急変する北極
~GRENE 北極気候変動研究事業(2011ー2015年度)~

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ーシリーズ「南極・北極研究の最前線」第1回ー

山内 恭(国立極地研究所特任教授)

—GRENE 北極気候変動研究事業(2011—2015年度)— 近年、北極は地球温暖化に伴う夏の海氷域の急減、地上気温の急上昇、氷河の縮小、永久凍土の融解など、様々な気候・環境の変化が起こり、単に科学的な側面ならず、社会的にも大いに注目される様になってきた。図1に、地球全体の気温の変化と併せて北極の気温変化を示しているが、1970年代以降北極の気温上昇は著しく、地球全体の平均の気温上昇の2倍以上の早さで温暖化していることが分かる。

 図1. 観測された地上気温偏差(1880-1890年を基準)、緯度帯毎の9年間移動平均(Shindell and Faluvegi, 2009)

このことを、北極の「温暖化増幅」と呼び、その原因の解明、影響の理解に多くの研究が進められている。北極の中心は海であるが、通常、海面は凍って海氷が覆っている。冬にはシベリア、アラスカ、カナダに囲まれた北極海は全て海氷に覆われ、太平洋側ではオホーツク海にまで広がり、その南限は流氷として北海道まで及んでいることは良く知られている。夏は周辺の海氷は融けて海氷の広がりは縮小するものである。ところが、この30年、夏の海氷域の広がりは徐々に狭まり、特にこの10年の減少が著しい。図2には、最近で最も海氷域が狭くなった2012年9月の様子を示しているが、このような人工衛星からの観測ができるようになった当初の1980年代に比べ、約半分の面積になってしまっていることが分かる。

図2 2012年9月の海氷分布(白いところ)、1980年代の約半分になっている(ADS より、JAXA)

このような状況の中で、北極気候変動のことを調べようと、大型の北極研究が進められている。これが、グリーン・ネットワーク・オブ・エクセレンス事業(GRENE)北極気候変動分野(GRENE プロジェクト)で、わが国の北極研究者が総力を挙げ結集しているプロジェクトである。国立極地研究所が中心に、海洋研究開発機構ほか多くの大学、研究機関が協力して当たる初めてのオールジャパンの体制で進めている。北極温暖化増幅がなぜ起こるのか、どういう仕組みなのか、また、北極が変化することによって中・低緯度、地球全体にどう影響し将来的にどのようになっていくのか、さらには水産資源や日本付近の気象にも影響するのか、そして海氷がどのように減って、そのことによって北極海を通過する航路が実現するのか、といった疑問に答えることを目標にしている。そのため、大気や海氷・海洋、雪氷、陸域環境、生態系など多くの分野の観測、解析、モデル研究を融合的に進めている。 プロジェクトは、2011年開始以来、既に4年を経過し、その間、北極を周る様々な場所、スバールバルから、ロシア・シベリア、アラスカ、カナダ、グリーンランドに北極海と多岐にわたる場所で観測が行われてきた。特に、国立極地研究所の基地があるスバールバル・ニーオルスンには、高精度の雲レーダーが設置され、大気の集中観測が行われている。また、北極海では観測船「みらい」や砕氷船の航海が行われ、係留系の観測も進められた。取得したデータは北極データアーカイブ(ADS)に蓄積され、解析用のインターフェイスとともに供されている。また、原理的な物理モデルから大循環モデルまで、様々なモデル研究が進められて来た。これらの観測・研究を通じ、新たな研究成果が生まれている。 北極温暖化にどの仕組みが効いているか、スーパーコンピュータにより大気・海洋大循環数値気候モデルを動かし調べた結果が図3である。

図3 スーパーコンピュータにより大気・海洋大循環数値気候モデルを動かし調べた温暖化増幅への寄与、温度変化として表した。変化が最も大きいのが「氷・ 雪—アルベド・フィードバック」(ALB)で、雲の働き(CLD)も効いていることが分かった(Yoshimori et al., 2014)

