「しらせ」大鋸寿宣艦長に聞くオーロラ・オーストラリス号救援のドラマ

6_1_1

大鋸寿宣艦長とモーソン基地ジョン・レーベン隊長

105年に前に始まった南極での日本とオーストラリアの友情
今から105年前の1911年、イギリスのスコットとノルウェーのアムンゼン隊が南極点一番乗りを競いましたが、全く同じ年に日本の白瀬南極探検隊もわずか204トンの開南丸で南極点を目指しました。でも日本出港が遅れたために南極大陸氷縁到着は南極の夏が終わった3月12日になり、厚い海氷に前進をはばまれ、翌年に再度挑戦するために5月1日にオーストラリアのシドニーに入港しました。シドニーではディビッド教授らの暖かい支援のお陰で、氷海で損傷した開南丸の修理を終え、物資の補給を行い、半年後の11月19日にシドニー港を出港することができました。白瀬矗隊長は日豪友情の印として陸奥守包保作の日本刀をディビッド教授に送りました(この日本刀は現在オーストラリア博物館に展示されています)。白瀬矗ら5人の突進隊が1912年1月28日に南緯80度05分まで前進し、ここを大和雪原(やまとゆきはら)と命名しました。

6_1_2

開南丸

南極における日豪の友情はその後も変わらず続いており、初代「しらせ」が、1985年12月に氷海に閉じ込められたオーストラリアの砕氷船ネラ・ダン号を救出し、さらに1998年12月に、氷海でプロペラの故障が発生し、自力で動くことができなくなったオーストラリアの砕氷船オーロラ・オーストラリス号を救出しています。一方日本側は、初代「しらせ」から2代目「しらせ」への移行期に砕氷船を運行できない期間が1年間生じたために、第50次南極観測隊はオーロラ・オーストラリス号を2008年12月から2009年2月までチャーターし、昭和基地への人員・物資輸送を担当してもらいました。
オーロラ・オーストラリス号の座礁と救援要請
2016年2月24日、モーソン基地に補給物資を届けるために湾内に停泊中だったオーロラ・オーストラリス号(6,574トン)は、風速50メートルに達するブリザードに見舞われ、係留索が破断し、陸側に流されて座礁する事故が起きました。風が収まった後、観測隊員と乗組員68名はボートで基地に避難し無事でしたが、冬が近づき、航空機による救助も困難になったので、オーストラリア政府は、収容能力に優れた「しらせ」(12,650トン)による救援を日本政府に依頼しました。南極地域観測統合推進本部(本部長は文部科学大臣)は、第57次南極地域観測隊および「しらせ」の行動計画の一部を変更し、「しらせ」を救援に向かわせることを3月4日に決定しました。

6_1_3

氷海を航行する砕氷艦「しらせ」 (国立極地研究所提供)

「しらせ」は3月6日にモーソン基地沖に到着、オーストラリア隊は、同基地に駐機していた3機の小型ヘリコプターによる48便で、船舶専門家2名を除く観測隊員・乗組員66名と物資を「しらせ」に輸送し、最後にヘリコプター3機も「しらせ」に収容されました。「しらせ」はここから約2300キロ離れたオーストラリアのケーシー基地に向かい、3月12日にケーシー基地沖に到着、観測隊員・乗組員とヘリコプター3機の輸送を無事に終えることができました。

「しらせ」は3月25日にシドニーに入港し、市民の歓迎を受け、オーストラリア政府やオーストラリア南極局からも深く感謝されました。オーストラリアの新聞には今回の救援の様子だけでなく、シドニーから南極に向けて出発した白瀬南極探検隊に関するエピソードが紹介され、日豪の友好の絆が一層強まりました。
「しらせ」大鋸寿宣艦長へのインタビュー
5月23日、ジャパンマリンユナイテッド株式会社鶴見工場で点検・修理中の「しらせ」艦内にて

