シリーズ「南極観測隊員が語る」第8回

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オーロラの新たな謎に挑む

第59次南極地域観測隊員インタビュー
越冬隊一般研究担当隊員 内田ヘルベルト陽仁


情報処理棟屋上で高速カメラの絞りの調整(昭和基地にて)

南極に行くきっかけ

福西 まず、南極に行くことになったきっかけをお聞かせください。
内田 最初のきっかけは国立極地研究所の片岡龍峰先生とお話しする機会があったことです。私は2015年の日本地球惑星科学連合の大会で研究発表したのですが、その時、片岡先生から、「これからどのように研究を続けていくのですか」と聞かれたのです。ちょうど修士課程が終わった時で、博士課程をどこにするか考えていたので、「今は博士課程をどこでやるのか探しているところです」と答えました。すると、「極地研究所の総合研究大学院大学に入れば自分の観測装置を持って現地に行って、自分でデータを取って研究することができるのでとても面白いよ」と言われたのです。修士課程では電離層の研究をしたのですが、元々の興味が自然の中の電気現象だったので、オーロラの研究は面白そうだなと思い、総合研究大学院大学を受験して極域科学専攻に2015年の10月に入りました。
福西 入学後はオーロラの観測に参加したのですか。
内田 入学後すぐにアラスカに行き、オーロラを観測する機会がありました。その後、2回アラスカに行き、カナダとアイスランドにも行ってオーロラ観測に参加しました。北極でのオーロラ観測を経験して、南極でもオーロラ観測をぜひ自分でやってみたいと思い、極地研のいろいろな先生に南極でオーロラ観測がしたいと言っていたのです。
福西 それで今回南極に行けることになったのですか。
内田 去年の12月に、59次隊で一般研究観測でまだ枠が空いているという情報を極地研の門倉先生から聞きました。それでぜひ行きたいですと伝えました。研究テーマは「南北の共役オーロラ」にしました。高速カメラを昭和基地に設置すると、すでに2016年に共役点のアイスランドに高速カメラが設置しに行っていたので、オーロラの速い変化を共役点で比較できることになり、面白い研究ができると思ったからです。

昭和基地のオーロラ(2018年4月)

東海大学工学部航空宇宙学科でオーロラに興味

福西 オーロラの研究を目指そうと思ったのは博士課程に入った時でしたが、オーロラへの関心はもっと前からありましたか。
内田 はい、関心はもっと前からありました。私は東海大学の工学部航空宇宙学科に入学したのですが、その学科の航空操縦学の利根川先生がトロムソにオーロラを見に行くツアーをやると言われたのです。
福西 利根川豊先生は第34次南極越冬隊で昭和基地のオーロラ観測を担当され、私も昔から親しくしていますが、そういうツアーを企画されていたとは知りませんでした。
内田 利根川先生は、学部生向けのオーロラツアーを昔はよくやっていたが太陽活動11年周期で太陽活動が弱まっていたのでしばらくやっていなかったが、今年はやるぞと言われたのです。それで「行きます!」と言って、利根川先生と学生10名くらいでノルウェーのトロムソに行きました。それがオーロラを見た最初です。
福西 それはいつのことですか。
内田 入学して1年生の終わり頃の多分2010年の2月か3月だったと思います。
福西 その時はどんなオーロラを見ることができたのですか。
内田 ノルウェーのトロムソの町から少し離れたスカンディックホテルに泊まりオーロラを観察しました。その時はカーテンみたいなオーロラは見ることができず、緑色のもやっとしたオーロラを見たのですが、オーロラにもああいうのがあるのかというのが初めての印象でした。曇りの日が多かったので雲の切れ間を探して走ってくれるオーロラ観光バスがあったので学生5~6人くらいで乗ったんです。フィンランドとの国境近くまで走り、周りは何もない所でバスが止まってくれたので、そこでいろいろなオーロラを見ることができました。
福西 入学してすぐにオーロラを見るために北極圏にあるトロムソまで行ったとのとですが、航空宇宙学科を目指した動機やオーロラを見たいと思った動機は何ですか。
内田 子供の頃の興味は電子工作でした。それで高校の頃に大学では電気電子学科に行こうかと考えたのですが、電子回路はもうかなり分かった気がしたのです。そこでもっと不思議に思えるものは何かと考えた時に、自然の中で電気に関係する現象がいろいろあるので、それはどういう風にして起こるのかということに興味が移ったのです。東海大学工学部の航空宇宙学科を選んだ理由は、工学をやりながら理学の勉強もできるというのを強みとして持っている学科だったからです。超小型衛星プロジェクトがありまして、そこで衛星の地上局と通信系を担当したのですが、この活動を通して、何かを観測するということの難しさを考えさせられました。航空宇宙学科には宇宙環境の研究をされておられる三宅亙先生がいらっしゃいまして、これは面白そうだと思い、後に三宅研究室で電離層の変動予測を研究テーマに選びました。航空宇宙学科に入って興味の対象が電子工作や電子回路から自然の電気現象に変わったのです。それで入学直後にオーロラツアーの話を聞いたときに、それは面白そうだなと思い参加しました。

