シリーズ「南極観測隊員が語る」第3回

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第58次南極地域観測隊 越冬隊員

野外観測支援担当 土屋 達郎

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インタビュアー:福西 浩 インタビューは昨年11月25日に、日本極地研究振興会の立川事務所で行いました。

福西 最初に、土屋さんの小中高時代を教えてください。
土屋 産まれた所は、東京の保谷市、当時はまだ市じゃなかったと思うんですが、ひばりが丘です。小学校は練馬の小学校で、両親の都合で転校して、東村山市の秋津小学校に通いました。中学校も東村山市で、市立第二中学校です。あの、志村けんさんと同じ中学校です(笑)。高校は都立の清瀬高校です。
福西 子供の頃から自然が好きだったんですか。
土屋 そうですね、小学校の頃から望遠鏡で星を見たりするのが好きで、高校で地学部に入って、まあ星が好きで入ったんですけど、それから気象観測や地質調査で山に登るようになって、それが高じて高校出て、気象庁に入ったんです。でも、ちょっと私の求めるものと違ってすぐ辞めてしまったんです。そこから日本一周の旅に出たんです。
福西 日本全国をどうやって周られたのですか。
土屋 そうですね、北から南まで、50㏄のバイクで。自分は何をしたいのかなとかいろいろと考えつつ、海岸線をずっと行ったんです、沖縄以外は全部。「狭い日本、そんなに急いで何処いくの」って標語があった頃ですから、どれだけ狭いんだろうって思ったんですが、いや~ほんとに日本って広いなって思いましたね。
福西 海岸線を一筆書きで何日間位かかったのですか。
土屋 100日ですね。3か月ちょっと。沖縄も別に、後日行くことになったんですが、とりあえず一筆書きしたのは沖縄以外は全部で、北海道最北端の宗谷岬から九州最南端の佐多岬まで行きました。
福西 一番印象に残った場所はどこですか。
土屋 北海道と鹿児島ですね、両端は広くて、い~な~と思いました。

ヘリのパイロットで南極を目指す

福西 日本一周の旅を終えて、自分がやりたいことが見つかりましたか。
土屋 その時はまだ進むべき道は見えなかったんです。でも日本一周の旅をして、この日本のために、なにか人助けができる仕事をしたいなと思いました。山でヘリコプターが山小屋に荷物運んだり人を救助するのとかを見て、好きな山で働けたらと思い、ヘリの免許を取ろうと考えました。叔父が日本航空で働いていたので、飛行機が好きだったということも影響しているかも入れません。それからはヘリの免許をとるために佐川急便でお金を貯めました。
福西 ヘリの操縦士免許を取るために専門学校に入ったんですか。
土屋 そうですね。大阪の第一飛行学校の訓練コースが金額的に一番リーズナブルだったもんですから(笑)、そこに入り、ヘリコプターの事業用ライセンスまで取りました。
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福西 それから実際にヘリの仕事をすぐに始められたのですか。
土屋 いえ、免許を取った時はバブルが終わった時代で、農薬散布などの需要もなくなり、民間のヘリの仕事がなくなってしまったんです。それで最初は自家用ヘリのお抱えパイロットの仕事をしていました。最終的には第一航空という、目指していた航空機使用事業会社に入れたのですが、その前に当時大分空港にあった中古航空機販売のエアロスペースナガノという会社で働きました。その会社の社長さんが第25次越冬隊で固定翼機のパイロットをされた方で、「機会があったら絶対に南極に行った方がいいよ。人生変わるから」と、そう言われたんですね。その時に、私も技術を磨いて、プロのパイロットとしていつかは南極に行こうと思ったんです。
福西 でも今回はヘリコプターのパイロットとしてではなく、野外観測支援担当で南極に行くことになりましたが、それはどういう事情だったのですか。
土屋 ヘリの免許は持っていてもプロとして飛ぶには会社のさらに厳しい審査をパスしなければならないんです。でも私は免許取ったのが35歳の時で、だいぶ遅かったんですね。それで第一航空の機長発令の審査では私の年齢に見合った飛行時間がなく、審査をパスできなかったんです。機長の道はそれで閉ざされてしまいました。それで、その会社に残って、航空写真撮影を主として生きていくか、もしくは、新たに別の会社で再起を計るかという選択を迫られました。すでにその時44歳だったんですね。この歳で他の会社でまたスタートするのは難しいだろうという判断をし、かと言ってカメラマンになりたかったわけではないので、パイロットの道を諦め、じゃあもう好きな山に生きて行こうかなと考えたわけです。その時は南極の夢もついえたと思ったんです。

