリュッツホルム湾の奥まで入り込み、270トン余りの物資を雪上車と犬ぞりで運び込めたため、昭和基地が建設できたからである。
 1次隊から空輸作戦を展開していたとしても、建物の資材まで空輸できたかどうか、と考えると、日本の南極観測は1次隊の幸運がなければ、失敗に終わっていたかもしれないのだ。

 ヘリが昭和基地に近づくと2匹の犬が…

 話を3次隊の大型ヘリが昭和基地へ到着したときに戻そう。真黒な犬が2匹、ヘリから見え、基地に降り立った隊員の姿を遠くから見つめているのが分かった。1次越冬隊が基地に残してきたカラフト犬15頭のうちの、タロとジロだった。
 このニュースが日本に伝わると、日本中が大騒ぎとなった。南極観測は、敗戦後の日本国民を元気づけた3大ニュースの1つだといわれているが、その南極観測のニュースのなかでも最大の話題がこの「生きていたタロとジロ」のニュースだった。
 話が前後するが、のちにこのタロとジロを主人公とする映画「南極物語」が制作され、観客動員数日本一を続けるというほどの人気を博した。高倉健、渡瀬恒彦、岡田英次、夏目雅子といった俳優陣もよかったが、なんといっても主役はタロとジロである。無人の昭和基地で「生きていたタロとジロ」というニュースの感動が人々の胸の中に残っていたからこそ、観客動員数日本一になったのだろう。
 この映画で、昭和基地に降り立った隊員の姿を見て、タロとジロが抱き着かんばかりに躍り上がって喜ぶタロとジロの場面があるが、その場面は創作で、実際は違って遠くから警戒しつつ見守っていたのだという。
 ただ、1次越冬隊で犬係だった北村泰一隊員が降り立って「タロ?ジロ?」と呼びかけると、しっぽを振って跳びかかってきたというのだから、映画が間違っているというほどのことではあるまい。
 とにかく、3次隊の話題はタロとジロが独占していしてしまったと言っても過言ではない。

 朝日の山本記者は犬嫌い、記事は共同の深瀬記者がほとんど書いた?

 3次隊には、朝日新聞社から山本武記者と共同通信社から深瀬和巳記者が同行していた。のちに山本記者から私が聞いた話では、「本社からは犬の話をもっと送れ、と何度も言ってくるので困ったよ。俺は犬嫌いでね。犬の話はみんな深瀬記者に任せたよ」と、冗談交じりに言っていたのを覚えている。
 当時、南極観測隊には朝日新聞社と共同通信社からそれぞれ1人ずつ、新聞協会からの代表取材記者として観測隊に送り込まれ、現地からの記事はすべての社が報道してよいことになっていた。
ただし、朝日新聞社に限って「本筋の記事でないこと、全体の記事量の3分の1を超えないこと」という条件付きで、独自ダネを書いてもいいことになっていた。タロとジロが生きていた話は、観測隊の本筋ではないから「独自ダネとして送れ」と本社は催促したのだろうが、深瀬記者がタロ、ジロの話を全社の共通記事としてどんどん送っているのだから、山本記者も本当に困ったようである。
しかし、当時の朝日新聞の紙面を見ると、【山本隊員発】とクレジットの入ったタロ、ジロの記事も載っているので、犬嫌いの山本記者もやむを得ずタロ、ジロを取材したのだろうと推察する。

 ペンギン、アザラシの糞を食べていた?

タロ、ジロが生きていたニュースは、日本だけでなく世界中の話題となって、全世界に広がった。無人の昭和基地でタロとジロはどうやって生き延びたのか。くさりに繋がれていたタロ、ジロが痩せ細って首輪が抜けたことは想像できたが、そのあと、エサはどうしていたのか、いろいろな説があった。
タロとジロが2匹で狩りをして、ペンギンやアザラシを捕って食べていたのではないか、という勇ましい説があったが、いかに2匹でかかったとしても、南極ではペンギンもアザラシも『地元』のヌシであって、そう簡単に殺されるとは思えない。
 恐らく、ペンギン、アザラシの糞を食べていたのではないか、という説が有力だ。栄養豊富な南極の海でたっぷり食べているペンギン、アザラシの糞には、まだ栄養分が残っているという研究結果もあるようだから、間違いあるまい。
生きていたタロとジロの話は、映画「南極物語」だけでなく、2006年にはアメリカのディズニー映画にまでなって、さらに話題が広がったのである。
 3次隊は、空輸作戦と生きていたタロ、ジロのことで話題も尽きてしまう感じだが、マナスルにまで登頂した山男の村山雅美氏が越冬隊長だっただけに、越冬中に初の本格的な内陸旅行を行い、昭和基地から350キロ、標高2500メートルの地点まで踏破していることも特筆しておきたい。

柴田鉄治(しばた てつじ)プロフィール

元朝日新聞社会部記者・論説委員・科学部長・社会部長・出版局長などを歴任。退職後、国際基督教大学客員教授。南極へは第7次隊、第47次隊に報道記者として同行。9次隊の極点旅行を南極点で取材。南極関係の著書に「世界中を南極にしよう」(集英社新書)「国境なき大陸、南極」(冨山房インターナショナル)「南極ってどんなところ?」(共著、朝日新聞社)「ニッポン南極観測隊」(共著、丸善)など多数。

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