シリーズ「南極観測隊員が語る」第4回

第58次南極地域観測隊 越冬隊員

医療担当 大江 洋文  服部 素子

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パキスタンカラコルムのバツーラ氷河で

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米国ジョシュア・ツリー国立公園で

インタビュアー:福西 浩
インタビューは2016年10月27日に国立極地研究所(東京都立川市)の南極観測センターで行いました。

福西 最初に、子供時代は何に興味があったのか、また、南極のことを考えたことがあったのか、その辺のことをお話しください。
大江 私は仙台産まれの仙台育ちなんです。小さい頃、あの当時の仙台には自然がたくさん残っていたので、昆虫採集をしたり、木登りや川遊びをしたり、そういうことをしながら本当に野生児の様な育ち方をしてきたんです。そんな中で冒険や探検ということはとりわけ好きな方だったんです。ですから子どもながらに南極の話を聞いて、こういう所があるんだなというのはずっと心の中には留めていたんですね。子どもの時に見た子供向けの漫画だったんですが、南極海でマッコウクジラとダイオウイカが戦っているのを見て、それがずっと頭に残っていたんですね。
また、星を眺めるのは小学校の高学年くらいから、天体観測という程ではないんですが、市販の天体望遠鏡なんかで空を眺めたり、季節の星座を眺めたりするのが好きだったので、南半球の天体、もちろん南十字星もそうですけれども、北半球で見られないような珍しい星座がたくさんありますし、明るい星も多いですので。そういったものを見たいなと思っていました。
福西 お医者さんになろうと思ったのはいつ頃からなんですか。
大江 そうですね、小学生くらいの時からですね。まあなんとなく漠然と、人のためになる仕事に就きたいなと思っていました。僕らの世代は皆そうなんですが、野口英世の伝記を読んだりだとか、アフリカで活躍されたシュバイツァー博士の伝記を読んだとか、そういったのはちょっとした動機になっていたのかもしれません。
福西 服部さんの方はいかがですか。子どもの頃はどういうことに興味があったのですか。
服部 私は都会育ちでもないんですが、田舎育ちって程でもない中間くらいなんです。地方都市の住宅街で育ってます。あんまり自然と触れ合ってきたって感じではないと思います。でも家庭菜園などは子供の頃は好きでしたね。
福西 お医者さんになろうと思ったのはいつ頃なんですか。
服部 高校生の時だと思います。
福西 それには何か理由があったんですか。
服部 まあ、いくつかあることはあるんですが。何かやりがいのある仕事を一生したいと思いまして、やりがいって何だろうって思ったときに、あまりいろいろな仕事のイメージがつかなかったものですから。やはり人と接するのがたぶん良いだろうと。さらに病気を治したりするとすごく良いだろうと、そういう発想でした(笑)。
福西 大江さんの専門は何ですか。
大江 外科です。
福西 服部さんの専門は何ですか。
服部 内科です。総合内科です。
福西 大江さんは医学の中でも外科を目指した理由は何かあるんですか。
大江 直接結果に関われるということが多分あったんだと思います。それから、あまり勉強するのは得意ではなかったんで、内科は選択にないかなと(笑)。むしろ体を動かしていた方がいいのかなというそういう単純な理由です。
福西 服部さんは内科を選んだ理由は何ですか。
服部 そうですね、外科は逆にちょっとしんどすぎるっていうんで、結構早いうちから選択肢から外れたんです。内科の中で総合内科を結局志したのは、昔から持っているお医者さんというもののイメージに戻って行ったと言いますか、家庭医のイメージですよね。当時はそういう名前じゃなかったんですけど。で、そういう方面に行くと総合内科になったんです。

