シリーズ「南極・北極研究を支える企業探訪」第2回

NECネッツエスアイ株式会社

20世紀後半から衛星観測技術が急速に発展し、各国は地球周辺の宇宙空間の直接観測や宇宙から陸域、海洋、大気を観測するための地球観測衛星を多数打ち上げました。そこでこれらの衛星から得られる大量データを受信する施設が南極地域でも必要になり、世界に先駆けて昭和基地に「多目的衛星データ受信システム」を建設するための予算として、1987年から3ヵ年計画で13億円が認められました。NEC(日本電気株式会社)はこの国家プロジェクトを請け負い、直径11メートルの大型パラボラアンテナを持つ衛星データ受信システムを短期間に完成させ、1989年1月に昭和基地に設置しました。建設後のシステムの運用・保守はNECネッツエスアイ株式会社が担当され、今日まで26年間にわたって衛星データの受信を継続的に実施されてこられました。このNECグループの南極観測事業への貢献を広く社会に知ってもらいたく、インタビューさせていただきます。

No3_1_1

インタビュアー:福西 浩

福西 本日は、NECネッツエスアイ株式会社の有吉英俊さん、釘光信一郎さんに加え、NEC 宇宙システム事業部の岡本博さんの3人の方にインタビューさせていただきます。またNECネッツエスアイ株式会社執行役員の伊藤康弘さんには南極支援に対する社の方針を、同社で広報を担当する稲葉誠一さんに同社の事業等について伺いました。
有吉英俊さんは第30次南極地域観測隊の越冬隊員として、システムの設置、現地調整試験、最初の運用を昭和基地で行われました。釘光信一郎さんは第37次南極地域観測隊の越冬隊員として昭和基地での運用を担当されるとともに、その後の社内の南極プロジェクトを担当されておられます。NECの岡本博さんは多目的衛星データ受信システムの開発に関わられました。
それでは最初に岡本さんにお伺いさせていただきます。このプロジェクトがスタートした1987年当時の状況をお話しください。当時、直径11mの大型アンテナをもつ衛星データ受信施設は南極にはなく、日本がこの計画を発表した時に、南極に観測基地を持つ各国は大変驚きました。南極の厳しい環境を考えると、実現がかなり困難なプロジェクトであったからです。この困難なプロジェクトをNECが請け負われたわけですが、どのような苦労があったのでしょうか。
岡本 国立極地研究所は1987年に、海洋観測衛星「もも1号」、地球資源衛星「ふよう1号」、磁気圏観測衛星「あけぼの」、ヨーロッパ地球観測衛星「ERS-1」の4つの衛星の観測データを受信し、画像を含めたデータ処理を行う多目的衛星データ受信システムを開発し、昭和基地に建設、運用することを計画しました。この計画を請け負ったのがNECで、当時私はシステムの取りまとめをしていました。システムは、直径11mのパラボラアンテナ、受信装置、画像処理を含むデータ処理装置からなる大掛かりなシステムです。当然NECとしてもこのようなシステムの開発を行ったことがなく、大きな挑戦でした。このプロジェクトを成功させるにはいろいろな困難な条件をクリアする必要がありました。まず第1の条件は当然のことですが、南極の厳しい自然環境に耐えるシステムであることです。第2の条件は、昭和基地での建設期間は1ヵ月程度しかとれないので、短期間に少人数で建設が可能なシステムであることです。さらに第3の条件ですが、このような大掛かりなシステムの運用には、アンテナ担当、受信装置担当、処理装置担当と普通は数名が必要ですが、昭和基地では基本的に一人で行うことが要求されます。これらの3条件をクリアするためにいろいろな工夫をしました。
No3_1_2
No3_1_3
福西 風速60メートル、気温がマイナス40度以下という厳しい環境条件をどのようにクリアされたのですか。
岡本 風速の方ですが、アンテナを屋外に露出した形にしますと、強風下での運用はできなくなりますので、レドームで覆うことにしました。風速80メートルくらいは耐えられるレドームでアンテナを囲うことで現地の環境に耐えられるようにしました。ただ建設では、最初にアンテナを立て、次にレドームで覆う順序になりますが、これを昭和基地で1ヵ月で全部終えるのは、誰もやったことがない経験のない仕事でしたので、非常に大変なことでした。温度の方は、受信装置や処理装置がある建物の空調設備とアンテナの機器が収容されている背面小室にサーモ付ヒーターを入れる事で、何とかカバーできました。
