シリーズ「南極・北極の自然環境」第1回
- 2015.06.21
- 第2回 メルマガ
- シリーズ「南極・北極の自然環境」, 自然, 南極, 北極
最近の南極リュツォ・ホルム湾の海氷状況
~「しらせ」砕氷航行の厳しさの一因は多雪にあり~
国立極地研究所准教授 牛尾 収輝
国立極地研究所准教授 牛尾 収輝
2009年に就航した砕氷船「しらせ」(二代目)は、昨年の第56次行動で南極航海6回を数え、そのうち第53次(2011/12シーズン)と第54次(2012/13シーズン)では昭和基地への接岸を断念した。その後、55次と56次行動では苦難の末に基地接岸を果たした。特に56次往路定着氷域の入口では乱氷帯に遭遇したこともあり、ラミング(連続砕氷できなくなると、船を一旦後退させ、助走路を確保してから加速前進させ、氷盤上に進入して船の自重で砕氷する航法)による砕氷の回数は日本の歴代観測船で最多を記録した(往復路の総計5,406回)。
二代目「しらせ」の接岸断念を含めて、最近のリュツォ・ホルム湾(以下、LHB)の海氷状態は、砕氷航行にとって極めて厳しい状況であったことを示している。船の接岸有無だけで海氷状況の特徴が説明されるものではない。しかし、接岸を断念したり、接岸を果たしても苦労の末であったりした年は、ラミング砕氷による進出距離が短くなる傾向がある。これは航路上の海氷の厚さや氷上に降り積もった雪の多さ、あるいは氷の硬さが反映されていると考えられる。最大級の砕氷能力を有する「しらせ」の前進を阻む海氷とはどのようなものなのか? 今、南極の海で何が起こっているか?
海氷状況の実態を把握し、過去数十年規模の年々変動機構を解き明かすために、国立極地研究所でLHB周辺の海氷変動に注目したプロジェクト研究を進めている。南極地域観測隊でも夏期の海氷観測を毎年継続している。これらの観測と解析からわかってきたLHBの海氷、特に沿岸定着氷の最近の状況について記す。
しらせ前進を阻む厚い海氷の上部は積雪から成長した氷
昭和基地の近くに至るほどの定着氷の広域流出は、47次隊が越冬していた2006年6月以降、2015年1月までは発生していなかった。従って、56次隊「しらせ」往路の時点で航路上の定着氷は、8年以上経過した多年氷となっていた。写真1はリュツォ・ホルム湾の「しらせ」復路上での多年氷帯の写真である。この厚い海氷の成長履歴を理解するために、3年前の53次隊観測の時、「しらせ」が接岸を断念した停留地点で海氷試料が採取された。海氷下面まで及ぶ全層の採取はできなかったが、氷厚6.1mのうちの上部約3.5mもの試料採取に成功した。試料は国内に持帰られ、結晶構造や塩分・酸素同位体比プロファイルが解析された。その結果、上層の極めて厚い層が積雪起源の海氷であることが明らかとなった。この上層は多雪がもたらした海氷の上方成長によるもので、プロセスの違いによって「雪ごおり」と「上積氷」に区分される。海氷試料採取時には、海水面が海氷上面よりも30cm以上、上側に位置しており、積雪層下部に海水が沁み上がり、秋季から冬季の大気冷却によって再凍結した「雪ごおり」が形成されたと考えられる。海氷上層を形成していたのが雪ごおりであることは、試料の解析からも裏付けられた。
また試料中の数箇所には、酸素同位体比の値が極めて小さい層がいくつか認められた。これは氷上積雪の融解水(0℃)が積雪層内を流下し、0℃未満の冷たい海氷本体に融雪水が接触して再凍結した「上積氷」である。氷河の涵養機構の一つである上積氷に類似したもので、氷や雪の厚さスケールでは氷河より数オーダー小さい海氷であるが、多雪域の海氷成長機構として重要視されている。「しらせ」停留点で海氷試料を採取した時、氷温を測定した結果、海氷上部の温度が0℃未満であったこともわかり、上積氷形成の可能性を有していたと言える。このように、LHBでは積雪起源の海氷が形成されており、海氷が上方成長している現象を現場観測から捉えた。