6_1_4

ジャパンマリンユナイテッド株式会社鶴見工場で点検・修理中の「しらせ」

インタビュアー:福西 浩

福西 本日はよろしくお願いいたします。南極という厳しい自然環境の中で、オーロラ・オーストラリス号の観測隊員ら66名をモーソン基地からケーシー基地までどのようにして無事に送り届けられたのか、その詳細が知りたく、インタビューさせていただきます。大鋸艦長は初代「しらせ」、2代目「しらせ」と5回南極を経験されていますが、そうした豊富な経験が今回の救援に生かされたと想像しています。最初に、救援の要請を受けて、どのようなことを考えられたのかお話しください。
艦長 まず66名という大人数とヘリコプター3機を「しらせ」に収容したうえで、モ一ソン基地からケーシー基地まで1週間かけて輸送支援ができるのかどうかが一番の問題になりました。それを船の中でよく検討しました。当然、往路のオーストラリアのフリーマントルで積んだ分の食糧しかありませんし、燃料もその分しかありません。そこで、このあたりまでだったらできますよ、という試案を船の中で作り、それをオーストラリア南極局に観測隊を通じて伝えましたところ、それで結構ですとの返事があり、それで引き受けることになりました。引き受けるに当たりまして、モーソン基地で人員・物資をピックアップしなければいけないということで、「しらせ」がモーソン基地の近くまで進出ができるのかどうかもよく検討しました。
福西 「しらせ」はこれまでモーソン基地近くまで航海したことはなかったのですか。
艦長 なかったです。これまでも他の基地、中国の中山基地やロシアのマラジョージナ基地にはその近くまでは行った経験はありました。でもマラジョージナヤ基地では2年前に「しらせ」が座礁し、自力で離脱することに成功しましたが、海図のデータというのがあまり信用できないと分かりました。中国の中山基地もそうですが、南極では細かく詳しい海図が整備されていません。そこでモーソン基地の場合も、どの水深までなら安全に近づけるのかを慎重に検討しました。そうして決めた地点からオーストラリアの隊員を「しらせ」に収容する方法として、気象条件も考慮し、ヘリコプターを使った場合と小型のボートを使った場合の2案を考えました。
福西 そうした検討は、艦内に特別のチームを作って検討されたのですか。
艦長 いえ、チームは作っていません。「しらせ」は海上自衛隊の艦ということで、仕事はそれぞれの専門分野で分担され、責任を持って担当する人が決まっています。航海でありましたら航海長という責任者がおりますし、食事関係でしたら補給長という責任者がいます。そこで66名を受け入れるための食事関係は補給長に計画を立ててもらい、航海計画は航海長と打ち合わせて決めるというふうにして進めました。
福西 まず専門家がきちんと検討することが一番信頼性があるということですね。
艦長 最初から職務分担はできていますので、そこで指示をして、できる、できない、の話をした上で持ち寄って、トータルでどうなのか、というような形で検討を進めました。
福西 そもそもオーロラ・オーストラリス号が座礁したのは、南極の2月にしては例外的なものすごい強風が吹いたからですね。今年の南極は例年になく低気圧が多かったんですか。もしそうなら、「しらせ」がモーソン基地で実際に救出作戦を実施する際には気象条件が問題になりますね。
艦長 当然そうなります。
福西 気象条件に関してはどのように検討されたのですか。
艦長 「しらせ」には気象関係の担当者がいます。また気象衛星のデータを受信する装置もありますので、長期の予報と短期の予報のそれぞれをやっています。オーストラリア観測隊員救出の依頼を受けた日に、「しらせ」の位置からモーソン基地沖に何日頃に着くだろうかというプランニングをしまして、その頃の気象状況を検討しました。ピックアップができる条件の中でも、当然気象条件が最も大きな要素になりますので。モーソン基地に到着してピックアップをする頃にちょうど低気圧が近づいて来ることがわかりまして、そこが非常に心配だったんです。低気圧よりも早く先に行ってピックアップをしないと、低気圧が来てしまったら全くピックアップはできなくなってしまいます。それでかなりタイトなスケジュールになることは分かっていましたが、モーソン基地到着を急ぎました。
福西 実際には3月6日にオーストラリア隊のピックアップをされたのですね。この日はどのような状況でしたか。
艦長 「3月6日は天候は良い、という予報は出ていました。ただ7日になると大しけになるという予報でした。
福西 かなりぎりぎりの状況でしたね。
艦長 そうした場合、6日はできるだけ早い時間に、可能であれば陽が昇ったらすぐに飛行作業を実施できるように艦をモーソン基地沖まで進出させる必要があると考えました。そのためには夜に氷海を通ることになるので、そこは慎重にやらねばと考えました。肝心のピックアップの作業に関しましても、やはり人を運ぶことが優先順位が高いので、先に人から運ぶことにしました。人の輸送が終わってから荷物を積んで、天候が悪くなり始めたら途中ででも物資の輸送は切り上げてその場を離れる計画にしました。これらはすべて事前の調整の中で決めたことです。幸いすべての荷物を積んで船が出航してから天気が悪くなりましたので間に合いましたけれども、状況によっては途中で打ち切るということも考えて当日は作業を進めました。
6_1_5

