シリーズ「南極観測隊員が語る」第5回

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    第58次南極地域観測隊 越冬隊員

    一般研究観測担当 鈴木 裕子

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    インタビュアー:福西 浩 インタビューは2016年10月25日に国立極地研究所(東京都立川市)の南極観測センターで行いました。

    福西 最初に子供時代のことが知りたいのですが、出身はどこですか。
    鈴木 新潟県出身で、現在は新潟市に編入されているのですが、昔は西蒲原郡と呼ばれていた所です。小学校は木山小学校という、ちっちゃな、全学年1クラスしかない学校で、クラスの同級生は20人程でした。中学校は赤塚中学校で、ここも本当に小さな学校で、2クラスしかなかったんです。1クラスは20人位で、本当は1クラスにまとめてもいい位の人数の学校でした。
    福西 そのころ一番興味があったことは何だったんですか。
    鈴木 小学生から中学生にかけては結構スポーツが好きだったので、ミニバスケットボールやドッチボールをクラブでやっていました。あとは綱引きやソフトボールもやって、結構多岐にわたっていろいろとやっていました。中学校ではソフトテニス部に入っていました。
    福西 小さい頃から理系の分野に興味があったんですか。
    鈴木 興味があったかは分からないんですが、理科とか数学の方が点数は取れていました。やっぱり子供って単純で、点数が取れればその教科が好きになるじゃないですか。今は歴史とか国語とかもすごく大切な教科だと分かるんですけど、その時はやっぱり理科や数学の方が好きでしたね。
    福西 子供のころに南極に興味を持ったことはあるんですか。
    鈴木 いいえ、私は全く南極のことを知りませんでした。正直、家族で海外に行ったりするような家庭でもなかったので。年に一度東京ディズニーランドに行くくらいで、旅行を頻繁にする家庭ではなかったんです。家の周りで遊ぶか部活するくらいしかしていなくて、小さい時は南極のことは全く知らなかったです。
    福西 高校も新潟ですか。
    鈴木 はい、新潟明訓高校の出身で、野球や剣道や陸上部が強く、今ではサッカー部も強い、スポーツで結構有名な高校です。
    福西 高校ではなにかクラブ、部活をされていたんですか。
    鈴木 いえ、やっていません。本当は新潟高校に行きたかったんですが、学力が足りなくって、私立の進学校である新潟明訓高校に入りました。私はスポーツではなく、勉強するコースで入学したので、部活はやらず、帰宅部でした。

    大学時代に雷現象の研究を始める

    福西 そうすると東京に出てきたのは大学からですか。
    鈴木 そうですね、東京学芸大学に入学した時です。
    福西 どうしてこの大学を選んだのですか。
    鈴木 中学校の時に学校の先生になりたいなぁとなんとなく思ったんですが、それは中学校の先生が良くしてくれたことが一つの理由です。それで、高校の時に教育学部を目指すようになって、最終的には東京学芸大学に決めました。
    福西 大学ではどんなことを学んだんですか。
    鈴木 大学には教育系と教養系がありまして、私が所属したのは教養系の自然環境科学コースだったんです。このコースはゼロ免課程といって、教員免許を取らなくても卒業できるっていう課程で、理科に特化した学生を育てるという課程だったんです。なので、自然科学に関することを学びました。
    福西 卒業研究のテーマは何だったのですか。
    鈴木 雷の研究をしていました。雷でも普通の、一般的に見られるような雲と大地の間に発生する雷ではなくて、はるか雷雲上空の、高度80キロ付近の宇宙に近い辺りで発生する高高度の放電発光現象を研究していたんです。それを富士山山頂にある測候所などを利用させていただいて、観測をして、その結果をまとめて卒論を書きました。
    福西 高高度の雷現象を研究するきっかけは何かあったのですか。
    鈴木 きっかけは、私の指導教員の先生が、こういうのをやってみないと声をかけてくださったことですね。私の性格もよく知ってくださっていて、研究室の中で連日解析をやっているよりは、フィールドに出て作業するほうが向いていると思ってくださったようです。フィールド観測では、あちこちに測定器を設置しに行くことになるので。
    福西 高高度の雷放電現象を研究されたそうですが、日本で最初にこの研究を始めたのは東北大の私の研究室でした。・・・高速度カメラやフォトメーターを開発し、アメリカの研究者と共同でコロラド州で観測しました。その時に光学観測で活躍したのが高橋幸弘さんで、現在は北海道大学教授になっています。また、博士課程の学生だった佐藤光輝さんが、現在は北海道大学准教授ですが、高高度の雷放電現象に伴って発生するELF波動を観測するセンサーを開発し、第41次南極観測隊に参加し、昭和基地で観測をし、その成果は世界的に高い評価を得ました。
    鈴木 高橋幸弘先生や佐藤光輝先生には私も学部の学生の時からすごくお世話になって、いろいろと教えていただきました。
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    小笠原大気電場観測に参加

