シリーズ「極地からのメッセージ」 第7回
- 2017.01.05
- 第8回 メルマガ
- シリーズ「極地からのメッセージ」
グリーンランド単独徒歩行
夢を追う男 阿部 雅龍
3年連続で北極に通っている。2016年も2月から6月、グリーンランドに行っていた。
グリーンランドの北端、北緯77度、北極点までわずか1,500kmほどにシオラパルクという村はある。ここにはグリーンランド西海岸を単独で歩くために来た。80日間で海氷上を1,200km歩く計画である。食料や燃料などを積んだ150kgのソリを引いて歩く。日本から空路で少なくとも4回の乗り換えが必要だ。デンマークのコペンハーゲンからグリーンランドに入る。飛行機を乗り継いで、北西岸のカナックからはヘリコプターとなる。
世界最北の村シオラパルクで出発準備
村にヘリで降り立つと、毎冬この村に滞在している犬ぞり探検家の山崎さんが出迎えてくれた。ここは、冒険家・植村直己さんが犬ぞりを教わった村で、同じ頃に来た日大山岳部OBの大島育雄さんはここに残って、現地の女性と結婚し、猟師として暮らしている。69歳の今でも犬ぞりを操って、狩りに行く。最近はシロクマの皮をなめす仕事が忙しいそうで、犬ぞりを出す時間を確保するのも大変だそうだ。近年、皮のなめしをできる人が減り、政府から依頼が来るのだ。「やる事はいくらでもあるんだ。」と大島さんは子どものように歯を見せて笑う。
ここで家を借りて、最終準備とトレーニングを進めた。今年は2月でもやけに暖かかった。風が強い日が続き、海氷が割れて離れ始め、歩くのが難しくなる。3月に入り、寒くなってきてくれた。現地のハンターに地図をみせ、海の凍結箇所を確認すると、適切に進言してくれる。近年は氷が溶けやすくなっているようだ。多くの人が自分に良くしてくれる。植村直己さんや大島さん、山崎さんら、日本人探検家たちが素晴らしい印象を残してきたからに尽きる。先人の偉功があるからこそ、自分も歓迎してもらえるのである。
危惧するのは氷の溶け具合だ。多少の寒さやキツさは歓迎である。遠征のために必死で努力してきたのだから、簡単に出来てしまったらつまらない。だが海氷がなくなったら、歩けなくなる。
人口40人の世界最北の村シオラパルクの数少ない子どもたち。僕の家に常に居着いていた。抱えているワンコは犬ぞり探検家山崎さんの犬ぞり犬。(撮影日時 2016年3月2日) |
3月3日、世界最北の村シオラパルクから歩き出す。600km南下したサビシビックの村への往復1,200kmの旅である。2月下旬は-15℃程度と暖かく、海氷が外海へ多量に流出していたが、3月に入り-20℃以下になり、海が再凍結し始めた。極夜が明け、太陽が顔を見せ始める頃、最も気温が下がる。海氷の状態次第では歩き切れるかもしれない。3月14日には-42℃まで下がり、順調な兆しを見せていた。
近年、温暖化で海氷面積は激減している。シオラパルク-サビシビック間は植村直己さんが犬ぞりで走破したルートだが、最近は海氷が減って、ほぼ不可能だ。氷河を越えて薄氷帯を回避するルートもあるが、氷河は流れて変化する。このルートも、通行不可能になってしまった。
薄氷を踏み抜く
22日目の事だった。朝は気温がー30℃まで落ちた。この日、僕は凍てつく北極の海に落ちた。
最も危険な薄氷帯に突入する。薄い氷の上は、ベッドのマットレスの上を歩くのに似ている。自重で氷がたわむと海水が押し返す。不気味な感覚だ。これ以上は危険だ。海岸に戻るために踵を返す。限界まで挑戦はするが、まだ死ぬわけにはいかないのだ。時間がたつほど氷が頼りなくなっていく。10m先に安定した氷が見える。あそこまで行けば安心だ。次の一歩を踏み出した瞬間、片足がズブズブゆっくり沈むと、全てのバランスが瓦解した。スキーを履いたまま、垂直の姿勢で凍てつく海にのみ込まれた。
