第6回 メルマガ

シリーズ「南極にチャレンジする女性たち」第3回

南極に行くことが子供の頃からの夢だった 第57次南極地域観測隊 夏隊同行者 大学院生 白水 薫 南極昭和基地南方のスカーレン露岩地域で(2016年1月3日) 第57次南極地域観測隊は、昨年12月2日に空路でオーストラリアのフリマントル市に到着し、そこで砕氷艦「しらせ」に乗船し、南極の昭和基地に向いました。この観測隊に参加した白水薫(しらみず かおる)さんは南極に行くことが子供の頃からの夢でした。な

シリーズ「極地からのメッセージ」第5回

地球最北の国際観測村、極夜絶賛開催中! ~北極圏ノルウェーを訪れて① 朝日新聞社会部記者 中山 由美 越冬の始まり ニーオルスンの空港で どこを見ても、何時になっても、真っ暗だ。北極圏スバールバル諸島のスピッツベルゲン島に入ったのは1月半ば、“北緯78度”を実感した。南緯69度の昭和基地では、真冬でも、正午には地平線に近づく太陽を感じられた。夜明け前の明るさがしばし戻る。だがロングイヤービンは「極

シリーズ「南極観測隊〜未知への挑戦」 第4回

南極オゾンホールの発見-最初の出会い 第23次南極地域観測隊員 忠鉢 繁 はじめに  南極オゾンホールは、8月から9月ごろ南極上空に出現し、12月頃には一度消える。そして翌年の8月から9月ごろまた出現する。これを毎年繰り返す。現在は毎年観測されているこの現象を、我々第23次日本南極地域観測隊が1982年に昭和基地で越冬中に観測し、1984年にギリシャで開かれた国際会議(オゾンシンポジウム)で発表し

シリーズ「南極・北極研究の最前線」第7回

JARE57重点研究観測-南極氷床上中層掘削- 櫻井俊光(国立極地研究所 特任研究員)  国立極地研究所(以下、極地研という)に赴任して1年が経とうとした頃に、第57次南極地域観測隊(以下、JARE57という)に参加することが決まった私にとって、はじめての南極、はじめての掘削である。このような私がメールマガジンに投稿させていただくことに恐縮するとともに、とても光栄に思う。  今回の掘削プロジェクト

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第5回

雪の吹き溜まりから建物を守る 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1. 第1次隊の建物  第1次南極観測隊は昭和31年(1956年)11月に「宗谷」で南極に向けて出発しましたが、南極観測隊が使う建物を検討したのは、主に日本建築学会から選ばれた南極建築委員会の方々でした。強風への構造的な耐力や暖房の熱損失などを考慮し、図1のような斬新な案も検討されましたが、隊長・副隊長の強い要望もあり、

シリーズ「南極観測隊エピソード」第5回

南極観測と朝日新聞その5 幸運の1次隊、不運の2次隊 元朝日新聞社会部記者 柴田鉄治  日本の南極観測の産みの親、矢田喜美雄記者と早大山岳部が東大スキー山岳部の策謀によって南極に行けなくなった状況は、前回記した通りである。しかし、それは、あくまで裏の事情であって、国民は知らなかったことである。  国民が知っている南極観測の実現までのストーリーは、朝日新聞の提案にまず学界が賛同し、政界・官界も乗って

「しらせ」大鋸寿宣艦長に聞くオーロラ・オーストラリス号救援のドラマ

大鋸寿宣艦長とモーソン基地ジョン・レーベン隊長 105年に前に始まった南極での日本とオーストラリアの友情 今から105年前の1911年、イギリスのスコットとノルウェーのアムンゼン隊が南極点一番乗りを競いましたが、全く同じ年に日本の白瀬南極探検隊もわずか204トンの開南丸で南極点を目指しました。でも日本出港が遅れたために南極大陸氷縁到着は南極の夏が終わった3月12日になり、厚い海氷に前進をはばまれ、