南極さんぽ-Oh the places we can go!-#4

 林 由希恵

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林プロフィール

PARADICE HARBOUR(パラダイス・ハーバー)

パラダイス・ハーバーに行くなら曇天が最高。暗いグレーの海に氷の青が引き立つ。
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序章

私の学生時代の反抗期は激しかった…と思う。心の底から押さえられないほどの衝動で両親を毛嫌いした。この親から産まれてこなければよかったなど、今思えばなんであんなに、と猛省するほどの感情を持て余していた。私の態度に傷つきストレスから円形脱毛症をわずらってなお毎日お弁当を作り続けてくれた母。毎日学校の送り迎えを続けてくれた父。反抗期を過ぎてからは申し訳なくて頭が上がらず、どうにか過去の失態を繕えないかといまさらながらに親孝行を画策している。
パラダイス・ハーバーの一番奥にあるスコントープ・コーブ(入り江)にある氷河の前に行くと、「この光景を両親に見せることができたならば、もしかしたらすべて許されるのではないか」と思ってしまう。私にとっての南極の心臓なような場所に感じる。数千年も押し固められた硬い氷があたかも柔らかい豆腐のようにもろもろと氷河(氷の河)として流れ落ちてきている様子を眼前に大迫力で見ることができる。静と動、そして永い時間をかけた自然の命が感じられる。
いつか…と思って今日もまたパラダイス・ハーバーでゾディアック船(小型船8‐10人乗り)を走らせる。

スコントープ・コーブの氷河壁面。これでも400m以上離れている。
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アルミランテ・ブラウン基地

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アルゼンチン海軍の提督ウィリアム・ブラウンはアルゼンチン海軍の父として広く国民に慕われている人物です。その名をつけられたこの調査基地は、現在ではほとんど調査研究に活用されてはいませんが、建物のメインテナンスに数名のスタッフが夏の間駐在しています。パラダイス・ハーバーの懐にたたずむ、この基地の後ろには50mほどの高さにまで登ることができる傾斜が続き、登る元気のある人たちにとっては頂上からパラダイス・ハーバーを見下ろすパノラマ展望台として役立っています。

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氷河と氷山

南極は砂漠気候です。年間降水(雪)量は50mmを超えず(*地域や年度によることがある)、降った雪はさらされるうちに乾燥した空気に触れて蒸発していくことが多いそうです。積もり重なることができた雪が年々重なり、重さでつぶされてゆき、氷になります。空気の粒をいっぱい含んだ氷はやがて何百メートル、数千メートル下で押しつぶされるうちに、気泡部分がつぶされて行き、最後には気泡が全く見えなくなった/消えてしまった透明な氷に変化します。南極では、透明な氷になり、そして氷河として海に到達し、崩れて氷山となり、さらに細かくなって、私たちに拾い上げられるぐらいになるまで、最低でも1万年かかるといわれています。大気汚染も、人類さえもいなかった時期に降り積もった雪…。永い永い時間をかけて私たちが手にするこのミネラルの結晶には壮大な浪漫を感じます。触覚・嗅覚・視覚を圧倒する経験をした南極での一日の終わりに、その氷を浮かべて飲むウィスキー(またはコカ・コーラ)は心の何かを揺らしてくれるでしょう。

透明で澄んだ氷は硬く、重たい。多くの人が、オン・ザ・ロックを楽しむ。
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基地とともに生きる

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通行はペンギン優先。アクセスが簡単なところに巣をつくるジェンツーペンギン。

アルミランテ・ブラウン基地には面白い歴史があります。アルゼンチン政府から派遣された一人の医師がいました。やっと1年間の南極基地での任期があけて、来週には家族のもとに帰れると心待ちにしていたところ、迎えに来た船を目前にしてアルゼンチン政府より「あと1年いてくれ」と要請が出されます。拒否権などなかった時代、あまりのことに悩み荒れたその医師はその日基地に火をつけました。火事になって基地が燃えれば家族のもとに帰れる、そう思ったのです。結果、隊員全員が避難・帰国となり彼は本国に帰って監獄に収監されそうになりましたが、有力者のつてで何とか刑罰は免れたとか…。今ではその燃えた建物跡はジェンツーペンギンたちが営巣地を作り上げています。

雪が解ける前に巣の陣地合戦は始まる
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古い古い岩肌で生まれる新しい命

パラダイス・ハーバーの地層年代は古く、ほぼ地球が出来上がった時の基盤となった地殻が露出しています。地質学者が多く訪れる場所でもあります。南極は気温が低いためバクテリアやウイルスなどの菌が少なく、腐食作用もあまり進みません。また短い夏が終わると氷と雪で覆われてすべてのものの表面が保全されるので風雪による浸食作用も遅い特殊な環境です。そのごつごつした複雑な岩肌にキバナウたちが営巣しています。羽で空を飛ぶように泳ぐペンギンと違って、足をプロペラ代わりに水に潜る彼らは深さ50mまでも潜ることができ、巣の材料となる海藻をあつめて運ぶ姿がよく見かけられます。夏の終わりには、巣から飛び立ったヒナたちが水面で幼稚園グループのように集まって泳ぎの練習をしてる様子がとってもほほえましいです。

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終章

ゾディアック船でクルージングをするとき、私はいつも「今日このボートに私の両親が乗ってるとしたら、何を見せたい?どうしたら一番親に喜んでもらえるか?」と考えることにしている。自分にとって、ガイドとしての一番のパフォーマンスを見せたい(もしくは、手を抜かない)相手は両親だろうと思うからだ。その日、その場所で、その状況において最高の経験をして帰ってほしい。そのモチベーションを維持する私の小さな秘密である。

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執筆者紹介

林 由希恵

極地専門の探検船(観光・調査補助等)オペレーターであるQuark Expeditions社にて1年のうち南極5か月+北極5か月間に及ぶ期間を極地の専門ガイドとして両極で過ごしている。IAATO(国際南極ツアーオペレーター協会)やAECO(北極クルーズ旅行運営協会)の認定ガイドとして経験を積み、2019年にはPolar Tourism Guides Associationの日本人唯一のSenior Polar Guide(上級極地ガイド)に認定された。主な活動域は南極半島・亜南極の島々、北極4圏(ロシア、ノルウェー、グリーンランド、カナダ)。