シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第19回
- 2019.10.21
- 第19回 メルマガ
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南極での火災
石沢 賢二(前国立極地研究所技術職員)
1. はじめに
前回取り上げたのは、一酸化炭素中毒についてでした。今回は、南極で最も恐ろしい火災についての話題です。南極は低温のため、水分は凍り付き、空気中に含まれる水蒸気の量は絶対的に少なく、とても乾燥しています。また、消火用の水も大量に得られません。昭和基地は小さな島で、周囲は海に囲まれていますが、通常は夏でも厚さ約2mの海氷に覆われているため、海水を使うためには、海氷に穴を開けてポンプアップしなければなりません。また、人里離れた所にあるため、文明圏からの救難には何か月も要します。そのため、いったん火災が発生すると、消火活動は困難で、人員の安全と延焼防止策を確保した後、燃え尽きるのを待つのが、最善の方法かも知れません。
今回は、日本の基地や外国の基地で起きた主な火災事例を紹介し、その対処法について考えてみたいと思います。
2. 昭和基地での火災
2.1 オーロラ観測用カブースの全焼
第1次越冬隊として11人が越冬を開始したのは、1957年(昭和32年)2月16日からでした。昭和基地沖に停泊し物資輸送を行った砕氷船「宗谷」は、2月15日に帰路につきました。東オングル島の基地の建物は、4棟だけでした。鉄パイプの上に幌を被せた構造の発電棟、その他の3つの建物(主屋棟、居住棟、無線棟)は、木質断熱パネルでできたプレハブ式構造物でした。これらの建物は、現地で施工した簡易通路で繋がっていたので、もし火事が起きたら、延焼は免れません(図1)。また、ガレージ、便所、犬小屋なども現地で施工したものです。その他に建物から離れた所にカブース2台がありました。
図1 第一次越冬時の建物配置(文献1)
火災はそのうちの1台で起きました。太陽が出ない暗夜期がようやく終わり、基地全体に太陽光が戻ってからまだ日が浅い7月24日に火災は発生しました。カブース内には軽油ストーブがあり、徹夜でオーロラ観測を終えた隊員が、ストーブの火を消すために、油のコックを閉め、残りの油が燃え切らないうちに煙突に詰まったススを取ってそれを屋外に捨てに行きました。その時、煙突の引きが急によくなって、突然、ボーンとストーブから火を噴き、床の上にこぼれていた油が燃え始めました。隊員は驚いて備え付けの消火器で火を消そうとしましたが、消火粉は出てきませんでした。彼はカブースを飛び出し、他の隊員の救援を求めました。しかし、火の廻りは早く、手の施しようがありませんでした(文献1)。
消火器が作動しなかったのには訳がありました。この観測用カブースはかつてブリザードで吹き飛ばされ、その後始末をした時、隊員は消火器のグリップを握り作動を確かめていました。これが災いしたのです。この種の小型消火器には、小さな炭酸ガスボンベが付いていて、このボンベの口を突き破ることで粉末の消火薬品が噴き出す仕組みになっており、一度使用したら新しいボンベに取り換える必要があったのです。
カブースにはさらに危険が迫っていました。強風でもカブースが動かないように、軽油入りドラム缶を紐で結びアンカーにしていました。ドラム缶は熱で膨張し、今にも爆発しそうになりましたが、隊員が必至に雪をかけてドラム缶の温度を下げ何とか爆発は免れました。もし、ガソリンドラム缶でも爆発していたら、建物にも延焼し、隊員の生命も脅かされていたかも知れません。
2.2 作業工作棟の全焼
1次隊の火災原因とおなじような事故が第25次隊でも起きました。ストーブの不完全燃料でストーブの蓋が吹き飛んで、床にあったウェス(ぼろ布)や油に燃え移り、作業工作棟が全焼したのです(図2)。昼食時のため棟内は無人で、しかも基地中央部から離れていたので、人的被害や延焼はありませんでした。原因は、作業棟で使用していた廃油ストーブでした。事故が発生したのは1984年7月26日で、棟内では、春の内陸旅行の準備として雪上車の整備作業を行っていました。基地には太陽が戻ってきて、「さぁこれから思いっきり野外に行けるぞ」という隊全体が解放的な気分になり始めていた頃でした。昼食後、作業棟から白煙が出ていえるのを隊員が発見、シャッターを開けて棟内に入りましたが、煙が充満して何も見えず、外部から消火器で対応しましたが、火の勢いを止めることはできませんでした。また、近接した建物への延焼を防ぐため、海氷に穴を開け消防ポンプによる放水を行いましたが、海水が凍結して、失敗しました。16:45頃、火勢は衰え、22時にほぼ鎮火しました。
