【南極点初到達のあらそい】もっと知りたい8~11

もっと知りたい8~11

Google Earth教材内でご紹介している「もっと知りたい」の詳細ページです。
もちろん、Google EarthをみていなくてもOK!
こちらのページをみて興味がでたら、ぜひGoogle Earth教材ものぞいてみてくださいね!

ロアール・アムンセン

ノルウェー出身の探検家。人類初の「南極点」到達に挑む。
いよいよ、南極点到達も目前!

大高原は極点まで続くと思われたのに、新しい氷河にぶつかった。これまで登ってきたアクセル・ハイベルグ氷河よりもクレバスが多い。 スキーをはいたアムンセンとハッセルがロープを結び合って先導をつとめた。この「悪魔の氷河」を登り切ったのは、12月3日だった。
12月7日、3年前にイギリスのシャックルトンが打ち立てた到達記録「南緯88度23分」を越えた。
⇒もっと知りたい8

アムンセンは日記に書いている。「この旅の全体を通じて、私はこの瞬間ほど感動したことはない。涙があふれて、どどめようがなかった。」 アムンセンは、仲間みんなと握手しあい、成功を祝った。 12月14日の朝は快晴で、5人はテントをただんで、いつもの隊列で進んだ。イギリス隊の何かが見えはしないかと心配だった。 午後3時、距離計がゴールインのサインを示した。南極点、南緯90度である。 5人はひとつにかたまり、握手を交わした。ノルウェーの旗を立てた。そしてこの高原を「ハーコン7世高地」と名づけた。

もっと知りたい8

最南端到達点(南緯88度23分)
シャックルトンが撮影

シャックルトンの南極点遠征

第1回スコット遠征で、スコットに救援船で帰還させられたシャックルトンは、イギリス帰国後、借金と寄付により、私的な南極探検隊を計画した。 目的は南極点初到達だった。
1908年にマクマード海峡に入り、小屋を建てた。越冬明けに4人で南極点に向かい、1909年1月9日に南緯88度23分、 南極点まで180.6kmに達した。食料不足のため引き返した。また、同じ隊で行動したディビッド隊は南磁極に達した。

ロバート・スコット

イギリス出身の、海軍軍人。人類初の「南極点」到達に挑む。
1911年10月24日に極点旅行の先発隊として、動力そり(雪上車)班がエバンス岬を出発した。 雪上車2台と隊員4人で荷物は馬の飼料とガソリンだった。極地での雪上車の使用は初めてだが、雪上車が将来「極地輸送の主役になる」と考えていた。 しかし、80kmまで進んだ地点で2台とも放棄した。エンジンが過熱し、1.2km進んでは30分間冷やさなければならなかった。⇒もっと知りたい9

もっと知りたい9

スコット隊が持ち込んだ動力ソリ(雪上車)
越冬後の本旅行で使用したが、エンジン過熱に悩まされ、出発後6日で2台とも放棄せざるを得なかった。

トラクターで初めて南極点に到達したイギリス連邦南極横断探検隊のヒラリー支援隊(1958年1月4日)。これを機に、内陸旅行は、犬そりの時代からトラクターの時代に変わった。

旅のクライマックスとなるベアドモア氷河を目の前にして、ブリザードが荒れ狂い、停滞を強いられた。馬と人の食糧が余分に消費されていく。気温は+0.6℃まで上昇した。12月9日にようやく行進できるようになったが、ベアドモア氷河の手前で残りの馬5頭すべてを射殺した。馬草がなくなったからだった。馬がいなくなったので、犬と人で荷物を運んだ。⇒もっと知りたい10

もっと知りたい10

<輸送手段における馬と犬の違い>

大きな違いは「接地圧」の差である。体重が重くても、それを支える足の面積が広ければあまり雪にしずまない。馬は体重の割には足のサイズが小さいので雪に沈みやすいのである。
馬のエサは馬草(まぐさ)のみで、現地調達ができない。犬は、ペンギンやアザラシ、ときには死んだ仲間の肉も食べてしまう。また、犬は汗をかきにくく暑さには弱いが寒さには強い性質がある。アムンセンは犬の有用性をよく知っていた。 イギリス隊は伝統的にポニーの使用にこだわった。犬を酷使(こくし)するのを嫌った。

アムンセン隊の犬ぞり

スコット隊のポニー

氷河を登り始めた所で犬そり班が帰った。ここからは完全に人力だけで進むことになった。荷物の重量は一人当たり90kgだった。雪が柔らかく、スキーが下手な隊員たちは苦労した。スキーなしではひざまでもぐった。
⇒もっと知りたい11

もっと知りたい11

南極氷床では、内陸部に入るにつれて軟雪(やわらかい雪)地帯が現れてくる。 (沿岸部は風が強いので雪面はしまっていて硬く、内陸部はブリザードの頻度も少なくなり(風が弱いため)雪面が柔らかい。 接地圧が小さい雪上車やソリでももぐるようになり、走行が困難になる。人も歩きにくく、スキーを履かないと苦労する。 イギリス人はスキーになじみがなく、スコット隊の技術は未熟だった。日本にスキーが紹介されたのは、白瀬隊が出発後の明治45年だとされるので、白瀬隊もスキーを活用しなかったと思われる。

軟雪地帯での雪上車とソリのわだち(外側は接地圧の少ない雪上車、内側はソリのもの)

スキーをはいたアムンセン(左)とスコット(右)
防寒具にも注目!