子供の頃の興味

福西 子供の頃の興味は電子工作だったとのことですが、なぜ電子工作に興味を持ったのですか。
内田 東京で生まれたので小中高とずっと日本の学校に通いました。小さい頃から祖父が秋葉原で内田ラジオというお店をやっていまして、真空管とか古いラジオ、それからアメリカ軍の使わなくなった無線機などを専門の方に修理して貰い、売っていたお店なんです。祖父が亡くなってから祖母がそれを継いで、5年前まで内田ラジオを秋葉原のラジオセンターでやっていたんです。そういう関係で家に電子部品とか無線機とか古いラジオなどがいっぱいあったんです。そういう環境で育ったので、幼稚園ではドライバーをもらってラジオを壊したりしていたようで、小学校に入る頃には誕生日にハンダゴテが欲しいと親に言ったのを覚えています。
福西 電子工作の他に興味を持ったものはありますか。
内田 高校は都立三田高校ですが、ワンダーフォーゲル部に入り、部長をやりました。昔はかなり大きな部だったようですが、私の頃は部員が5名程度の小さな部活だったのです。でも山登りが好きだった学生が集まっていて楽しい部活でした。山が好きになったのは小学校の頃からなんです。栃木に茶臼岳(標高1,915m)という山があるんです。そこに家族で毎年のように登りに行ったので、それで山が自然と好きになったと思います。

ドイツへの旅

福西 内田さんはヘルベルトというミドルネームを持っていますが。
内田 母がドイツ人で父が日本人なんです。父と母はドイツ語で話すんです。ドイツで出会って日本に来たので。私は母と話す時はドイツ語で、父とは日本語で話します。
福西 ドイツ語はどうやって覚えたんですか。
内田 聞いて覚えたんです。特に教わったということはなく、母がずっとドイツ語で話かけてきていたので、耳で覚えたんです。だから僕はドイツ語のスペルが分からないので書けないんです。でも日本語と同じくらいドイツ語での会話はできるんです。お母さんと喧嘩する時もドイツ語なんです(笑)。
福西 お母さんからドイツの話を聞いただけでなく、自分でもドイツに行っていろいろと見て回ったのですか。
内田 母方の祖母がドイツのシュトゥットガルトに居まして、小さい頃から何年かに1回ここに行っていました。
福西 ダイムラー、ポルシェ、ボッシュなどドイツを代表する世界的な企業の本社がおかれて工業都市ですね。
内田 そうですね。駅にベンツマークが回っています。大学生になってからですが、自分一人でドイツに行ってドイツをぐるっと1か月半かけて回ったことがあります。その時にドイツの歴史の部分に触れ、日本とドイツのいろいろな違いに気がつきました。兄が2人いるんですが、一番上の兄が当時ゲッチンゲンで材料の研究をしていした。その兄に会いにゲッチンゲンに行って分かったことですが、ドイツでは大きい町の周りに道路が環状にできていて、真ん中にはだいたい大学があるんですね。
福西 大学が町の中心にあるということはどういうことですか。
内田 いろいろ聞いたり本を読んで分かったのは、昔はお城が真ん中にあって、お城の周りを取り囲む様に道があって、お城では火薬や砲弾がどこまで飛ぶかを研究していたので、お城は化学や物理学の専門家が集まる場所だったんです。それが現代の学問に繋がっていったので、中心に大学があって、周りに道があるという造りになったんです。だから大学や道の位置が歴史と繋がっているのが見えてとても面白いですね。

