シリーズ「日本の南極地域観測事業を支える企業たち」第1回

ミサワホーム株式会社~昭和基地で建物をつくる~

第59次南極地域観測隊員インタビュー

夏隊員 坂下 大輔、後閑 洋希
越冬隊員 佐藤 啓之

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南極・昭和基地の中心部(第57次南極観測隊・梅津正道隊員提供)

ミサワホームは第10次南極観測隊用の第10居住棟を1968年に直接受注して以来今日に至るまで、南極の厳しい自然環境に耐える木質接着複合パネルの建物を提供し続けてきました。その実績は累計 36 棟、延床面積約 5,900 ㎡にもなります。これらの建物を昭和基地に建設、メンテナンスするために毎年社員を南極観測隊に派遣しています。第59次隊では3人の社員が参加します。そこで南極に向けて出発する直前に南極に駆ける思いを伺いました。

インタビューは平成29年10月19日に国立極地研究所南極観測センターで行いました。

インタビュアー:福西 浩

福西 今日は南極に出かける前のお忙しい時にインタビューのために時間を割いてくださりありがとうございます。後閑さんと佐藤さんは今回が初めての南極行きですが、坂下さんは51次と52次の夏隊、55次越冬隊に参加し、今回は4度目の南極行きですね。では最初に、これまでどのような仕事をされてこられたのかをお伺いします。坂下さんからお願いします。
坂下 高校を出で、地元の金沢で、北陸建築技能訓練校という大工さんを育てる養成学校に進学しました。その学校は北陸ミサワホームが母体となって運営管理している学校で、そこで2年間、大工になるための勉強をし、二十歳位から12年間くらい、主にミサワホーム専属の新築工事をやっていました。31か32歳の時に昭和基地に自然エネルギー棟を建設するという話がありまして、51次と52次の夏隊員として建設を担当し、55次は越冬隊員として建物の仕上げの仕事を担当しました。また南極観測隊の経験を生かして、小・中学校で子供たちに南極の魅力を伝えるミサワホーム「南極クラス」の活動もやっています。
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坂下大輔隊員

福西 では佐藤さんはいかがでしょうか。
佐藤 私も、平成2年にミサワホーム北海道の系列会社で新築を主にやる会社に就職しまして、そこでミサワの木質パネル接着工法の組立を職方さんではなく社員だけでやるというグループを作ることになり、そこに応募し、その仕事を5年位やりました。その後、建物の中の造作をする職員大工を4年やりました。それから工事主任として工事現場を取りまとめる仕事をやらないかという話があって、また社員に戻りましてその仕事をしました。この仕事をそのまま続けていくものだと思っていたんですが、今回はミサワホーム北海道から南極観測隊に社員を派遣したいという話がありまして、年齢的に遅いと思ったんですが、手を挙げさせてもらった所、隊員に推薦していただきました。
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佐藤啓之隊員

福西 では後閑さんお願いします。
後閑 私は、ミサワホームに入る前は鉄骨の設計をやっていまして、そのあと、ゼネコンで現場管理やって、それからミサワホームに入社しました。最初は営業として働いたんですが、元々現場をやっていたんで、現場管理者という形で働くことになりました。その時に、坂下さんから話があった自然エネルギー棟の仮組を極地研でやる機会があり、その仮組を少しお手伝いさせて頂いたのがきっかけで、南極の仕事に興味を持ち今回の59次隊に参加しないかという話になったんです。
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後閑洋希隊員

福西 南極観測隊に参加する経緯をお話しくださりありがとうございます。坂下さんが何度も南極観測隊を経験されているのでお伺いしますが、会社では観測隊員になりたい人をまず募集するのですか。
坂下 私が最初に南極に行った時は全国のディーラーに募集するという形はとっていなかったですね。募集という形にしたのは確か53次隊からだと思います。
福西 後閑さんは今回初めて南極観測隊に参加するわけですが、かなり前から行きたいとは思っていたのですか。
後閑 行きたいと思っていました。自然エネルギー棟の仮組を手伝った時から興味を持ち何回か応募はしましたが実際に行けるかどうかは全く分かりませんでした。
福西 佐藤さんは越冬隊ですので1年半も観測隊の仲間と付き合うことになりますが、南極でどんなことをやってみたいと思っていますか。
佐藤 そうですね、ここ立川市にある国立極地研究所の南極観測センターに来て7月から準備しているんですが、ものすごく新鮮で刺激のある3、4か月でした。これから南極に出発したら今まで以上に未知の世界に入って行き、体験したことのないことが体験できるので本当に楽しみにしています。実際、諸先輩方から資料や映像を見せてもらい体験談を聞かせてもらうと、皆さん共通して、「チームで動いてチームで達成するという、チームワークと達成感がかけがえのないものだ」と言われます。それを経験できるのがありがたく、たくさんの方と触れ合うのは楽しみです。不安も少しありますが。
福西 後閑さんはどうですか。
後閑 越冬隊ではなく夏隊なので、いろいろなことをする時間的余裕がありません。まず自分のミッションをちゃんと完成させることに専念したいと思います。南極で大きな建物を建てるにはみんなとコミュニケーション取らないと仕事が出来ないと思うので、そこだけはしっかりやっていきたいと思っています。

