南極と北極はどちらが寒いでしょう?南極の方が寒いと本や教科書には書いてありますね。
私は長年にわたり、南極や北極へ(自分の力でソリを引きながら歩く)冒険を行っています。
その体験から、「どちらが寒いの?」と聞かれると「北極!」と答えます。
その理由はなぜでしょうか?
北極点と南極点と1年間の平均気温を比べると、確かに南極の方が低く寒いです。 北極点は北極海にあり、南極点は南極大陸にあり、それぞれ海と陸で環境が全く異なります。 北極を歩いて冒険するときは、寒さで凍結した海の上を歩きます。そのため足元の海の氷がしっかりと凍っている1年のうち最も寒い冬の終り頃(3月前後)に訪れます。 一方、南極大陸では地面の上に分厚くつもった氷(氷床)の上を歩き、季節による変化がほぼありません。そのため、南半球の夏に訪れます。 つまり、北極は一番寒い時期、南極は一番暖かい時期に訪れます。それぞれの「冬(北極)」と「夏(南極)」を比べると、北極の方が寒いのです。
私たち人間が感じる「寒さ」「暖かさ」というのは、実は気温だけで測れる単純なものではありません。 夏の太陽は地平線から高く昇るため、日射量が多く、夏の南極では太陽光をたくさん浴びてより暖かく感じます。
知識というのはとても大切です。まず学び、なぜだろう?不思議だな?そう感じることは、成長するための第一歩です。 ところが、知識「だけ」あれば全て分かるのかと言うと、これは誤りです。物事にはたくさんの側面があります。 側面とは、物を見る角度、視点です。富士山はどんな形?と聞かれて多くの人は裾野が広い八の字型に描くでしょう。 ところが、空から見下ろしたら富士山はそのようには見えません。円形かもしれません。八の字と円形とどちらも正しいのです。それが、物を見る角度、視点や側面です。 先ほどの、北極の方が寒いという例は、私の体験を通した、歩いて冒険をするとしたらどちらが寒いか?という物の見方です。
「正しさ」とは、何でしょうか。ノーベル賞を受賞するような先生が語る理論は、全て「正しい」のでしょうか?おそらく正しいでしょう。
しかし、それは「その先生が見ている側面」の正しさかもしれません。その理論には、まだ世界の誰も知らない新しい側面があるかもしれません。
それに誰かが気付いたときに、新たな発見が生まれます!
では、新たな発見をするにはどうしたら良いでしょうか?「これが正しいんだ」と、偉い先生の書いた本をただ暗記するように信じているだけでは、新しい側面に気付くことはできません。
過去の人々を尊敬し、苦心(物事をなしとげるために、色々とためしたり考えたり苦労すること)の末にできあがった理論を勉強した後に、次は自分自身の頭で考え、新しい側面から物事をとらえ直し、疑問を持ち、問いを立てることが大切なのです。
私の冒険では、研究や学問のために極地に足を運んでいるわけではありません。しかし私が20年にわたって行ってきた冒険は、勉強し、自分の頭で考え、新しい側面から世界をとらえ直し、疑問を持って問いを立て、 新しい発見をする、その繰り返しでした。それを成長と呼びます。自分の意思で成長をする体験の中に、自分自身はいます。誰かに命令されて行くのではなく、 また、それをやったらお金が儲かるとか、有名になれるとか、それだけでなく、まず自分の成長を最高の喜びとして、そこで学んだことや得た力を、 やがて誰かのために使っていくことがとても大切です。
多様性とは何でしょうか?様々な意見を持つ人を認めること、だけでは少し足りません。大切なのは、自分自身も多様な意見を持つ当事者であるという自覚です。 富士山の形の例のように、思いも寄らない意見を排除せずに、また自分も他者とは違う意見を持つ一人なんだと知ることです。自分も他人も、それぞれが多様な側面を持つ存在であると知ることが大切です。
世界はまだまだ、誰も知らない物事の見方、発見にあふれています。それは世界的な大きな発見だけではありません。日々の生活の中にも、たくさんの発見があります。
当たり前や常識と呼ばれていることを、ほんの少しだけ見る角度を変えてみれば、そこにはまだ世界の誰も知らなかった、
あなただけが知っている世界の入り口があるかもしれません。それを発見することが、冒険なのです。
例えばこれまであまり話をしてこなかった友人に声をかけてみる、そんなことが、あなたが広い世界に旅立つ大冒険の、ほんのささいなきっかけかもしれません。
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