南極観測隊に応募した事情

福西 では、南極観測隊に応募されることになった事情をお聞かせください。大江さんの方はすでに第54次南極観測隊に参加され、今回が2度目ですね。服部さんは今回が初めてですね。まず大江さんの方からお聞かせください。
大江 高校、大学と進んで、今度は登山にのめり込んだんです。それで、中国のシルクロードの未踏峰、インドカラコルムの未踏峰、それからパキスタンカラコルムと、3度海外登山の経験はあるんです。でも3度とも、隊としては登頂者を出してはいるんですが、私自身は頂上まで行くことが出来なかったんですね。それは仕事柄やはり医師をやっていると、具合が悪い隊員が出てくれば一緒に下山してやらなきゃならないとか。もちろん医師として行ったわけではなく、医師兼隊員として行ったので誰でも平等に登頂のチャンスはあったんですが、日程不足や天候の関係もあって私には巡って来なかったんです。運がないなとずっと思っていたんです。
でも後になってふりかえると、実は運が無いと言うよりは才能が無かったんじゃないかなと考えるようになりました。運も才能の内とも言われるので。それでも死なずに戻って来たのを良しとして、3度行って駄目だということで、家庭の事情もありましたので、高所登山はあきらめてしばらくは気の抜けた様な感じだったんです。そんな時、そう言えば南極があるじゃないかと、南極だったら行けないかなと、そういういう風に思いついたのです。これが最初に南極観測隊に応募した動機です。
福西 今回は2度目ですね。どうして再度南極に行ってみたいと思われたのですか。
大江 まあ2度目なので、1回目のように行きたい行きたいと言うほど積極的ではなかったですが、やはり54次越冬隊での生活が僕にとっては非常に居心地が良かったんですね。言葉は適切ではないかもしれませんが、いい仲間がいてですね、体育会系のノリみたいな形で皆で力を出し合って一つの事を成し遂げるというのは非常に心地が良かったんですね。
で54次隊の仕事が終わり、帰国して、また医師としての生活に戻ったんです。2年程は原発事故で被災した所から避難されて来た方が多く住まれる地域の病院で勤め、心や体を病んだ人たちと触れ合いながら診療をしてきました。それはとてもやりがいがある仕事だったんですが、でも外科医なんで毎日手術をしたり、当直をやったり、やはり年齢的なこともあってですね、そろそろ身の引き時かなと考えるようになりました。
そして年齢的に南極へ行く最後のチャンスと思い、また応募したんですね。幸いと言うか、他の競合する方がいらっしゃらなかったのかは分かりませんが、選んで頂きました。今回の越冬隊では最高齢です。
福西 服部さんの方は、南極に行く動機は何だったんですか。
大江 私は、オーロラを見てみたいなという、それだけなんですけれど。大学の卒業時に突如思いついたと言いますか、オーロラって奇麗そうだなって思いまして。はい。まあ、でもオーロラ観光で見に行くと、見れたり見れなかったり、見れても地味なのしか見れなかったりってことが多いみたいですね。だから、ずーーっと毎晩オーロラが見られたらいいな、ついでに白夜と極夜を両方見られたら面白そうだな、南極って面白そうなところだなと思ったのが最初ですね。
で、どっちが先だったか忘れましたが、南極観測隊に医師が行くっていうのは何となく知っていて、医師になったらそのうちチャンスがあるかもしれないな~とぼんやり思っていました。友だちにも、「いつか南極に行きたいな」って言ってたんですよ。
で、そのまま10年普通に仕事を続けていたわけなんですが、何年目だったかしら、5年、、、6年、、、。7年目くらいで専門医を取ったんですね、それが医師としては一区切りなので、その専門医を取った直後ぐらいから、試しにと言って応募してみたんです。でも2回応募して2回とも落ちたので、ちょっと無理そうだなって思って、応募を止めてしまいました。そしたら、欠員が出たということで参加の依頼が来まして、まあこれもご縁かなと思って、はい、お受けしました。
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米国ユタ準州ホワイトホースで