先遣隊として昭和基地まで航空機で

福西 今回は建設期間を十分にとるために昭和基地まで「しらせ」でなく、先遣隊として航空機で行くことになりましたが、どういうルートで行くか説明していただけますか。
佐藤 予定では10月28日に成田空港を出発してシンガポール経由で南アフリカのケープタウンまで航空機で行きます。ケープタウンに到着後、日本も参加しているDROMLAN(ドローイングモードランド航空ネットワーク)の航空機でトロール基地(ノルウェー)、ノボラザレフスカヤ基地(ロシア)を経由して、昭和基地まで行きます。日本を出てから数日後に昭和基地に到着し、すぐに仕事をスタートさせます。
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昭和基地滑走路に到着した先遣隊(2017年11月3日、昭和基地NOW!!より)

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左から58次越冬隊の岡本隊員と59次先遣隊の後閑隊員、佐藤隊員、坂下隊員(2017年11月)

福西 ノボラザレフスカヤ基地から昭和基地までの飛行機はかなり小さい飛行機ですね。後閑さんは飛行機で行くことに不安はありますか。
後閑 ありますね。飛行機が小さいこともありますが、着陸する場所も海氷上の滑走路なので。
福西 先遣隊の荷物の重量はかなり制限されているんですね。
坂下 そうですね。スーツケース22キロと手持ちの7キロの合計1人29キロです。
福西 残りの個人の荷物は「しらせ」に積んだんですね。佐藤さんは越冬隊なので荷物もかなりありますか。
佐藤 今「しらせ」で運ぶ越冬用コンテナに詰めたところですが、びっくりするくらい少ないんです。先遣隊が到着してから2か月近く荷物届かないので、その分は先に1人1箱ずつ送らせてもらっていますが。

基本観測棟の竣工を目指す

福西 それでは具体的に南極の夏期間にどのような作業をされるのか紹介してください。
坂下 例年はミサワホームからは南極観測隊に参加する社員は1人なんですが、52次隊で自然エネルギー棟を建設した時は自分を含めて3人参加しました。今回も3人が参加することになったのは、56次隊の基礎の鉄鋼組から始まった基本観測棟を何としても59次隊で竣工させるためです。
福西 基本観測棟は今までにない大きな2階建ての建物ですね。建物完成後に観測関係のかなりの設備・装置がそこに移転すると聞いていますが、56次に始まった基礎工事から竣工まで4年もかかるのは建物が大きいためですか。
坂下 基本観測棟の延床面積は416平米で、日本国内であれば1、2か月で建てられます。でも日本から1万5千キロも離れた南極・昭和基地に建物を建てるためには南極観測船「しらせ」で昭和基地まで輸送しなければなりません。昭和基地に接岸した「しらせ」からクレーンで建設資材を氷上のそりの上に降し、雪上車で昭和基地まで運ぶ必要があります。輸送が作業工程の半分以上を占めているんです。それを考えるとやはり3、4年はかかるでしょうね。自然エネルギー棟の建設では「しらせ」が昭和基地に接岸できない年もあって結局5年もかかりました。
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建設途中の基本観測棟(2017年2月、昭和基地NOW!!より)

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第59次南極観測隊で竣工を目指す基本観測棟の全景(先遣隊が2017年11月に撮影)

