第61次隊、越冬はじめました

青山雄一(第61次南極地域観測隊 越冬隊長)

例年とちょっと異なる夏期間

 第61次南極地域観測隊は、青木隊長を筆頭に89名の隊員・同行者で構成される。そのうち、しらせ及び南極昭和基地周辺で活動をする本隊が67名、しらせ以外の手段で南極に行き活動を行う別動隊が22名である。第61次隊では、急速な氷床の融解や後退が危惧され、国際的に注目されているトッテン氷河域での氷床―海洋の相互作用調査を計画の中心に据え、しらせを機動的に活用した往復路におけるトッテン氷河域での海洋観測に重点をおいて夏期間の観測・設営計画が組まれた。

 そのため、第61次隊が昭和基地入りしたのは、2019年12月30日になった。とは言え、30日と31日はしらせからの日帰り訪問だったので、実際に今次隊の夏期行動が始まったのは2020年1月2日に昭和基地入りした後からということになる。そこから最終便が出る2月4日までの約1ヶ月間に、第60次隊からの基地観測・運営の引き継ぎ、昭和基地やその周辺での夏期の観測・設営オペレーションを実施した。

 観測系では、ヘリコプターを活用した沿岸露岩域や内陸での野外観測に加え、基地観測のうち基本観測棟に機能を移転するための移設やその準備などが進められた。設営系では、燃料・物資輸送の他、気象棟の解体、基本観測棟の放球デッキ建設、昭和基地の生活水を作るために重要な工事 (新金ダム循環配管のルート変更と配管支持の補強および循環ポンプ架台の新設)、汚水を処理する装置の保守、厨房機器の更新作業、消火ポンプの更新など、越冬に不可欠なオペレーションが盛り沢山であった。その中でも約46年間にわたり気象観測の拠点として使用されてきた気象棟の解体は、過去の越冬において、折につけてお邪魔し、楽しく過ごした思い出があるためか、なんとなく切ない気持ちになった。

写真1:(上) 解体が始まった時点 (1月8日) の気象棟
 (下) ほぼ更地になった時点 (1月13日) の気象棟跡地

 しかし、そんな感傷に浸る間も無く、粛々と夏期間の設営作業は進められた。旧しらせ時代の観測隊を彷彿させる、観測系の隊員も設営作業支援に入り、色々な現場でその勇姿を見ることができた。設営作業で現場に移動する際は、昔と変わらずトラックの荷台に隊員がすし詰めで運ばれて行く。そのトラックも新しらせになってから導入されたのは軽トラック2台だけで、今尚、かなり懐かしい隊次をペイントしたトラックが現役で使われている。

写真2: (上) 第39次隊で越冬した青木隊長とその時に導入されたダンプ。残念ながらこの夏の終わりに走行不能になった。(下) 隊員の移動の様子

 この夏期間は天候に恵まれ、外作業を順調にこなせた。特に1月下旬から最終便まで休み無く、加えて残業有りというブラックな労働環境の中、皆で協力しながら、ひとつひとつ、オペレーションを終わらせていった。非常に濃密な夏期間であった。

昭和基地は越冬隊だけになる

 2月1日、昭和基地管理棟前の広場(19広場)にて、青木隊長、熊谷副隊長はじめ第61次夏隊の隊員・同行者、ならびに竹内艦長はじめ「しらせ」乗員の立ち会いのもと、堤越冬隊長率いる第60次越冬隊との越冬交代式を行い、基地の運営・管理及び観測・設営業務を受け継いだ。越冬交代式後、第60次隊の大半の隊員と第61次夏隊の一部の隊員、多くのしらせ支援員がしらせに帰還したが、その後も少数精鋭で、残りの夏作業にあたった。とは言え、3日後、2月4日午前の最終便により、青木隊長はじめ残留メンバー全員がピックアップされ、しらせに戻ってしまった。

 以降、第61次越冬隊30名 (隊員29名、同行者1名) だけが、昭和基地に取り残されることになった。一時は100名近くが滞在していた昭和基地は急にひっそりとして、夏の日差しの下にも関わらず、冬の訪れを知らせる秋風が吹いている感じになる。しかし直ちに気持ちを切り替え、基地運営・観測と並行し、越冬するために必要な残りの夏作業を30名で協力して進めた。例年の最終便は2月中旬であるが、その頃には越冬隊30名だけの生活にかなり馴染んでいて、夏隊が居た頃が遠い昔のような気がする程だった。そして、越冬体制を概ね整えることができた2月20日に、19広場にて越冬成立式、福島ケルン前にて福島慰霊祭を執り行った。いよいよ本格的な越冬生活が始まる。