図2 昭和基地・作業工作棟の火災
初期消火が遅れた原因として、作業棟内の火災報知器が作動しなかったことが挙げられます。雪上車の排気ガスにより感知器が作動することが多いため、感知器を取り外してあったのです。この火災が昭和基地におけるこれまでの最大規模のもので、これを機に、非常発電設備や非常食の分散配置、消火訓練の充実が図られました。
3. 水素ガス爆発による火災
3.1 内陸無人観測小屋の爆発
第18次隊では、昭和基地とみずほ基地の中間に位置する氷床上に無人観測基地を作り、気象や地磁気のデータ取得を実施しました。電力源は出力1.2kWの小型風力発電機です。しかし、観測開始後約1か月経った1978年2月20日頃、冷凍庫を改造した観測小屋(幅2.5m、奥行き1.6m、高さ2.4m)が爆発してしまいました(文献2)。原因は、鉛蓄電池から放出した水素ガスに風力発電機の制御装置あるいは観測機器のリレー接点の火花が着火・爆発したものと推定されます。観測室の構造は、バッテリーと充電器の上に観測機器を配置したものでした(図3)。
図3 第18次隊無人観測基地の施設配置、 数字の単位はmm(文献3)
低温環境での鉛蓄電池の充電では、入力した電力エネルギーの多くが水の電気分解に費やされ、多くの水素が発生します。そのため、本来の蓄電池充電が効率的に行えません。充電作業は温かい環境でやるのが鉄則です。第18次隊の場合は、施設を設置後、数か月が経った再訪時に事故を発見したので、人的被害はありませんでした。因みに、第19次隊で初めて南極観測隊に参加した筆者は、みずほ基地に向かう内陸旅行の途中、この無人基地に立ち寄り、18次隊と一緒にこの施設の改修・再建を行いました。
3.2 西オングル島観測小屋の爆発
同じような水素爆発の事故は、昭和基地の無人観測施設でも起きました。第24次隊が越冬中の1983年7月28日のことでした。昭和基地中心部から約3~4km離れた西オングル島には、超高層部門観測用のテレメータ基地があります。これは昭和基地にある通信機器や様々な観測機器から発生する電磁ノイズを避けるために設置した無人の観測施設です。当時は、雪上車で定期的にメンテナンス作業に出向き、ディーゼル発電機から鉛蓄電池への充電作業や観測用アンテナなどの点検・補修を行っていました。この日は、担当隊員が蓄電池室に入り、整流器・スライダックのハンドルを回転し操作した時、爆発が起きました。隊員はプレハブ小屋のドアから外に吹き飛ばされ、2~3m離れたやわらかい雪の上に投げ出されました。ドアが開けっぱなしになっていたのが幸いしました。口髭と髪の毛を焦がした程度で助かりました。駆け付けた他の隊員が消火器で延焼を食い止めました。爆発の圧力で、小屋の屋根は浮き上がりました(図4)。
図4 西オングル島で爆発した小屋の屋根の架け替え(文献 3)
小屋には水素ガスを排出するための壁用換気扇が設置されており、充電中にガス排出ができるようになっていました。しかし、事故時は、ブリザードによる雪の浸入を防ぐため、この換気扇穴は、外部からべニア板で封印されていました。前次隊との引継ぎがきちんとなされていなかったようです。
3.3 観測カブースでのキャンプ用ガスボンベの爆発
キャンピング用ガスボンベの爆発事故が起きたのは、第36次越冬中でした。筆者はこの時、昭和基地に滞在しており、無線連絡を受け、事故現場に雪上車で急行しました。事故に遭った隊員は全員うなだれていましたが、皆、眉毛が焼けただれ、異様な様相になっていました。事故が起きたのは一年のうちで最も気温が下がる8月下旬で-40℃の低温でした。雪上車で牽引してきた幌カブースには暖房用として灯油ストーブが設置されていましたが、これだけでは寒くて我慢できず、床でオプティマスコンロを炊き、さらに机の上でカセットガスコンロを炊き、この上にかけた鍋の中でキャンピング用ガスボンベを湯煎していました(図5)。
図5 観測カブース内のコンロとガスボンベの配置(文献4)
