シリーズ「南極にチャレンジする女性たち」第4回

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南極で湖の生態系調査に挑む

第58次南極地域観測隊 越冬隊員 田邊 優貴子

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2015年に参加したスペイン隊のバイヤーズ半島キャンプ地にて

インタビューは昨年11月25日に、日本極地研究振興会の立川事務所で行いました。

インタビュアー:福西 浩

福西 南極に向けて出発する直前のお忙しい時期にインタビューのための時間を割いてくださりありがとうございます。田邊さんは若手女性研究者として大活躍されていますが、今日は、どうして研究者を目指したのか、どのような研究をやってこられたのか、南極に行って何を研究されようとしているのか、そういったことをいろいろとお伺いしたいと思っています。まず最初の質問ですが、子供の頃に一番興味あったものを教えてください。
田邊 子供の頃に一番興味があって、将来漠然とこういうことをしたいなと思っていたのは、空とか星が好きだったので天文学をやれたらいいなと思っていました。
福西 青森県出身とお伺いしましたが、育った所はどんな自然環境でしたか。
田邊 周りは田んぼと畑がば~っと広がっていて、すぐ近くに八甲田山がそびえ立っている環境で育ちました。
福西 私も冬にその辺に行ったことがあるんですが、雪が凄いですね。どれくらい積もるんですか。
田邊 家の周りだと、冬は1.5メートルから多い時だと2メートル以上は積もっていましたね。
福西 都会育ちの人には雪が寒くて嫌いだという人が結構多いんですが、雪は小さい時から好きでしたか。
田邊 そうですね、青森に住んでいる人はすごく分かれるんですよ。寒いのが嫌だ、もう嫌だっていう人とそうじゃなく寒いのが好きだって人と。私は後者の方で、雪が降ったら心躍るような状態になって、外に出て、、、冬は好きでしたね。
福西 小学校・中学校・高校までは地元ですか。
田邊 そうです、ずっと地元です。高校卒業まで。それから京都大学に進学しました。
福西 京都大学を選ばれたのはどういう理由だったんですか。
田邊 それは、大学を選ぶ時に、とにかく東京嫌いだったんですね、都会嫌いと言うか。それでまず東京という選択肢を潰して、でどこかのちょっと離れた所に、文化の違う所に行きたいなと思った時に、関西の文化って全然触れたことが無かったので、それで京都を選んだんです、、、
福西 大学ではどんな部活をやったのですか。
田邊 小学校からずっと陸上とスキーをやっていたので大学でも陸上部に入りました。
福西 大学に入った時点では、南極や北極に行ってみようとは思ってなかったんですね。
田邊 思っていなかったですね。ただ、小学校の時にテレビ番組で偶然見たアラスカとシベリアのドキュメンタリーがあって、それを見た時にもの凄く心がうわ~ってなって、あ~こんな所に行ってみたいなって気持ちはありましたね。
福西 研究者になろうとも思っていなかったんですね。
田邊 そうですね、その頃はまだ決めてなかったですね。
福西 そうすると、その北極や南極に行くきっかけみたいなものは何かあったんですか。
冬のアラスカ体験が研究者を目指すきっかけ
田邊 そうですね、大学ではバックパックで世界中を旅することに目覚めてしまい、大学4年になる時に1年間休学したんです。その時に、小さい頃に見たアラスカの映像がやっぱりふっと思い出されて。あ、憧れてたのに行ってないなと思って、冬のアラスカの中央にあるブルックス山脈に出かけました。
福西 氷河の方もいろいろと見たんですか。
田邊 そうですね、そこの麓のエスキモーの村にしばらく滞在して、氷河なども見て、極北の世界に取りつかれてしまったんです。
福西 アラスカの冬って相当気温が下がると思うんですが。
田邊 相当低かったですね。マイナス50度を下回る日もあったりして。
福西 それで大丈夫だったんですか、いきなり行って。
田邊 大丈夫でしたね。(笑)
