約200年間、北極探検が下火になってしまった理由とは?

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大航海(だいこうかい)時代(じだい)・・・スペインやポルトガルを中心にヨーロッパの国々はアジアの(ゆた)かな物資(ぶっし)をもとめて世界に進出しました。
バスコ・ダ・ガマがアフリカ最南端(さいなんたん)喜望峰(きぼうほう)」を回ってアジアにいくルートを開拓(かいたく)し、イギリス、オランダなどは北極(ほっきょく)(かい)経由(けいゆ)する「北極海航路(こうろ)」を開拓(かいたく)しようとしました。

しかし、1611年にイギリスのハドソンが行方(ゆくえ)不明(ふめい)になって以降(いこう)、約200年もの間、北極探検(たんけん)は下火になってしまったのです。

考えてみよう

背景①

北極海では、捕鯨(ほげい)(クジラをつかまえること)、シベリアやカナダ(けん)では毛皮(けがわ)貿易(ぼうえき)などのビジネスがさかんに行われていた。

背景➁

ロシアではピョートル大帝(たいてい)が北極海航路(こうろ)を命じたが、ベーリング海峡(かいきょう)()けることはできなかった。
➡詳しくは『極地109号

背景③

イギリスにとって国内の大変革の時代だった

ミニ年表

1642年:ピューリタン革命
1688年:名誉革命
1707年:グレートブリテン王国誕生
1775~1783年:アメリカ独立戦争(フランスやスペインとの海戦)
1805年:対ナポレオンのトラファルガー海戦

つまりは・・・

戦争が続き、探検どころではありませんでした。ナポレオン戦争後、余った軍艦や海軍兵隊を活用するため、海軍本部のジョン・バローが始めたのが、東洋への航路探索と北極点到達でした。
それは、イギリスの領土拡張と探検が密接に結びついたものでした。

石沢 賢二(いしざわ けんじ)
石沢 賢二(いしざわ けんじ)

国立極地研究所に勤務し、南極観測隊の砕氷船および雪上車・そりでの輸送、 内陸基地の建設・運営、環境保全、再生可能エネルギーなどの分野に約35年間携わりました。越冬隊に5回、夏隊に2回参加し、いまは極地探検史について調査しています。