第39次・44次南極地域観測隊 小田 幸男
新潟東港に入港した砕氷艦「しらせ」 |
誤算
あてにしていた孫は、アルバイト禁止の校則にあえなく企みの変更を余儀なくされた。他の暇そうな友人等に声を掛けるが、三連休を利用し旅行などの理由ですべて断られる。妻に知り合いに適当な人はいないか相談をすると、「大丈夫、私がお手伝いをするから、昔経理の仕事をしていたから安心して」と楽観的な返答。・・・あてにならない・・・・。腹をくくる。何とかやってみよう。グッズ到着
9月12日にグッズが届いた。大きな段ボール箱が6箱。この他にまだ「しらせ」に積載されているという。こんなに大量のグッズを販売できるのだろうか。まずはこの大量のダンボールは、公開日前日に「しらせ」に積み込むことにした。グッズ積み込み
9月14日既に東港に停泊している「しらせ」へダンボールを積み込むのに、盆に帰省できず、この日に合わせたかのように帰省していた娘夫婦を連れて行き積み込みを手伝わせた。狭く急なタラップ、ペンキの匂い、礼儀正しく親切な乗組員、私が乗船したのは初代「しらせ」で、現在は2代目「しらせ」だが、39次隊、44次隊時代を懐かしく思い出す。本番初日
9月15日、朝6時に自宅を出発し、7時過ぎに新潟東港に到着。すでにゲート前には数台の車が開門を待っている。観測隊オペレーション室から本日販売見込み数量を片島さんの指示通りヘリ格納庫に搬送し、陳列や価格確認をしているうちに、一般公開の時間となった。天気は大きな崩れも無く、合間に岸壁をのぞくと、長蛇の列、広い駐車場は満車に近い状態。 気合を入れてかからねば。しかも今日は、遠路はるばる、極地研究振興会の吉田理事長もお出でになり、心強く感じる。次から次とお客さんが押し寄せる、おつりを間違えないよう販売価格と照らし合わせ緊張の時間が過ぎ、気付けば、とうにお昼は過ぎていた。そんな中、44次観測隊員と15年ぶりにお会いする場面があり、飲み会の約束をするなど慌しい中にも観測隊員時代を懐かしむことができた。しらせ寄港に感謝。 初日は不安と緊張感の中、吉田理事長、ハヤシスポーツの林氏のご支援もあり、無事終了することができた。帰宅後は今日の反省点を洗い出し、明日に備える。
しらせヘリ格納庫に設けられた日本極地研究振興会のコーナーで |
最終日
9月16日、天候は安定している。本日も多くの来艦者が期待されそうだ。しらせ乗艦後すぐに準備に取り掛かり、先日の売上好調なグッズを多めに搬送する。開門前にすでに岸壁には長蛇の列で、しらせの人気ぶりが伺える。 私の記憶では初代「しらせ」が新潟東港に寄航したのは確か20年ほど前だった。39次隊の越冬を終えて帰国後間もない頃だったと思うが、当時は顔見知りの海上自衛隊しらせ乗組員の方が何人かおられて、再会を喜んだ。あれから20年、若い乗組員の方がほとんどで時代の流れを感じるが礼儀正しさと親切さはあの頃と変わらない。 さて、グッズ販売は好調で2日目ともあって、対応も手慣れたものである。しかし、折り返して200mにも及ぶ長蛇の列も、途中でタイムリミットとなり、先日同様に多くの人が乗り切れなかったことが、心残りであった。 こうして2日間の慣れない商売も、売上集計が気持ち良いくらいピッタリ合い上々の結果と自己満足している。今回は、やり遂げた充実感もさることながら、しらせに2日間も乗艦でき、あの懐かしい狭くて急な階段、通路、ペンキの匂いに当時の観測隊員時代に思いを馳せ、幸せな気分を味わうことができた。旧知の観測隊員と再会できたことも「しらせ」の力と思う。 当市も少なからず、しらせとはご縁があり、自宅から15分ほどの所にある小さな漁港、岩船港に初代「しらせ」のスクーリューブレードが展示されている。今から10年ほど前に貸与されたもので、当時盛大なセレモニーが開催された。
村上市岩船港に展示されている初代しらせのスクーリューブレード |
小田幸男(おだゆきお)プロフィール元 村上市消防本部 本部次長。第39次越冬隊(環境保全)・第44次越冬隊(フィールドアシスタント)に参加。現在はセコム上信越株式会社 村上営業所 顧問。 |