パイロットの道を諦め、山に生きる

福西 パイロットになって南極に行く夢を諦めて山に生きようと考えられたとのことですが、昔から山が好きだったんですか。
土屋 高校の頃から地質調査のために山に登っていました。パイロットを諦めたということで、もうこれからは好きな山で生きていこうと考え、アウトドア業界に入って登山ガイドの資格を取ったんです。アウトドア業界では、山のガイドとか、ラフティングのボートで川下りする仕事をしていました。
福西 登山ガイドの仕事は始めて何年くらいになるんですか。
土屋 資格取ってから4年ですね。
福西 具体的にはどの地域の山を案内されているんですか。
土屋 私は岐阜の中部山岳ガイド協会に所属しており、白山や北アルプスなどの高い山も案内しますが、地元の低い山の方が数的には多いんですね。
福西 冬山も案内するのですか。
土屋 冬は低い山をガイドします。一般のお客さんが対象なんで、厳しい所はあまり行かないです(笑)。スノーシューでちょっとした裏山的な山を登って、自然の中に入って案内する仕事です。
福西 最近は登山する女性が多いでよね。登山ブームみたいな感じで。
土屋 そうですね、登山ブームが続いていますよ。ちょっと前までは中高年の方ばっかりだったのに、数年前から山に行くと若い人とたくさん出会います。山ガールだけでなく、男性も若い人が多く、ほんと一昔前とはだいぶ違います。
福西 一番好きな山や印象に残っている山、お勧めの山なんかありますか。
土屋 一番好きな山は槍ヶ岳ですね。でもさすがに槍ヶ岳をガイドする技量は無いですけれど(笑)。尖った険しい山が好きですね。
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夢が実現した南極行き

福西 登山ガイドの仕事が一旦は諦めた南極の夢の実現につながったんですね。
土屋 そうなんです。偶然、私の所属する山岳ガイド協会の中に、野外観測支援で第49次越冬隊に参加された方がおられたんです。あ!そういう道もあるのか、と思って。じゃあ私もいつかは南極に行きたいなと考え、そのために山の技術を磨いていこうとしたんです。そうしていたら、山岳ガイド協会に国立極地研究所から南極観測隊員募集が来ていることを知りました。できるだけ早く行きたかったので、本当は去年応募したかったんです。でもいろいろと事情がありまして、今年応募し、採用していただけました。
福西 今度南極行くことになったって言うと、仲間からは羨ましがられますか。
土屋 そうですね、はい(笑)。まさか自分が行ける様になるとは、、、行きたいって思いはずっとあったんですけど、ほんと行ける様になるとは思ってなかったですから。南極観測隊員に応募する時も、うちの奥さんに、「絶対受かるわけないから安心しろ」みたいな(笑)。で、応募したんです。
福西 じゃあ、奥さんはいよいよ決まったら、少しは心配されたのですか。
土屋 そうですね、心配はしていると思うんですけども、採用されることが決まった時は一緒に喜んでくれました。
福西 そうですよね、一旦は諦めた夢が実現したんですから、今度は一生懸命応援したいですよね。
土屋 はい。
福西 南極に行って一番見てみたいものは何ですか。
土屋 やはりペンギンかな(笑)。近くで見たいなと思います。
福西 私も3回越冬してペンギンをずいぶん見たんですが、何時間も見ていても飽きないですね。すごく可愛らしいですね、ペンギンたちの仕草は。他には何が見たいですか。
土屋 あとは360度の地平線ですね。真白い世界に青い空っていう、その情景を見てみたいですね。あと、子どもの頃からテレビなどで見ていた昭和基地を自分の目で見てみたいですね。昭和基地ってどんな所なんだろうって、本当に子どもの頃から思っていました(笑)。
福西 じゃあ、「南極物語」なんかもご覧になったんですね。
土屋 ええ、見ました見ました。
福西 私の体験ですが、南極では人跡未踏の、全く人の手が加えられていない、そういう場所が至る所にあります。その自然の印象は相当強烈なんですね。自分が最初に歩く感激。今度南極に行かれたら、そういう自然に出会うチャンスはいくらでもあると思います。
土屋 まあ、ここは誰も歩いてない所なんだと思って行くと、ちょっと気負いが入って何か失敗するかもしれないんで、あんまり考えずに行って、後から「そこは初めてだったんだよ」なんて言われたら、大喜びでしょうけど(笑)。

