「しらせⅡ」を眺めながらの「南極・北極グッズ販売」

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-もう一つの南極観測の成果の普及と啓発活動-

岩坂泰信(一般社団法人環境創造研究センター)

要旨

2019年10月5日、6日の両日、名古屋港のガーデンふ頭で(公財)日本極地研究振興会の南極記念品販売をおこなった。当日は、しらせⅡ(現在、就航中の南極観測船しらせを先代のしらせと区別)が名古屋港で一般公開中であった。両日とも天気に恵まれ順調に記念品販売が進捗した。今後も継続されるであろう販売活動の参考にと思い、名古屋港での販売状況や問題点を記した。

名古屋みなと振興財団としらせⅡ

 南極観測船しらせⅡは、南極に出かける前に、毎年、訓練を兼ねて国内巡航をしている。

 今年の春、名古屋みなと振興財団の知人から電話があって「岩坂さん、今年しらせⅡが名古屋港に来るかも知れないと聞いたのですが、何か聞いておられますか」と問い合わせて来た。というのは、現在、私は名古屋みなと振興会が管轄している南極観測船「ふじ」と海洋博物館の運営委員を務めていることから連絡を取りやすかったからであろう。名古屋みなと振興財団にしてみれば、自分たちの年間スケジュールを大よそ決めてしまった段階であり、しらせⅡが名古屋に入港することで名古屋みなと振興会が何らかのアクションを取らねばならないことがあれば、タイムスケジュールを検討せねばならないと思われたのであった。

 私が名古屋みなと振興財団と繋がりをもったのは相当古い。1985年に、退役した南極観測船「ふじ」を名古屋港に持ってきて、これを博物館にして港の諸活動を振興する手段の一つにしようということになった。その頃からの付き合いである。

 当時、私は南極観測から戻ったばかりで、「ふじ」の名を聞くと何とも言えない親しみと、ご苦労やったねといった一種の同志感情をもったものである。と言うのは、私が参加した南極24次観測隊の越冬グループは、1982年の初冬「ふじ」で南極に送り込まれたのだが、ふじの最後の隊員の送り込みであったのである。越冬を終えて戻る1984年の春は、新たに就航した「しらせⅠ」が私どもを迎えに来たのであった。

 私を南極に運んでくれた「ふじ」がお役御免になって、新鋭船の「しらせⅠ」が迎えに来てくれたことを単純に喜んでいる隊員もいたが、私は観測装置を運び込んだ時の様々な苦労を思い出すと何とも言えない気分であった。と言うのは、積み込んだ観測機材の容量が大きくて様々な点にこの影響が波及し自分自身も大いに苦労したが、他のメンバーにも迷惑をかけたようで、「ふじ」の荷物収容スペースの小ささに悩まされたものだった。それが、「しらせⅠ」ともなるとうんと楽になったようで、わずか1年の差で事態がこんなにも変わるのかと驚きもしたが大いに羨ましくもあったものである。この辺りのことは、また別の機会に書くつもりである。

 ともあれ、退役した「ふじ」を名古屋に誘致するための準備委員会が組織され、帰国早々の私もそこに名を連ねることになった。やがて、難度の高い審査や折衝が何とか無事にすすみ、「ふじ」が名古屋港で一種の南極博物館として退役後を過ごし、名古屋港の振興にひと働きすることになった。

図1 名古屋港では、「ふじ」が長年係留してあり、「ふじ」はいろいろなイベントで使用されており、南極や北極に絡んだ出来事があると、常に引き合いに出され、いやおうなく一種の基準にされることが多い。

 そのような「ふじ」の活動のために南極観測船「ふじ」運営委員会が組織された。私は、ひきつづいてその運営委員会に参加することになった。このようにして、ずっと名古屋港と付き合って今になっている。

 そんなことから、名古屋港の関係者が私の方に「しらせⅡがやってくるというが・・・・」と電話を寄越したのだろうと想像している。私は、また別のところから、「しらせⅡ」が名古屋港に寄港する予定とすでに聞いており、南極観測船「ふじ」運営委員会のひとりとして何かせねばならぬことがあるのではないかなどと、私なりに気にはなっていたのである。

 名古屋港の「ふじ」は、地元の小学生などの間ではそれなりに知られた存在ではあるが、大人の間ではまだまだと言ったところがあり、何とかしたいと考えていた。そんな時の「しらせⅡ」の寄港予定ニュースである。これをチャンスにして名古屋港が元気になるようなことが考えられないものかと漠然と考えていた。

