日本の南極地域観測事業を支える企業たち 第14回

株式会社大原鉄工所 〜日本の南極観測事業を雪上車で支える〜(その2)

第62次南極地域観測隊員インタビュー 

越冬隊員 古見直人(機械・雪上車担当)

インタビューは遠隔で10月20日に行いました。
聞き手は 渡邉研太郎(日本極地研究振興会常務理事・国立極地研究所名誉教授)

第一部では、南極観測隊に参加するきっかけ等をお話しいただきました。今回の62次隊での越冬について、更にお聞きします。

渡邉(以下W):62次隊でこれをやってみたいと思うこと、楽しみに思うことはありますか。

古見(以下F):生活の面では普通にやればいいと思っています。毎回そうですが、やはり国内でやらないことは、南極でもやらないので。2回連続でドームふじに行く時に、特に帰ってきてすぐ1週間後に2回目に行く時に、メンタル的に自分を持ち上げていけるだろうかというのが、楽しみというか、自分としてはチャレンジだと思います。ドームに行くメンバーも同じ62次隊ではなく、次に来る63次隊の人が一緒なのであまりコミュニケーションがまだできていないだろうし、自分があまり面識が無い人とコミュニケーションがすぐにできる方ではないので、そういったところがいろいろと挑戦的だと思います。

W:越冬隊員に心理調査をしてみたところ、第3四半期現象というのがあって、越冬を4つに分けると3つめの頃に、情緒が不安定になるということがあるようですね。

F:そうですね、ミッドウィンター過ぎた頃からちょっと違うなという人がいますよね。

W:人によっては慣れす過ぎて、事故を起こしてしまうとか。研究者だと欲しいデータがとれていなくて焦ったり落ち込んでしまうとか、その頃ですよね。

F:それから、人によってはドームに行きたいと思っていても行けなかったり、南極に来たくてもなかなか来れなかった人がいたり、そういったことを思うと自分は何回も来ているので幸せだなというか、しっかりやらないといけないなと思います。そういうことをあまり前面には出さないようにはしていますが。 W:確かに、選ばれて南極に来ることができたというのは、自分でも嬉しいことでもあるし、また周囲の人から見ればうらやましいこともある。

基地での雪上車オペレーション(大越崇文氏提供)

F:そうですね、37次があったから54次に繋がって、そしてそれがまた次に繋がって、57次・60次、今回(62次)とあって、もうここ10年ぐらい南極にずっと関わっている。その分、普段の仕事に戻ったとき大変かなとも思いますが、自分としてはやはり南極に関われるのは幸せ感じだなと思っています。2回目の54次は、ほんとうにもう一度行きたくて、行きたくてどうしようもなかったので。そして、それからどんどん繋がっているので。まさか連続で行けるようになるとは思っていなかったです。なぜか縁があって62次隊まで繋がったという感じです。

W:そうですね、初めての時などは一期一会というか、もうこれで南極は最後だと思ったということですよね。ところがそれが、また次に繋がっていて。

F:なので、とりあえずまだ南極に来たことがなくて来るつもりがある人は、いろいろ面倒なことは考えずに「とにかく1回来てみな」と思いますね。1回来てどんなものか自分で感じて、「また南極に来たい」と思うか「もう南極はこりごりだ」と思うかそれは自分次第だと思います。そしてその自分次第なところをどういうふうに持って行けるかというところだと思います。

54次隊の時は、自分で行きたいなと思っていたので、知り合いの人から話をしてもらって行けることになった。そうしたら経験者なので設営主任で来てくれと言われて。62次隊は、そういった役割がないので、そういう意味で少し楽しんでいけるかなと。

W:62次隊は世界的なコロナ禍で、日本の南極観測隊史上初めて無寄港で昭和基地へ向かうことになました。「しらせ」の出発前訓練では、洋上給油訓練などもやったそうですね。観測隊も冬の訓練は通常通りでしたが、その後はなるべく顔を合わせた集会を避け、会合をオンラインでやったりと。

F:夏の総合訓練は無くなって、事前説明会という形で隊員室に入ってからやりましたね。通常、冬の訓練は顔合わせ的な役割で、夏の訓練でどんどん仕事の話をつめていくという感じですが、今回は冬の訓練でも、あまり親睦を深めるようなことはできなくて、隊員室に来てからも、そういった機会がなかなかなくて親睦を深める機会が少なかったですね。この後、船の上で親睦を深めることになりますね。