南極での仕事

福西 第58次越冬隊では野外観測支援が担当ですね。具体的にどんな仕事をされるのですか。
土屋 いろいろな野外観測チームについて行って、まあ安全管理を担当します。私に果たされた最大の使命が、観測隊の皆さんの安全を守ってケガの無いようにし、無事に日本に戻っていただくということです。それが私の最大の使命だと思っていますので、それのためにできることを全てやっていきたいと思います。
福西 南極大陸の内陸部はどこまで行かれる予定なんですか。
土屋 それがですね、予定がいまいち分かってなくて(笑)。もう何でもやりますとは言ってあるんですけれども、具体的には、、、ただ来年の観測隊では、昭和基地から1000キロも内陸に入ったドームふじ基地までのトラバース旅行があるので、燃料デポでみずほ基地までいくんじゃないか、、、とは聞いています。
福西 沿岸部の露岩地域には当然あちこち行かれることになるんでしょうね。
土屋 そうですね、聞いている話では湖の調査を私が手伝うことになっています。あと、アザラシにGPSロガーを付ける時の安全管理を担当するように言われてますので、アザラシ調査には間違いなく一緒に行きます。
福西 雪上車を運転されることになると思いますが、その訓練はもうされたのですか。
土屋 雪上車の運転の訓練はなかったのですが、整備訓練はやりました。もともと機械いじりが好きで、乗り物も好きなんで、運転の練習は向こうに行って、自分でやれると思います。

日本での準備・訓練

福西 7月から国立極地研究所南極観測センター(東京都立川市)の勤務になり、いろいろな準備作業や訓練をされていると思いますが、その様子を教えてください。
土屋 準備はですね、国内では隊員皆さんの個人装備と野外観測チームの野外装備を調達するのが私の主な仕事でした。アウトドアメーカー各社の担当の方とお会いして、隊員の装備ひとつひとつを自分で選んで揃えていく仕事は、大変だけどとても楽しい毎日でした。 訓練に関しては、生物研究チームと一緒に南極の湖調査のための本栖湖での潜水調査支援の訓練を行いました。あと雪上車やスノーモービルの整備訓練、消火訓練等も行いました。 肝心のレスキューに関しては今年は予算が足りないとのことで(笑)、行っておりません。ただ登山ガイドとして常日頃からロープレスキューやファーストエイドの講習会に参加したり、仲間とレスキュー訓練をしてますけどね。
福西 じゃあもう、南極で訓練ですね(笑)。あとは経験でカバーですね(笑)。
土屋 はい。
福西 観測隊員の中にはあまり自然に慣れてない方もいますよね。それで観測隊員全員の安全に絶えず気を配る必要があるわけですね。
土屋 そうですね。でも、私一人だと限りがありますので、やはり一人ひとりが対応できるように、私が訓練してあげることが必要になってくると思います。そこが重要な使命かなと思っています。
福西 そうですね、南極へ行く前に、こういうことはしてはいけないという規則は教えてもらえますよね。例えば、夏の期間は海氷が割れたりするから勝手に海氷上に行かないとか。
土屋 そうですね、それは私からではなく、もっと詳しい南極経験者の方から、冬訓練や夏訓練の時にいろいろと説明がありました。これからもあると思います。
福西 そういう話聞いてどの辺が大変だと思いましたか。
土屋 私は山の経験があるけれど、海氷の経験は無いわけです。それでクレバスがどの程度のものなのかは自分の目で見てみないと分からないです。行ってみてからですよね。表面が雪で覆われてクレバスが見えない所があるので、十分に注意したいですね。

越冬生活での余暇

福西 越冬は長いので自分の趣味で何か持って行かれますか。
土屋 はい、まあ長年弾いてないギターを持って行きます(笑)。
福西 フルート持って行く方とか、、、やはり楽器を持って行く方が多いですね。冬ですね。外に出られなくなった時に、楽器は楽しめると思います。
土屋 ギターは昔ちょっとやっていたので、越冬中やってみたいですね。あとはスキーをやってみたいです。山スキーをやるんで。
福西 スキーは昔からやられていたんですか。
土屋 そうですね、前はゲレンデスキーをちょっとやっていた位なんですけど、やはり岐阜でアウトドアのガイドとかをやる様になって、山にスキーで登って滑って帰って来る、そういうのをやる様になりましたね。
福西 冬の訓練ではスキー登山の訓練はあったんですか。
土屋 無いんですよ。25次隊の私の大先輩から、「スキーなんかやったことがないのに山の上に連れて行かれて必死で降りてきた」という話を聞いていたので、スキー登山訓練を楽しみにしていたのに、無かったですね(笑)。
福西 そうですか(笑)!でも、ほんとはそのような訓練はやった方がいいですよね。
土屋 は~い。
福西 スキー持って行く隊員は他にいますか。
土屋 スキー持って行く人は多いですよ。南極観測隊用の倉庫で荷造りしているのを見てたら、いろんな所にスキーが置いてあったんです。結構皆さん持って行くみたいですよね。

