シリーズ「南極観測隊員が語る」第10回

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紅は黄茅白葦に在っても隠れなし

山田 恭平(第59次南極地域観測隊越冬隊員)

 筋力はないし、持久力もない。頭が回るわけでもないし、人付き合いが良いわけではない。最後がいちばん苦手だ。それでも南極観測隊員だ。

 そんな淀んだ胸懐で、暗く冷たく不安定な南極で過ごすためには、心を繋ぎ止めるものが要る。舫が要る。灯台が要る。特に旅に出るとなれば、戻るために繫ぎ止める存在が必要だ。

写真1:内陸旅行中の薄明(2018年9月)

 2018年9月。第59次の越冬生活も半ばを過ぎた頃、一ヶ月ほど内陸旅行に出た。目的地は映画『南極料理人』の舞台であったドームふじ基地より手前、みずほ基地からドームふじ基地までのちょうど半分の地点にある中継拠点だ。こんなふうに地点名を挙げたところで、詳しくない人間ならひと昔前ならどこがどうなのかもわからなかっただろうが、現代では検索エンジンのサービス多様化で容易に検索ができる。

図1:南極大陸の日本の4基地と各国の基地の位置

 地図で見てもらえばわかるだろうが、日本の基地のうち、昭和基地を除いた3基地(みずほ基地、ドームふじ基地、あすか基地)はいずれも大陸内陸に存在するが、これらの基地には現在のところ人間は定住していない。内陸にある基地というのはそれだけアクセスしにくく、利便性が悪いのだ。世界的に見ても、南極の基地というものは昭和基地のように、アクセスしやすい沿岸域に集中している。

 そうなるとしぜん、観測も沿岸域に集中する。これでは南極の詳細な気象データがわからない、というわけで内陸に自動気象観測装置を設置する動きがある。今回の内陸旅行の主たる目的もそれで、中継拠点に自動気象観測装置を設置することである。

写真2:自動気象観測装置の例。H128拠点に設置されているもの

 なんでも言うは易いが為すは難い。内陸へは通常、雪上車で向かう。雪上車の時速はせいぜい10km。足場が悪いともっと落ちる。2kmごとに旗が立っている。方向の目印となるルート旗。降った雪の深さを測る雪尺の意味合いも兼ねる。2kmごとに降りてその長さを測る。短くなっていれば交換する。アイスドリル。旗。札。結束バンド。分厚い手袋をつけたままでは、細かい作業を行うことは難しい。

 秋分から寒露のこの季節、日本では寒さを感じ始める時節かもしれないが、南極では違う。南半球なので季節は逆転し、冬が明けたばかりの頃だ。昭和基地では冬でも寒くなってせいぜい零下30度をいくらか下回る程度だが、分厚い氷床が3,000m標高を作り出す凛冽たる空気は格が違う。この旅行の中では明け方に零下60度を体験した。

写真3:9月の内陸旅行中、大陸氷床斜面上

 馬鹿みたいに一生懸命なエンジンが回っているため、雪上車の中は寒くはない。エンジンが動いている限りは。だがいつまでも中でぬくぬくとしていられるわけではない。観測、橇連結、雪落とし、燃料給油。魔女の乳首のような厳しい冷たさは鋭く食い込み、爪と指の腹の間に針を刺し込まれるような痛さを生む。だだっ広い雪原の中、ルートを外れぬように赤旗とGPSを見比べて進む。時間は限られている。何もかも予定通りにはいかない。ブリザードで足止めを食らう。みずほ基地では3日間、移動を停止した。その遅れを取り戻すためには、夙夜走り回るほかない。

 この疲れを癒す方法はひとつだけだ。

 そう。 キャロムである。

写真4:キャロムを行う59次隊員

 キャロムというはビリヤードの一種だ。中高年ならまだしも、若い世代にはビリヤードは馴染みがないだろうが、キャロムというのはビリヤードをやったことのある世代からしても理解しがたいものだろう。なにせ、穴がないのだ。一般的にビリヤードといえば長方形の台の四隅と四辺の間に穴が空いていて、そこに球を落としていくものだが、キャロムは違う。台には穴は空いておらず、白と黄色と、それに赤が2つ、合計4つの球を使って——いや、いい。細かくルールの説明はすまい。詳しくはお手元の端末で調べていただければよい。ここは南極ではないのだ。通信容量を気にする必要はない。

 昭和基地には、キャロム台があることは一度でも基地を訪れた人間ならば誰でもご存知だろう。なにせ管理棟一階、食堂へ向かう間に必ず通るバーに鎮座している。たったの一台のキャロム台。掛け替えのないキャロム台。59次隊では幾度ものゲームが行われてきた。

 断っておくと、南極へ越冬するまでの間、わたしはビリヤードはほとんどやったことがなかった。中学生の頃に一、二度と、北極ニーオルスン基地にある台でやったことがある程度で、しかもそれらはポケットであった。キャロムなど、最初は不良品かと思ったくらいだ。

写真5:昭和基地バーのキャロム台

 どのような経緯で59次隊でのキャロムが始まったのかは覚えていない。が、いつのまにやらキャロム中毒の人間が増えてきたのは確かだ。越冬隊の1/4程度は腰から首までキャロム沼に浸かっていたのではなかろうか。毎日キャロム。キャロムキャロム。キャッキャッキャロム、キャロキャロム。手が空けばキャロム。棒があればキューに見立ててキャロム。雪はボール、スコップがキューと考えると、雪かきは実質キャロムだ。ボールは惑星を、キューが見えざる重力を表していると仮定すれば、宇宙の真理に到達できるかもしれない。そんなふうにキャロムで遊んでいた。

 これが心の支えになったことは確かである。

 もちろん、キューやボールならともかく、キャロム台を内陸旅行に持っていくことはできない。できたとしても、基地に残っている面々から反対されるだろう。

 が、それでも「帰ったらキャロムをやる」というのが心にあったことは確かで、これがあったからこそ極寒も、暗夜行路も何もかも享受できたのだ。

 11月から1月にかけては、今度は予定外の二度目の内陸旅行もあった。今度は夏で気温は上がっているとはいえ、(新)ドームふじ基地までの2.5ヶ月間という二倍以上の期間であるが、この道程を耐えられたのも、キャロムのおかげだ。

写真6:ドームふじ基地近隣の浅層掘削キャンプ地で寝泊まりしていたテント

 とはいえそれも1月末まで。2月になり、昭和基地を出て船に乗ってしまえば、もはやキャロムをすることはかなわない。揺れる船の上ではやりようがないからだ。

 が、日本に帰ってからも、キューを握っていない。最後にキューで球を衝いてから約半年。南極よりも、キャロムは遠い。あるいはそれは、日本の穏やかな生活に戻り、キャロムで心を支える必要がなくなったかもしれない。

 7月、信州信濃。天に月、地にはボール、手にはキューという生活は遠く。

山田恭平(やまだ きょうへい) プロフィール

1988年生まれ、栃木県出身。長野県環境保全研究所飯綱庁舎、環境保全特別研究員。東北大学大学院理学研究科地球物理学博士課程後期修了、博士(理学)。第59次南極地域観測隊に越冬隊、気水圏一般観測研究として参加。中継拠点旅行やドームふじ旅行にて大気の状態を観測するためのラジオゾンデ観測などを行う。越冬以前のビリヤード経験は2回(地元の漫画喫茶とノルウェー基地)のみ。越冬中は内陸旅行時期以外の大会にはすべて参加。公式戦タイトルなし。

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