オーストラリア隊のヘリコプターによる物資輸送

福西 ヘリコプターは大体何人ぐらい一度に乗れたのですか。
艦長 「しらせ」は大型のヘリコプターを搭載しており、これを使えば3回ぐらいの輸送で済むのですが、昭和基地沖の氷海を離脱するときにヘリコプターの羽根、ブレードというんですが、これを外した状態になっていました。これを使える状態にするには準備と復旧に時間がかかりますので、「しらせ」に収容する予定の3機の小型ヘリコプターを使って作業を進めたほうが早いだろうということなり、オーストラリアのヘリコプターを使いました。そうしますと1回あたり人は3人しか運べないということで、これだけの多い便数になった、ということです。
福西 そうするとオーストラリア隊の方も非常に限られた時間にすべて終わらせなければならないということで、向こうのパイロットもかなり頑張ったということですね。
艦長 はい、かなり飛行作業自体は頑張っていたと思います。でもこの飛行作業がスムーズに進行したのにはもう一つの幸運がありました。「しらせ」には大型ヘリコプター以外に観測隊がチャーターした観測用小型ヘリコプターを1機積んでおりまして、その航空会社とオーストラリア隊の3機のヘリコプターの航空会社が同じ会社だったんです。しかも「しらせ」の観測隊用小型ヘリコプラーのパイロットが日本人だったんですね。この日本人のパイロットはオーストラリアの航空会社に就職しまして今回南極に来ていたのです。この人を通じて飛行計画を調整することができましたので、調整自体非常にうまくいきました。

6_1_6

「しらせ」に収容されたオーストラリア隊の3機のヘリコプター

福西 そういう影のサポートもあったということですか。日本とオーストラリアはいろいろな面で関係が深いですね。
艦長 ヘリコプターの管制もその人に手伝ってもらってやりましたので、非常に円滑に作業が進みました。
福西 3月6日の輸送作業は朝の何時頃から始まり何時頃に終わったのですか。
艦長 作業は朝の6時50分ぐらいから始めまして、人の輸送は10時半には終わってますので、3時間半ぐらいで終わったことになります。その後に物資を運びまして、最終的にヘリコプター3機を固定しましたのは午後2時半ですので、この日の作業は8時間足らずで全部終わったことになります。この日は天候がだんだん悪くなることはわかっていましたので、午後2時半に終わった後、直ぐに氷海から離れようということで出航しました。
6_1_7

大鋸寿宣艦長とモーソン基地ジョン・レーベン隊長(「しらせ」艦橋で)

