シリーズ「南極・北極研究を支える企業探訪」第1回

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ミサワホーム株式会社

代表取締役専務執行役員 平田俊次氏

日本の南極地域観測事業は1957年1月の昭和基地開設で始まりましたが、多くの企業が、厳しい南極の自然に耐える建物、設備、機械、装備品、食料品等の開発に果敢に挑戦し、世界に誇る性能をもつ製品を短期間に作り出しました。建築では、プレハブ建築技術の発展に南極が大きな貢献をしました。最初に建設された建物は、気温マイナス50度、風速60メートルに耐え、人力だけで建築できる建物として日本建築学会が設計し、竹中工務店が開発した木質パネルを構造体とする建物で、我が国のプレハブ住宅の第1号となりました。 砕氷船「宗谷」の老朽化のために南極地域観測事業は1962年の第6次南極地域観測隊で一旦中断しましたが、1965年に新砕氷船「ふじ」が就航して輸送能力が飛躍的に増大し、第7次南極地域観測隊から本格的な南極観測事業が始まりました。南極観測の再開に当たって、ミサワホーム株式会社が昭和基地の建物を担当されることになり、現在まで、木質パネルを用いた35棟、延べ約5,500㎡の建物が建設されました。

インタビュアー:福西 浩

福西 本日はよろしくお願いいたします。南極観測の再開に当たって、どんな経緯で昭和基地の建物を担当されることになったのでしょうか。
平田 昭和基地の最初の建物は第1次南極地域観測隊によって建設されましたが、まだ手作りの状況で、言うならば工芸品を作るようなものでした。聞き及んだところによれば坪単価で700万円くらいということでした。この建物が建てられたのは1957年ですが、実はミサワホームの創業は1967年で、第1次南極観測隊が昭和基地の建物を建ててから10年後でした。10年という時間の経過もありまして、当時、私どもが会社として目指したのは、工業化手法ということで、高品質で品質のバラつきがなく、誰が建ててもその品質のものがちゃんとできること、もちろん耐久性能や断熱性能という高い住宅性能も追求しました。さらに、プレハブ工法ですので、現場での工期が短くなるというメリットがありまして、これらを総合的にご理解いただけたと思うんですが、ミサワホームの創業2年目となる1968年に、第10次南極地域観測隊のときに応札し、ご採用いただきました。それ以降ずっと、国立極地研究所(現在は大学共同利用機関法人情報・システム研究機構に所属)の応募に入札し、ご採用いただいております。また、私どもの創業者、三澤千代治が会社を起こすにあっていろいろとご指導いただいたのが日本大学の先生方で、その先生方の中に昭和基地の建物の設計に関われた平山善吉先生、半貫敏夫先生、三橋博巳先生らがおられ、これらの先生方からご指導をいただきました。
福西 コストを大幅に下げ、しかも高い住宅性能を保つという相当大変な条件をクリアされたとのことですが、研究開発にはどのような工夫があったのでしょうか。
平田 はい、私どもが供給するものは在来木造とは違いまして、代表的なものは「木質パネル構造」と呼んでいますが、もともと木材の持っているよい性能をできるだけ活かすということで研究開発したものです。たとえば断熱性について言うと、スタイロフォームとかグラスウールとか断熱材として良い性能のものが思い浮かぶんですが、実は木材自体も素晴らしい断熱性能を持っています。木質パネルで厚さ12センチもあれば南極の壮絶な内外気温差、室内と室外の気温差が60度とか70度とか、そういう所でも十分に居住性能を確保できる性能があります。 南極における苛酷な自然条件の一つである風への対策としては、両面に合板を接着した高耐力の木質パネルをつなぐことで箱状になる「モノコック構造」を採用しました。建物全体で外部からの力を受けるために、風速60メートルのブリザードにも耐えることができます。また、輸送面では軽量でコンパクト性が求められる訳ですが、木質パネルは工場で生産されるので、あらかじめ木質パネルに金物を付けたり、内装材とか外装材を取り付けておくことによって部品点数を減らす工夫をしました。部品点数が少ないということで、建築の専門知識が乏しい観測隊員の方でも容易に組み立てられるというメリットが生まれます。さらにプレハブ工法のメリットとして、少ない人力で、半月という短期間で組み立てることができます。このようないろいろな工夫によって私たちは南極の建物に求められる全ての条件をクリアすることができました。
福西 今のお話でいろいろと思い当たることがあります。私が最初に南極に行ったのは1970年の第11次隊ですが、その時に建物の建設作業にも参加しました。岩盤上にコンクリートの支柱を建て、その上に基礎の鉄骨を水平に置くまではかなり時間がかかる作業でしたが、それが終わり、建物の組み立てが始まると、ごく短期間に建物が完成したので驚きました。また越冬中のことですが、外気温がマイナス40度以下になった時でも断熱性能は素晴らしく、建物の中では薄着で過ごすことができました。
平田 そういう体験談を聞かせていただくことはとても嬉しいですね。
福西 ところで最近の話題ですが、2011年に南極の昭和基地で建設が始まり、2013年に竣工した「自然エネルギー棟」についてお伺いします。この建物は、雪上車の整備室、金属工作室、木工室、風力発電制御室をもち、幅12メートル、奥行25メートル、高さ10メートルの2階建てで、建物全体が飛行機の翼のような形になっており、外壁には集熱パネルが取り付けられています。この斬新なデザインで、2011年グッドデザイン賞(主催:財団法人日本産業デザイン振興会)を、国立極地研究所と日本大学理工学部建築学科の半貫敏夫先生との共同申請で授賞されました。この建物は大きなチャレンジだったと思いますが、どのようにして開発されたのでしょうか。
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昭和基地 自然エネルギー棟 (2014年8月撮影、第55次南極地域観測隊越冬隊長・牛尾収輝氏提供)