 しかし、日本極地研究振興会の記念品販売のお手伝いをする羽目になるとは夢にも思わなかった。

日本極地研究振興会から来た依頼

 カレンダーの上では、もうそろそろ夏も終わりと言う時期なのだが、今年はいつまでたっても残暑が続く名古屋であった。そんな暑い中、日本極地研究振興会から「しらせⅡ」名古屋港寄港に関連して「南極グッズ販売」を行いたいので支援を頼む、という内容の依頼がとどいた。

 あれこれしているうちに日が過ぎ、たちまち予定の日が近づいてきた。

 先に書いたように、愛知県を含む東海地方では‘名古屋港に係留してある南極観測船「ふじ」’は、学校関係者や子供たちには比較的知られた存在なのである。大人の間では、知名度はいまいちとはいえ、この地で南極を考える時には、南極観測船「ふじ」が切っ掛けになることが多い。

 今度、「しらせⅡ」が名古屋にやってくるというニュースも、‘「ふじ」よりもうんと大きい’「しらせⅡ」がやってくるといった調子で受け止められることが多く、良し悪しは別にして、「ふじ」が考える時の基盤にあるのである。

 極地研究振興会からの依頼に応えるには、このことは大事なことである。

 近年、多くの市町村あるいは都道府県では「社会人教育」、「成人教育」さらには「シルバー教育」をいろいろなスタイルで運営し、多様化した社会の中で高齢者の社会参加をささえ、そして意義あらしめようとしている。地元の名古屋市でも、市内の各区でいろいろ特色を持たせた成人教室があり、港区の教室では「名古屋港」を学習対象にして特色を出している。この教室が設けられる場合には、港の施設をいろいろ勉強するのだが、「南極観測船ふじ」もその対象になることが多く、港を通過してゆく人、もの、そして情報などを、単に経済・貿易などの側面だけでなく、地球規模で展開される科学活動と言うような切り口で眺めてみることの重要さや面白さが学習されている。

 この教室の受講生の皆さんに「南極グッズ販売」のお手伝いをお願いすれば、たちまち10人やそこらのメンバーが名乗りを上げるのは間違いない。もし、大勢のアシスタントが必要ならこのグループに声かけせねばならぬが、それほどでもないといった場合には、このグループに声かけすると、逆に人数を絞り込む作業が面倒になってくるような気がした。

一種の南極博物館とも言うべき「ふじ」では、見学に来る人を対象に解説ボランティアが活動している。彼らは、社会の第一線を退き現役時代に得たさまざまな経験や知識を利活用し、南極観測船「ふじ」の解説ボランティアになっているのであり、10名ほどが活動している。人によって、ボラティアに出ることが可能な曜日や日にちが人によってまちまちであるので、「しらせⅡ」の一般公開日に時間をさいて記念品販売の支援に参加できる人は2‐3名と思われる。個人的には、このボランティアグループとはいろいろな行事を通して顔見知りであり、私にとっては何よりもこの点が心強いのである。結局、ここのグループからは3名参加してもらった。

 名古屋には南極観測船「ふじ」が大好きというグループがある。女性中心のグループである。そのグループメンバーの中には南極観測船「ふじ」を主題に置いた4コマ漫画を作ってインターネットで配信しているほどのメンバーもいる。このようなグーループの人達にとって「しらせⅡ」の名古屋港への寄港は、慣れ親しんだ「ふじ」とくらべて「しらせⅡ」ってどこがどのように違うのかそれを見るのにまたとないチャンスである。多くのメンバーにとって、それこそ興味津々と言ったところであろう。こちらのグループメンバーの何人かの方とは「ふじ」を通して会う機会がしばしばあり、互いに南極好きではしっかりつながっているといった感じがあった。「南極グッズ販売」の手助けを頼めば喜んでやってくれるだろうと思われた。

 実際に、声かけするとすぐに返事が来て、ぜひやらしてくれと言ってきた。このグループからは二人の方にお願いしたのだが、一人の方は現在北海道に住んでいるという人であり、南極観測船に入れ込む情熱の強さに驚かされる。

 私は、名古屋大学にかつて勤務していた。当時、私の研究室で秘書役をやってくれた方が、「南極グッズ販売」の手助けにやってくるという。現場では何が起きるかわからないし、長年私の手助けをしていたことから私の気質をよく知っている人が居るのは大いに助かる。手助けに出てくれるというのは願ってもないことである。