福西 昭和基地で1ヵ月で建設を終えた後に、すぐに衛星データ受信の運用に入ることが求められたわけですが、この点に関してはどうされたのですか。
岡本 普通のプロジェクトでは現地での組立・調整には何ヵ月もかかるのですが、それを1ヵ月で終えるために、開発したシステムを全て出荷前に組み立て、動作確認を行いました。これにより、昭和基地での建設と同様な条件でどのくらいの短期間で組み立てることができるかの具体的な日程情報や、組み立て手順書をつくることができました。また組み立て後すぐに運用ができるように、4つの衛星の中で「もも1号」はすでに打ち上げられていましたので、衛星からのデータを受信し、処理し、正常にデータ処理がなされることまでを確認しました。
No3_1_4
福西 昭和基地での一人での運用に関してはどのような工夫されたのですか。
岡本 基本的に一人で全部運用し、システムのトラブルにも一人で対応することを前提に、自動的にシステムを動かせる「自動化システム」を開発しました。また越冬隊員になる社員に、運用の仕方、装置の中身と修理の仕方など全部を覚えてもらう訓練をしました。今ここにいらっしゃる有吉さんが当時の越冬隊員だったのですが、有吉さんにはアンテナから受信装置の仕様、調整・試験の方法まで、運用・保守に必要なこと全てを覚えてもらいました。さらに当時はデータ処理と言っても、現在のCPUほど能力が高くないので、汎用の大きいサーバーを使って処理していたのです。そういう計算機の動作と修理の仕方も全部覚えてもらいました。有吉さんは大変なご苦労をされたと私は思っています。
福西 有吉さんは多目的衛星データ受信システムの最初の運用担当として南極に行かれたわけですが、どのような状況でしたか。
有吉 当然私も南極は初めてのことで、事前にシステム試験メンバーとして、日本での組み上げのシステム調整試験に参加させていただきました。昭和基地では想像していなかったことがたくさんありましたが、結果から申しますと問題なく運用することができました。1989年1月に昭和基地での建設が終わり、2月1日に越冬交代式があり、2月20日からは越冬隊だけの生活がスタートしたのですが、その直後の2月22日に宇宙科学研究所が磁気圏観測衛星「あけぼの」を打ち上げました。そこで、「もも1号」と「あけぼの」の2機の観測データをほとんど24時間休みなく受信することになりました。当然1人では24時間の運用はできませんので、初めの2カ月くらいは、私の他に3名の隊員の協力を得て運用しました。
福西 私は当時、「あけぼの」に搭載された磁力計のPI(主任研究者)として、高精度の磁場データから電流構造を求める研究をしていたのですが、南極で受信されたデータは私たちの研究に大いに役立ち、世界に先駆けてオーロラ中を流れる沿磁力線電流の微細構造を明らかにすることができました。ここで改めて有吉さんのご努力に感謝申し上げます。ところで昭和基地での衛星データ受信で特に問題になるようなことはなかったのですか。
有吉 最初の計画通りに衛星データの受信ができましたので、特にシステムを変更することはなく、後は維持管理していくというだけでした。
システムの調整試験も予定通りに完了し、「あけぼの」の打ち上げに間に合わせることができました。打ち上げ後の大事なイベントである、太陽電池パネルの展開が確認できる場所が昭和基地だけでしたので、コンピュータの画面上で展開が確認できたときには感動しました
福西 設計通りの性能を発揮したのは、岡本さんが最初に言われた「南極の厳しい自然環境」、「昭和基地での短い建設期間」、「基本的に一人での運用」という3条件をクリアするためにさまざまな創意工夫をされた結果だと思います。世界に日本の技術レベルの高さを示すことができたことはNECの誇りですね。
有吉 はい、私もそう感じております。
