シリーズ「極地からのメッセージ」 第8回

秘境探検から学んだこと

DACグループ代表 石川 和則

私は100億円企業の広告会社を経営し、「冒険家」とも言われている。60歳を過ぎてから歩いて北極点、南極点に到達した。2014年には北米最高峰デナリにも登頂した。自身の挑戦だけではなく、経営しているDACグループ創立50周年記念事業として世界七大陸最高峰を社員たちがリレー方式で挑戦する「セブンサミッツプロジェクト」を提案した。今年1月には、第6弾南極大陸最高峰マウント・ビンソンに社員2人が登頂に成功。残すところは、2018年4月に挑戦する世界最高峰エベレストのみだ。なぜDACグループ社員に冒険を勧めるのか――。

なぜ私は広告会社を経営しながら、冒険を目指したのか

普通なら、冒険とは縁のない人生を送ったはずの私が、経営のかたわら、世界の秘境に旅立つようになったのは、1995年のことだ。
最初に挑戦した秘境は、玄奘三藏の辿った中国タクラマカン砂漠を横断して幻の都「楼蘭」へ入城するもの。今でこそツアーで行けるが、当時は中国政府が立ち入りを禁止していた地区だった。

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1995年10月16日、民間人として初めて楼蘭入城。仏塔前にて。中央の黄色い服が私です。

冒険への一歩を踏み出すきっかけは、尊敬する先輩たちを立て続けに失ったことだった。
私の経営者人生は1977年、29歳で、多額の借金を抱えた広告会社の社長を引き受けたことから始まっている。どんな困難を前にしても決して諦めることなく、がむしゃらに前へとつき進んできた。ところが先輩たちの死で、胸にぽっかり穴が空いてしまったようだった。「これから何を目標にして生きていけば良いんだ。なんて人生は空しいんだ」
初めて知った黒い思いを呑み込もうとしても、穴がふさがらない。
読売新聞夕刊の小さな広告に目が留まったのは、そんな時だった。「タクラマカン砂漠民間横断隊 参加者募集 隊長・小倉真一(大地の会)」。私の心に忍び込んで離れなくなった。

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タクラマカン砂漠の案内はウイグル族。物資輸送はロバとラクダ

タクラマカン砂漠は、私に多くのことを教えてくれた。
沙漠ではトラブル続きだった。ある時は砂嵐でテントが吹き飛ばされ、ある時は水を積んだロバとはぐれ、死の危機に直面する場面もあった。それでも自分の足で一歩を踏み出さなければ、目標地点まで辿り着かない。
 冒険とは、恐怖を捨てたときに、はじまるもの
 勇気とは、己を捨てたときに、出てくるもの
 幸せとは、欲を捨てたときに、感じるもの
 生きるとは、希望を持っている間続くもの
私は恐怖に打ち克つ術を知ったのだ。

もう一つ学んだことがある。僻地にはテレビも新聞もない。タクラマカン砂漠を訪れた1995年は、海の向こうで生まれたインターネットが話題になり、情報が洪水のようにあふれ出す時代が、すぐそこまで来ていた。私は時代と逆行して情報のない世界に飛び込み、本当に大切な情報とは何かを知った。
人生で大切なことは、困難を乗り越え辿り着いた楼蘭が朝日を浴び、すべてを黄金色に写し出された時に感じる言葉にならない感動だ。楼蘭があるという知識ではない。

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楼蘭の三間房。役所跡とされる。1909年日本の僧侶・橘瑞超が『李柏文書』を発見した。

南極点到達からセブンサミッツプロジェクトへ
帰国後、私は経営のかたわら、世界の秘境に挑戦し続けた。
社員がリレー形式で世界七大陸最高峰を登頂する「セブンサミッツプロジェクト」を思いついたのは、2012年1月、63歳の時。英国のスコット隊が南極点到達した100周年記念式典に向けて南緯89度から歩いて南極点に向かう途上だった。

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徒歩で南極点を目指す

南極大陸に降りたってみれば、360度何もない。ただ白銀の大雪原。その上は見たこともない漆黒の青。ゴーグルが凍りつく。グズリの毛のフードがゴーグルの前で凍ってくる。
毎日ハア、ハア、ハア…と息を切らせながら、ひたすら歩いていく。それ以外はテントの中で過ごす。
テントでは、会社のこと、社員のこと、自分の人生を考える時間がふんだんにあった。DACセブンサミッツプロジェクトは、同じテントで過ごした大重信二くんとの会話の中から生まれたアイデアだ。
 ある日、大重くんから今回南極点に挑戦するために、勤めていた会社に辞表を出したと聞いた。一ヶ月間にわたる長期休暇を望むべくもなかったからだ。
しかし、辞表を見た会長の反応は意外だった。
「辞表は必要ない」と二ヶ月の休暇を許可したという。
「うちの役員は、その一言が言えるだろうか?」と考えた。どう考えても「NO」だった。
こんなはずじゃなかったと思い、これまでの経営人生を振り返った。
1977年10月1日、29歳の誕生日に多額の借金を抱えたデイリースポーツ案内広告社の3代目を引き受けたこと。社長になった途端に120名いた社員のうち104名が退職したこと。一時は解散を考えたが、生まれ変わった気持ちで16名の社員と再出発したこと。大家族主義を掲げ、DACグループとして再建を果たしたこと。
あれから35年、役員の中には、早くも1000億円企業を目指そうという者もいた。
しかしこれがゴールなのか?と自問した。
そうではない。俺は楽しい会社をつくりたいんだ。
 それは一人一人の社員が人生の大目標を見つけてチャレンジできる会社。仲間の挑戦を応援しあえるような会社だ。
真っ先に「社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論」が思い浮かんだ。パタゴニアでは勤務中に良い波が来たら、社員は自由にサーフィンに行って良いと書かれていた。「サーフィンしている間に、取引先から電話があると思うので、受けてほしい」と同僚に頼むと「いいよ。楽しんでおいで」と返ってくるという。こういう社風でありたいと思った。
 私は今こうして長年の夢だった南極点に挑戦している。社員にも世界に旅立つチャンスをつかんで欲しいと思った。セブンサミッツプロジェクトはこうして誕生した。

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南極点の標識ジオグラフィック・ポールにて。左より石川和則、松本愛明、舟津圭三、大重信二

石川和則(いしかわ かずのり)プロフィール

1948年千葉県我孫子市に生まれる。DACグループ代表取締役社長。日本外国特派員協会(外国人記者クラブ)会員。秘境探検家として、デナリ、エベレストBC、キリマンジャロ登頂、タクラマカン砂漠横断、北極点・南極点到達。世界七大陸最高峰を社員たちがリレー方式で挑戦する「セブンサミッツプロジェクト」を進めており、残すところは2018年4月に挑戦する世界最高峰エベレストのみとなった。

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