日本文化とドイツ文化の違い

福西 日本の文化とドイツの文化を両方知って一番違うと思うことは何ですか。
内田 一番の違いは人の混ざりやすさでしょうか。ドイツ人の友だち中で近所に住んでいる小さい頃からの友だちがいるんです。みんないろいろな国が混ざっているのが普通なんですね。1人は6か国くらい混ざっていて、何分の1がどこの国か分からなくなっていて誰も気にしないんですね。日本にいると、私はドイツと日本なので小さい頃からハーフと言われるんです。別にそれを嫌に思うことは一度もなかったのですが、そういうのが嫌だという人がいるようです。日本は海に囲まれて孤立していますがドイツは陸続きで国境を接している国がたくさんあるという地理的な違いによると思いますが。
福西 日本人はあまりにも純粋なのでグローバリゼーションへの適応を敢えて言うところがある様な気がしますが、ドイツでは別にグローバリゼーションと言わなくても昔からいろいろな国が混ざりあっていたわけですね。
内田 教育の部分でグローバリゼーションとか外国語を学ぶということよりも人が混ざりやすい仕組みを作ることに自分は興味があって、その方が自然でいいんじゃないかなと思っています。
福西 他に感じる違いはありますか。
内田 挨拶の仕方に違いをすごく感じます。日本で挨拶する時は、「こんにちは」と空間に対して挨拶できることがすごいなと思うのです。新幹線の車両で車掌さんがやるのは全体に対しての挨拶なんですよ。その感覚は日本独特だと思います。ドイツの挨拶の仕方は目を見て、しっかり手を握る。
福西 挨拶に関してはいろいろな研究があって、握手しないやり方は日本より南の国で一般的で、北の国では握手するんです。その一番の理由は感染症を避けること、握手することによって病原菌が移るのを避けることです。北の国は環境が非常に寒いんで握手ではその危険性がほとんどない。でも南の国は人間と人間の接触を避ける必要があるのです。昔の医療が発達していない時代の話ですが、その習慣が今も残っているわけです。
内田 そうすると南の国のブラジルではハグしますけど、あれはどうしてですか。
福西 あれは西洋文化が入ったからですね。元々の習慣ではないです。アメリカ大陸の先住民の習慣ではないですね。握手とかハグの習慣は西洋の文化として広まったんです。
福西 それでは日本の文化とドイツの文化で似ていることは何ですか。
内田 よく言われる真面目さの部分では私も感じたことがあります。他の多くの国の人と比べたわけではないんですが、私は本以外の国をルーツに持つ友だちが多いんです。東海大学でブラジルと日本との交流を進めているNGOの教授とつながりがあり、今でもよく家に行ったりします。その活動にはドイツからボランティアでブラジルに行って日本に来た人も参加しています。そういう中で出会ったドイツ人の知り合いを思い出すと、人と接する時の真面目さにはドイツと日本で共通するところがあるのを感じます。

定着氷縁に到着した「しらせ」をアデリーペンギンがお出迎え(2017年12月)

南極でのオーロラ観測計画

福西 それでは南極の昭和基地でどのような新しい観測をやろうとしているのかを紹介してください。
内田 2016年から、昭和基地と磁力線が繋がる共役点のアイスランドの両方に全天のオーロラをとらえる高速全天カメラを設置し、現在同時観測を行っています。今回はさらに、望遠レンズを取り付けた高速(ハイスピード)カメラを新たに持ち込み、高速で変動するオーロラをとらえます。極地研究所で僕の先輩にあたる福田さんが、アラスカで1秒間に80回も点滅するオーロラを観測することに成功したというのが、オーロラの高速な変動の顕著な観測例としてあります。今回持ち込んだカメラは視野が狭くかなりの望遠レンズでオーロラの微細構造をとらえることができます。高速で変化するオーロラの共役性と微細構造に着目した観測が今回の主目的です。
福西 「あらせ」という内部磁気圏観測衛星が打ち上がりましたが、その観測データとも比較しようと考えているのですか。
内田 新しい磁気圏観測衛星が打ち上げられたタイミングなのでぜひ使いたいと思っています。「あらせ」のフットプリントがアラスカ、アイスランド、昭和基地のカメラの観測範囲を通る時のオーロラを解析しようと思っています。