 そんなこんなで、販売スタッフは割合すんなり決めることが出来た。

 販売の品物を見ると、それほどややこしいものはなく、長テーブルにして2、3脚にすべてが並びそうなものであり、慣れてしまえば2、3名でこなせるように思われた。

図2 名古屋港には常時「ふじ」が係留してある。「しらせⅡ」が名古屋にやってくると、おのずと「ふじ」と「しらせⅡ」を較べてみることになる。その「較べる」と言うことが、南極観測の歴史を考えたりすることにつながったりする。

 ただ、この手のイベントは、人を集めて売りさばくというだけだと言ってしまえば、それだけのことである。それはそれでもよいのだろうが、もう一歩踏み込んで「南極観測研究を支え元気にする」ことにもつながると考えるなら、販売を手伝ってくれる人たちには、この面でも期待したくなるではないか。

 そんなふうに考えて、皆さんにはこの機会に南極観測について少し掘り下げた理解を得て頂き、終わった後は皆さんの周辺の方にそのような知見を広めてもらおうと期待したのである。そうであれば、少々多めの人数でこなしてもよいのではないかと考え、結局、7人の方に手助けを願うことにした。

販売場所は人がたくさん通る通り道

 販売は、名古屋港湾組合から許可を得た名古屋港のガーデンふ頭の一隅に、販売用のテントを張って行われた。尚、このテントでは自衛隊関連のしらせ記念品の販売も行った。

 「しらせⅡ」の一般公開の当日は、「しらせⅡ」に架けられた出入り用のタラップの近くにもテントがいくつも張られ、それらは「しらせ」に見物のために乗船する人達の手荷物の一時預かり場所に使われたり、見物客の誘導にあたる自衛隊員らの休憩場所に使われたりしていた。

 いざ販売が始まってみると、テントにやってくる人は、多くの場合、「しらせⅡ」の見学をしようとして来た人なのだが、そうでなくて単に名古屋港に散歩に来たという人や名古屋港を眺めにやって来たという人もかなりいた。こういう気軽さは、野外での販売の利点の一つなのであろう。

 野外のテントを使っての記念品販売では、天気状態によってテントを訪れてくれる人の数は大きく変動すると思われる。幸い名古屋では、両日とも好天に恵まれた。

 テントでの販売作業には、いくつか注意するべきところがあると思われるがそれは後でまとめて書くことにする。

 販売作業を通して感じたことは、船や観測船に関心がある人(必ずしも南極や北極に関心があるという訳でなく)が相当数見られたことである。ここは、私個人としては相当気になった点である。南極観測船に興味はあるが南極観測や南極研究にはあまり関心が無いという人が、どうやら相当いるらしく、そのような人にとっては南極でどんな研究や観測がされているかは二の次ということになる。そして、海を行く船、氷を割りながら進む船を見ることが、何とも言えない楽しいことなのだというのである。

 そういう人たちは、しばしば「観測船の活動状況が写っている写真や本」があるかとか「観測船が活動している姿がたくさん映っているCD」なんかあるかと尋ねてくるのであった。残念ながら、その手のものは無くご丁寧にお引き取りを願ったが、プラモデル作りの面白さにも通ずる、その人達が持っていると思われる感覚を想像したものである。

 また、当然であるが、テントを訪れた人の南極への関心は一般には高く、今まで行ったことが無い場所としての南極の魅力を感じているようであった。しかし、ここでも当然であるが、南極への関心はあるのだが南極観測に対する関心はそれほど強いものではないという人がそれなりに多かった。そんな人の中には、「えっ、今でも南極観測続けているの?」とわれわれに質問してくる人も少なくなかった。

 船(の姿)に関心があると言ってる人にとって、目の前の「しらせ」の姿は南極観測船ではなく砕氷船とか砕氷艦になっているのだろうと思った。また、いささか驚いたのは、そのように姿に強い関心を持つ方のなかには、ご婦人がたが結構多いことだった。その人たちは、ひたすら「しらせ」が写っているパネルや、「しらせ」が刺繍してある帽子などを求めておられた。このような、傾向を生んだ背景には、名古屋港に「ふじ」が長年博物館として係留されて来た歴史があるのではないだろうかと思ったりもした。もしそうであれば、こんな傾向は名古屋独特の傾向かもしれぬ。