福西 去年は「しらせ」が昭和基地に接岸したので、建設資材はすでに全部昭和基地に搬入されているんですね。
坂下 そうです。
福西 先遣隊で昭和基地に到着してから「しらせ」が到着するまで2か月近くありますが、この期間にどのような仕事をされるのですか。
坂下 本隊が到着してスムーズに作業が開始できるように、天候なども考慮していろいろな準備作業をします。例えば、基本観測棟の建設資材が建設現場からかなり離れた場所に置かれていますので、それを現場まで運ぶ作業があります。また棟の周りに足場を組んで、本隊到着後すぐに高所作業ができるようにする準備作業もあります。
福西 現在昭和基地に滞在している58次越冬隊にはどのような協力を期待していますか。
坂下 58次隊の皆さんには越冬隊の仕事を優先していただきたいと思っています。ミサワホームからも1人58次隊に参加していますが、もし彼の方から「ちょっと手伝うよ」と言ってもらえたら力を借りることもあると思っていますが、基本的には今回のミサワホーム3人とクレーン・オペレーションを担当する鯉田隊員(コイダ工房)の4人で準備作業を進めます。

昭和基地での建設作業

福西 「しらせ」が昭和基地に到着すると本格的な建設作業が始まりますが、建設作業で日本での建設と大きく異なることがありますか。
坂下 416平米の基本観測棟を日本で建てる場合はプロの建築屋を集めて建てるんです。でも昭和基地ではミサワホームの3人とクレーンオペレーターの鯉田隊員、現場監督の近藤隊員(飛島建設)以外の隊員はプロではないので、作業を手伝う観測隊員やしらせ乗組員に絶対怪我をさせないという意識をはっきり持つことが最も大切なことだと思っています。
福西 具体的に、プロではない隊員にどういうふうにしてお手伝いしてもらうのですか。
坂下 例えば、私が自然エネルギー棟を作った時にサポートしてくれた隊員の中に女医さんもいたんですが、その人は高い所がダメなんですよ。足場に立つと腰がひけて立てなくなる様な人だったんですけど、そんな彼女が自分たちが作り上げていった所を後追いで整理整頓してくれました。
福西 女性もお手伝いするんですか。
坂下 はい。あとは別の隊でしたが、ちょっと手先が器用な、、、その人もドクターでしたね。ヘリコプターの整備なども手伝い、モノ作りが好きだったんでしょうね、率先して手伝いをしてくれました。そういった人たちは理解も早いし、一緒に作業して、材料の段取りを担当してもらいました。役割分担をきちんと考えればいろいろと頼める仕事が出てきます。
福西 佐藤さんは越冬中にどういう仕事をされるのですか。
佐藤 基本観測棟の外部が完成した状態までにはなると思いますので、内部の造作の仕上げ作業をやります。内壁を作ったり、断熱材を入れたり、床の仕上げ材を張ったりする作業です。人手が1人じゃ大変という作業も多いので、誰かにサポートをお願いしながら仕事をしていこうと思っています。建物内部の作業なので天候にはさほど左右されないですね。
福西 建物を使いだすのはいつごろになりそうですか。
佐藤 それはもうちょっと先になりますね。観測系の建物なので、実際に使うことになると観測器を全部移さないといけないので。たくさんの観測器を移す作業は越冬中は無理なので、越冬明けの夏期に、十分時間をかけて実施することになっています。
福西 越冬中は基本観測棟の暖房機は動かすのですか。
佐藤 いえいえ、建物内は暖房なしです。
福西 寒いのは大丈夫ですか。
佐藤 北海道の冬のマイナス20℃前後でも、内部作業も外部作業もしますので、それに近いといったら変ですが、まあ本州勢の方と比べたら寒さには多少慣れています。今でも半そでですけど(笑)。

