「北極圏を目指す冒険ウォーク」に挑戦して
西郷琢也(チームメンバー)
きっかけは、私が働く大塚倉庫が昨年4月、北極冒険家の荻田泰永さんを招いて、社内で講演会を開いたことでした。講演で荻田さんは自身の経験などを語り、「来年は若者を連れて北極に行こうと思っている」と話しました。そのとき何かハッとするものを感じ、講演会が終わったタイミングで「連れて行ってください」というメッセージと、氏名、連絡先のみを記して荻田さんに手渡しました。次の日、荻田さんから連絡があり、そこから私の北極冒険が幕を開けました。
一緒に行くメンバー全員と顔合わせができたのは、北海道恵庭市で開催された合宿でした。参加したのは20代の男女12人で、なんとほぼ全員が「アウトドア経験なし」。私を含め3人は、スキー板すらはいたことがありませんでした。初めての装備類に戸惑いながらも、合宿を通し、使い方や注意事項などを学びました。
2019年3月25日、羽田空港を出発し、イカルイト(カナダのバフィン島南部)で事前演習と最終準備を済ませ、スタート地点に到着しました。2019年4月7日、いざ冒険がスタートすると、隊は荻田さんを先頭に、一列になって200km先にある補給地点のキキクタルジュアクに向けて前進します。バフィン島の島越は、本来、暴風地帯であるにも関わらず、奇跡的な好天に恵まれ、本当に美しい大自然を見ながら進んでいきます。この時の雄大な景色は、今でも思い返すと清々しい気持ちになります。天候にも恵まれ、隊は予定より1日早い10日間でキキクタルジュアクにたどり着くことができました。
一日、停滞日として休息をとり、後半戦の補給を受けた後、2019年4月9日、隊は約400km先にある最終目的地クライドリバーをめざし、再び前進し始めます。キキクタルジュアク出発3日目、視界がほとんど全くない状態、いわゆるホワイトアウトの状態になりました。しかし、隊はその日もいつもと変わりない速度で進み、目的地にたどり着きます。
この頃から、「いったい荻田さんは何を見て進んでいるのだろう?」と疑問に思い始めました。行動が終わった後、荻田さんのテントに行って、ナビゲーションの方法を学び始めました。時間と太陽の位置と方角の関係や、風紋、風向き、地図の読み方など、これまでの人生では全く触れてこなかった知識に、とても心躍りました。次第に自分たちでも先頭を歩くようになり、ある日の夜、荻田さんに「ここから先は西郷中心に自分達でナビゲーションしてみて」と、地図とコンパスを渡されました。慣れないナビゲーションに四苦八苦し、時には荻田さんから厳しい指導を頂く事もありましたが、メンバーのみんなと地図と目の前の山々の地形、太陽の位置、時間、方角を確認しながら、ひたすら進む日々は『ただ荻田さんに着いて行くだけではない冒険』になり、時間の経過が早く感じるようになりました。
その頃、気づいたのは、【山々が景色ではなく、情報になっている】ということ。荻田さんの後をついて行っている時は、自分の目の前に「道」がはっきりとあり、迷うことなんてありません。しかし、いざ自分たちで「道をつくる」となると、全く今までと見えてくるものが変わります。被写体だった山々は「位置情報」になり、「きれいだな」とみていたサスツルギは方角と角度の情報に、「あと何時間だろう?」と眺めていた腕時計は、太陽と合わせてナビゲーションにとって最重要なコンパスになりました。この体感は、今回の冒険の中で、今後の私生活にも役立つ体感だったと思います。
また、今回私は隊のリーダーを務めさせて頂きましたが、今回の冒険を通し、いかに自分のリーダーシップが未熟であるかを痛感しました。これまでの人生、特に学生生活などではリーダーを務めることが多かった私ですが、“今はこうだけど、きっと~~だろう”という希望的観測でみんなを引っ張る、本当に無責任なリーダーでした。極地での生活は、一人の安易な行動が全員の命の危険にさらしてしまう、平気でそういった事態になる、そんな環境です。自分の弱さと向き合いながらも、必死に前へ前へ進まなくてはならない日々は正直きつかったです。
「希望的観測で物事を語るな」「よく観察したか」これは現地で僕がよく注意された言葉です。これは私生活でも大いに当てはまる言葉ではないでしょうか?よく観察すれば、いつも「見ているはず」のものでも情報が変わってきます。こういった極地において「どんな技術でナビゲーションしているのか。」が重要なのではなく、「見られるか・聞けるか・感じられるか」が重要だと思いました。
ゴールのクライドリバーで記念撮影
最後に、よく皆さんから「楽しかった?」と聞かれるのですが、「まったく」です。景色に感動などはしましたが、「楽しかった」とはとても言いきれません。むしろ辛い時間が長かったです。それは、役割上、仕方ないことなのですが、なかなか辛かったです。しかし、「行ってよかった」とは思っています。自分自身の弱みに気づけ、いろいろな学びへとつながったためです。こうした、自分を見つめ直す最高の“キッカケ”と“場”を頂きまして、荻田さんを始め、皆さまには本当に感謝しています。
西郷琢也(さいごう たくや)プロフィール25才 兵庫県出身 徳島大学卒。大塚倉庫株式会社に勤務し、営業職を担当。北極冒険家・荻田泰永が社内で講演会を開催した際に「北極圏を目指す冒険ウォーク2019」を知り、 その場で参加を決意。今春29日間をかけて北極圏600kmを踏破した。座右の銘は「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」 |