平田 はい、建物の形状を決めるに当たっては、日本大学理工学部の半貫先生にご相談しながら風洞実験を繰り返し、建物の風下側に雪の吹き溜まりをつくらないことを目指しました。通常の南極の建物ですと高床式にして、吹き溜まりがないように、下からも横からも上からも風が抜けるようにすることが可能なんですが、この自然エネルギー棟は、1階に雪上車の広い整備スペースを作るということで、高床式にできないという制限がありました。そこで建物の形状で吹き溜りを少なくするということを考えたのです。でも翼のような形になったので、揚力が発生すのではないかと考え、その辺についても詳しいシミュレーションをし、何トンかの揚力はかかりますが、建物の耐久性に問題がないように工夫しました。
福西 南極での私の経験ですが、雪が降る時は必ず強風のブリザードの時で、雪は上からではなく、横から飛んできて、建物の非常に狭い隙間にも入り込みます。建物の風下側にはドリフトと呼んでいますが、雪の大きな吹き溜まりができ、それが一番の問題になります。そういう問題をあらかじめ風洞実験できちんとシミュレーションされた訳ですね。
平田 そうですね。そういう点は半貫先生のお世話になりながら進めました。また、現地での建設期間は、南極の夏期の一か月ほどしかありませんので、建設が数年にわたることを考慮していろいろと工夫しました。実際に昭和基地での建設は、南極観測船「しらせ」の昭和基地への接岸が遅れた年や接岸できなかった年などがあり、夏期の建設期間が短くなり、第51次南極観測隊が2010年1月に工事を開始してから、第54次南極観測隊が2013年1月に竣工させるまで、4年かかりました。自然エネルギー棟は大型の建築物なので、木質パネルと集成材の柱や梁を組み合わせて、1階部分、2階部分、屋根部分からなる大空間を作り出します。建設途中の、1階部分だけが出来上がった状態、2階部分まで出来上がった状態でも構造的に成り立つように設計したお陰で、建設途中でも南極の厳しい自然に耐え、なんとか4年で立ち上げることができました。 さらに、この自然エネルギー棟で挑戦させていただいた大空間、これを社内的には「FWS(フューチャー・ウッド・システム)」という新しい工法の開発に繋げまして、国内の建物にも活かすことができました。
福西 エネルギー関係で工夫されたところはありますか。
平田 自然エネルギー棟ですから、いろいろな工夫がなされておりまして、太陽熱の利用とか、あるいは地下の断熱とか、外壁には断熱材が入っているのですが、さらにその外側に付加断熱という技術を持ち込みました。これも今で言う「ライフサイクルCO2マイナス住宅」という新しい技術につながっていくものと期待しています。
福西 ミサワホームは、南極用の新しい建物を開発し、製造されておられるだけでなく、現地で実際に建設するために、たくさんの社員を南極観測隊員として派遣されていますね。南極観測隊員は厳しい環境の中でチームとして行動しなければならないので、強い意志と高い技術力、またチームワーク力が求められると思いますが、会社としてはどのようにして南極観測隊員になる社員を選らばれておられるのでしょうか。
平田  私どもミサワホームグループでは南極観測隊員になることは非常に人気があります。まず社内募集によって全国のグループ会社から希望者を募り、応募時には必ず上司の承認をもらうことにしています。毎回10人以上の希望者が出ますので、その中から選ぶのはなかなか難しいことですが、本人の特性だとか、その時必要な建築技術とか、これらを考慮するのは当然ですが、それ以外の能力、例えば協調性などを面談をとおして判断し、最終選考しています。会社として胸を張って仕事が出来る人材を選んできました。
福西 そのようにして選考された社員の方々は、南極を経験してどのように変わられましたか。また「南極クラス」という形で全国的に経験談を語り、教育に生かされているとお聞きしているんですが、実際にどのような形で実施されていますか。