東日本大震災を経験して

福西 大江さんは東日本大震災で被災した方々のお世話をされたとのことですが、震災の時は仙台にいらしたんですか。
大江 はい。まさに、仙台の北部の台原という所にある病院に勤めておりました。医局にいてのんびりしていた所を強い揺れが襲い、古い病院だったので建物はほとんど使い物にならないくらい壊れました。寒い中、暗くなるまでエレベーターが止まりましたんで、上の階にいる患者さんたちを広くて安全な所に移動するのに奔走しましたね。
その、揺れるさ中にすぐ思ったのは、このまま右肩上がりの成長だけを追求する生活っていうのはどこかで必ず行き詰まるだろうと。やはりこれからはシンプルな生活にまた目を向けて行かなければならないだろうなと、そんなことをすごく感じましたね。震災後、一時期は日本国民全部で頑張ろうと、それ一色で、節電をしたり、環境に優しいことをやりました。けれども5年経ってみて、もうすっかり元通りですよね。誰もいない所も明るく照明がついていたり、あるいは非常に物を無駄使いしたりとか。
福西 大江さんは震災の翌年に第54次南極観測隊員として南極に行かれたのですか。
大江 そうです。南極では非常に物を大事にするシンプルな生活だったんです。それがすごく印象に残っています。南極昭和基地に行って日本の生活を振り返ってみたという貴重な経験をしました。
福西 私も東北大学で20年間働いて、仙台での生活は長いんですが、震災の時は中国の北京に滞在していました。2007年4月からの4年間、北京に住んで、日本学術振興会北京センター長として日中学術交流の仕事をしていました。中国でも震災直後からテレビが24時間ずっと震災の様子を中継し、津波が押し寄せる様子が繰り返し報道されました。また、女川で働いていた中国の研修生を日本人が助けたという報道が中国で凄い話題になりました。
それで震災直後の4月に仙台に戻ったんですが、本当に凄かったですね。東北大の建物の中も滅茶苦茶になっていて。今までの人生の中であの震災はやり一番大きな経験ですね。
大江 そうでね、あの地震は今でも強く印象に残っています。78年の宮城県沖の地震も経験しているんですが、あの時は大学生で経験しているんです。が、あれよりもずっとすごい、本当に世の中がひっくり返る事が起こるんじゃないかと。大きく揺れてガラガラと天井が崩れて物が落ちてきた時に、医局にいた秘書さんを、腰が抜けてへたり込んでいたんですが、「危ないから!」って机の下に押し込んで、それから病室の方に走って行ったんです。
福西 服部さんは震災の時はどこにいらしたんですか。東京ですか。
服部 いえ、神戸にいました。
福西 じゃあ、それほど大きな地震は感じなかったんですね。
服部 はい、全然分かりませんでした。

日本での準備作業

福西 第58次隊の医療担当として、今年の7月からこの南極観測隊員室でいろいろな準備をされているようですが、どのような準備をされてきたか紹介していただけますか。
服部 大きく分けて二つのことがあります。一つ目は南極で使うモノの準備です。どの部門もそうですけれど、それをきちんとやることがすごく大きな課題で、準備作業で最も大きな部分を占めるんですね。南極に持って行く薬の準備と南極で使う医療機器や医療に関係する消耗品の準備ですね。
二つ目は我々の準備ですね。専門外の部分をカバーするために研修を受けに行ったり、越冬隊員のための医療とは直接リンクはしないんですが、依頼され引き受けた医療研究のための打ち合わせとかがあります。
福西 医療部門で準備される荷物の量はどのくらいですか。
大江 コンテナで4つくらい、重量で言うと1トン近くなります。
服部 私も集積されたものを見てみて初めて分かったんですけれどもね、だいたいこのくらいの量なんだ~って(笑)。
大江 通常は病院で医者の仕事をしていると、日常の診療だけで、患者さんのお相手をして、処方箋を書けば薬局の人が薬を渡してくれます。薬が切れれば薬局の人が注文を出してくれます。あるいは事務関係の人がやってくれます。でも南極観測隊では私たちが全部やらなくてはならないんです。
そのために、私たちの前の隊、現在昭和基地に滞在中の第57次越冬隊ですが、その医療担当のお医者さんが医務室の周りをちゃんと点検してですね、この機材あるいは医薬品はいつまでに期限が切れますからあなたたちが来る頃には古くなっているので準備が必要ですとか、そういうのを本当にきめ細かくこちらに連絡してくれるんです。
そうすると、私達は必要なもののリストを作って業者さんと交渉し、見積もりを出して頂いて、それを医療とは言え予算は青天井ではないですから、予算の範囲内でいろいろやり繰りをして購入して、納入された物品をコンテナに詰めて南極まで持って行くことになります。
その際に、船に積んで持って行くもんですから、きちっと重量を計って、これこれこれだけの容積で重さはどのくらいですというリストを作って、それを輸送担当の人に出します。今ちょうど医薬品の積み込みを、他の物資と一緒に大井埠頭に来ている南極観測船「しらせ」に積み込んでいるところです。船に積み込む時には、それをチェックするために現場に行ったりします。こうした仕事は一般の病院ではお医者さんはしないですね。
福西 南極に行かれるに当たって、ご自身の体力作りで何か心掛けていることはありますか。
服部 春先くらいまではやろうと思っていたんですけれど、それどころじゃない(笑)
福西 準備作業で忙しくてですか。
服部 はい。大江さんは山男だからいいんですけれど、私はいまいち体力に自信がないので、5年程前からちょくちょくヨガをやっています。それは南極でも続けようかなと思っているんですけれど。
福西 でも、お医者さんの仕事はかなりハードだから、基礎体力は相当あるんじゃないですか。
服部 あ、いつでも眠り込める能力っていうのはあるんですけれど(笑)。