    福西 海外観測もしたのですか。
    鈴木 はい、台湾に行ってVHFという周波数の電波や大気電場測定等で、雷の観測をしていました。沖縄のラジオ放送の音が台湾でもたまに聞こえることがあり、それは雷雲によって反射されているのではないかという話があり、それを確かめるために行なっていました。アンテナのメンテナンスや測定器のメンテナンスをメインで行っていたのでが、語学も学べたし、違う国の文化も学べて、すごく良い機会だったと思っています。
    福西 フィールドワークはすごく体力がいると思うんですけど、体力の方はどうですか。
    鈴木 体力には割と自身があって、富士山での観測の時期は夏の間に4回とか5回とか登ったりしましたし、高山病にもほとんどなりませんでした。高校からは部活に入っていなかったので、スポーツをほとんどしていなかったんですが、元々の体力は両親のお陰か、かなりあるようです。強い身体に育ててくれて感謝しています。
    福西 ちなみに趣味とか休日とかの過ごし方はいかがですか。
    鈴木 富士山に登っていた関係で、最近は山を好きになって、この間の土曜日も隊員の山が好きな数名で谷川岳という山に登ってきました。その前の週の週末はリレーマラソンというのがお台場でありまして、複数人で42.195キロ走るというイベントだったのですが、それに隊員7人で参加してきました。そういうイベントがない時は、大学の友だちや高校の友だちに会って、どこかに行ったり、別に何か特別なことをするっていうわけではないでが、いわゆる女子会という感じで、ずっとおしゃべりして終わりみたいなこともよくあります(笑)。
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    TEA-IS(大気圏・電離圏結合システムへの雷放電効果)学会で発表

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    TEA-IS懇親会で

    南極を目指した動機

    福西 初めて南極に行きたいと思ったのはいつごろですか。
    鈴木 南極に行くことを自分のこととして考えたのは大学院に入ってからで、約2年前のことです。それまでは南極とはあまり接点がなかったんですが、私が入った研究室の先輩が、第51次隊で南極に行ってらっしゃっていて、今回の私と同じ宙空部門で行かれていたんです。ただ、自分が行くことになるとは当時は全く思ってなかったです。私が南極のデータをちゃんと使い始めたのも大学院の修士課程に入ってからだったので。極地研究所でシンポジウムがあって、そこで昭和基地データを用いた大気電場測定結果について発表した後に、極地研究所の宙空部門グループ長で、第57次隊長でもあった門倉先生のほうから、私の指導教員の先生に、鈴木さんを南極観測隊員に勧めてみてはどうですかという話があったんです。その話を聞いて、最初は行きたいなっていうのと、どうしようかなっていうのがありました。でも、迷う時間はそんなに長くはなくって、すぐに行こうという感じにはなりましたね。
    福西 でも実際に応募したのは1年前ですよね。
    鈴木 はい、最初は修士2年の時に南極に行かないかと聞かれたのですが、修士2年では短期留学をすることがすでに決まっていましたので、修士2年を終えて卒業してから南極に行きたいと伝え、昨年応募しました。