福西 あ~やっぱり雪国の経験があるから強いですね。(笑)じゃあ当然冬だったのでオーロラも見ましたよね。
田邊 オーロラも見ました。昔から空を見るのが好きだったので、オーロラを見たいという気持ちも凄く強くかったですね。
福西 その時は、オーロラの研究で有名なアラスカ大学は訪問されたんですか。
田邊 いいえ、大学には全く行かずに、そのままエスキモーの村に滞在していました。
福西 それでアラスカから帰って来られてからこれからの進路についていろいろと考え始めたのですか。
田邊 そうです。大学では工学部だったので、やる事と言えば本当に実利的なことでした。研究室の実験室の中でずっと実験するような分野でした。でも復学してから、やっぱりなにか違うという違和感が、アラスカに行ったせいで出てきてしまって、あ~なんか自然を相手にした研究者になりたいなとその頃思い出し始めました。でもこういう工学的な研究でいいのかなともその頃考え始めました。
福西 それで、大学院に進学されたのですね。
田邊 そうですね、研究者になりたいという方向が段々固まってきて、じゃあ大学院行こうっていうので、とりあえず分野を大きく変えことはせずに、修士課程はそのまま京都大学の大学院に進学しました。
福西 でも博士課程は国立極地研究所が参画する総合研究大学院大学の極域科学専攻に進学されたわけですが、どうしてここを選ばれたのですか。
田邊 京都大学の大学院修士課程に入ってから、北極で、しかも生態系の研究をしたいなと思うようになったんです。そこでそういう研究ができる大学院はどこにあるのか調べたんですが、あっ国立極地研究所っていうのがあるんだと、初めて知ったんです。選択肢としては北大もあったんですが、極地研究所の先生に北極の研究をしたいと言ったら、北極は意外といろいろとやられているが南極は手付かずの事がたくさんあってまだまだ面白いよと言われたんです。あっ南極で研究ができるんだということを始めて知って、じゃあ極地研でやろうと決心しました。
福西 生態系の研究を選んだ理由は何ですか。
田邊 それはアラスカに行って見た自然です。京都大学の大学院入ってすぐにまたじっとしていられなくなり、夏と秋にアラスカに行ったんですね。それでツンドラの生態系や湖を見たんです。北極の急激な季節の変化に合わせて植物側もそこに凝縮して生きている、すごく命が詰まったような有様を見て、あっなんか生物がきらめいているなと思って、それで植物をメインにした生態系の研究をしたいなと思うようになったんです。
福西 私もオーロラの研究で昔からアラスカ大学の赤祖父先生といろいろと一緒にやってきましたが、赤祖父先生の話で印象に残っているのは、「極地」っていうとみんな寒い所だと、寒いだけだという印象を持つけれど、そうじゃなくて、「極地」とは寒さ暑さの差がものすごく大きい急激な環境の場所だという話です。今のお話はそういう事ですよね。
田邊 正に、そうですね。はい。
福西 それで、極地の生態系を研究すると決めて国立極地研究所の極域科学専攻に進学し、最初に極地に行ったのは南極ですか、北極ですか。
田邊 南極です。2007年の第49次南極観測隊でした。
初めての南極~湖の生態系を調査
福西 最初の南極行きはどういう印象でしたか。
田邊 調査地点に到着する着く前にヘリコプターで上空から南極大陸が見えた時に、あの地面の色が忘れられません。白の中にあの赤茶けた色がぱ~っと見えた時、「あ、本当に南極大陸ってあるんだ」と、地図じゃなくて自分の中で実感した瞬間です。それが一番心に残った瞬間です。
福西 それからどんな調査をしたんですか。
田邊 いろいろな露岩域を回って湖の調査をしました。湖の中に生息する藻やコケが、その環境、温度や光に対してどの様に適応して生きているのかを現場で測定したり、サンプルを採取したり、時には採取したものをちょっと現場で実験をしたり、そういうことをやりました。
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昭和基地の南に広がる露岩域”スカルブスネス”上空から。いくつもの湖が点在している。

