観測隊

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シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」 第24回

南極基地の発電設備石沢賢二 元国立極地研究所技術職員 1. はじめに  南極には20か国、41箇所(2017年)の越冬基地があります。そのほとんどは、船が接近しやすい沿岸部にあり、そこから1,000km以上も離れた南極大陸氷床上には、米国のアムンセン・スコット南極点基地、フランス・イタリア共同運営のコンコルディア基地、ロシアのヴォストーク基地しかありません。沿岸、内陸を含め、それらの基地の電力は、

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」 第23回

内陸の前進拠点・みずほ基地 (その3 20次隊から27次隊) 石沢賢二 元国立極地研究所技術職員 1. 30m観測用タワーを使った研究 第20次隊が建設した30m観測用タワー(図1)を使って大気・雪氷関連の研究が行われました。放射収支や大気境界層、飛雪空間密度の高度分布などの観測です(1,2,3,4)。ブリザード時の飛雪の高度分布で思い起こされるのは、第1次隊の西堀越冬隊長が行った「タバコの空き缶

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第22回

内陸の前進拠点・みずほ基地 (その2、15次隊から20次隊までの活動)石沢 賢二 (元国立極地研究所技術職員) 非常時の頼りは雪上車  前回は、15次隊の越冬終了間際に、発電機エンジン周辺で火災が発生したことに触れました。みずほ基地は、昭和基地から約300kmも離れた内陸にあり、冬期に大きな事故が起きたら大変ことになります。最も怖いのが火災です。基地が使えなくなった時の逃げ場は、11次隊が建設した

シリーズ「南極観測隊エピソード」第19回 南極観測と朝日新聞

韓国からのオブザーバーと同室で南極に向かう 柴田鉄治(元朝日新聞社会部記者)  私が新聞社を定年退社し、関連企業、さらには大学の客員教授も終えた70歳のとき、「もう一度、南極へ行こう」と思い立ち、40年ぶりの南極行が実現した話は前回までに記した。7次隊から47次隊と、40年の間に記事の送り方が大きく変わったため、45次越冬隊に同行した中山由美記者と武田剛カメラマンの指導を受けて、カメラもパソコンも

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第21回

内陸の前進拠点・みずほ基地 石沢 賢二(元国立極地研究所技術職員) 1.はじめに  日本隊として初めての内陸拠点である「みずほ基地」を取り上げます。今では基地全体が雪の中に埋没し、人の立ち入りができなくなりましたが、筆者が第19次隊で南極観測隊に初めて参加したとき、丸々1年間過ごしたのがこの基地でした。当時筆者は大学院を休学して観測隊員となり、昭和基地から約300kmも離れたこの基地に雪上車でやっ

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第20回

ロストポジション 石沢 賢二(前国立極地研究所技術職員) 1. 道に迷う  登山者が道に迷って遭難したというニュースはたびたび聞かれます。道に迷うとは、自分がどこにいるのか地図上で同定できなくなることで、ロストポジションとも言います。その多くは、下山時に道を見失い、谷に入り込んで起こることが多いようです。道なき谷を下る途中で体力を消耗し歩くことができなくなります。いったん道に迷ったら、「下ることを

シリーズ「南極観測隊エピソード」第18回 南極観測と朝日新聞

70歳で南極・昭和基地を再訪 柴田鉄治(元朝日新聞社会部記者)  私は、30歳のとき、第7次南極観測隊に同行取材し、その2年後、第9次観測隊の「極点旅行隊」(村山雅美隊長)を取材するため、米国に頼んで南極点の米国基地に飛行機で先回りし、到着の様子を記事にしたことは、前号までに記した。 この2回の南極行で、ペンギンや氷山、白夜といった大自然の素晴らしさだけでなく、南極条約によって国境もなければ軍事基

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第19回

南極での火災 石沢 賢二(前国立極地研究所技術職員) 1. はじめに  前回取り上げたのは、一酸化炭素中毒についてでした。今回は、南極で最も恐ろしい火災についての話題です。南極は低温のため、水分は凍り付き、空気中に含まれる水蒸気の量は絶対的に少なく、とても乾燥しています。また、消火用の水も大量に得られません。昭和基地は小さな島で、周囲は海に囲まれていますが、通常は夏でも厚さ約2mの海氷に覆われてい

シリーズ「南極観測隊エピソード」第17回

南極観測と朝日新聞その17 極点旅行隊到着シーンの再現 柴田鉄治(元朝日新聞社会部記者)  村山雅美隊長が旅行隊の南極点到着のシーンを、翌日、取り直すことにした理由の第一は、NHKの隈部記者に対する同情の気持ちからだったが、もう一つ、到着のシーンが「旅行隊の記録」から欠けてしまったら困るという、旅行隊としての事情もあった。  翌日、米国隊員たちも協力してくれて、南極点付近は前日と同じようににぎやか

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第18回

南極での一酸化炭素中毒の恐ろしさ 石沢 賢二(国立極地研究所極地工学研究グループ) 1. 第1次隊が持ち込んだカナリア  昭和32年に始まった昭和基地の越冬隊には、11人の隊員、19頭のカラフト犬の他に、さらに2種類の生物がいました。ひとつは「たけし」と名付けられた1匹の猫です。この猫は、観測船「宗谷」が出港する前々日の昭和31年11月6日に、「南極事務室」に3~4人のご婦人方が現れ、「一匹の子猫

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