    南極での仕事とその準備

    福西 今度、昭和基地でやる仕事は大学院で研究したことと関係しているんですか。
    鈴木 そうですね、南極には雷がないので大学院での研究と関係がない様にも一見思えるんですけど、私は全球的な雷の影響を調べている関係で、雷がない所での観測にも興味があります。それに、南極では地吹雪が多くて、それによる電気もかなりあるんです。地上での大気電気を測定する研究もやっていたので、修士でやっていた研究の延長という部分もあります。
    福西 南極で担当する仕事を具体的に教えてください。
    鈴木 宙空グループはオーロラ観測がメインです。オーロラの観測にもいろいろとあります。全天カメラ観測では、カラーでの撮影も去ることながら、オーロラ光の中の特定の波長をフィルターで選んだ撮影もします。多波長で撮影することによって、どの原子や分子が発光しているのか、酸素とか窒素とかですが、そういうものがわかります。ライダー観測では、レーザー光を発射し、反射してくる光の強度と時間差等を測定し、どの高度にどういう物質が卓越しているのかを調べます。また、宇宙天気予報と言われるんですが、高度2000キロとか3000キロの電離圏の電子密度を測定し、磁気嵐が発生した時に太陽風が地球にどのくらいのエネルギーを与えているのか、どういう時にどういうオーロラが発生するのか、そういう情報を得ます。
    福西 いろいろな観測器を向こうで扱うことになるわけで、今まで扱ってない観測器も扱わなければならないですね。その準備はどの様にやっているんですか。
    鈴木 宙空部門は観測器の数が多いので、他の部門と比べても訓練が非常に多いです。最初は観測の目的と観測方法について、なぜこういう方法で測定するのかということを教えていただいて、次に実際に観測器を使って訓練します。大きいアンテナだと実際にそれが建てられている場所に行って、保守訓練などもやります。アンテナを実際に倒してアンテナを交換したりもしました。明日も茨城県柿岡にある気象庁地磁気観測所での訓練があります。
    福西 日本で訓練した場所は他にどこですか。
    鈴木 電気通信大学の菅平宇宙電波観測所や名古屋大学宇宙地球環境研究所の陸別観測所(北海道)などに行きました。また気象庁地磁気観測所の女満別観測施設(北海道)に東京学芸大学の大気電気観測器が置いてあるのですが、そこでも訓練をしました。
    福西 いろいろな所に行って訓練を受けたのですね。それだけ準備しても南極では日本と違って少ない人数で多種類の観測器を動かし、故障したときも自分たちで直さなければならないですね。
    鈴木 そうですね、だから宙空部門だけでなく他の部門の方にも協力していただくことが必要になります。たとえば光回線ですが、光ファイバーが壊れたときはLAN担当の隊員に協力していただいて再接続をお願いしなければなりません。観測器の維持には建物の維持や除雪などもあり、機械部門や建築部門の方々の力は絶対に必要です。今年はアンテナを更新するので建設場所を調べる必要がありますが、測量も建築の方に協力してもらわなければなりません。私たちだけではなくて、いろいろな方にご協力いただいてやって行く形になると思います。 あとは、本当に困った時は国内に連絡して、研究所や大学の先生方に、こういう症状が出ていますと、インターネットで相談しながらやる形になると思います。気温も環境も全く違う南極ですから、予備品もかなり用意してくださいました。もし壊れたら交換するようにと。
    福西 短期簡の準備作業はものすごく忙しかったと思うんですが、どうでしたか。
    鈴木 実際に隊員室に入ったのは7月なので、約3か月ちょっとでやらなくちゃいけなくて、本当に忙しい毎日でした。昭和基地の観測器に関係されている大学や研究所の先生方も大勢いらっしゃるので、その先生方に全部連絡を取りながらやるのですごく大変だったんです。でも私と一緒に南極に行かれる宙空部門の吉川康文さんは、過去に2度も越冬隊に参加された方です。1回は宙空部門で、1回は設営部門で。現場の事にすごく詳しいので、南極での作業の流れなど良く教えてもらっています。本当に助かっています。
    福西 新潟出身なので多少寒いところには慣れていますよね。
    鈴木 まあ、そうですね。
    福西 今まで、富士山登山とか台湾での観測とか、いろいろな経験をされていますが、女性ならではの大変だったり、知恵を使ったりしたことはありますか。
    鈴木 小さい時から男の子とも結構仲が良くて、大学の時も物理系だったので、周りが男の子ばかりだったので、その点は慣れています。それと、今回の越冬隊は女性が33人中6人で、今までになくすごく多いんです。その6人のうち4人は夏隊で南極に何回か行かれている方々なので、皆さんにいろんなことを相談できて、それはすごく助かっていますね。一人とか二人とかだとすごく大変だと思いますけど、今回は相談できる方がたくさんおられるので、そういう部分はあまり心配してないですね。

    南極でやってみたいこと

    福西 越冬隊員として昭和基地に1年間滞在するので、いろいろな体験ができると思いますが、自分が担当する観測以外ではどんなことに興味がありますか。
    鈴木 この隊員室に入って思ったんですけど、今まで関わったことのない仕事の方々がすごく多くって、知らない世界がすごくあって、調理の方もそうですし、設営の方もそうなんですけど、そういった方たちにお世話になり、またお手伝いし、自分がいろいろなことを学べるのがすごく楽しみですね。33人の越冬生活ってどういうものかを体験できることにかなり興味があります。
    福西 集団で生活するチャンスは日本にいるとなかなかないと思いますが、何かそういう経験はありましたか。
    鈴木 日本ではないですけど、短期留学で海外に行ってた時は、日本語がしゃべれないですし、他の初めて会った方々と1か月、2か月過ごしたりしたので、そういうのには慣れていたと言うか、苦ではない方です。富士山の山頂も限られた人数で運営しなければならなかったので、そういう機会は多かったと思いますね。
    福西 南極の自然の中で最も興味があるのは自分が観測しようとしているオーロラですか。
    鈴木 あ~オーロラ。やっぱり興味ありますね。でもその他にもサンピラーとか、蜃気楼とか、そういう気象現象にも興味あります。本当に雷がないのかなっていうのも、実はちょっと興味があるんです。ないって言われてるけど、どうなのかなって思ってはいます。
    福西 楽しみですね。
    鈴木 はい、すごく楽しみです。
    福西 特別に南極に持っていこうとしているものはありますか。
    鈴木 私は小さい頃書道をやっていた関係で、向こうでも何か字を書くこと、時間があったらそういう息抜きをしたいと思っていて、その用意はしています。けど、墨を洗うのにすごく水が必要で、南極での水はかなり貴重だという話を聞いているので、洗わなくてもいい筆、祝儀とかを書くときに使うような、ああいう筆を持って行こうと思っています。
    福西 筆ペンみたいな。
    鈴木 そうですね、それでやれたらいいかなというくらいで、本当に初めてなので、分からなくて、皆は楽器などを持っていくみたいですが。