写真3: 2月1日の越冬交代式に参加した第60次越冬隊と第61次越冬隊・夏隊
区分部門隊員数
越冬隊越冬隊院1名
基本観測異常気象5名
モニタリング観測3名
研究観測重点研究観測2名
一般研究観測1名
設営機械6名
通信1名
調理2名
医療2名
環境保全1名
多目的アンテナ1名
LAN•インテルサット1名
建築•土木1名
野外観測支援1名
庶務•情報発信1名
同行者報道1名
越冬隊 計30名

第61次越冬隊の構成

 南極地域「観測」隊の名前の通り、地球環境変動の最前線で、現場「観測」をすることが主目的である。越冬隊は日本から遠く離れた南極昭和基地で約1年間、生活しながら「観測」を続ける必要がある。極地で生活するための「衣食住」も担保しなくてはならない。南極昭和基地の観測プラットフォームや観測隊員が生活していく上で必要なインフラ(建物・設備など)の運営・管理・保守が不可欠である。この基地インフラを支える集団を設営部門と呼び、実際の観測を担当する観測部門とともに欠くことができない。そのため、越冬隊の構成は下の表のように、観測部門11名、設営部門17名、同行者1名、隊長1名となっている。
 越冬隊内は完全な分業制になっているわけではない。観測部門、設営部門を問わず、専門以外の作業を行うことがあったり、何か問題が起こった時や人手が欲しい時はお互いに協力して取り組む。また、日々の生活で共通部分の清掃や食事の配膳・片付け、生活を支えるための各種生活係なども全員が協力して行う。そうやってお互いに助け合っていくことで少しずつチームワークが形成され、「同じ釜の飯を食う」固い絆ができあがっていくのである。

写真4: 第61次越冬隊 (2月20日撮影)

 第61次越冬隊は、基地観測、特に基本観測を担当する隊員が8名で観測部門の大半を占める。基本観測とは、気象、潮位、測地、電離層擾乱観測などの定常観測と宙空、気水、地圏分野の各種モニタリング観測のことである。基本観測は、即効性は無いが、継続することで、地球温暖化や地球環境変動などを知る上で必須な情報・証拠を提供しうる。その他に、大型大気レーダー観測、ミリ波分光観測、MFレーダー観測などを通して、対流圏から超高層大気を研究観測する隊員も3名いる。

 一方、設営部門は、雪上車、車両全般、機械設備、電気設備、発電機エンジン、発電機制御盤を担当する機械部門、隊員の食を賄う調理部門、治療や健康管理を行う医療部門、隊員同士の連絡や安全確認を行う無線通信を管理する通信部門、基地建物の維持・補修を行う建築部門、廃棄物や生活汚水を処理する環境保全部門、観測で使用する直径11mのパラボラアンテナを保守・運用する多目的アンテナ部門、基地内ネットワーク、あるいは基地と国内の衛星回線を維持するLAN・インテルサット部門、隊員の野外行動の安全を担保する野外観測支援部門、越冬隊全体の調整役、庶務部門から成る。これに隊長を加えた29名が観測隊員となり、第56次隊以来、隊員数が30名未満となった。このような観測隊員に加え、今回は45次隊以来となる報道同行者が越冬し、昭和基地の取材を行っている。観測隊員と同行者を併せた30名が第61次越冬隊となる。 

 ところで、越冬隊30名のうち女性は5名である。年齢構成についても平成生まれの隊員が7名いる一方でそのご両親世代の隊員が同程度いたりして、老若男女の別なく衣食住をともにしながら、一緒に仕事をしている。また、30名のうち11名が越冬経験者となっている。第35次隊を最古参に、旧しらせ時代から久しぶりの越冬であったり、新旧しらせの両方の時代を知る4回目の越冬になる経験者がいたりとバランスが取れている。こういう書き方をしているのは、やはり、新しらせ時代になって越冬のシステムなどが大きく変わっているので、どちらかに偏るのではなく、新旧システム (手法) をうまく融合できると良い越冬になるのでは、と感じている。