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スカルブスネスのなまず池。南極のほとんどの淡水湖は極めて透明な水をたたえている。

福西 その後かなり頻繁に南極に行かれていますが、それはどうしてなんですか。
田邊 そうですね、帰ってきて採取した試料を分析して論文を書いたりしているその作業の中で、「あっ、これどうなっているんだろう」という疑問がどんどん出てくるんです。また、「こういう研究をやってみたいな」というテーマがどんどんこう広がってくるんです。そうすると再び南極に行って、現場で測定したりサンプルを採らないといけないということになります。
福西 湖の中を潜水して調査したのはいつですか。またどうして潜水調査をやろうと思ったのですか。
田邊 それは2009年の第51次南極観測隊です。最初に行った2年後です。49次隊の時も潜りたかったんですが、潜水調査の許可を取るのが大変で。それでも次に南極に行った時は絶対に潜ろうと決めていて、51次隊に行く前から根回しし、準備しました。
福西 許可と取るというのが大変だったということですが、南極の場合、環境保護に関する南極条約議定書が締結されていて、全ての調査に対して環境大臣に確認申請書を提出し、確認を受けることが義務づけられていることですか。
田邊 そうです。それ以外も極地研究所内でも許可をもらうのが大変でした。49次隊の時はまだ博士課程の院生だったので、院生がそういうちょっと危険なことをやっていいのかっていうので、NOが出てしましました。
福西 実際に安全に潜る技術ですね、それはどこで学んだんですか。
田邊 それは本栖湖だったり、それから伊豆の方でも訓練をしました。
福西 私は、最初に南極の海で潜水調査をした極地研究所の渡邉研太郎さんと同じ隊で南極行ったことがあるんですが、南極の海に潜るのはかなり温度が低いんですぐ氷が詰まり危険だと教えてくれました。その辺のことは先輩からいろいろと話を聞かれたのですか。
田邊 そうですね、先輩にいろいろと聞くだけではなく、氷の下での潜水調査はアメリカの方が進んでいて、極地で潜るダイビング専門の本があり、南極で潜るためのガイドラインを作っているので、それを勉強して、「あ、こういう安全対策すればいいんだ」とわかってきました。
湖底のコケボウズ発見に感動
福西 それで、「コケボウズ」を初めて見たのは51次隊の時ですよね。
田邊 はい。その時、まだ誰も潜ったことがない長池というスカルブスネス露岩地域にある池に潜ってコケボウズを発見しました。
福西 じゃあ長池で初めて「コケボウズ」を発見したのは田邊さんですか。その時の印象はどうでしたか。
田邊 最初は自分一人で潜り、湖底の様子を知らせることになり、「じゃあ先に潜ってみるね」って言って段々と潜って行きました。下がまあ緑色なのは分かっているんですけれど、近づいたら段々と立体に見えてきたんです。湖底から80cmくらいのタケノコのような構造物があって、もうあの異世界に、おとぎ話の国にでも迷い込んだ様な気分になってしまいました。水中で「うわー!なんだこれは!」って叫んで、湖面に上がってからは「すごい!すごい!」しか言えなかったですね。
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スカルブスネスの長池の湖底にはタケノコ型をした植物群落が一面に茂っている。