福西 有吉さんの後、多目的衛星データ受信システムの運用はNECネッツエスアイが担当し、現在まで26年間にわたって継続されてきました。釘光さんは第37次隊で南極に行かれていますが、その時はどういう状況でしたか。
釘光 私の越冬した年は、当初計画にないイベントが多くありました。越冬中は「あけぼの」「もも1号」、「ふよう1号」、ERS-1,2のデータを毎日受けていたのですが、1996年4月に「もも1号」の調子が悪くなってしまい、運用中止になることがありました。第1に、越冬を開始した直後に、NASAのポーラーデルタというロケットのテレメトリ信号を受信する運用がありました。第2に、8月にはJAXAさんから、H2ロケットが初めて2段ロケットを再点火するにあたり、H2のテレメトリ信号の追尾と記録がほしいとの要望がありました。その時はアマチュア衛星の「JAS-2」も南極上に分離するので、そのテレメトリ信号を見ながらロケット分離を確認するという、非常に稀な経験もしています。第3に、1997年2月に越冬交代した後で、私は次の隊への引き継ぎで昭和基地に残っており、その間に宇宙科学研究所がスペースVLBIのための電波天文衛星「はるか」を打ち上げ、その衛星の追尾支援を頼まれました。これらの3つのイベントが非常に印象深く残っています。
このように、多目的衛星データ受信システムは、当初計画になかった運用が随時追加されていき、当初計画した「あけぼの」等の衛星に限らず、様々な衛星やロケットテレメトリの受信等にも対応できる汎用的なシステムとなり、これを運用できるスキルを持った人を毎年育てることができています。私の後には設備に機能付加しながら、環境観測衛星「みどり」やオーロラ観測衛星「れいめい」の受信運用を、またVLBI観測として電波星の受信運用も行って来ています。
福西 NECネッツエスアイはその後も毎年南極観測隊に有能な社員を送り出されておられますが、選考はどのようにされていますか。
釘光 1993年の第34隊の隊員からですが、この年から社内公募という形にしました。それまでは当社の宇宙関連の部門から要員を選んでいたのですが、南極観測隊員になった社員が、南極でいろいろな経験を積んで逞しくなって帰ってくるということで、こういう貴重なチャンスを全社員に広げようと社内公募にしました。そのために、選考した社員は、それまでの経験に即して、宇宙業務に1年ないし2年習熟させてから南極に送り出すという体制で現在まで継続してやっております。
福西 最近はどの企業でも分業が進んでいますが、南極では全部を一人でやらなければならないので、そういう習熟訓練が必要になるんですね。
釘光 そうです。やはりそれまでソフトウェア、計算機、ネットワーク等特定の領域をやってきた人も応募して来ますが、昭和基地の衛星受信システムは製造から26年経ってかなり老朽化していますので、どうしてもハードウェアの修理が時々は必要になリます。当時の機器ですので、今のように集積回路化はそんなに進んでいませんので、コンデンサだとかトランジスタを取り替えることも必要になってきます。その場合は、やはり半田ごてを使えないとまず話になりません。それからやはり高周波を扱うということで、測定技術も必要になります。システムの保守のためには測定技術がないと、今この機器がどんな状態にあるかという健全性を確認することもできませんので。社内のいろいろな部門から南極観測隊員になるメンバーを集める分、そのメンバーが不足している技術を1年ないし2年の間で覚えてもらってから送り出すというプロセスが必要になります。
福西 そうすると日本での習熟期間が1、2年で、南極に行っている期間は1年4ヵ月ほどですので、全部合わせるとかなり長期になりますね。応募する人にとっては大変なチャレンジだと思いますが、応募する人はかなりたくさんいらっしゃるのですか。
釘光 今年の春先に第58次、59次、60次隊3名の隊員を選考したのですが、3名の応募枠に対して13名の応募者がございました。
福西 若い社員のチャレンジ精神が旺盛でとても頼もしいですね。選考基準はいかがですか。