昭和基地での医療

福西 南極観測隊での私の経験ですが、越冬中は風邪を引かないですね。最近の越冬隊ではどういう病気があるんですか。
大江 確かに風邪は少ないんですが、やはり疲れたりすれば自分の中でもいろいろと菌をもっているわけですから、ちょっと頭が痛いとかお腹壊したとか、そういうのは時々はありますね。厳しい健康診断を経て選ばれた隊員ですので、多少の持病はあったとしても、それは普通のお薬で調節できる程度の物です。
それで実際問題として医者が活躍するというのはほとんど無いわけなんですね。まあ、一番暇な隊員だと思うんですよ。何か事が起こらなければ。ただ、みんなが、特に白夜の期間、短期間に不慣れな仕事を集中して行うということなので、怪我というのは非常に気を使わなければならないですね。大怪我された場合には命に係わることもありますし、国内で助けられる怪我もそうはいかないこともありますので、怪我についてはかなり気を使いますね。
福西 冬は一日中暗く、どうしてもあまり運動ができないので、健康管理は大事ですよね。そのために定期的な検診をされる予定ですか。
服部 定期的な検診をする予定はあります。しかも3か月に1回で。伝統的にやっているみたいで、日本にいるより手厚いくらいです。でも、みんなと一緒に太っちゃったら説得力が無いんで(笑)気を付けます。
福西 食べ過ぎるってこともあるんですか。
大江 いや、あると思います。まあ、前回もそうでしたが、各個人の判断に任せる様な所もありますんで。せいぜい1年の越冬であんまりがみがみ言って美味しい物を食べられなくてというのもお気の毒ですし。今までのお医者さんの中には健康診断の結果を元に、一人ひとり呼びつけてかなり厳しくご指導なさった方なんかもいらっしゃったみたいですけれども。まあ、僕は今回もあんまりそういうことをするつもりは無いんです。けれども、その時のお医者さんの専門領域とか、そういったものも関係していると思います。
福西 お医者さんに期待されるのは、集団生活の中でのまとめ役ですね。その辺は、前の経験からどう考えられていますか。
大江 そうですねえ、前回もそう考えていたんですが、昭和基地の医務室を、病院というような敷居の高い所ではなくて、むしろ学校の保健室みたいな形で、隊員がちょっとしたことで寄ってくれればいいなと思っています。まあ隣にバーはありますけれども、バーの2次会場にして頂いてもいいですし、ちょっと疲れた時にお昼寝に来るとか、ハンモックなんかもあるんで、そう言った所で一休みして頂くとか、そういう憩いの場にしたいなと、今回もそうしたいなと思っています。服部ドクターも多分そこでヨガをやったりとか、いろいろと(笑)。
福西 服部さんは集団生活を今まで経験したことはないですよね。
服部 全くないですね。
福西 でも大江さんというすごい経験者がいるから安心していますよね。
服部 はい。心強いですね。もう、ほんと、その辺の所は完全に任せっきりです(笑)。
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昭和基地の医務室で胸のおできを取る局所麻酔手術(第54次隊越冬中の唯一の手術)。