平田 南極での経験は、グループ各社さんの話をお聞きしても、本当に成長したというか、そういう面で本人にとっては大きなプラスになっていると思います。また研究者の方々とか、様々な職種の方々と接することで人格的にとても磨かれてまいっておりまして、そこで得た経験を「南極クラス」の講師という形で役立ててもらおうということで、帰国後1年間程度、教育支援プログラムの講師をやってもらっています。全国の小中学生中心に、南極での経験を会場の子供たちに語るということで、子供たちが夢や希望を広げるきっかけ作りになっているのではないかと思っています。南極クラスは、2011年の9月末に開始しまして、2014年度末時点で493校、延べ58,500人の子供たちに南極の話をしたことになります。
福西 これだけ大規模に南極について小中学校の生徒に語る取り組みをしている企業は他にないと思います。南極で実際に生活した人が話すと、経験談は説得性がありますので、子供たちにすごくいい影響が出ている気がしますね。ところでこのような取り組みでは社会貢献ということをかなり意識されているのでしょうか。
平田 そうですね、私どもの中では南極観測への支援というものをCSR(Corporate Social Responsibility企業の社会的責任)の中心的な活動に位置づけて、積極的に取り組んでいます。南極の観測あるいは研究を支える基地、隊員の命を守る建物、そういうものを供給するということで、技術の人間にとってはとても誇りになる活動だと思っています。また企業としてもそこから得られました技術開発、そういうものはよりよい住宅づくりの役に立つということで、積極的に推進しようと思っています。 弊社の経営理念の一つに、「地球全体を視野に入れて環境保全活動を行い、社会に貢献します」というのがあるんですが、地球の温暖化問題への対策、それは世界中の共通課題であって、南極観測への支援もその一環として非常に価値ある取り組みと認識しています。
福西 そうですね、南極は地球上で最も人間活動の影響が及んでいない地域ですので、オゾンホールが南極で見つかったように、人間活動による環境変動を知る敏感なセンサーとなっています。昭和基地では二酸化炭素の精密測定を過去30年間にわたって続けており、そのデータは地球温暖化予測に必要な大気圏二酸化炭素全量を正確に推定するためのバックグラウンドデータとして世界中の研究者が利用しています。南極で地球の変化が分かるということで、最近、世界各国が南極観測を強化しています。
平田  地球温暖化対策として弊社で行なっている活動の中で、「エコになる家の会」というものがあります。最近、太陽光発電をご自宅に付けていただく建物がかなり増えてきました。そこで、そういう住宅のオーナー様によるCO2の削減効果を、国内クレジット、これは現在ではJ-クレジット制度というものものなんですが、国から毎年認定を受けていまして、削減効果をクレジットにして売却する作業を行なっています。これによる売却益をすべて南極観測活動に役立てていただくということで寄付をさせていただいています。
福西 今のお話は南極観測隊のOBの一人として大変嬉しいですね。ところで、南極の最大の魅力は、「フロンティアへの挑戦」だと私自身は思っています。そこでお伺いしたいのですが、ミサワホームは、南極以外にもいろいろとチャレンジをされておられると思いますが、いくつか紹介していただけないでしょうか。