福西 他の湖にも「コケボウズ」のような植物群落はあるんですか。
田邊 いくつか他にもあり、初めて発見されたのは仏池という名の湖です。ただ湖によって、その構成している生物種にも、組成にも違いがあり、群落の形も湖によって全然違っていることが分かってきました。もちろんそういう生物種がいない湖もありますね。
福西 日本の南極昭和基地周辺以外は、外国隊ではどこに行かれたんですか。
田邊 3回行ったんですけど、一つがスペイン隊で、南極半島のリビングストン島という島です。そこにスペイン基地があるんですが、基地から離れたバイヤーズ半島というASPA(南極特別保護地区)に指定されている地区がキャンプ地になっていて、そこに行きました。
福西 昭和基地の近くの湖と南極半島の湖では何か違いがあるんですか。
田邊 全く違っています。昭和基地付近は湖底一面が緑の不思議な湖で、しかも藻とかコケとかのバクテリアの世界で、彼らを食べる捕食者がいないんですね。でも南極半島に行くと植物を食べる捕食者がいます。ホウネンエビというちょっと大きな動物プランクトンとか、他の小さな動物プランクトンとか、ユスリカの幼虫もいて、捕食者で出てくると、植物帝国が終わってしまってもう荒れ果てた雰囲気の湖底なんですね。砂地にコケが少しだけ生えている位で、そこをホウネンエビが泳いでいる。
福西 じゃあ眺めて美しいのはやはり昭和基地の方ですか。
田邊 そうですね。はい。
福西 その一番違いは何ですか。気温ですか。
田邊 一番の違いは、南米から近いので鳥などの動物がやってくる機会が凄く多く、より多くの生物が移入してきやすくなっていることです。もちろん年間の気温が違うことも影響していると思います。
福西 そういう意味では昭和基地周辺の露岩地域は非常に貴重な場所ですね。
田邊 貴重な場所ですね。コケボウズの様な構造物が湖底にあるのは昭和基地の近くでしかまだ発見されてません。南極の他のエリアの湖の研究者にも聞いてみるんですが、「いや、潜ったりカメラ入れてみてもあんなのは無い」って言うんです。
越冬隊に参加して通年調査に挑む
福西 湖に潜るのは夏期の方が適しているので、夏隊での調査の方がやりやすいと思うんですが、今回、あえて越冬隊に参加して調査するのは、どういう理由なんですか。
田邊 今までは夏期にサンプルを採ったり測定してきたのは、湖の植物群落は夏に元気であろうと思って始めたんです。でも測定してみると夏にダメージを受けたりストレスを受けている状態だと分かってきたんです。湖底のコケボウズではなく、水中の植物プランクトン量を1年間の観測器を水中に設置して測定してみると、夏にぐーんと減って春と秋の時期に成長してるんですね。南極の強い光と透明な水のせいで光が水中に透過してくるので、その光と紫外線でどうも夏に水中の植物がダメージを受けているみたいなので、成長が始まる春の時期、それからまた光が弱まる秋の時期を調べてみたいなというのが越冬隊に参加した理由です。
福西 本当の生態を調べるにはやはり1年通して観察しないと分からないということですね。
田邊 そうですね。冬は冬で、光を使って生きる光合成生物じゃなく、今度は暗い所が好きなバクテリアの季節になるんじゃないかと思っていて、冬の時期もどう変化するのか調べるのが楽しみです。
福西 でも冬の調査ってかなり厳しいと思うんですが。
田邊 今のところ厳冬期の6、7月はほとんど野外活動はできないと思っていますが、5月まで、それから8月に入ったらもう湖に行って、氷に穴を開けてサンプルを採って測定しようと思っていますね。
福西 調査のやり方を教えてください。