    家族のこと

    福西 ご家族の方は南極に行くことに関してはどう思われていますか。
    鈴木 まあ、割りとすんなり、そうか、みたいな感じでした。笑
    福西 そんなに心配されていないんですね。
    鈴木 はい、私の両親は私のことをよく知っているので、大学院に行くといった時点から割と、自分の人生は自分で決めろみたいな感じでしたし、そういうことを言い出す性格であるということも分かっていたみたいで。私はどんなリアクションをするのかなと思ったんですけど、全然、ふーん、みたいな感じで。多分その後、南極観測隊のことを調べたりしたとは思うんですけど。
    福西 兄弟はいるんですか。
    鈴木 兄が一人いて、年子なんですけど、実は兄は大学の時に南極のビンソン・マシフという山に登頂しているんです。山岳部だったんですけど。登頂はできなかったみたいですが、エベレストにも行っていました。先に兄の方が南極に行っているんですよね。私は兄に似ているとは全然言われないですし、兄がアクティブだとも思っていなかったんですが。南極に行ったと聞いた時も、私はあまり興味もなくて、自分が南極に行くということも考えていなかったです。今は兄は京都で航空自衛隊をしています。
    福西 結果的にはご両親の二人の子供が南極に行くことになりますね。
    鈴木 そうですね。親に言われてそのことに気がつきました。そう言われてみれば、子供二人が南極に行くなんて。やっぱりウチの子は変わってるなあ、みたいな感じで思っていると思います。親も本当に普通の田舎の親なので...。

    帰国後の進路

    福西 南極から帰った後は、どういうことをやりたいと思っていますか。
    鈴木 それは、実は今一番考えていることです。大学の時は教育学部だったので、教員免許を取っていて、修士を卒業した時に専修免許を取っています。でも学部時代は教員という仕事にあまりこだわってはいなかったんです。最終的に修士の段階では、やはり先生というのはすごくいい仕事だなと思って、高校の先生か、中学の先生か、または高専とか、技術的なところに行くのもいいのかなとも思ったりしています。後は南極から帰って来たときに自分の気持ちがどうなっているのか、今は自分でもよく分からないですが、もっと何か他のことに興味を惹かれたりすることがあったら、そっちに進めればいいと思っています。
    福西 研究者になろうと思ったことはないのですか。
    鈴木 それも選択肢の一つにあるとは思うんですよね、私は修士の学位を取って、博士の学位を取っていないので、帰ってきてから、やっぱりもっとこんなことを知りたいとなれば博士の道もなくはないと思います。

    南極を目指す人たちへのメッセージ

    福西 最後に、自分の経験から、南極を目指す人たちへのメッセージをお願いします。
    鈴木 やはり人によって違うとは思いますけど、今は南極に限らずいろんな所に行きやすい時代になっていると思うんです。で、やっぱり面白いことってどこにあるか分からないし、南極観測隊のような集団生活は特別なことで、日本のどこでも出来るわけではないですしね。そうした経験をするということはすごく大切だと思ってます。観測隊の先輩方を見て、いろんな経験をしてらっしゃるから、こういう風に、本当に皆今楽しんで準備してるんだなと感じます。仕事が大変とか、そういう感じは全くないんです。何か楽しい人生を送るには、いろんな経験をして、いろんな人に出会ってというのがすごく大切だと思います。
    福西 今日はいろいろなお話をありがとうございました。南極での活躍を楽しみにしています。

    鈴木 裕子(すずき ゆうこ)プロフィール

    国立極地研究所宙空圏研究グループ特任助手。 東京学芸大学教育学部F類環境総合科学課程自然環境科学専攻卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻物理学コース修士課程修了。 高高度放電発光現象の研究や南極昭和基地や富士山山頂を中心とした大気電場の研究を行っていた。 南極観測隊へは初の参加。

    インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

    プロフィール

    公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。
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