「北極・南極への道を拓いてくれた2人へ」

第61次南極観測越冬隊同行 朝日新聞・中山由美

最初の訃報

 極寒の長い夜が明け、太陽が白い世界を輝かせる季節が戻った8月、昭和基地に思いもよらぬ知らせが届いた。北極へ、そして南極へ導いてくれた恩人がこの世を去った。2人がいなければ、南極で越冬し取材を続けている今の私もいなかったに違いない。

 部屋でパソコンを開いた時だ。ひげ面の野性味あふれる懐かしい顔がモノクロ写真で画面に映し出され、思わず顔を覆ってしまった。コンラッド・シュテフェン(Konrad Steffen, 68歳)氏、グリーンランド氷床の融解を観測してきたスイス人研究者が8日、クレバスに転落して亡くなったとのニュースが流れていた。

懐の大きな研究者

 愛称はコニー。徹底したフィールドワーカーで南極・北極を行き来し、特にグリーンランドは毎年、多い時は年に何度か訪れていた。今やグリーンランド氷床の融解は多くの研究機関がとらえているが、早くから注目し、スイスキャンプを設けて観測と研究を続けてきた先駆者だ。日本の研究者との親交も厚い。

 第一人者でありながら、それを感じさせない親しみやすさが魅力だった。米国コロラド大を訪問した時に初めて会った。グリーンランドの観測の話を聞いて「私も取材に行きたい」というと、「チャーターヘリを飛ばす町イルリサットまで来てくれたらいい。1人なら乗せてあげられる」と二つ返事。半信半疑だったが、とんとん拍子に現実となった。外国の無名の一新聞記者をよく受け入れてくれたものだと思う。南極越冬経験があったからか、ドイツ語で話ができたからか……、今となってはその訳を聞くこともできない。

故 コンラッド・シュテファン博士

 コロラド大やNASAなどのコニーの研究仲間に便乗し、5人で2008年8月、グリーンランドの氷の上へ飛んだ。とけ水が滝のように流れ込む巨大な穴「ムーラン」が大きな口を開けていた。深さは100メートル以上で測りきれない、圧巻の世界だ。とけ水は氷の中に水路をつくり、岩盤の上を流れて海へ行っているのでは、氷の消失に拍車をかけているかもしれない……その謎に迫るため観測器を投入した。氷の中を通って海へ流れ出る経路を調べようとの作戦だ。さらに「数打ちゃ当たる」で登場したのはラバーダック100匹、風呂で遊ぶおもちゃだ。背中に「みつけたら連絡を」とメールアドレスを記したシールを貼り付けてムーランに投げ入れた。

 そんな遊び心が楽しい。エスプレッソが大好きで、氷上の生活でもマシーンを取り出して朝の1杯をじっくり味わっていた。

学会で来日する度に会い、私が3度目の南極を目指していた一昨年10月も。日本庭園を訪れ、寿司を食べ……「こんなにゆっくり過ごせるなんて珍しい」と感じたが、それが最後の別れとなった。

あの時のアヒル1匹は今もそばにいる。昭和基地の机の上で、この原稿を書く私をじっとみつめている。

二人目の悲報

ショックが冷め切らぬうち再び悲報を受け取った。元朝日新聞記者・柴田鉄治さんが23日に他界された。85歳、第7次隊南極観測隊に同行して取材した大先輩だ。9次隊の極点旅行の際には南極点で到着を待ち構えて取材した。

 私が初めて南極へ行くことになったきっかけは柴田さんにある。「南極観測は朝日新聞が言い出しっぺで始まった」。研究者や国を動かし、国民に募金を呼びかけた歴史(日本極地研究振興会メルマガに連載 https://kyokuchi.or.jp/?page_id=10818 )を「今や社員ですら知らない人が多いのは嘆かわしい。同行記者をまた出すべきだ」と会社上層部に進言したらしい。2003~05年、武田剛カメラマンと私が45次隊で越冬することとなった。

