シリーズ「極地の観光」第3回

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氷河・南十字星・オーロラを求めて

日本極地研究振興会会員 狩野 通男

 日本が国家事業として南極に観測隊を送る事は、昭和31年中学1年生の時、兄より教えられて知りました。新聞の記事を切り取ってスクラップブックを作り始めました。読んでいるうちに氷河・南十字星・オーロラは日本では見られない事を知りました。観測隊を送るための基金に私も出し、朝日新聞に名前が載りました。公益財団法人日本極地研究振興会が出版する「極地」第100号に掲載されています昭和基地の青銅の「壺」に私の名前が入っています。  昭和37年3月末、田舎の高校を卒業し、東京に出て来て、先ず高校の先輩の家に挨拶に行きました。先輩と二人で話ができ、「日本の南極観測は一度休むが、宗谷よりも大きな船を造って必ず再開するので、何も心配しないでいいよ」と話を聞きました。この私の先輩とは、村山雅美氏や後の総理大臣中曽根康弘氏と共に南極点まで飛んで行った当時文部政務次官の長谷川俊氏です。この二人の政治家が南極観測再開に多大な尽力を残してくださったものと、私は今でもそのように思っています。  氷河・南十字星・オーロラは一生見られないものと思っていたものの、不可能ではない、行ってこの目で見たいと計画を立てました。 氷河と南十字星を見る旅  平成24年、カナディアン・ロッキー内のジャスパー国立公園アサバスカ氷河に足を運びました。ここにはアメリカの南極観測隊用に開発されたタイヤ式の大型雪上車を観光用に改造したものがあり、世界で唯一、氷河の上を観光客を乗せて走れるものでした。カナダの氷河の上に立ち、歩く事ができました。  平成26年の年末に南十字星を見るため、夜空がとても美しく見られる場所、ニュージーランド南島にあるテカポへ。夏とは言え、南島のマウント・ジョン天文台は南極海から吹き付ける風は冷たく、厚い防寒着に身を固め、平成27年の元旦を迎えました。満点の夜空を見上げると、天の川が素晴らしく美しく見え、その中に南十字星をしっかりと見ました。ここで見た星はピカピカとかキラキラしない、まさに光ったままの状態でした。無数の星空を見上げていると、次はオーロラだ、と心は南半球から北のアラスカへと動きました。 オーロラを見る旅  平成28年6月、日本極地研究振興会主催の講演会「南極と北極のオーロラ」に参加し、福西先生、佐藤先生の話をお聞きし、自分のカメラでオーロラの写真が撮れる自信がつきました。9月1日、成田空港からアラスカへ直行するチャーター機を使ってのオーロラ鑑賞旅行に参加でき、現地の天候はどうなるだろうか、オーロラは見られるかな、期待と多少の不安を持って飛び立ちました。  9月2日の夜、デナリ山(旧名:マッキンリー山、6190m)のあるデナリ国立公園入口のロッジで、一本の帯のようなオーロラが現れました。帯状からやがて輪のように円く形を変えるオーロラに目が離せませんでした。始めて、この目で見たオーロラに感動しました。  9月3日の夜はフェアバンクス郊外の日本人が経営するオーロラ・ボレアリス・ロッジで待機、夜11時過ぎた頃よりオーロラが現れ、次から次と、天を舞うように鮮やかなオーロラ。右・左・上・後と空一杯に輝くオーロラ。旅行客は大きな喚声を上げ、大喜びでした。  さらに9月4日の夜はフェアバンクス北東にあるチナ温泉へ。私のカメラを北斗七星に向け準備していたら、そこにピタリとレンズに入ったオーロラ。3日連続でオーロラが現れ、満足できる写真も撮れました。これが100kmもの上空に出ているとは考えられないあの不思議な現象。激しく動く光の帯。言葉では説明できないオーロラ。感動に酔いしれたアラスカの旅でした。  中学時代から夢に抱いていた“氷河・南十字星・オーロラ”、これらを求めて行った旅行は、全て天候は“快晴”という幸運に恵まれたのがよい写真が撮れたものと思います。
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デナリ国立公園入口のロッジ(2016年9月2日)

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デナリ国立公園入口のロッジ(2016年9月2日)

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フェアバンクス郊外オーロラ・ボレアリス・ロッジ(2016年9月3日)

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フェアバンクス郊外オーロラ・ボレアリス・ロッジ(2016年9月3日)

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フェアバンクス郊外オーロラ・ボレアリス・ロッジ(2016年9月3日)

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フェアバンクス北東にあるチナ温泉(2016年9月4日)

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