福西 この日、66名という「しらせ」に乗船できる定員をはるかに超えたたくさんの人が来られたのですが、そのような大人数に乗船してもらうためにどのような準備をされたんですか。
艦長 まずは66名という人をどのような部屋割りにするのかということになるんですが、これにつきましてはスペースに余裕がある観測隊寝室にしか入れませんので、門倉観測隊長と話をさせていただいて、部屋割りは観測隊長におまかせしました。幸いなことに、初代の「しらせ」の後継船として今の「しらせ」を建造する時に、先人の知恵といいますか、観測隊寝室に工夫がされていました。観測隊寝室は二人部屋なのでベッドも二人用の2段ベッドなんですが、いざという時に備えて補助ベッドがひとつ入っていて、緊急時には3人部屋に変更することができるように当初から造られていました。モーソン基地到着前までに補助ベッドを使って二人部屋を全部三人部屋に変える準備をしましたので、66名を何とか収容することができました。
福西 その他にどのような準備をされたのですか。
艦長 そうですね、艦内生活で一番大事なのが食事ですが、今持っている食糧を今度はオーストラリア隊に分けなければならないものですから、当然観測隊員にも、「今の食事内容よりもちょっとおかずが減りますよ」と了承してもらって、どのような食事を作っていくかを船の中で検討し、準備しました。
福西 オーストラリア隊の食事に関してはあまり情報がなかったと思いますが、どのような工夫をされたのですか。
艦長 やはり食べられるもの、食べられないものがでてくるでしょうから、宗教的にどうなんだろう、例えばイスラム教の人だったら豚肉がだめだとか、アレルギーを持っている人でしたらそばがだめだとか、エビ、カニなどの甲殻類がだめだとか、そういう情報を事前に知りたかったものですから、観測隊長にお願いして事前にそういった情報をオーストラリア隊側から提供してもらいました。その上で、それらに該当しない、もしくはあまり問題がないようなメニューを艦の調理員の中でやりくりして準備しました。それでもちょっと心配がありましたので、調理員がメニューを全部英語で書きまして、毎食英語メニューを用意しました。
福西 毎食食べる前に確認してもらったということですね。
艦長 そうです。使った食材も全部英語で書きまして、調味料も全部どういう調味料を使ったかを英語で表示しまして、不安のある人はそれを見てから食べるようにして下さい、ということでやりました。
福西 食糧自体はやはり緊急事態も想定してある程度余裕持って船に積んでいるのですか。
艦長 そうですね、非常用の食糧も積んではいますけれども、今回は期間的に1週間だったんで、非常食を用いずに品数を少し減らすことで十分に対応できる範囲でした。
福西 実際に「しらせ」に乗船されて、1週間の共同生活が始まったわけですが、いかがでしたか。オーストラリア隊の皆さんは船の生活をすごく楽しんで、非常にうまくいったと聞いておりますが。
艦長 実際の共同生活に関しましては観測隊長が中心になって、観測隊の方でいろいろと対応していただきました。部屋割りを決める際に、同じような専門の人が同じ部屋になるように、あと年代も考えて、オーストラリアの観測隊の中にも20代の学生もいましたので、日本の大学院生の部屋に入れたりとか、できるだけ同じ専門、同年代といったところを考慮して部屋割りをしたことがとても良かったと聞いています。
福西 オーストラリアの女性隊員はどうされたのですか。
艦長 全部で13名いらしたのですが、日本の観測隊の女性隊員の部屋にオーストラリアの女性隊員が入ることで、同部屋で仲良くやっておられたと聞いています。
福西 交流イベントとしてどんなものを企画されたのですか。
艦長 やはり1週間といっても24時間同じ生活になりますと結構長いですので、いろいろな交流イベントを企画しました。まず、「しらせ」とオーロラ・オーストラリス号ではだいぶ違いがありますので、乗艦された最初の日に艦内生活についての説明を艦側から英語でさせてもらいました。それぞれ誰が担当かもきちんと話しました。また艦の概要を知ってもらうために、乗員と観測隊員が共同でオーストラリア隊員の艦内旅行を企画しました。少人数のグループに分かれてもらい、観測隊員が案内役となって艦の中を回り、それぞれの場所で今度は乗員が説明をしました。
福西 「しらせ」はオーロラ・オーストラリス号に比べてずっと大きく、大型ヘリコプターも搭載する最新鋭の砕氷船ですので、かなり驚かれたのではないでしょうか。