子供の頃の思い出

福西 今回は南極観測隊員に選ばれて昭和基地に行くことになりましたが、南極につながる子供時代の思い出みたいなものを聞かせてください。後閑さんは子供時代に南極に行って見たいと思ったことがありますか。
後閑 子供の時、「南極物語」を観ました。あれは印象的でしたね。ただその時に南極に行きたいと思ったかどうかは覚えていません。あとは、小学校の時に南極観測のことが教科書に載っていたくらいですね。まさか自分が行けるとは思わなかったですね。
福西 でも、今度は南極に行って自分が作った建物が南極に残るわけですよね。いいものを作りたいという思いはありますか。
後閑 ありますね。やるからにはいいものを作って残したいですね。
福西 佐藤さんの子供時代はどうですか。
佐藤 南極は映画で観たぐらいですね。後閑さんがいいものを作って残したいと言ったことに関係するんですが、自分は北海道厚岸町の出身なんです。小学校1年の時に厚岸の湾に橋が架かったんです。それまでフェリーで行き来していた所に何年もかけて湾に橋を架け、歩いて行けるようになったんです。車では一瞬で行ける様になったんですね。凄い衝撃でした。その橋ができて便利になったのをみんなが喜ぶ姿が今でも強く印象に残っています。今考えると、なにかものを作る仕事に携わりたいと思ったのはその時からだという気がします。
福西 坂下さんは何回も南極に行かれていますが、子供の頃に南極につながることはありましたか。何回も行いくということは南極に向いている人ということですよね。
坂下 残念ながら南極につながる子供の頃の思い出はありません(笑)。でも自分が南極に向いているかどうかは分かりませんが、過去3回参加した南極観測隊で、仕事を終えて、さあ日本へ帰ろうという日を迎えると、その時がすごく充実していたんです。あ~俺こんだけやったなっていう、よ~し帰ろうっていう、その気持ちが、じゃあまた来ようという、そういう気持ちになるんですね。その感情は日本では味わえないです。
福西 2回目、3回目と南極に行かれる方はよくそう言われますよね。
坂下 不思議な所です。本当につらいですよ(笑)。仕事は辛いですよ。特に、今回の昭和基地の夏期間は馬車馬みたいに働いて終わりですよ。それで「しらせ」が昭和基地を離れる日が来たら、帰れみたいな感じですから。ただ、また行きたくなると思うんですよね。不思議なことに。

南極クラスでチームワークの大切さを語る

福西 ミサワホームは南極観測隊に参加された社員が講師となり、小・中学校で「南極クラス」を開催されていますが、坂下さんはその活動に参加されているんですか。
坂下 はい、やっています。南極クラスは東日本大震災の後、2011年に東北から始まりました。51次隊では自分が夏隊に、秋元さんが越冬隊に参加したんですが、2人が講師になり南極クラスを始めました。
福西 南極クラスではどのような話をされるのですか。
坂下 はい、やっています。南極クラスは東日本大震災の後、2011年に東北から始まりました。51次隊では自分が夏隊に、秋元さんが越冬隊に参加したんですが、2人が講師になり南極クラスを始めました。
福西 南極観測隊の仲間の大切さへの思いは本当にそうですね。私も南極観測隊に4度参加しましたのでよく分かります。先週、松本で私が越冬隊長を務めた26次隊の同窓会があり、南極での思い出を語り合いましたが、何十年経ってもその時の体験を語り合える仲間がいることは素晴らしいことです。南極観測隊は、はっきりとした目標をもち、少人数ですごく大きな仕事をやり遂げる組織ですね。一人で何人分も働き、本当に大変ですが、逆にそれだけ大変な仕事を一緒にやり遂げたということで一生の友だちになれるのだと思います。
坂下 はい。私もそのことをいつも感じています。

59次隊の仲間たち

福西 坂下さんは4回南極観測隊に参加されましたが、隊によるカラーの違いはありますか。58次隊は女性隊員が多かったんですが、59次隊は少ないですね。今回はどんなカラーですか。
坂下 今回は観測隊の冬期訓練にも参加せず、極地研究所の隊員室に来たのも先月なんです。それで正直まだあまり分かってないですが、イメージなんですけど、大きい男の方が多いですよね。割と坊主頭の方も多くて、凄くまとまっている感じがします。
佐藤 そうかもしれませんね(笑)。
坂下 来週、僕たち二人も丸めてきます。はい(笑)。南極に行くと生活面で水が凄く大切になるんで。丸めると頭を洗う水が減らせるんで丸めてきます。
福西 強制ではないですよね(笑)。
坂下 強制ではないです(笑)。
福西 佐藤さんは越冬隊ですのでプライベートで何か持って行かれますか。趣味はトライアスロンと聞いていますが。
佐藤 悲しい位なにも準備してなく、、、。まあ昭和基地では自転車とランくらいはできるかも知れないですね。会社員 自転車で南極点に行くって本もありましたしね(笑)。
福西 越冬中に一番見てみたいっていうものは何ですか。
佐藤 オーロラは映像で見るのと実際に見るのでは全然違っていると皆さんおっしゃるので、本物を絶対見たいですね。それはすごく楽しみで、映像に残したいですね。
福西 去年の57次隊は昭和基地からの帰りに「しらせ」船上でオーロラを見たんです。今年もそういうチャンスが帰りにあるかも知れませんね。
後閑 それはないですね。帰りも昭和基地からは飛行機なので。
福西 そうなんですか。
坂下 行も帰りも飛行機(笑)。だから南極で夜を経験しないんですよ(笑)。可哀そうなんですよ。オーロラも奇麗な星空も後閑さんは見ることができない。
福西 じゃあ後閑さんは次回は越冬隊で応募してください(笑)。
本日はいろいろなお話をお聞かせくださりありがとうございます。ミサワホームチームの南極での活躍を楽しみにしています。