越冬中に手伝う仕事

福西 他の隊員よりも時間がありそうだということで、医療以外の仕事をもちろん手伝われることになると思いますが、何かこういう仕事を手伝ってみたいっていうものはありますか。
服部 ペンギンを数えたい(笑)。
福西 ペンギン調査のお手伝いをしたいということですね。
服部 (笑)別に数えたいわけじゃないんですけど、見れれば良いです。それは凄く楽しみにしています。あとは、、、何をやりたいって、そんな決まった事はありません。でも、昭和基地に着いて、一番最初に建設作業をやらなきゃならないということはなんとなく知っていますので、やる気になっています(笑)。
福西 そうですね、建設作業にもいろいろな種類がありますから、多分それは隊長がよく配慮して、女性隊員に適した仕事をやることになるんでしょうね。
大江 はい。服部先生は来月重機の免許を取りに行くことになってます。1週間ほとんどそれにかかりっきりになります。
服部 免許というか技能講習です。
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雪上車整備の手伝いでキャタピラの2千数百個のボルトを締める(第54次隊越冬中)。

福西 大江さんは前に越冬された時に、昭和基地以外ではどういう所に行かれたんですか。
大江 S17という南極大陸の航空拠点になる場所や、沿岸のペンギン調査に行きました。越冬開けにペンギンが巣作りをする時に合わせて、ペンギンの調査をします。前回の越冬隊では生物系担当の隊員が越冬しなかったもんですから、まあ生物系に一番近いだろうということで、医師がやるのが従来の慣習だったんです。けれども今回は生物系の隊員も越冬しますので、その方の指示で多分動くことになると思うんです。
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ドイツの観測隊が給油のために立ち寄る(第54次隊越冬中)

福西 他に予定されている手伝いはありますか。
大江 前回はやってない仕事として、今回はダイビング・潜水調査があるので、それのバックアップということで、医師が必ず付いていくことになりました。服部さんと一緒に行ったんですが、ボート漕ぎの訓練もやりましたね。
福西 服部さんは内陸に行ってみたいですか。
服部 そうですね、はい。
福西 雪上車の運転をしてみたいですか。
服部 まあ~、面白そうですけど、逆に怖い気持ちの方が大きいですかね。私運転苦手なので。
福西 大江さんは内陸に行って一番感動したのは何ですか。
大江 広い地平線というのか水平線と言うのか、周りすべて氷ですから氷平線と言うんでしょうかね、360度見渡す限り建物も何もない真白な世界に驚きましたね。
福西 風が吹いていると内陸は厳しいと思うんですが、それは大丈夫でしたか。
大江 ええ。基本的に観測隊は無理しませんので、風が強ければ雪上車の中に逃げ込んだりします。風のビュンビュン強い中で無理な作業はやりませんでした。
福西 寒さの方はどうですか。服部さんは強い方ですか。
服部 いや、弱い方だと思います。
福西 北海道出身ですよね。
服部 暖房利いてないと生きていけない(笑)どうしよう~(笑)。
福西 南極で一年過ごしますとみんな寒さに強くなりますよね。環境に慣れると言うか。
大江 そうですね、寒さに強くなるというよりも暑さに弱くなるじゃないかな~(笑)。