越冬隊の仲間たち

福西 越冬隊の33人は一つのチームとして、いろいろな仕事を助け合ってこなしていきますが、チームとしての行動はどうですか。
土屋 そうですね、この南極観測隊員室で一緒に4か月間仕事して思うんですけど、やはり皆さんすごいプロフェッショナルな方たちばかりで、やっていて楽しいですね。そういう方たちと一緒に仕事できるんで。皆さん和気あいあいと楽しくやっているんです。これいいかな、上手くいくかなと思っています。
福西 昔の南極観測隊は男性だけでしたが、最近は女性隊員がだんだん増えてきています。現在越冬中の第57次隊が5人、今回の第58次越冬隊は6人ですね。女性隊員が増えていることをどう思われますか。
土屋 とてもいい傾向だと思います。女性でもそれぞれの道のプロの方ですからね。敬意を払いますし非常に尊敬できる方たちです。
福西 越冬隊の中では歳は上の方ですよね。若い人が新しい事にチャレンジするのは当たり前ですが、年齢の上の人がチャレンジする機会は割合と少ないと思うんですが。
土屋 私の知り合いからも、「よく50歳でそんな新しい事に挑戦するよね」と言われました。でも私は50歳っていう意識がないんです(笑)。
福西 自分では年齢を全然考えてないんですか。
土屋 考えてないですね、隊員の中でもみなさんベテラン揃いで、だから私の方が敬語で、向こうがため口でって感じです。でも年齢を聞くと私の方が全然上なんです。でも自然とそうなっちゃうような、いつもそんな感じなんです(笑)。
福西 何事もチャレンジする時はそうですよね。自分の年齢考えてたんじゃあ出来ないですよね、確かに。今までもそういう生き方をされてたって事ですよね、今度の南極行き以外も。
土屋 まあ、そういうことですよね。歳を考えると50って思うんですけど、普段はそんなことは意識してないんです(笑)。中身は子どもの頃と全然変わってないんですよね(笑)。まあ成長がないって言ってしまえばそれまでなんですけど(笑)。
福西 少年の心をもっているんですね。じゃもう、行かれる事に対しては不安よりも喜びのほうが勝ってる感じですか。
土屋 ん~不安はあるんですよ。やはり皆さんの安全を預からなきゃいけないで。
福西 責任感っていうことですか。
土屋 登山ガイドだと、お客さんを案内する前に必ず事前に自分が下見をして、安全を確認をして、「さあどうぞ」って、、、でも南極という初めてのところに一緒に行かなければならないという、そこがちょっと不安を感じますね。
福西 南極に着いて、一か月もすれば慣れてきますが、最初ですよね不安は。
土屋 そうですね。
福西 最近は夏期でもブリザードとか来るようですので、昭和基地に着いた時に安全を十分に考える必要はありますよね。
土屋 そうですね。最初はこういう危険があるだろうなっていう推測で対応しなければいけないので、そこがちょっと厳しい所ですね。

南極を目指す人たちへ

福西 最後に、これから南極を目指す人たちへのメッセージをぜひお願いします。
土屋 そうですね、人生何が役立つか分からないんで、いろんなことにチャレンジしておくといいんじゃないかと思います。私も、いろんな資格持っていて、多分それで他に候補者がいる中で私を選んで頂けたのではないかと思っています。いろいろな経験を積んでおくことが自分の夢の実現に繋がったのかなと。目の前の仕事に全力で取り組むと何か良いことありますよ(笑)。
福西 今日は夢と挫折など貴重な体験談をお話しくださりありがとうございました。

土屋 達郎(つちや たつろう)プロフィール

1966年5月5日生、東京都出身。社会人でヘリコプター事業用操縦士資格を取得し、以来航空業界で働くも挫折を経験。2010年これからは好きな山で生きようとアウトドア業界に転向。ラフティングやシャワークライミング等のガイド会社でガイディングを学び、日本山岳ガイド協会の登山ガイド(ステージⅡ)資格を取得。東日本大震災では、日本の危機にじっとしていられずに震災1週間後に支援物資満載の車で被災地へ向かい救援活動にあたる。以前の会社の社長が第25次越冬隊のパイロット、先輩ガイドが第49次越冬隊FAだったため、いつか必ず自分もと南極を目指す。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。
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