写真5: 昭和基地主要部上空からの写真 (2月23日撮影)

第61次隊の越冬生活

 我々が生活している昭和基地主要部を上空から見た写真を写真5に示す。2020年2月は全体を通して降雪がほとんど無く、ブリザード (雨の代わりに雪を伴う台風) が無かった。晴れた日が多く、2月の日照時間としては歴代1位を記録した。月平均気温は平年よりやや低めであったが、日射によりオングル島内や海氷上の融雪(氷)が進んだ。2009年以降、昭和基地の位置する、東南極のドロンイング・モードランド地域では降雪・積雪の増加が人工衛星や昭和基地やその周辺の観測からも示されている。その時期に昭和基地を見てきた方々には信じられないほど、雪が少なくなっている。これまで雪に埋まり、隠されて見えなかった色々な物が姿を現し、越冬に入ってからも各所で一斉清掃を行い、相当量のゴミを回収することができた。

写真6: 2月24日の一斉清掃

自身が初めて越冬した時は、管理棟はまた新しく快適な建物だった。最近は夏期間に雨漏りしたりと、老朽化が進んでいる。勿論、基本観測棟など新しい建物も建てられてきたが、総じて基地内の建物・設備は老朽化しており、運用・維持に手がかかるようになっている。不具合は休日・夜間など関係無しで発生するので、観測・設営隊員ともに24時間・365日、いつでも対応できるように、職場で生活しながら待機している、と言えなくも無い。でも、これだと息が詰まってしまう。こんな越冬生活に潤いを与えるために生活係がある。天気が悪くなると外出も制限され、建物内に閉じ込められてしまい、単調になりやすい生活にメリハリをつけるため、誕生会やスポーツイベントを企画したり、新聞を毎日発行したり、映画を上映したり、喫茶、バー、屋台、パン・麺、新鮮な野菜 (水耕栽培)や魚などを提供したりする、生活係がある。


写真7: (上) シアター係による上映会 
(下) イベント・スポーツ係主催のソフトボール大会 (2月22日)
 

シアター係が毎週木曜日に映画を上映している (実際には木曜日以外も特別上映も行っている)。上映会をしてもあまり隊員は集まらないというのが最近の傾向と聞いていたが、今次隊では割と多くの隊員が集まって、一緒に視聴している。一方、気象棟跡地の西側に広がる広場で、イベント・スポーツ係主催のソフトボール大会も、越冬隊の2/3が参加し、「試合」を楽しんだこともあった。

 飲食も欠くことができない、越冬隊の楽しみである。調理隊員が腕を奮って、毎食楽しませてくれている。加えて、土日のブランチや誕生会のイベントの際には、パン・麺係が手作りパンを焼いたり、手打ちうどんを提供したり、喫茶係がスイーツを提供したりする。それと今次隊の新兵器も生活に彩りを添えている。それは寄贈された生ビール・炭酸サーバで、基地内で生ビールや気が抜けていない炭酸水、酎ハイなどを楽しむことができるようになった。

写真8: (上) ある日の食事風景 
(下) 生ビール・炭酸サーバで生ビールを注ぐ隊員

 第61次隊の越冬生活は始まったばかりであるが、紹介したいことがまだまだ沢山ある。しかし、それを書く時間と能力が足りなかったので、これにて終わりたいと思います。ただ、これからの越冬生活で、我々は、楽しいこと、辛いことなど色々なことを経験するであろう。しかし、最後は全員無事に帰国し、その後、その中の何人かが、また昭和基地で越冬したいと思う時が来るような、そんな越冬生活を越冬隊全員で目指していきたい。

(2020年4月18日 昭和基地にて)

青山 雄一 (あおやま ゆういち) プロフィール

国立極地研究所准教授、総合研究大学院大学准教授。 2000年総合研究大学院大学数物科学研究科天文科学専攻修了、理学博士、京都大学宙空電波科学研究センター (後に生存圏研究所) 研究員、情報通信研究機構専攻研究員、国立極地研究所助教を歴任。第36次・第49次越冬隊、第55次・第59次夏隊に参加。2018年11-12月にはJAREの枠組み外でノルウェー・トロール基地とインド・マイトリ基地で観測を実施。専門は測地学的手法を用いた地球計測。

目次に戻る