艦長 はい、環境が大分良いと言われました。1990年就航のオーロラ・オーストラリス号に比べて、2009年就役の2代目「しらせ」はかなり余裕を持った部屋の造りになっています。観測室もそうですし、それぞれの区画が全部余裕がありますねと言われました。また、「しらせ」はオーロラ・オーストラリス号よりも全然揺れないと感心されました。
福西 「私は砕氷艦「ふじ」の時代から南極観測隊に参加して、初代の「しらせ」にも乗ったんですが、「ふじ」は最大45度ぐらい揺れたんです。初代「しらせ」ではその半分位になったので、揺れなくなったと感じました。オーロラ・オーストラリス号は昔の「ふじ」に近い揺れがあるのでしょうか。
艦長 かなり揺れるんじゃないかとは思います。それにまたこの2代目「しらせ」は初代「しらせ」と比べましてもかなり揺れません。私も初代「しらせ」に乗ったことがありますので、その違いがよく分かります。
福西 「しらせ」にはオーロラ・オーストラリス号にはない大型ヘリコプターを搭載していますが、オーストラリアの観測隊はどのように感じられましたか。
艦長 そうですね、ヘリコプター自体の使い方によると思うんですが、運用形態をみますとモーソン基地は昭和基地と違って、船が基地ギリギリまで行けますので大型ヘリコプターによる物資輸送はしていません。
福西 自然の岸壁があるということですか。
艦長 そうなんです。自然の岸壁にもやいを取って直接荷物をおろすことができますので、輸送用の大型ヘリコプターの必要性はそう高くないと思います。ただ今回のように、何かあった時の手段としての大型ヘリコプターの存在は大きいですね。特に南極地域においては、最終的にはヘリコプターに委ねるところがありますね。
福西 そうですね、今回の救助では「しらせ」の大型ヘリコプターは使用されませんでしたが、もっと厳しい状況になった場合には大型ヘリコプターが必要になることも当然考えられますよね。
艦長 今回は日数的なことを考えて「しらせ」のヘリコプターを組み立てて使うということはしませんでした。でも状況が違っていれば、ピックアップする人数がもっと多いとか、ピックアップする場所がもっと遠いとか、そういう条件が違えば「しらせ」のヘリコプターを使うことも当然オプションとして考えられます。
福西 オーストラリア政府が日本政府にオーロラ・オーストラリス号の救援を依頼してきたのは、そういう「しらせ」の総合力を高く評価したからではないでしょうか。日本の南極関係者の一人としてそうした海外からの「しらせ」への信頼は嬉しいですね。
艦長 はい、さまざまなオプションをもって今回の救援を無事に終えることができたのは、「しらせ」の総合力の高さだと思っています
福西 友好のイベントとしては他にどんなものがありましたか。
艦長 「しらせ」の乗員の中に和太鼓のチームがありましたので、せっかくの機会ですので和太鼓で友好親善をはかろうということになり、倉庫に集まってもらい、そこでしらせ乗員による和太鼓の演奏をやってみたんです。そうしましたらかなり興味があったようで、そのあともレクチャーしてくれという申し込みがあり、臨時の和太鼓教室が始まりました。毎日教えてくれという人も出てきて、非常に盛り上がりました。
6_1_8
福西 提供された日本食の評判はいかがでしたか。
艦長 日本食を好きな人が多かったですね。最初はこちらも心配して、急遽プラスチックのフォークとナイフとスプーンを準備したんですが、基本的に全ての人は箸を上手に使って、箸で普通に食事していました。白米のごはんも非常に好評で、パンも準備したんですけど、パンじゃなくてごはんがいいということで、ごはんを食べられました。そういうこともありまして、一回巻き寿司を作ったんです。その時、希望者がいれば巻き寿司作りを一緒にしませんかと呼びかけたところ、いろいろな方が参加され、最後にラップを巻いた上に自分で作った人は自分のサインして、記念の写真を撮り、とても楽しいイベントになりました。
6_1_9
福西 日本の冷凍技術は素晴らしいですね。私も昭和基地で新鮮な巻き寿司を楽しむことができました。大変な思いをして救出されたあとの「しらせ」での生活でかなりリラックスしてもらえたようですね。
艦長 リラックスしてもらったと思います。特別のイベントがない時でも、艦内のどこでも見学してかまいません、ということにしていましたので、ブリッジですとかいろんな場所にオーストラリアの観測隊員が顔を出して、質問したり話をしたりしてくれました。そういうことが数多くありました。