南極で楽しみたいもの

福西 南極の自然でペンギン以外、これは見てみたいっていうのはありますか。
服部 一番はオーロラなんですよ。あとはグリーンフラッシュを見てみたいですね。
福西 オーロラを見てみたい理由はありますか。
服部 オーロラを見てみたい理由ですか・・・。いや~、特に無いですが、オーロラは、1回旅行で見に行って、やっぱり地味なやつだけ見て帰って来たんで、今度こそという気持ちはあります。とにかく、奇麗なものを見られれば満足です。
福西 昭和基地はオーロラ帯に位置し、南極の中でも一番良くオーロラが出る所です。快晴になると見れますから、十分楽しんでもらいたいと思います。大江さんはどうですか。
大江 日本に戻って来て、いろいろと子供たちにお話しをする機会もあるもんですから、いい写真を撮りたいですね。写真を撮影するのが好きなものですから、前回よりもっときれいにオーロラを撮影してみたいし、あるいは動物の表情なんかも分かるような、そんな写真が撮れたらいいなと思っています。今回は生物調査のお手伝いでアザラシの生態調査のプロジェクトもあるもんですから、そういうので普段見られない様な動物の表情を見られたらと思ってます。
福西 服部さんはどうですか。
服部 私は、カメラにあまり詳しくないんで、コンデジで気が向いた写真を撮って、あとは人のを貰おうと思っています。
福西 南極のオーロラは見事ですが、星空も素晴らしいですね。南半球でしか見ることができないマゼラン星雲があり、昭和基地では天頂付近に肉眼でほんとにくっきり見ることができるんです、
服部 それは楽しみですね。今回は大江さんがいるので、星のことをいろいろと聞けそうですね(笑)。
福西 日本だと夜空に見える星の数がどんどん少なくなっていますが、南極の夜空は本当に昔のままですからね。
大江 星の数の多さには確かに感動しました。大陸から立ち上がるような天の川っていうのは非常に印象に残っています。
福西 越冬生活は長いんで、いろいろ趣味の物など持って行かれる隊員が多いと思うんですが、何か持って行かれますか。
服部 いや~、ぼーっとしていたら必需品だけで一杯になってしまって、趣味の物を持ち込む余裕がない、、、(笑)。
福西 別の女性隊員の方でスキー持って行ったり、フルートなどの楽器などを持ち込む方もいらっしゃるみたいですけど。
服部 できたら、楽しいそうなんですけどね、私は楽器はどうも、だめですね(笑)。
福西 大江さんは前回は何か持っていったのですか。
大江 今回もそうですが、歩くスキーをもって基地の周りをちょっと歩いてみたいなと思っています。
福西 スキーが趣味なんですか。
大江 趣味と言うより、山に登るための手段としての山スキーですね。かかとの上がるスキー、歩くスキーですね。滑るのはあまり得意ではないですけれど。
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休日に歩くスキーで昭和基地周辺を散策(第54次隊越冬中)

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ラングホブデ・ハムナ氷瀑前の海氷をスパイクタイヤ付きマウンテンバイクで走る(第54次隊越冬中)

家族のこと

福西 南極に行くことになって、家族の方がどう思っておられるのかお聞きしたいんですが。
服部 まあすんなり受け入れてくれました。年に数回くらいしかコンタクトしないんですけど、ぽろっと電話して「南極行く事になったよ」って言ったら、「あ~そう言えば前にそんな様なこと言ってたね」って言われて(笑)。
福西 全然心配はしていないんですね。
服部 心配なのかもしれませんけど、心配だとは言われませんでしたね。「良かったね。行ってらっしゃい」って(笑)。
福西 どういう場所だとかは説明はしたんですか。
服部 ん~まあ、行き来出来ないくらいのことは言って、、、(笑)そこで汲み取って欲しいですね。
福西 大江さんはどうでしたか。
大江 私は1回目も、うちの家族みんなそういう自然環境とか好きなんで、家族全員で応援してくれましたね。
福西 2回目も同じですか。
大江 2回目はちょっと絶句してましたけど(笑)。「また行くんですか」みたいな(笑)。
福西 現在は昭和基地とインターネットが通じていて、メールや映像を送れるので、コミュニケーションは取ろうと思えば取れますよね。
大江 そうですね。
服部 それはありがたいですね。
大江 電話もね、昭和基地は立川市にある極地研究所の内線扱いで電話かけられるんで、毎日電話かけてましたね、前回は。
福西 現在は昭和基地とインターネットが通じていて、メールや映像を送れるので、コミュニケーションは取ろうと思えば取れますよね。
大江 そうですね。