落ちた瞬間は暖かく、温泉のように感じる。海水なので氷点は真水よりも低い-2℃、気温に比べればかなり暖かいのと、著しい血管収縮で末端血液が中心部に集まるために、身体が勘違いするのだ。それも始めの数十秒だけだ。後は寒さで一気に身体の感覚が無くなる。スキーを履いていて泳げない。潮の流れが氷の下に引きずり込もうとする。ハーネスとソリが結ばれていて泳いでも進めない。氷の上に這い上がろうとするが、肘をついて力を入れるたびに、薄氷が崩れて海に落ちる。それを何度も繰り返す。「このまま溺れて死んでしまうのか」と絶望を感じる。10分ほど海中であがいた。家族や多くの人の顔が浮かんでくる。死んでたまるか、と思う。まだ死ねない。どうせなら、死ぬまで諦めずにあがいてやる。
自力で脱出
冷静になって周囲を見渡すと、ソリ2台が小舟のように海に浮いている。ひっくり返さないように慎重に這い上がって馬乗りになる。防水バックが幾つも入っているので浮いていた。だが、次第にソリに水が入り、沈んでくる。身体は震えているが、寒い感覚がない。指先もなにも感じない。濡れた衣服が全て凍りつく。薄氷の上に這い上がる。意識が朦朧として、判断力が著しく下がっているのがわかる。低体温症になり、凍傷を負っているのは確実だ。氷の上をきっかり2時間、マラソンした。
太陽は水平線に半分消えていた。ソリの1つは海に沈んだ。中にはテントとコンロが入っていた。それがあればテントの中で、暖かい食べ物も飲み物もとれたのに。北極の夜が来る。-30℃以下の夜が。服も濡れたまま。夜は動けないので、朝を待たなければいけない。ソリの袋から荷物を全て出して、袋の中に寝袋を入れて横になる。ソリの袋のジッパーを締めても、頭は出る。身体が異常に震えるが、「もっと震えろ、震えるだけ体温が上がる」と思っていた。横になりながらチョコクッキーを貪り食べる。指先の感覚はほとんどなく、凍傷になっていると感じていたので、わきの下にはさんで温める。何度も意識が遠のいて落ちる。
ヘリに救助され、そして再び歩き出す
永遠に思える夜を越えて、朝を迎えた。近くのカナックまでは約100km。自分の身体を考えると、歩いて戻れる状態ではない。衛星携帯電話でヘリを呼ぶ。幸運だったのは、わずか4時間で来てくれた事だ。
ヘリが来たときは、低体温症が進んでいてほとんど歩けなかった。ヘリに歩み寄ると、クルーが僕を引っ張り上げてくれた。心からの安堵。そのまま軍の病院へ搬送された。
海に落ちて24時間以上も経って生きている事、凍傷の程度が軽いことに、医師は感嘆の言葉をくれた。「信じられない、普通はとっくに死んでいる」って。皆が「助かって良かった」と言ってくれる。誰も僕が危険な行為をしている事を責めないのがうれしかった。頭の中では、いかにして徒歩を継続するか考えていた。
そして、僕は1週間の静養を終えて、ルートを大幅に変えて再び歩き出した。指先の凍傷はまだ痛むし、壊死した皮膚が浅黒く残っているが、正常な動きを取り戻し始めていた。
歩かなれば南極へは辿り着けない。生きている限り、幾らでもチャンスはある。今できる事をしない限り、未来もない。
阿部 雅龍(あべ まさたつ)プロフィール秋田大学在校中から冒険活動を始め、講演執筆・メディア・SNSなどで冒険の様子を発信・共有し、『夢を追う素晴らしさ』を共有するために活動中。 |