「しらせⅡ」が寄港する先々

 「ふじ」と「しらせⅡ」が同時に見ることが出来たのであった、名古屋港では。これは、南極観測をいやがうえでも考えたくなる構図である。

 まず、‘「しらせ」が大きいなあ’と感じる時、すぐそばの[ふじ]を見てのことなのである。そして、大きいだけでなく、船の内装が全く違うのである。かたや電気配線や伝声管がむき出して走っている壁や天井と、かたや美々しいデザインの壁や天井を較べてみると、船内生活の空間が全く違うことが良くわかる。こんな点も含めて‘「しらせ」は大きいなあ’なのである。

 こんな比べ方が出来るのは、名古屋港だけではないかと思う。実は、このようなことをしっかり認識したのは、「しらせⅡ」の一般公開が始まってからであり、我ながらこの辺りの配慮が足りなかったと思った時には一般公開ももう終わりに近づいた頃であった。

 もし、このような2つの船の違いが、2つのそれぞれ船が担った(しらせⅡにとっては、現在、担っている)時代の流れ、時の流れを想像する切っ掛けになれば、それこそ南極観測の歴史に切り込む準備が整ったというべきであろう。

 そして、「南極はそのように国を挙げて船を整備しつつ観測を続けているのに、北極はなんだか個人の探検家の活動しか目立ってないような気がするけど・・・・?」のようなつぶやき声が出てくれば、それこそ、領土とは何なの?領土権とは何なの?を考えてみるよい機会になるのであろう。

売れ行きあれこれ

 今回の記念品販売で、よく売れたものの一つがカレンダーであった。この売れ行きの良さのポイントは、カレンダーの各月の写真にあった。この写真はどこの写真ですか?と尋ねられて説明を始めたのがきっかけである。

 この写真は、越冬して帰って来た隊員たちがとった写真なのです。そんなことから言えば、決して芸術的なものでもなく、プロのカメラマンの狙いの良さやタイミングの良さなんか全くないのです。腕が良いかどうかわからんようなアマチュアがうつしたものですよ!と一種の居直り的な解説をしたのがきっかけである。

 それからは、このオーロラは・・・・。このペンギンの・・・・。この月の写真は・・・・。とやってるうちに、周辺の人達がカレンダーを広げてカレンダーの写真を見てはうなずきあったり、言葉を交わしあったりし始め、購入の意向を示す人がポンポンと出てくるといった風であった。

 このようなささやかな経験からすると、やはり品物についてしっかり説明できればそれなりに答えが出るのだろうと思ったものである。

図3 しっかりと商品に対する知識を持っておくことは、販売にも大きな影響を与えるように思われる。

 そのようなものとは少し別の傾向を持つ商品が、‘ガチャだま’と呼ばれるものであった。10センチメートルほどの透明のプラスチックボールにペンギンの小さな人形が入っている。ペンギンの姿は、7、8種類あり、どれもそれなりにかわいらしく作ってある。そんなプラスチックボールが小さな箱に数10個入れてあり、箱には手を入れられるだけの穴があいている。そこから手を突っ込んでプラスチックボールをひとつ取り出すのであるが、お好みのペンギンが入っているボールかどうかは神のみぞ知るというものである。

 小さなお子さんが、圧倒的な客筋であり上手に誘導すればたくさんのお子さんが来てくれたと思われる。しかし、今回は場所の制約があったことや、風が強い天候であったためにしばしばガチャだまが入っている箱が風に吹かれてテーブルから落下し、訪れてくれた皆さんの興味を殺いでしまうような事態が起きたことがあり、充分このおもちゃの価値と面白さを見せることが出来なかったかもしれない。

  こんなペンギンの人形が入っているガチャだまを楽しみながら、「ペンギンは北極にはいないらしいよ」「え~、どうして?」などとやり取りできれば、この動かぬ(ように見える)大地も動いており・・・・、と子供たちと大陸移動説などを一緒に考える機会にもなるかも知れぬ 。

  南極と北極の地図も売れ行きはともかく、ある意味ではやや関心を呼んでいた品物であった。私にもう少し地図作りに関する知識があれば、皆さんの購買意欲を刺激できたかもしれない、と後悔している。現在の南極観測の様子はわからないが、かって国土地理院の職員が南極観測隊員として昭和基地周辺の地理情報を集めていた。地図作りは、それこそ「国ってなぁに?」という重たくも面白い問いかけにつながるだけに、少し予備知識を仕入れておけば楽しいやり取りしながら、販売活動が出来たろうと思っている 。