平田 3つぐらいまとめてお話したいと思っています。1点目は、まさに今までお話してきました「低炭素社会の構築」を目指す取り組みで、これは国としてはもうすでに方針が出されていまして、2020年までに標準的な住宅で、いわゆるゼロ・エネルギー・ハウス、ZEH(ゼッチ)と呼んでいますが、これを目指して国の方針が掲げられております。そこで弊社としては2020年といわずに、2016年には寒冷地を除いて、全地域の商品でゼロ・エネルギー・ハウスを標準化できないかと。さらに、寒冷地につきましても2017年に、1年遅れますが、ゼロ・エネルギー・ハウスを標準化していこうと計画しています。そのさきがけとして実はもうすでに今年4月には木質系住宅の「スマートスタイル」と呼んでいるものですが、この全商品に太陽光発電(PV)システムを標準搭載しました。 さらに、ゼロ・エネルギー・ハウスのもっと高度なものとして、実はライフサイクルカーボンマイナス(LCCM)という住宅、これの普及促進も大切な取り組みだと考えております。今後、地球全体のCO2改善のために必要不可欠な取り組みをして、住めば住むほど環境にやさしい住宅、木を植えるように建物を建てる、それがLCCM住宅ですので、こういう取り組みを進めていきたいです。これが一つ目の取り組みです。 2点目は、「自然共生社会の構築」を目指す取り組みです。地球の温暖化防止と同等に、生物の多様性保全への取り組みが重要な環境活動と認識しておりまして、事業活動に落とし込んでおります。私どもの主力工法が木質パネルの接着工法ということで、木材という森林資源の恩恵を受けて事業活動をしている訳です。そこで2010年に名古屋で生物多様性条約の第10回締約国会議 (COP10)が開かれましたが、その会議に向けて木材調達ガイドラインを弊社で策定しました。そこでは生物多様性に配慮した認証材を世界から調達することにし、その目標達成の最終年度を2014年にしました。実際に、2014年度には認証材の比率を85%まで持ち上げることができ、目標を達成しています。 それから、先ほど申し上げましたゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)やライフサイクルカーボンマイナス(LCCM)によるCO2削減も重要なんですが、弊社では住宅設備の高度化に頼らずに、風、光、緑といった自然の恵みをうまく活用する、いわゆるパッシブデザインというものに力を入れております。昨年夏には関東で一番暑いと言われております埼玉県の熊谷で、「エムスマートシティ熊谷」という団地を開発し、街びらきをしております。そこでは自然の力を活用した「涼を呼ぶ街づくり」というものをコンセプトにしています。これが2点目の取り組みです。 3点目の取り組みとして、「安心・安全な社会の構築」を目指す取り組みです。これは近年、地球温暖化の影響もあると思われますが、地震、台風、そしてゲリラ豪雨、これらの自然災害が頻繁に発生するようになってきました。弊社では、いろいろな防災、あるいは減災対策を体系的に整理して、いまMISAWA-LCP(Life Continuity Performance)として、生活の維持ができるようにとまとめました。 この時のコンセプトの整理として、3つのセーフティソリューションというのを考えています。一つ目は災害が来る前の日常の「備え」、それから二つ目が災害が来た時の安全性、これは「守る」ということです。三つ目が「支える」ということで、災害直後の安心感です。この3種類に分けて考えますと、例えば、「備える」で言いますと、備蓄収納としてあらかじめ備えておく、あるいは、地震の場合にはP波とS波があるんですが、P波が来た段階で、数秒後、あるいは数10秒後に来るS波を監視してもらう装置を開発します。 それから「守る」で言いますと、地震が起きたときには少しでも振動エネルギーを吸収して建物の揺れを小さくする制振装置を開発します。洪水に関しましては、ワンタッチ防水シートを開発し、玄関なんかで水位が上がってきた時に、ある程度まで水が入ってこないようにします。また、強風による飛来物でガラスが割れる可能性もあるんですが、より割れにくいように、防犯ガラスを採用します。 それから最後の「支える」ということで言いますと、災害が起こった後ですから、これは太陽光発電を用意するとか、あるいはエコキュートと言って、太陽熱、あるいは電気のエネルギーでお湯をつくり溜めておけば、それはまさかの時にも使えます。それから太陽光発電した電気は蓄電池にためておく、あるいは日頃の雨を雨水タンクに溜めておく、というようなことを考えています。