6_1_10
福西 ところで観測隊も最近女性隊員が増えていますが、「しらせ」も女性の乗組員が今回一番多かったと聞いていますが。
艦長 女性の乗組員は実は今回が初めてでして、昨年までは臨時でお医者さんや歯医者さんとして女性が乗ることはあったんですが、乗組員としては今までおりませんでした。今年から乗せよう、ということになりまして、臨時の女医も含めて10名が乗り込みました。
福西 女性乗組員が南極の昭和基地に初めて行き、さらに帰途にオーロラ・オーストラリス号の救援現場にいたことは貴重な体験だったと思いますが、どのような様子でしたか。
艦長 女性乗組員が表にでる機会がいくつかありました。最初にオーストラリアの隊員が乗艦された時の艦内説明は男性の乗組員がやったんですが、あまり英語が得意ではないということもありまして、英語が得意な女性乗組員が一緒にサポートしました。食事を作る調理担当にも女性乗組員が2人いましたので、巻き寿司作りのときはオーストラリアの隊員と一緒に作り、交流を楽しんでいました。
福西 「しらせ」に女性が初めて乗務員として乗り込んだということは、女性の希望者が多くなったということですか。
艦長 もともと2代目「しらせ」建造時から将来的に女性も乗るということを想定して、女性が居住できる区画が整備されていました。部屋の中にお風呂とトイレがあるような形で造っていたんです。でも海上自衛隊の中で艦船乗り組みとして勤務する女性隊員の数はそれほどおりませんでした。「しらせ」の希望者はいたんですが、ある一定の人数がそろわないと乗せられませんので、これまで乗せてこなかったんです。だんだんと希望者の数が増えてきましたので、そろそろ始めようかということで、今回から始まったということです。
福西 「それではこれからも女性の乗組員の数は増えていくことになりますか。
艦長 現在は、幹部2名、曹士8名の全部で10名の居住スペースがありますので、その人数の中で交代しながら女性が毎年南極に行けるようになると思います。
福西 女性乗務員が帰国されて、自分の体験を周りの人たちに語れば、希望者がまた増えるかも知れませんね。
艦長 これまでは「しらせ」に乗れなかったので手をあげなかった人もいると思います。今回はいろんなところで女性乗組員の活躍をアピールできたと思いますので、希望者が増えていくことを願っています。
福西 「しらせ」は3月12日にオーストラリアのケーシー基地に到着し、オーストラリアの隊員の方々とお別れすることになりますが、モーソン基地からケーシー基地までの2,300kmにわたる長い航海で天候はどうだったんですか。
艦長 3月6日にモーソン基地を離れましたが、7日はやはり予想どおり低気圧が来まして大しけになり、6日中に66名全員と荷物全部を収容できたことは本当に良かったなと思うほど揺れました。さすがに7日はオーストラリアの観測隊員も一部の人しか艦内は動けない状況でした。でもそのあとは天候も回復し、順調に航海しました。
福西 途中、海洋観測はやられたのですか。
艦長 ネットを入れてプランクトンを採取するような停船観測はその期間はやってはいません。航行中の定期的な海洋観測は実施しました。
福西 3月12日のケーシー基地へのオーストラリアの隊員と物資の輸送はどのようにされたのですか。
艦長 そうですね、ケーシー基地もあまり沿岸に近づくと浅い場所になってしまい、海の中がどうなっているかわかりませんので、ある程度深い所で船をとめまして、そこからヘリコプターで輸送するという形でやりました。そこはモーソン基地と同じような形ですね。
福西 オーストラリアはケーシー基地に飛行場を建設し、飛行機でオーストラリア本土と行き来ができるようにしていますが、今回ケーシー基地に降りられたオーストラリアの隊員は飛行機でオーストラリア本土に戻ったのですね。
艦長 はい、そのように聞いています。
福西 「しらせ」での1週間の共同生活で互いに親しくなり、お別れの際もいろいろなことがあったんでしょうね。
艦長 そうですね、特に観測隊員は同じ部屋だったということもありますので、かなり親しくされていて、降りられる前の日に観測隊員同士の懇親会を開いたりされていました。最後のヘリコプターが飛び立つ時は、みんな飛行甲板に集まり、見送りながらお別れをしました。オーストラリアの観測隊員の中の女性隊員なんですけど、編み物をやっている人がいて、編み物で帽子を編んで記念品としてプレゼントしてくれました。
6_1_11

