高木 知敬(市立稚内病院地域連携サポートセンター長)
はじめに
すでに30年以上もむかしのことだ。1987年2月、南極昭和基地から670㎞離れたセールロンダーネ山地の北麓に日本第3の基地が完成した。その名を「あすか」という。そこは大陸雪原上の標高930mにあり、山岳景観の優れた基地であったが、一方では夏季以外はほとんど毎日地吹雪をともなった強風が吹きまくる「嵐の大地」でもあった。
第26次南極観測隊から基地建設が始められ、第28次隊(星合孝男観測隊長・大山佳邦越冬隊長)がその建設を完了し、そこで初の越冬観測を行った。昭和基地のような南極海沿岸ではなく、大陸雪原上に位置し、通年で越冬する独立した基地であった。
あすか越冬隊員は8名。南極越冬4回目の鮎川勝あすか越冬隊長をはじめ、過去に越冬経験のある隊員が6名という異例の経験豊かな隊であった。「越冬中いかなる困難が起きても自分たちでなんとか解決する」ことを期待され、試行錯誤を繰り返しつつそれを実践した。
あすか隊は気象、超高層物理学といった定常観測はもちろん、地球物理学、雪氷学、設営工学、医学などの研究観測をこなし、越冬終盤には昭和基地から飛来した航空機による広域の航空機観測も実施した。設営においても建築物、発電機、給排水、汚物処理、暖房、通信、車両、医療、調理などなにひとつ破綻をきたすこともなかった。各隊員は自分の専門分野を超えて、あすかに必要な知識と技術を習得し、たとえ誰かの手が足りなくなっても誰かが代役を務めようとした。
それだけではない。他の社会から隔絶された地の果ての基地でも、日常生活を豊かにするための工夫を重ねた。あすかには全員で斉唱する隊歌「あすか基地」があり、短歌や俳句を詠う歌会が催された。各隊員の誕生日やミッドウインターを祝う豪華な食事会があり、毎晩カラオケや麻雀や映画が愛好された。こういった和気あいあいとした雰囲気の中で、「南極あすか新聞」が生まれ、1987年2月16日から12月21日まで305号が日刊で刊行された。主筆は医療の高木隊員が務め、全員が主筆不在時の代筆や投稿で支えた。「南極あすか新聞」は公式の越冬報告だけでは伝えきれないあすか隊の全記録となった。
いま第28次あすか越冬隊員は全員が60歳を超えた。越冬終了後の元隊員それぞれが歩んだその後の人生は、詳しく知るところではない。しかし各隊員の「青春」の証しである「南極あすか新聞」のデジタル化復刻版を懐かしく読んでくれるだろう。
いま読み返すと、現在の南極では御法度になっている岩石の持ち帰りや、ゴミ処理法なども記載されているが、これは当時の習慣や仕事のやり方としてそのまま記載する。当時は最先端技術であったGPSは、現在では自動車にはふつうに搭載されている。これが30年の時の流れというものだ。
第32次隊を最後に無人化されたあすかは、いまどうなっているのだろうか。時間的にも空間的にも遠くなったわれらの基地に想いを馳せながら。
あとがき
「南極あすか新聞」は1987年南極あすか拠点(現あすか基地)での初越冬に際し、越冬の記録と隊員の融和のために発刊した手書きの新聞でした。いま「南極あすか新聞」を活字化するには自分が執筆した新聞をパソコンでデジタル化し直す必要があり、2018年冬の2か月間をかけてそれを打ち込みました。32年前の珠玉ともいえる越冬生活を思い出しながら、作業を楽しんだものです。
亜璃西社(和田由美社長)の編集担当・井上哲氏はデジタル原稿を手書きの新聞の雰囲気を壊さないように配慮して編集し、装幀家の須田照生氏には稚拙なイラストを含めて、手書きの新聞どおりに紙面を復刻していただきました。困難な作業を成し遂げられた両氏には心から感謝します。
32年間も寝かしておいた「南極あすか新聞」をなぜいまごろ復刻したのでしょうか。それは最高の越冬チームであったあすか初越冬隊の記録を仲間内だけではなく、日本南極観測隊の歴史の一頁として世に残しておくことが記録担当の使命だと気づいたからです。セールロンダーネ山地北麓の大陸氷床上に建てた基地はすでに無人化されて久しく、雪面下に深く埋もれ、訪れる人もなく、幻の文化遺産になりつつあります。しかし基地が風化しても、せめてその記録から、隊員たちの不屈でありながら風雅な越冬観測の様相を読み取って頂ければと願っています。
2018年秋 北海道稚内市にて
高木知敬
高木知敬(たかぎ ともゆき)プロフィール1949年京都市生まれ。北海道大学医学部卒、医学博士。同山スキー部OB。市立稚内病院長、稚内市病院管理者を経て、市立稚内病院地域連携サポートセンター長。稚内市政功労者。第21次、第28次南極地域観測隊の越冬隊医学医療担当隊員として昭和、みずほ、あすかの3基地で活躍した。日本最大の淡水魚イトゥをこよなく愛し、著書に「イトゥ 北の川に大魚を追う」(共著、山と渓谷社)、「幻の野生 イトゥ走る」(共著、北海道新聞社)がある。 |