温暖化増幅への寄与が最も大きいのが「氷・雪—アルベド・フィードバック」で、温暖化すると氷や雪が融け、海面や地面が現れ、太陽光をより多く吸収して温まり、その結果さらに氷の融解が促進するという繰り返し増幅の働きである。雲の働きも効いていることが分かった。 気候モデルや気象データ解析を併せ、海氷が減少したことが大気を通じて北極海や周辺のアラスカ、シベリア沿岸それにオホーツク海等を温めるが、一方中緯度のアメリカ東海岸、西ヨーロッパ、ユーラシア大陸東部から日本までは寒冷化させていることが分かり、その仕組みが調べられた(図4)

図4 海氷が減少したことによる、中緯度気候への影響。アメリカ東部、西ヨーロッパ、ユーラシア大陸東部から日本に寒冷化している所が現れている(Nakamura et al., 2015)

海氷が開くことにより海からの熱が大気を温め、上空の空気の流れの場、大気循環を変え、北極を周る大気の環状の流れは弱まって(「北半球環状モードNAM」、「北極振動AO」が負の位相になったと言う)蛇行が大きくなり、南の温かい空気が北極に流れ込んで温暖化を促進し、北極側の冷たい空気が中緯度に流れ下り寒冷化が進んだと説明されている。さらに上空の成層圏を通じても、地球温暖化で冷えている成層圏を温め、成層圏の強い西風、極渦を弱め、それが再び下方に伝わり対流圏、地上を温めるのに寄与しているということである。この結果の一端で、ジェット気流の蛇行に伴い気圧場の東進を抑えるブロッキング現象が起こり、今年(2015年)の冬、1月から2月にかけて北海道東沖に低気圧が停滞し、低温、暴風雪が続いたと考えられている。 海氷分布の変化が観測やモデルから調べられ、その将来の予測が進められた。その結果、将来的に夏の一定期間、海氷の開いた水面が広がり、船舶の航行が可能になると予測されている(図5)。

図5 北極航路開設の可能性

この結果、北極航路(特にシベリア岸を「北東航路」と呼ぶ)が航行可能となれば、アジアからヨーロッパへの船舶の航路が従来の南回りスエズ運河経由やさらには喜望峰経由よりはるかに短縮され、燃料の節約はじめ大いに経済効果があるというものである。海氷減少の仕組み解明から、海氷分布予測といった自然科学の分野から、航路予測、航海支援、経済性評価による航路決定という社会科学的な側面まで、含んだ貴重な研究が進んでいる。 北極海に面する国は5カ国(ロシア、アメリカ、カナダ、デンマーク=グリーンランド、ノルウェイ)、北極圏に入る国でも8カ国(上記+スウェーデン、フィンランド、アイスランド)である。そこに、わざわざ遠い日本から観測に出かけて研究する意味はあるのだろうか?それは、既にお話したように、北極の変化が北極だけにとどまらず、広く地球全体の気候に影響があること、グリーンランド氷床や氷河の盛衰は世界中の海面水位の変化を及ぼすこと、その中で日本の気象にも密接に関係していること、水産資源にも関係すること、等々、私たちの生活と強い結びつきがあるためである。さらには、わが国の進んだ科学・技術で北極の問題解明に資することで、北極域に生活する先住民の人々をはじめ北極圏の国々に、さらには、温暖化や海面上昇の被害を受ける可能性の高いアジア熱帯域の国々の人々にも貢献できることが期待される。そのため、北極圏8カ国で作られている北極評議会(Arctic Council)にもオブザーバ参加し(2013年より)、国際政治の世界でも北極の問題に関与しようという機運が高まっている。まさに今、北極研究を通じた貢献が望まれている所以である。

山内 恭(やまのうち たかし)プロフィール

国立極地研究所名誉教授、特任教授、総合研究大学院大学名誉教授。 1978年東北大学大学院理学研究科修了、理学博士。東北大学理学部助手、国立極地研究所助手、助教授、教授を歴任。南極観測隊には4度参加、第38次隊の隊長兼越冬隊長、第52次隊の隊長兼夏隊長を務める。また1985年にアメリカ南極点基地を訪問し、北極地域は1993年以来多数回訪問する。2000年および2002年にドイツアルフレッド・ウェーゲナー極地海洋研究所と共同の北極航空機大気観測を実施した。専門は大気科学、極域気候学。
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