田邊 主な調査地点は長池で、そこは昭和基地から大体60キロ離れています。雪上車で移動しますが、海氷上を安全に走行するためにルート工作もします。雪上車で数名で行って、泊りがけで調査します。8月からかなり頻繁に行こうと思っていますが、近場の西オングル島の大池やその周辺にはもっと頻繁に行こうと思っています。
福西 2016年12月~2017年2月の夏期調査はどのように実施されるのですか。
田邊 今回は南極観測船「しらせ」が12月20日頃に昭和基地近くに到着するので、そこからヘリコプターで直接野外調査地点に行きます。4人のチームで2月10日頃まで2カ月弱キャンプしながら調査します。
北極での調査活動にも参加
福西 北極にも何回か行かれたそうですが、どこに行かれたんですか。
田邊 北極は、ノルウェー領のスヴァールバル諸島とカナダの北極地方です。
福西 どのような調査をされたのですか。
田邊 カナダの方は湖の調査で、スヴァールバルは陸上植物の調査です。
福西 北極と南極の両方を調べられていますが、どういう風に違っているんですか。
田邊 そうですね、まず北極の方には花の咲く植物が生息していること、植生が多いこと、動物の種類も南極よりずっと多いのでそれが湖の中に入ってくること、そうした違いから湖の物質循環が全然違います。また北極の湖には魚が住んでいるのが南極と違うことです(笑)。
福西 北極地域はいろいろな国の領土になっているので、いろいろな国の研究者と一緒に仕事をやるのですか。
田邊 そうです。カナダの北極域ではカナダ人たちと一緒に仕事をしています。ノルウェーの方は極地研究所のニーオルスン基地があるので、極地研の方に許可を申請して、ノルウェーの方々などと一緒にやっています。
福西 どういう所が研究の焦点になっているんですか。
田邊 北極の研究に関しては地球温暖化が焦点になっていますね。生物分野だったら、温暖化によってどういう影響が生態系に起こるかということを調べています。他の分野の人たちも、雪氷関係だったら氷の量の変化や、気候関係だったら温暖化による気候変動や異常気象を調べています。
福西 南極だけでも大変なのに、北極も南極も両方取り組もうとしている理由は何ですか。
田邊 私の中に南極と北極の湖を比較してみたいという想いがあって、凄く似てる部分もあるけれども違いもあって、じゃあその違いは何によってもたらされているのだろうか、そういう所を知りたいというのが一番です。
福西 自分自身としてはだんだん分かってきた感じはありますか。
田邊 まだ分かってないことが圧倒的に多いのですが、でも南極の方は私の中では前よりもだいぶ理解してきているなという感じはあります。
南極で生命の起源を探る
福西 南極の場合は非常に孤立した生態系ですよね。そこでどの様に生物が生きて行くかは非常に興味深いテーマだと思うんですが、その辺でなにか最近分かってきたことはあるんですか。
田邊 外国隊に参加して南極に行った時の発見ですが。ロシアのノボラザレフスカヤ基地からさらに内陸の山岳地帯に入った所にあるアンターセー湖に5か国とか6か国のチームで行きました。そこは南極大陸の内陸部にあるので夏でもずーっと分厚い氷が張っていて、これまで外界と接したことのない湖なんですよ。その湖をアメリカ人の研究者と一緒に潜ってみたら、南極半島の湖にも昭和基地周辺の湖にもない様な生態系がありました。湖底が一面紫色でボコボコしているんですね。
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ノボラザレフスカヤ基地から約150km内陸の山岳地帯に位置するアンターセー湖の湖岸にキャンプをしながら調査する。真夏でも湖氷の厚さは4mで、一年中氷に閉ざされている。