情報処理棟屋上でカラーデジタルカメラの調整(昭和基地にて)

情報処理棟で高速カメラの観測データを確認(昭和基地にて)
福西 昭和基地で新しい観測をやってそれを博士論文にしようと考えているのですか。
内田 そうです。博士論文は南極越冬中に書くと豪語してしまったんですけれど(笑)。そのつもりで南極に行くんですが、いろいろな人に、それは相当頑張らないといけないよと言われてちょっと怖いなと思い始めたんです。最近は昭和基地でのオーロラ観測は夜は自動で行われるようになり、夜勤がなくなったので、夜に観測が正常にスタートした後は、少し自分の時間があるようです。私は夜勤をモニタリング担当の宙空隊員と交代制でやろうと思っていまして、夜勤の間に自分の時間が少しとれるので博士論文を書く作業もしようと思っています。以前に大学院生として南極に行った先輩の福田洋子さんに聞くと、夜の時間は自分の仕事をする時間ができるので、そこでやればいいのではと言われたのです。
福西 私も大学院の博士課程の時に昭和基地で越冬してオーロラ観測をし、そのデータを解析して博士論文を書いたのです。その経験から言えることですが、論文を書く作業と観測をする作業はちょっと違いますね。観測でいいデータを取ることは相当大変です。そこでまず大事なことはいいデータを取ることです。他の人が観測したことがない新しいデータさえ得られれば、あとは日本に帰ってから時間かけてゆっくりと解析して論文にまとめればいいわけです。博士論文に要求されるものは独創性です。独創性が高い論文とあまり高くない論文の差について考えてみると、独創性があまり高くない論文は他人のデータや他人の考え方が主で、自分のデータや自分の考え方が少ない論文です。特に現在は情報化時代なのでいろいろな情報がどんどん入ってきます、そうすると他人の考え方にどうしても支配されてしまいます。それを避けるためには「自然から学ぶ」という態度が一番大事だと思います。自分の目で自然を見つめる時間を長くすることですね。自然を謙虚に見れば他人が気づかなかったことにも気づくかも知れません。あとはその発見を論文にまとめればいいわけです。昭和基地では自然から学ぶことまず第一にやってもらいたいですね。
内田 いろいろな研究の経験をお話しくださりありがとうございます。昭和基地で自然から学ぶことを楽しみにしています。

昭和基地から140km離れたインホブデの無人磁力計点検作業

HFレーダーの15m鉄塔の建塔作業

HFレーダーの5m鉄塔の建塔作業

西オングル島のリオメータ修理風景

観測隊の仲間たち

福西 もう一つ私が南極観測隊で大事だと思っていることを話したいのですが、それはチームワークのことです。私も大学院時代に南極観測隊に参加し昭和基地でオーロラ観測をしましたが、越冬生活から得た最大のものは他の隊員との共同作業から学んだことでした。昭和基地では1年に1回しか物資の補給がないので、どんな時にでもそこにあるもので何とかしなければならないわけですね。そこでみな様々な工夫をしますが、そうしたことを学んだことがその後の研究に大いに役立ったと感じています。研究というものは幅を広げていろいろなものを寄せ集めないと本当に独創的なものが出て来ないですね。昭和基地の冬季の建物の周りの除雪作業は大変で、研究とは無関係に思えるかも知れませんけど、自分の研究を進めるにはそれも必要なことで、長い目で見れば研究に役立ったと思っています。研究者になろうと思うなら率先して人に協力するということが大切だと思います。その辺はどう思っていますか。
内田 もうその通りだと思います。いろいろな共同作業があるのでそれも楽しみにしています。
福西 第59次隊の主に設営担当隊員が極地研究所の隊員室で勤務されていますが、交流はあるのですか。
内田 隊員室に自分の席はないんですが、勝手に一席作ってそこによく行く様にしています。朝の朝礼の時間や昼食時に行ってその日の予定を確認し、時々はそのままその席で仕事をすることもあります。また極地研究所のドミトリーに泊まっている隊員と一緒に夕食を食べに行くこともあります。