 柴田さんは自分が行きたかったのだ。なんとその後、フリージャーナリストとして40年ぶりの再訪を果たした。47次夏隊に同行、昭和基地で70歳の誕生日を迎えた。当時受け取ったメールに、「南極という強烈な舞台が強烈に『時』を止めてしまうのだろうか。とにかく、30歳の私と連れ立って歩いているような不思議な感覚が離れない古希の旅なのである」と記されていた。

 さらに「子供たちを南極へ連れていけないか」と国立極地研究所などに働きかけた。ハードルは高かったが、先生を連れて行き、衛星回線を介して授業してもらう形で、夢に一歩近づいた。新しらせ就航の51次隊から毎回、夏隊同行者で教員を派遣している。

故 柴田鉄治氏(第47次隊で訪れた昭和基地にて)

「世界中を南極に」

柴田さんを魅了したのは南極の大自然だけではない。「人類の理想の地・南極」だ。国境も軍事基地もない、平和利用だけが認められ、各国が協力しあって環境を守り、科学観測を続けていく。国も人種も文化の違いも関係なく、紛争と無縁に60年以上平和が守り続けられている南極、その理想を世界中でできないか、「世界中を南極に」。その思いを訴え続けてきた。

 極地へ導いてくれた2人の思いを、私は次の世代へつなげられるのか。期待に応えられていないのでは――との思いが胸を締め付ける。南極は3回目でも、取材はこれまで以上に思うようにいかず、苦しんでいた。

55年の時を経て

 9月3日、昭和基地から8キロ弱の大陸沿岸の向岩を訪れた。一緒に行った隊員が錆びた缶をみつけた。「『コカ・コーラ』ってカタカナで書いてある」「ガムもある」、古い食料の缶詰めなど未開封のまま石に囲まれ、まとまっていた。デポされた形跡がある。基地に戻って調べてみると、コカ・コーラは国内で初めて1965年に缶入りが発売された初代のもの、ロッテのクールミントガムも南極にちなんでできた初代のデザインだった。製造年が1965年の缶詰もあり、7次隊の時の可能性が高い。2代目の観測船ふじが就航、柴田さんが同行した隊だ。柴田さんらが編集した著書を持参していたのを思いだし、開くと西堀栄三郎・初代越冬隊長がロッテにガムの開発を依頼した話など歴史が記されていた。「貴重な発見」として24日付朝日新聞夕刊で記事にした。

 昭和基地に近い所で55年間もみつからずにいたのは驚きだ。柴田さんに導かれたような気がしてならない。「南極にはすばらしい宝がまだまだある。見逃してはいけない」と。柴田さんが生涯抱き続けた南極への熱い思いは、ここ南極まで届いた。

中山由美(なかやま ゆみ) プロフィール

朝日新聞記者。南極3回、北極へは8回、パタゴニアやヒマラヤの氷河も取材した。 2003年11月~2005年3月、女性記者で初めて南極観測隊に同行して越冬。45次隊で、昭和基地から1000キロ遠征、-60度のドームふじ基地に暮らして氷床掘削を取材。2009年11月~2010年3月、51次隊でセールロンダーネ山地地学調査隊と氷上で40日間、隕石探査を取材した。 北極・グリーンランドへは5回。氷河や海氷観測、氷床掘削を取材、エスキモーの犬ぞり猟に同行。ノルウェー北部のスバルバール諸島などへも赴いた。著書に「くらべてわかる地球のこと 北極と南極のへぇ~」(学研、2020年読書感想文課題図書)、「南極で宇宙をみつけた!」「こちら南極 ただいまマイナス60度」(草思社)。また、2001年9月11日の同時多発テロ実行犯の生涯を追った共著で「テロリストの軌跡」(同)、「南極ってどんなところ?」(朝日新聞社)、2011年の東日本大震災で津波被災地を取材した連載をまとめた「プロメテウスの罠」(Gakken)など。

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