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アンターセー湖の湖氷に穴をあけてダイビング。

福西 それは一体何だったんですか。
田邊 調べてみると、シアノバクテリアという生物で作られていることが分かったんです。シアノバクテリアとは地球の歴史の中で30億年前くらいに初めて光合成を編み出した生物で、それによって今までは無かった酸素がどんどん作られて地球に酸素が増えていったんです。それとともにオゾン層ができて、地上に紫外線が降り注がなくなり、陸に生物が進出できたんです。酸素で呼吸する生物が生まれ、そういう生物が急激に進化する立役者になったのがシアノバクテリアなんです。
福西 太古の地球環境が南極に残されているということですか。
田邊 そうですね、内陸のアンターセー湖に未だにシアノバクテリア帝国が広がっていたのには驚きました。30億年前位の原始の地球の海の中の生態系と同じような状態で止まっていたのです。昭和基地周辺の露岩地域は沿岸に近いので、もうちょっと生物が多様になっていて、氷河期が終わり暖かくなっていくと捕食者が出てきて、30億年前から今の生態系にタイムスリップした状態になっています。アンターセー湖のように本当に孤立した場所では、全く違った観点から進化の研究や生態系の発達機構の研究ができます。
福西 木星の氷惑星の内部にも氷と水と熱源があり、生命が誕生した可能性が話題になっていますが、南極の内陸部の湖の研究から生命の起源に迫ることができるのは大変興味深いですね。
田邊 そうです。それが正に湖の研究テーマです。内陸のああいう孤立した所で、氷の下にちょっとでも水があれば生物が定着してはびこっているので、木星でも火星でも、少しでも水や氷があれば生物が誕生したのではないかと想像しています。
研究で大事なこと
福西 私も研究者として南極観測隊に4回参加したのですが、南極の素晴らしいのはやはり他に無い特異な環境があって、そこでしか出来ない研究があることですね。今までいろいろな研究をやってこられた田邊さんに伺いしたいんですが、研究者にとって何が一番必要と思われますか。
田邊 やはり探求心の強さが一番重要じゃないかなと思いますね。でそれにプラス極地の研究となると体力と忍耐力みたいなものも付いてくるんですけれど、まず探求心が無いとモチベーションが保てないし、ゴールへ向かう気持ちも小さくなるので。
福西 世間では研究には情報が大事で、南極なんかに行くと情報があまり無いから研究条件はあまりよくないという人もいますが、そういう意見に関してはどうですか。
田邊 そうですね情報はもちろん大事なんですけれど、情報を入れるだけだとオリジナルの強い物って作れないので、やっぱり情報を入れつつも、それよりやはり自分で見てちゃんと得た物、そこから新しいものを見つけ出すということの方が絶対に重要だと思いますね。
福西 私は3回越冬した経験からなんですが、越冬生活では自分の研究以外の生活で他の隊員の手助けをしたり、日本でできなかった雪上車の運転などをしたり、いろいろとやりますよね。結構そういうことが長い目で見ると研究に生かされてきます。要するに自分の研究の効率だけ追うやり方が実際は独創的な研究にはあまり良くなく、研究とは直接関係ないことをやった方がブレークスルーになるヒントが得られるというケースが結構あるように感じるんです。そういう意味で越冬は楽しみにされていませんか。
田邊 そうですね。その辺も凄く楽しみですね。今も出発前に様々な講習受けたり(笑)。あと理髪係なんで、資生堂の学校に行ってみんなで髪を切る講習受けたり、そういうのをやっていると、あ~なんか本当にある意味で何でもこなして出来る様にならないといけないって。でもそれが凄く面白いなと思ってます。
福西 日本での生活では職場と自分の生活を切り離すことができますが、越冬隊の閉鎖社会ではそれが出来ません。当然ぶつかることも起こります。でも互いに助け合う中で信頼感が高まり、越冬が終わる頃にはすごい楽しい仲間になっています。1年間という長い集団生活に関してはどう思われていますか。
田邊 濃い時間を過ごせるんじゃないかという楽しみな反面、人間関係が変になったりして、なんかちょっと上手くできなったらどうしようっていう不安ももちろんあります。はい。
福西 南極に行くと太古の、本当の自然が残っており、それが私たちに迫ってきます。私はオーロラの研究をしており、この自然現象にとても興味があります。田邊さんは自然の中の生命現象の研究をされていますが、自然と生命の関係をどう考えていらっしゃいますか。
田邊 私の中では自然と生命は切り離せない状態でありますね。自然の中に生命が入ってますね。遥か遠く、遥か向こうに絶対交わることの無い自然があって、ただその自然の中にも生命が含まれている。でもその生命に人間は入っていないっていう感覚です。全く人間と関係ない所にある生命っていうのが、人間にとっては凄く役立つ物でも何でもないと思うけれども、そういうものがある、その太古のと言うか、原始のちゃんとした地球の姿・自然の姿があるっていうことを人間が理解しているだけで、心も豊かになるし、もちろん環境を考えたり、地球を考えたりする時にそのことを知っているだけで全然違うんじゃないかなと思うんですね。
福西 それでは最後に、これから南極に行ってみたいと思っている人たちへのメッセージをお願いします。
田邊 行きたいと思ったら、私はどんどん行ってほしいと思っています。迷っていて、どうしようかなということもあると思うんですが、本当に何かを整理して南極に行けるんだったら、ぜひ行ってほしいですね。南極に行ったら宇宙飛行士と同じように、いろいろな価値観が変わり、見方が変わったりしますし、狭いコミュニティで人と人との付き合いが密になるので、南極はみんなが成長できる場所じゃないかと思っています。それで本当にいろいろな人に南極を目指してほしいと思ってますね。
福西 田邊さんはいろいろな本を書かれたり、講演をされていますが、それは南極を目指してもらいたいという気持ちからですか。
田邊 そうですね、まあ。でも南極に限ぎったことではありません。特に子供、小中高校生に向けて思っているのは、分かったつもりになって知識だけでいるんではなくて、自分で感じたり、目で見たり、触ってみて得られる物、そこで感じた気持ちを第一にしてほしいという願いです。そういうものを訴えたくて書いていますね。研究者になりたいと思うのであればそこを大事にして、極地じゃなくても、自分の探求心のままに生きて行ってほしいし、そういう人が現れてほしいと願っています。
福西 本日はインタビューのために出発前のお忙しい時間を割いてくださりありがとうございました。田邊さんの南極でのご活躍を楽しみにしています。

田邊 優貴子(たなべ ゆきこ)プロフィール

1978年青森市生まれ。生態学・陸水学者で国立極地研究所 助教。北極・南極に生きる植物と湖を対象に生態学的研究をおこなっている。これまで南極に6回、北極に6回野外調査に赴いた。2016年11月から第58次日本南極観測隊の越冬隊として出発。2014年文部科学大臣表彰 若手科学者賞受賞。 著書に『すてきな 地球の果て』(ポプラ社)、『北極と南極 -生まれたての地球に息づく生命たち-』(文一総合出版)。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。
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