福西 私たちの生活と地球の将来を考えたチャレンジングなプロジェクトを広範囲に進められておられることを知り、大変驚きました。ところで、そういう意欲的なプロジェクトをやり遂げるには、やはり人材が一番だと思いますが、特に、次世代を担う若者たちに何を期待されますか。
平田  そうですね、まあ私どもの会社は住宅というベーシックな生活の場を提供してきているんですが、先程から申しています環境問題、あるいは自然災害の問題だけではなく、社会的な問題として高齢化や少子化の問題が顕在化してきています。ただある意味で日本はそういういろんな課題の先進国ですから、これをなんとか技術の力、あるいは自然の力も活用して、乗り越えられれば、これは世界の中での課題解決の先進国に変わると思っております。世界がグローバル化していく中で、世界をリードしていくためにも、この課題に一つ一つ取り組んで行かなければいけないし、若い人たちにもそれに続いていただきたいと思っています。
福西 非常に困難な課題に、チャレンジする気持ちをもって取り組み、それが成功すれば課題解決先進国として世界をリードすることができると聞くと、若い人たちは勇気が湧いてくるのではないでしょうか。 最後に、連携についてお聞きしたいことがあります。私たちの財団は1964年に設立され、半世紀にわたって極地研究の支援をしてきましたが、2013年4月の公益財団法人への移行を契機に、研究の支援だけでなく、研究成果の社会への還元と普及に力を入れています。民間会社との連携事業も今まで以上に重視したいと考えていますが、公益法人と民間会社の連携についてのお考えをお聞かせください。
平田 今までの民間会社の捉え方というのはまあ様々だとは思いますけれども、今後の複雑な世の中で、例えば利益だけを追って生き残れる企業はないと思いますね。そういう意味で言いますと、公益法人の方々、あるいはそれこそいろいろな研究機関の方々と一緒に力を合わせないと。私どもだけで出来ることは本当に小さいことですから、いろいろな方と力を合わせることによって先ほど申しておりました様々な課題の解決に向かえるのではないかという気はいたします。
福西 私も本当にそう思います。今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

平田俊次(ひらた としつぐ)

プロフィール

京都府出身1954年生まれ、東京大学農学部卒。1980年4月(旧)ミサワホーム株式会社に入社。累積6万棟超のベストセラー「蔵のある家」の開発に携わり2001年技術部長に就任、2003年執行役員就任時には制震装置「MGEO」の開発を指揮、商品開発部本部長を経て、2013年より代表取締役専務執行役員。現在は株式会社ミサワホーム総合研究所の所長も兼任。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

東北大学名誉教授、理学博士。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了後、米国ベル研究所、国立極地研究所を経て東北大学教授として宇宙空間物理学分野の発展に努める。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。2007年から4年間、日本学術振興会北京研究連絡センター長を務め、日中学術交流の発展に尽力する。専門は宇宙空間物理学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。
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