昭和基地付近でも徐々に厚くなっている氷
昭和基地の北の浦において夏季の海氷観測を継続している(写真2)。51次から56次までの過去6か年にわたって、海氷厚と積雪深を合わせた厚さが増している(図1)。これも多雪による上方成長が寄与していると考えるが、年毎の増加の度合いは次第に小さくなっている。このことから、降積雪など気象条件が年によってそれほど大きく変わらない(例えば、極めて厚くなった海氷をさらに下へ押し沈めるほどさらに多量の積雪が無い等)と仮定すれば、海氷の上方成長機構には上限が生じる。このような多雪域の海氷の成長・維持機構について詳しい解析を進めているところである。
多雪域の多年氷の成長機構の解明に向けて
LHB定着氷域で「しらせ」砕氷航行を厳しくしているのは、2009年以降続く多雪が一因と考える。加えて2006年6月以降、LHB内で広域にわたって海氷が崩壊・流出せずに安定し続けていることも、多雪が海氷に与える効果を高めている。つまり海氷上を深く覆う雪は、夏の強い日射や気温上昇による海氷の昇温、融解を抑制し、氷体を冷たく維持する働きを持つ。さらに積雪層の一部が雪ごおりや上積氷へ転化することによって、海氷を上方へ成長させている。このように現場観測や海氷試料の解析から、海氷上で生じている現象が徐々に解き明かされつつある。それではなぜ、最近、多雪傾向が続いているのかという新たな疑問が生まれ、大気科学分野との共同研究につながっている。さらに海氷下の海ではこの数年~10年規模で顕著な変化は起こっていないのだろうかという海洋物理分野からのアプローチも不可欠である。新たな現場観測が求められ、南極観測の次期中期計画の中でも、リュツォ・ホルム湾海氷域を氷床-海洋-海氷システムで捉え、現場観測の計画、準備が進められている。
本記事ではLHBおよび昭和基地近くの定着氷の状況について述べたが、LHB沖合に広がる流氷域の状態も「しらせ」の砕氷航行に大きな影響を与える。海氷変動機構を解明する科学研究を発展させると共に、毎年夏に「しらせ」がLHB付近を航行する時期には、海氷情報の的確な提供によって南極観測事業をバックアップすることが益々重要になり、そのための国内体制も整えている。天気予報のように流氷の動きを細かく予測することは未だ難しく、今後の課題の一つであるが、海氷密接度の空間分布の変化と地上風との間の関係が明らかになると、短期的な変動予測につながることも期待される。そのためにも現場で行動する観測隊から国内共同研究チームには、船上の気象観測データや周囲の海氷状況に関する情報の提供によって(衛星観測では捉え切れない現象は、現場に居るからこそ判ることもある)、海氷状況に関して現場-国内間の情報共有を深められる。衛星リモートセンシングとリンクした現場観測が益々重要になってきた。
写真1:リュツォ・ホルム湾の「しらせ」航路上の多年氷帯。2015年2月10日、56次航海復路に撮影。
写真2:昭和基地北の浦の観測定線上で雪をかき、海氷を掘削して厚さを実測する。
図1:北の浦の定着氷の年々変化。縦軸は海氷厚と積雪深を合わせた厚さ。
牛尾 収輝(うしお しゅうき)プロフィール1962年、兵庫県姫路市生まれ。国立極地研究所および総合研究大学院大学・准教授。北海道大学大学院理学研究科博士課程中途退学、博士(理学)。学生時代に凍ったオホーツク海を見て海氷研究を志し、大学院では低温科学研究所に所属(当時の研究室は海洋学部門)。大学を一時休学して31次隊で南極越冬して以来、41次越冬隊、44次夏隊に参加、49次隊および55次隊では副隊長兼越冬隊長を務めた。専門は極域海洋学。海氷変動をテーマとして研究を進めている。 |