寒すぎてガスが気化しなかったためです。あらゆるコンロで暖を取ろうとしていました。ガスボンベの底面が膨れてきたため、取り出そうと手を伸ばした瞬間ボンベが爆発しました。ボンベに入っていたブタンガスは、空気より重いため、下に流れてカセットコンロかオプティマスコンロの炎により爆発したと考えられます。カブースの床に幌の末端を留めている桟木のビスが外れ、幌内部の圧力が解放され、隊員は木製ドアから外に脱出することができました。隊員の一人はガスボンべの破片で親指を骨折しました。また内部にいた5人は顔などに火傷を負いました。
低温でLP(液化石油)ガスが気化しないという現象は、初期の観測隊が最も懸念していたことでした。そのため、昭和基地の食堂棟の厨房では、長年灯油コンロを使っていました。LPガスは、着火時にプレヒートが必要ないため、使い勝手が良いのですが、低温で気化せず、危険であるとされていました。一般に使用しているプロパンガスの液化温度は約-42℃です。純度の高いプロパンガスほど低温性は良いのですが、高価です。日本の観測隊が厨房でLPガスを使い始めたのは、管理棟の使用が始まった第34次隊からでした。この時は、屋外のボンベ室を暖房し、途中の配管も断熱保温し、低温対策を充分に施しました。
3.4 小型気球ゾンデの水素ガス爆発
昭和基地では気象庁から派遣された隊員が、高層気象観測のために、毎日小型気球ゾンデを打ち上げています。気球内部には現地で製造した水素を充填していました。第19次隊で水素ガス発生室を新設し、メタノール分解方式の水素ガス発生装置を設置しました。第21次隊の越冬期間も後1か月を残すのみとなった12月30日、担当隊員2名が水素ガスを放球棟内で充填中、突然爆発、隊員の一人は火傷を負い、高床式の放球台から飛び降りた時にくるぶしを骨折しました。放球棟の引き戸のドアが開放されていたため、被害は少なくて済みましたが、プレハブ式建物のコネクターが外れ、天井パネルはずれてしまいました。爆音は基地全体に響き渡り、駆け付けた隊員が消火活動を行い延焼を食い止めました。原因は着用していた衣服で発生した静電気のスパークと推定されています。
規定では、充てん作業中の静電気防止服の着用が義務付けられていましたが、事故時は化繊の運動着を着用していました。また、第25次隊の越冬中には、ガス発生機から出火し、水素ガス発生装置は使用不能となりました(文献5)。この事故を契機に、水素ガスからヘリウムガスへの転換が図られました。これはかねてから高層気象関係者の悲願でしたが、ヘリウムガスボンベが高価であること、ボンベ重量が毎年30トンにもなり輸送上の大きな負担となるため見送られてきました。しかし、第25次隊から「しらせ」が就航し、輸送力が大幅に増強されたため、第26次隊から実現しました。
気象用小型気球の放球は、多くの南極基地で行われています。筆者が訪問したオーストラリアのケーシー基地およびマッコーリ島の気象観測では、水素ガスを使っていました(文献6)。爆発対策は完璧に行われおり、静電気防止服の着用はもとより、シャッターを押したときに出るかも知れないスパークなどを想定し、カメラの持ち込みも禁止になっていました。今後は、南極でも水素エネルギーを使う時代になることは確実です。その使用を恐れることなく十分な対策を施すことが大事です。
4. ブラジル基地の全焼
ブラジルのコマンダンテ・フェラス基地は、南極半島の西に位置するキングジョージ島にあります(図6)。この基地の発電機室から出火し、基地の70%が消失しました。2012年2月25日の午前2時頃でした(図7)。調査によると、給油中の燃料タンクから漏れた油に電気の短絡によるスパークで爆発、火災が起きたと推定されています。
図6 キングジョージ島の基地
消火活動中に2人の海軍軍人が亡くなり、さらに一人が重傷を負いました。キングジョージ島には各国の基地が12もあり、チリ海軍の消防士がポンプ、ホース、消火器を持って駆け付けました。その後、ポーランド基地からは医師を含む救助隊が到着しました。さらに、アルゼンチンと英国の船からも隊員が救難に参加しました。59人の基地滞在隊員の内、44人がチリのフレイ基地にヘリコプターで救難され、その後大型機でブラジルに帰国しました。残った隊員は火災の後始末に対処しましたが、悪天候で活動は延期されました。結局、基地の70%が破壊し、約800トンの瓦礫を後に本国に持ち帰りました。2013年に観測隊員を収容する仮設建物が建てられ、64人を収容できる新基地建設は2016年から始まり、2018年に完成しました(文献7)。