越冬中の楽しみ

福西 越冬中にオーロラ観測の仕事以外にやってみたいと思っていることはありますか。
内田 まずファットバイクですね。幅広のタイヤで雪の上を走ることができる自転車ですが、それを自分で持って行って向こうでそれで遊びたいと思っています。私以外に3、4人がそういう自転車を持っていくので一緒に楽しみたいですね。
福西 海氷の割れ目に落ちないよう注意が必要ですね。
内田 そうですね、昭和基地周辺では一人で行動できる範囲や2人で行動できる範囲などが決まっていますのでよくルールを守って行動したいと思います。スノーボードも好きなので、昭和基地に板はあると聞いたので靴とビンディングだけを持って行こうと思っています。
福西 他に越冬中にやろうと考えているものはありますか。
内田 はい、アマチュア無線は昔からやっていたので生活係の中でアマチュア無線担当の一人になりました。
福西 アマチュア無線で世界の人と話すのですか。
内田 はい短波で。電話や電信のモールスで楽しみたいと思っています。
福西 南極の自然ではオーロラ以外にこれを見てみたいというものはありますか。
内田 本当は山に登ってみたいと思ったのですが、その機会は多分なさそうなので、沿岸地域の調査旅行はたくさんあるので、それに参加させてもらって氷河地形など南極の自然を楽しみたいと思っています。
福西 越冬中の楽しみの一つにお酒がありますが何か用意しましたか。
内田 ドイツのヴァイツェンビールが好きで、それを持って行きます。
福西 持って行くのは缶ビールですか。
内田 瓶ビールも持って行きます。
内田 ドイツのヴァイツェンビールが好きで、それを持って行きます。
福西 ビールで気を付けなければならないのは保存場所ですね。冬季は通路がマイナス何十度になるのでここに置いておくと瓶ビールは栓が抜けてしまい飲めなくなってしまいます。
内田 そうですね、調理隊員によく相談して置き場所を探したいと思います。

早朝の蜃気楼(2018年7月、昭和基地にて)

昭和基地から約140km離れたインホブデで

家族のこと

福西 最後にお聞きしたいのですが、南極に行くことになってご家族の反応はどうでしたか。
内田 いってらっしゃーい!!って感じですね。
福西 危険っていうこともありますよね。
内田 そうですね。死ぬなよみたいなこと言われるんですけど(笑)。南極への出発が近づいてきたのでいろいろと聞かれるようになりました。多分心配してくれているんだと思うんですが。南極ではどういうことするのかとか、持って行く物とか、こういう物をちゃんと持ったのかとか、いっぱい聞かれました。でも気をつけて行って来てと送り出してくれるので安心して行ける感じです。
福西 時々は便りはくれとかお母さんに言われたのですか。
内田 そうです。でもこないだは「途中でなんか送れるんでしょ?」と聞かれたんです。
福西 メールは送れますよね。
内田 いや、物を(笑)。「年に何回くらい送れるの?」って聞かれて(笑)。一回も送れないよって答えたんです(笑)。
福西 物ですか(笑)。それは越冬が終わる1年後に「しらせ」で運んでもらうしかありませんね。
今日は出発前の忙しい中でインタビューの時間をとってくださりありがとうございました。南極でのオーロラ観測の成功をお祈りしています。

内田ヘルベルト陽仁(うちだ ヘルベルト あきひと)プロフィール

東海大学大学院工学研究科航空宇宙学専攻を2014年度に修了し、総合研究大学院大学極域科学専攻に進学。電子工作から、自然の中で起こる電磁気現象へと興味が転じ、オーロラの研究を開始。第59次南極地域観測隊に一般研究観測隊員として参加。高速カメラで見えるオーロラの新しい姿を研究対象として、南北半球の共役点オーロラの観測を行っている。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)プロフィール

公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授、日本地球惑星科学連合フェロー。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極地域観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。

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