W:そうですね、チームワークでやることなので相手のことがいろいろとわかっていないと、すぐに話が通じないですよね。

F:その1つの方法が飲み会で。

W:横須賀から船で行くので、そこで親睦を深めることになるのでしょうね。

F:そうですね。昭和に着くまでにどのくらい親睦を深められるのかですね。

W:62次隊の「しらせ」からの支援はどのような内容ですか。

F:建築・建物の解体や発電機のオーバーホールなどが夏作業であります。期間が短いので、常に20~25人の「しらせ」乗組員の方に支援をお願いしています。20日間ぐらいですが。夏作業期間は30日ぐらいで、その中でいろいろな作業をして、越冬隊からの引継ぎもあって、やはりなかなか厳しいですよね。

W:人数も通常より少ないですしね。

F:62次隊は、やること・作業は初めてではないですが、環境的に初めてのことばかりですね。一番の初めてのこと、誰も経験したことがないのは、2週間の検疫の隔離期間を経てそのまま「しらせ」に乗り込むということですよね。だから家族とのお別れは、その隔離期間前です。いろいろ準備が前倒しで来ていることもあって大変です。

W:2週間の検疫隔離期間はストレスが溜まりそうですね。

F:そうですね、船の上でも集まってそんなにいろいろとできないですし、途中でオーストラリアに寄港して休むこともできないですし。

基地調理場で(橋本大志氏提供)

W:南極を目指す人たちにメッセージがあれば

F:行きたいと自分の中だけで思っていてもダメで、周りの人があきれるぐらい外に出して言い続けることが大事だと思います。言い続けていれば、いずれ行ける可能性もあるし、言い続けることによって、周りの人もそういう目で見てくれるようになる。自分でも本当に行きたいと思っていれば、人間的なところ・技術的なところも含めてそれに合った行動を取るようにしますよね。周りの人に認めてもらえるように行動しようと。だから、本当に言い続けること、思い続けることが大事だなって思います。それがなかったら、南極に行っても「なんでこんなところに来たんだろう」ってなると思います。

変に理想・幻想をいだき過ぎで来るのもダメですけど、ある程度、幻想というか南極でやりたいことがあると思います、とにかく来なければそういうこともできないので、繰り返しになりますが、来たいのだったらあきらめずに言い続ける、思い続けるということが一番大事なのだと思います。

W:そうですね、自分の中だけでなく外に出すことが大事。

F:そうです、自分の中だけで思っていても周りの人に見えないので。見える形でアピールをしないと、思っているだけで終わってしまうと思うので。あとは南極のことをよく調べて、何をやったら行けるのかということを自分でも調べ、そのために努力する。その努力しているのを周りの人が見て、認めてもらえば行くために助けてもらえる。周りの人の助けも必要だと思うので、どうしたら助けてもらえるのか考えて。何をするにも考えながらやらなければダメですよね。その考えながらやっていることが、いずれは南極に行くことに繋がると思います。

W:今日はお忙しいスケジュールの中、時間をとっていただき有難うございました。これから横須賀での隔離生活までの残された間に、いろいろと予定が詰まっていると思います。安全第一!健康第一!でみなさま無事に帰国して再開できるのを楽しみにしています。まずは「しらせ」のご安航を祈念いたします。

以上

古見直人(ふるみ なおと)プロフィール

(株)大原鉄工所に入社し、第60次隊で昭和基地越冬中に今回の打診があった。普段は環境や水門、油井関係の仕事に従事。これまで第37・54・57・60次越冬隊に参加し、観測隊の設営主任も努めた。赤いスニーカーの52歳。

インタビューアー:渡邉研太郎(わたなべ けんたろう)プロフィール

1979年に国立極地研究所生理生態学部門の助手に採用、アイス・アルジーを研究。第22次夏隊を皮切りに南極観測隊に7回参加し、第41、46次隊では越冬隊長、第54次隊では観測隊長を務めた。2020年7月から日本極地研究振興会常務理事。

(株)大原鉄工所紹介

新潟県長岡市に1907年(明治40年)に石油削井機の機械部品製造会社として設立され、2017年に創業110周年を迎えた。1952年にわが国で初めて雪上車の量産を開始し、現在では唯一の国産メーカーとして南極観測用雪上車、自衛隊用雪上車、スキーリゾートで活躍するゲレンデ整備車等を製造している。さらに、下水処理プラント、リサイクル機器及びプラント、バイオガス発電設備等の分野でも事業を展開している。南極地域観測隊に毎年社員を派遣し、昭和基地や内陸で使用する雪上車の整備を担っている。

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