佐藤 啓之(さとう ひろゆき) プロフィール

1990年2月、札幌ミサワ建設株式会社に入社し、大工職として住宅の施工に従事。2017年4月からミサワホーム北海道株式会社の建設部にて、施工課長として勤務。

後閑 洋希(ごかん ひろき)プロフィール

2001年3月、栃木ミサワホーム株式会社に入社。住宅営業を経て、2003年から同社の建設部 にて、現場管理者として住宅の施工に従事。

坂下 大輔(さかした だいすけ)プロフィール

1995年に北陸ミサワホーム株式会社が主催する「北陸建築技能訓練校」にて施工技術を学ぶ。その後同社の建設部にて、住宅の施工に従事。第51次及び第52次の南極地域観測夏隊員、第55次越冬隊員として参加。その後、隊員経験を活かし、南極に関する幅広い知識や、南極という極地で鍛えられた先端技術が日本の住まいづくりにも活かされていることなどを積極的に情報発信。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。

南極とミサワホーム

ミサワホームは、1968 年の「第 10 居住棟」以降、日本南極地域観測隊の活動や生活を支える建物を受注し、その実績は累計 36 棟、延床面積約 5,900 ㎡になります。建物に採用されている木質接着複合パネルは、徹底した品質管理体制の下、外装、断熱材、内装があらかじめ艤装され、南極昭和基地での夏場の限られた建設期間で、建築経験のない隊員でも短工期で施工でき、厳しい南極の気候に耐え続ける性能が特長です。建物の受注に加え、南極の観測活動に貢献すべく、専門技術を有する社員が極地研究所へ出向し、設営系隊員として協力しています。 昭和基地のシンボル的建物となっている「管理棟」や「第 1・第 2居住棟」、大型建築物「自然エネルギー棟」などは、当社グループから参加した 隊員が中心となり、専門分野の異なる隊員同士が協力して建設しました。建物受注や隊員派遣以外の分野では、南極や観測隊の活動をより多くの方々にお知らせし、身近に感じてもらうことを目的としたインターネットコンテンツ「南極の歩き方」をミサワホームの Web サイト内に開設。観測活動の内容をはじめ、南極の自然現象や未踏の地を切り開いた南極探検家など、南極に関する幅広い情報を紹介しています。また、全国の学校生活協同組合や教育関連団体と連携し、極地研究所の協力を得て、南極地 域観測隊に参加した社員らが講師となり、小・中学校を中心に授業を実施する教育支援プログラム「南極クラス」を 2011 年から開催しています。生徒には、遥か遠くの南極の世界を身近に感じてもらうとともに、将来の夢や希望を持つこと、お互いに支えあいミッションを達成していくチームワークの大切さなどを伝えています。昨年度までに、延べ 969 校で 11 万人以上 を対象に開催しており、今年度も全国で実施中です。 他にも、「国立極地研究所南極・北極科学館」において、南極昭和基地 の居住棟のカットモデルを出展協力するなど、南極の観測活動の普及・啓発に協力しています。

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昭和基地に2018年2月に竣工する基本観測棟(完成予想写真はミサワホーム(株)提供)。ブリザードによる雪の吹き溜まりができにくい12角形の2階建て416平米で、断熱性と気密性の高い木質パネル構造で室温は17℃に保たれる。オゾン観測室、気象観測室、放球室、地圏観測室、電離層室、生物・夏期研究室、機械室、工作室が設けられる。
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昭和基地に2013年2月に竣工した自然エネルギー棟。幅12m、奥行き25m、高さ10mの2階建て。集熱パネルを外壁に取り付けて暖かい空気を室内に循環させる。夏期はこの自然エネルギーだけで20℃に室温を保つことができる。1階は雪上車の整備室として使用するために高床式にできないことから流線型の外観でブリザードによる雪の吹き溜まりを軽減する。2011年度グッドデザイン賞を受賞した。
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