南極を目指す人たちへのメッセージ

福西 最後に、子供たちも含めて、南極を目指す人たちへのメッセージをそれぞれお願いします。自分の経験を含めてですね。
服部 私は、南極へ行きたかったんですけれども、何をすれば行けるかっていうのがさっぱり分からなかったんです。まあ医師免許を取れば行けるチャンスはあるかもなとは思ったんですが、それ以外、どういう方向に努力すればいいのかが分からなかったです。実際こういう風にチャンスをもらってみても、結構、運に左右されたところが大きいですね。そうは言っても全く何も考えなかったわけでもなくて、専門が総合内科だったものですから、すごく専門的な何とか内科よりは多分南極に向いているんじゃないかなと思ってみたりもしました。
あと、これまでのキャリアで救急に接する機会が無かったので、救急もやっておいたほうがいいかなと思って、救急に転向したんです。救急も南極によさそうだなと、ちょっと思ってみたりして、今に至るんです。
南極に限らずですが、やりたい事っていうのは出来るかどうかは結局分からないんですね。でも、ちょっと心に留めて努力してみると良いことあるかもしれないです。もし南極に行けなかったとしても、私はそれ以外の理由もあって、総合内科なり救急なりを志したので、特に後悔はないですね。今回はすごくラッキーでしたけど。まあ、やりたい事っていうのは、巡って来なくても、多分いろいろと良いことはあると思うんです。なので、やりたい事をたくさん持っていたらきっと楽しんじゃないかなと思います。
福西 大江さんは。
大江 僕はいつも楽観的で、「何とかなるさ」というのが信条なもんですから、願っていれば何とかなるんじゃないかなと思っています。南極に行きたい人がもしいるとすれば、もちろん一生懸命勉強して研究者になるっていう手もあるんです。でもこうした狭い方向から入る道だけでなく、むしろそれよりいろいろと広い事に興味を持って、その中で自分の得意な物を伸ばしていって、そのうちにその道のプロになっちゃってと、そういう道もあるのかなと思いますね。
子供たちに講演しているとよく聞かれますけど、「どうしたら南極に行けますか?」って。「いや、今のうちから進路を狭めないでいろいろな事に興味を持って、いろんな経験をして、いろんな本を読んで、そうやっているうちに何か自分の得意な所で入っていくルートがあるんだよ」って、お話するんです。まあ、自分自身を振り返ってみてもそんな感じでしたんで。まさか自分が南極に行けるとは思っていませんでしたので。
福西 今日はお忙しい中で楽しい話をたくさんお聞かせくださりありがとうございました。南極での活躍をお祈りしています。

大江 洋文(おおえ ひろふみ)プロフィール

第58次医療隊員。1960年、仙台市生まれ。大学まで仙台で過ごし、仙台市立病院、東北大学附属病院、岩手県立磐井病院などに勤務。専門は消化器外科、一般外科。趣味は登山、写真撮影(風景、動植物)、サイクリング、音楽鑑賞(ロック、民族音楽)。山についてはウラヤマからヒマラヤまでを信条に地元の里山から中国崑崙山脈、インドカラコルム、パキスタンカラコルムに足跡を残す。第54次観測隊参加。家族は妻と息子3人。

服部 素子(はっとり もとこ)プロフィール

内科医。北海道で生まれ育ち、2006年に旭川医科大学を卒業。南極へ行く空想を温める。初期研修終了後、「島を出てみたい。」と、神戸大学病院へ。総合内科専門医取得後、南極観測隊に初落選。東京大学病院で1年間救急外来診療に従事した後、再落選。応募を止めて、思い立って気象観測船「凌風丸」に乗船。船酔いとごちそうに気を取られていたところ、またとないオファーをいただき、第58次南極観測隊に参加を決定。基本姿勢は、人の害にならない、嘘をつかない、無理はしない。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)プロフィール

公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。

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