お別れの日の記念写真

福西 もともと南極観測では日本とオーストラリアの関係はすごく深く、「しらせ」は、行きはフリーマントルに入港し、帰りはシドニーに入港し、入港している間は必ず友好のイベントを開催されますね。そういうお互いにすごく親しい仲で今度のオーロラ・オーストラリス号の救援が行われたので、さらに友好関係が増すことになりましたね。
艦長 まさにそれで、必ずオーストラリアを経由しないと南極と行き来できないので、これまでもずっとお世話にはなっていますし、今回は日本が助ける立場になりましたけども、逆もあるかもしれません。そういう意味ではお互い親善がさらに深まっていければいいと思います。
福西 そうですね、南極は地球上で国境のない唯一の大陸で、南極観測に参加している各国がお互いに助け合う、人類の未来を先取りした平和の地ですね。私が越冬隊長を務めた第26次南極観測隊での出来事ですが、オーストラリアの砕氷船ネラ・ダン号が救援を必要としているという最初の情報はモーソン基地から昭和基地に入り、昭和基地から日本の南極本部に連絡し、初代「しらせ」が救援に向かいました。私自身そういう経験がありますので、困った時にすぐ対応してもらうことは、南極の場合一番嬉しいことですね。今回は救援をすぐ決断され、しかも計画した通りにきちんとやり遂げられたことはほんとに素晴らしいですね。今回の経験をぜひいろいろな所で紹介していただきたいですね。
艦長 そうですね、今回のインタビューをお受けしたのもそうした気持ちからです。オーロラ・オーストラリス号救援は3月に新聞やテレビで報道されたと聞いていますが、帰国後も取材などあり、これからも今回の経験を語っていきたいと思います。
福西 南極という厳しい自然環境の中で、計画通りに進めるために必要なものは何でしょうか。
艦長 計画通りにできたことは非常に良かったなと思っています。ただ南極の自然では何が起きるかわからないというところでもありますので、当然慎重にいかないといけないなと思いながら、「しらせ」のスタッフがいろいろな検討した結果、天候も予察してくれましたし、場所もこのあたりまで進出できる、とちゃんと検討してくれました。そういった意味でスタッフの能力が高かったと思っています。また観測隊とも事前の調整から最後の調整までうまくできました。そういった全ての人の努力の結果として計画通りに進めることができたと思っています。
福西 大鋸艦長は初代「しらせ」と2代目「しらせ」で5回も南極に行かれたわけですが、南極の何に魅力を感じられていますか。
艦長 そうですね、やはり別世界といいますか、日本と全く異なる環境にありますし、「しらせ」の場合ですと1隻で動きますので、自分たちで計画を立てて、状況に合わせてそれを変更しながら、最終的には目的を達成するために昭和基地まで行く、というのは非常にやり甲斐のある仕事だと思っています。直接やった仕事の結果として観測隊の越冬が成立し、越冬が終わった観測隊員を連れて帰ることができて、そこでもって「あーよかったな」となんかほっとする。やった仕事の内容が成果として出てくるといったことが非常に良い仕事だと思ってます。当然南極は環境自体もすごくきれいな場所で、通常見られないようなものをいろいろと見ることができますし、得難い経験だなと思っています。
福西 それでは最後に、これから南極を目指したいと思っている方にメッセージをお願いします。
艦長 南極は自分で望んでもなかなか行ける場所ではないと思いますが、望んで行けるような方向に進めば何度でも行ける場所でもあると思います。そこで行ってみないとやはりわからないと思うんです。「全く自分の知らない世界」というところに行って、またそれをどう受け取って感じて、自分の中でもきっと変化が起きると思いますので、ぜひ一度自分の目で見て、自分の肌で感じてみてほしいなと思います。ぜひ私たちのあとに続いて、「しらせ」乗組員にも観測隊員にも、なることを希望していただければと思っています。
福西 今日は貴重な体験を語っていただき、どうもありがとうございました。

大鋸寿宣(おおが ひさのぶ)プロフィール

1966年生まれ、防衛大学校卒。初代「しらせ」船務長(第48次南極地域観測協力)、現「しらせ」航海長(第51次南極地域観測協力、第52次南極地域観測協力)、「しらせ」副長(第55次南極地域観測協力)、海上幕僚監部運用支援課南極観測支援班長を経て、2015年8月から「しらせ」艦長に就任し、第57次南極地域観測協力に参加。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

公益財団法人日本極地研究振興会常務理事、東北大学名誉教授。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了、理学博士。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。専門は地球惑星科学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。

目次に戻る