反省そしてこれから

 今回、名古屋港のガーデンふ頭にある‘名古屋港を見ながら一休み’出来るように整備された地区にテントを張って、販売活動が行われた。テントの使用は、天候に大きく左右されることを念頭に置くべきである。

 さいわい、今回の名古屋での販売会は好天に恵まれ、テントを使用すること自体には深刻な問題は生じなかったが、雨天の場合、強風の場合等を想定した対処方法を、販売会が行われる場所ごとに考えておくべきであろう。そして、 経験を積み上げて、良好な状態で販売会が行われるように努力してゆくことが必要であろう 。

 今回、天気こそ良かったものの、強い風がしばしば吹き、その度に品物の飛散あるいはフラッグのたぐいの転倒がおきたことであった。これは、品物の消失などの問題につながったりもするが、付近の人達に当たって怪我などをさせるような事態が生じると深刻な問題になりかねない。

 品物を展示する際の工夫をあらかじめしておくことが良いと思われる。紙物(かみもの)は、出し入れがたやすく出来る透明な箱を作りそこに紙物を入れて展示するなどが出来れば、風が強くとも安心できるかもしれない。

 図4 野外にテントを張って販売する場合には、販売の仕方は天候に大きく左右される。あらかじめ、準備しておくことがらは多い。

 野外での販売活動では、販売活動を担当するスタッフの体力にも十分気をつけるべきである。この点、名古屋では大きな失敗をしてしまった。1名の女性スタッフが、午後3時過ぎに疲労を訴えてきた。テントの端に置いてあった箱に座ってしばらく休んでもらったが、そんなことでは不十分であることは目に見えていた。当初は2日にわたって働いてもらうことにしていたが、2日目は休んでもらった。その後連絡を取ると、「今朝はゆっくり起きて充分休みました。疲れは取れました。2日目は力になれなくてスイマセン」と元気そうに連絡をもらった。

 今回は、大事にならずに済んだが、販売スタッフが適時からだを休めるようにゆったりした椅子を2脚ぐらい準備しておくべきであった。

 今年の名古屋は、9月、10月になっても真夏並みの気温の高い日がしばしば出現した。秋といえども、これからも、こんな日が出現すると考えておくべきであろう。

 テントでの販売活動をしていると、太陽の直射光がテントの中まで入ってくる時間帯が出てくる。このような時間帯をなるべく少なくなるようにテントの向きを変えることが出来れば世話はないのだが、一般的には、人の流れやテントを張る場所の制限からテントの向きを自由に変えることが出来ないと考えておくべきであろう。

 テントのサイズを少し大きめにして、影の部分を広くするのが良いと思われる。また、風がそれほど強くなければ、テントの中にカーテンを垂らして影の部分を作ってやり、働いているスタッフが直射日光に当たる時間をなるべく少なくする工夫をするべきである。テントの中に垂らすカーテンは、場合によっては販売している品物の宣伝も兼ねたようなデザインであれば、まったく違和感はないと思われる。このような工夫をするためにも少しサイズの大きいテントが望ましいと思われる。このため、逆にテントさばきが面倒になるという問題も出てくるだろうが、ある程度試行錯誤しながら妥当なところを探るのが良いだろう。

さいごに

 しらせⅡの国内巡航の寄港先の一つに名古屋港が選ばれたことから、日本極地研究振興会ではこれに呼応して名古屋港で記念品販売を行った。筆者は、縁あって現地販売を手伝ったものであるが、まったく経験もなく多くが試行錯誤しつつの仕事であった。さいわい、気の合ったアルバイターの皆さんと一緒に作業が出来、そして長い付き合いのある名古屋みなと振興会のスタッフの助けを頂き何とかやり終えたというのが実感である。

 極地研究の発展を下支えする活動の一つとして、各地での南極記念品の販売会がうまく運営されそして発展するよう願っている。

岩坂泰信(いわさか やすのぶ)プロフィール

名古屋大学名誉教授。現在、名古屋にある(一般社団)環境創造研究センターで顧問を務めており、環境保全・創造にかかる啓発活動に携わっている。名古屋港に係留中の南極観測船「ふじ」や海洋博物館の運営委員会メンバーとして「名古屋港、元気になれ~」と活動している。富山県出身。

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