図7 ブラジル・コマンダンテ・フェラス基地の火災 (文献7)
5. 火災から基地を守るための工夫
5.1 加圧ガス送水装置
いったん火災が発生すると電源や配水管もダメージを受ける可能性があり、消火活動に支障を来します。そのため、独立して稼働する設備が必要になります。そこで昭和基地に導入したのが、加圧ガス送水装置です(図8)。5klの圧力水槽には、凍結しないよう不凍液を加えた水を入れておきます。火災時には、その横に設置した窒素ガスボンベのコックを開いて、水槽の水を押し出し、消火ホースに送水します。この装置の利点は、窒素ガスが不活性ガスであるため、水槽内の水が腐ることなく長期間保存でき、水槽の発錆防止にもなることです。350リットル/分の吐出量で14分間送水することができ、半径800mまでの消火が可能です。
図8 加圧ガス送水装置の原理
5.2 基地に張り巡らした消火用水の配管
筆者がオーストラリアのケーシー基地を調査した時、基地内に張り巡らした屋外配管に目が釘付けになりました。飲料水、排水の配管列の中に消火用水があったのです(図9、文献6)。担当者の話では、水槽の水位が低下し、ある基準に達すると、飲料水は使えなくなり、水槽に残った水は、すべて消火用水として取っておくということでした。なるほど賢い方法だと感心しました。
図9 オーストラリア・ケーシー基地の屋外配管
5.3 タンク搭載消防車
南極最大の基地であるアメリカのマクマード基地の消火態勢を調査した時、その規模の大きさに驚きました。4klの水槽を積んだ消防車3台が車庫に待機して、2分以内に火災現場に駆け付けるというものでした。そのための専属隊員は夏期に43人、冬期に12人配置されていました(文献8)。また、図10は、オーストラリアの基地に配属されている雪上ポンプ車です。冬季でも現場に駆け付けることができます。いろんな工夫を重ねて、南極の火災を最小限に食い止めることが重要です。
図10 オーストラリア基地に配属されている消防ポンプ搭載雪上車
5.4 海水循環の配管
昭和基地は周囲を海に囲まれています。海水温度は一般に-2℃以下にはならないため、大きなエネルギーを持っています。そのため、水中ポンプで海水を汲み出し、脱塩して飲料水にしたり、ヒートポンプで室内を暖房することをいろんな会合で筆者は提唱してきました。今回は、消火用配管を基地に張り巡らし、海水を常時循環することを提案します。主要な場所に海水取り出し口を設けておき、火災時に消火ホースに繫げば、延焼を最小限に食い止めることができると考えています。
文献
1.西堀栄三郎(1958)『南極越冬記』岩波新書 pp.144-149
2.国立極地研究所(1978)日本南極地域観測隊第18次隊報告
3.第24次越冬隊 (1984) 『自然と人間』 第24次越冬隊の記録
4.第36次越冬隊 (1996) 日本南極地域観測隊第36次隊報告
5.気象庁(1989) 『南極気象観測三十年史』 pp.32-33
6.石沢賢二・北川弘光 (2007) オーロラ・オーストラリアによる輸送とオーストラリアのケーシー基地及びマッコーリー島基地の施設、南極資料,Vol.51, No.2, pp.209-240
7.https://www.coolantarctica.com/Antarctica%20fact%20file/science/antarctica_fire_history.php
8.石沢賢二 (1998) マクマード基地・アムンゼンスコット南極点基地およびスコット基地の設営活動, 南極資料, Vol.42, No.2, pp.196-225
石沢 賢二(いしざわ けんじ)プロフィール前国立極地研究所極地工学研究グループ技術職員。同研究所事業部観測協力室で長年にわたり輸送、建築、発電、環境保全などの南極設営業務に携わる。秋田大学大学院鉱山学研究科修了。第19次隊から第53次隊まで、越冬隊に5回、夏隊に2回参加、第53次隊越冬隊長を務める。米国マクマード基地・南極点基地、オーストラリアのケーシー基地・マッコ-リー基地等で調査活動を行う。 |