【南極点初到達のあらそい】もっと知りたい1~4

もっと知りたい1~4

Google Earth教材内でご紹介している「もっと知りたい」の詳細ページです。
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南半球に巨大な未知の大陸があるという考えは、古代ギリシャのアリストテレスが、「地球は球体である」と唱えて以来信じられてきた。 北半球の大陸に対して、「南半球にも、それに釣り合う大陸が当然存在しなければならない」と考えたのだ。 15世紀から始まる大航海時代に、アフリカ南端を迂回してヨーロッパと東アジアが結ばれた。また、マゼランなどによって、大西洋から太平洋に出るルートが発見され、地球の大まかな大陸と海洋の配置が明らかになっていった。
⇒もっと知りたい1

もっと知りたい1

1520年にマゼランが大西洋を南下し、南アメリカ大陸の南の端(マゼラン海峡)を通って、初めて太平洋に出た。この時、海峡のにあった島を勘違いして、「南方大陸」と思い込んだ。そのため、大きな大陸として描かれている。 この頃、オーストラリアなどは何も知られていなかった。ただ、西ヨーロッパから東アジアへは、アフリカ南端(喜望峰)を通って航路が開かれていた。

17世紀後半になって、「未知の南方大陸」を探すため、イギリスのジェームス・クックは、3度の航海を行い、1773年に初めて南極圏(南緯66度33分)を越えたが、大陸を発見することはできなかった。 ⇒もっと知りたい2

もっと知りたい2

「未知の南方大陸」を探すため、1772年、イギリスから2隻の船が出港した。 クックは、人類ではじめて南極圏(南緯66度33分)に突入した。現在の昭和基地がある近くだった。 ただ、大陸を発見することはできず、「未知の南方大陸」が存在するとしたら、南極圏にしかありえないことが証明された。

※赤線は、レゾリューション号、緑破線は、アドヴェンチャー号のルート。A点は初めて南極圏を突破した位置B点は到達最南端地点(71°10’S、106°54’W)

南極大陸が発見されたのは、1820年であった。その後、捕鯨とアザラシ猟のため、多くの船が南極海に入り、大陸の輪郭が次第に現れてきた。 この頃から、航海になくてはならない地磁気の問題が極地探検の推進力となった。南磁極を探すため、欧米の探検隊が南極を目指した。 1842年、イギリスのジェームズ・ロスは、南磁極を探しながら南極海奥深くの南緯78度に達した。 しかし、大氷壁にはばまれ、それ以上、南に進むことはできなかった。

その後、イギリスのチャレンジャー号が地球1周の深海調査の途中、南極圏の海底から大陸起源の岩石を発見し、南極圏内に大陸が存在することを明らかにした。 そこでイギリスは、南極探検を国家として行うことを決め、1900年にスコットが探検隊長に選ばれた。探検の重要な目的は地磁気観測であった。スコットが出発する時に分かっていのは、南極大陸のわずかな一部の海岸線だけだった。
⇒もっと知りたい3

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スコット第1次隊出発前の南極
(中田修『南極のスコット』より

スコットの第1次南極探検隊のディスカヴァリー号は1901年にロンドンを離れ、南極に向かった。 その頃までにわかっていた南極の陸地は、ごく一部だけだった。ロス海は、最も南に食い込んいる海洋だったので、スコットは、この海域の奥にあるマクマード湾に向かい、基地をつくった。 ここで越冬した後、犬19匹を連れて3人が南進旅行に出かけた。最南到達地点は、南緯82度16.5分だった。

※茶色い部分は、明らかになっていた南極大陸の一部。青丸は、船で到達した探検隊の位置

この探検で、スコットは、南極点まで733kmの地点まで到達したが、壊血病⇒もっと知りたい4のため引き返した。その後、イギリスのシャックルトンは、1909年に南緯88度まで達したが、食糧不足のため、再び引き返した。 スコットは、彼にとって2回目の南極探検の目標を、南極点初到達と決め出発した。当初北極点初到達を目指していたノルウェーのアムンセンは、ピアリーの北極点到達のニュースを聞いて、行先を南極に変更し、「南極点初到達のあらそい」が始まった。そのとき、日本の白瀬も南極点到達に向かって動き始めていた。

もっと知りたい4

15世紀から始まった大航海時代の船員を最も悩ませたのが、「壊血病」だった。 野菜や果物などのビタミンCが不足すると、歯ぐきがはれて出血し、無気力になり、衰弱して死に至る。15~18世紀に200万人が亡くなったという。 その原因と予防法をみつけるため、麦芽汁やオレンジ果汁の摂取など、いろんな実験が行われた。 ある医師は、「レモンとオレンジが船員の命を守る」と海軍を説得した。その努力により、 1795年になって、イギリス海軍から「壊血病」はほぼなくなった。 しかし、南極探検などでは、ビタミンCが不足し、発症する隊員が相次いだ。 スコットら3人の南進旅行でも、シャックルトンがこの病気にかかり、死にかけた。食事に半生のアザラシ肉を多くとらせた。後に出てくるアムンセンは、旅行中、犬を殺して半生肉を食べ、ビタミンCを補給した。