釘光 そうですね、やはり私たちは昭和基地での夏作業の厳しさも知っていますので、南極に派遣する社員は、衛星データ受信システムの運用だけでなく、他部門の支援についても期待されていると認識しております。そこで基本的には比較的若い、体力のある人間で、かつ一定レベル以上の技術を持った人間を選考するようにしています。この基準では必然的に管理職一歩手前くらいのメンバーになるのですね。選ばれた人は自分の仕事に関しては当然プロジェクトマネージメントをやらなければならないし、それ以外に観測隊の調整や、場合によっては「しらせ」乗組員の方の支援を受けるための交渉をしなければなりません。これから管理職になろうというポジションの人間がそういうマネージメントを南極で経験して帰ってくるというのは、非常に貴重な体験でして、当社が隊員を毎年送り出している一つの意義だと考えております。
福西 私も南極で3回越冬し、越冬隊長もやった経験から、南極は人を育てるのに最適な場所だと思っています。厳しい自然の中で限られた人数で様々なプロジェクトを進めていなければないので、チームワークが一番大事になりますが、その経験が帰国後も大変役立ちました。そういう意味では南極というのは、自然が素晴らしいだけではなくて、人間関係が本当に素晴らしい場所だと思っています。有吉さんの南極越冬生活の感想はいかがですか。
有吉 まさにおっしゃる通りです、本当にチームワークが一番大事だと思いましたね。私が越冬した時は、昭和基地の人数は29人だったのですが、朝晩必ず顔を合わせますので、人間関係が本当に大事だなと思いましたね。このシステムを造る時にも現地には大きな重機などがありませんので、限られた機材を使って工事を行いました。ほとんど人海戦術ですね。ですから、人と人とが協力して造っていかないとこのシステムは出来上がらなかったと思います。そういう面で非常に貴重な経験をさせて頂きしました。南極にこのような大規模なシステムを構築するということは世界初の事でしたが、関係者全員が万全の準備を行い、失敗を恐れずに取り組み一致団結したからこそ、目的が達成できたと今でも思っています。この時の経験が、私のエンジニアとしてのベースになりました。
福西 毎年NECネッツエスアイから南極観測隊員を出されておられますので南極経験者の数はもうかなりになりますね。
釘光 はい、今現在NECグループ全体で43名ですね。
福西 それはすごい数ですね。越冬経験者が南極での仕事や生活を紹介する活動はなさっていらっしゃいますか。
釘光 会社としては幹部が出席する帰国報告会というイベントを開催しています。歓迎会もかねて就業時間後に会食しながら、帰国した越冬経験者に1年半の南極での様々な出来事や思い出を紹介してもらっています。
稲葉 その他に、越冬隊経験者に「南極くらぶ」という名前で、小学校に出前授業に行ってもらっています。最初は文京区の地元の小学校だったのですが、現在は東京都内から近県まで、いろいろな場所で開催しております。また一関出身の越冬隊経験者は岩手県の陸前高田や一関に行って、被災地の小学校で小学生に向けて南極の様子を紹介するという取り組みも行いました。
福西 現在はICT(情報通信技術)時代なので、衛星通信や衛星による観測は当たり前になっていますが、南極の昭和基地に大型アンテナをもつ多目的衛星データ受信システムがあり、衛星観測の分野で活躍していることを小学生に知ってもらうことはとても良いことですね。子供たちの関心はどうですか。
釘光 この開催は国立極地研究所の広報室さんにもご協力いただいて、南極観測隊員が着る防寒服や南極の氷山氷を提供していただいております。防寒服を実際に着て南極氷にふれてもらうことで、子供達も非常に喜んでくれますね。越冬経験者の講演にも耳を澄まして真剣に聞いてくれています。
福西 小学生から、ぜひ南極に行ってみたいといったような声があがったりするのでしょうか。それとも遠い世界の話と思うのでしょうか、宇宙に行くみたいな。
釘光 アンケートをとらせていただくと、講師に対して小学生のお子さんたちがメッセージをくれたりするのです。行ってみたいという意見は非常に多くありますので、やっている意義を感じています。
稲葉 小学校の出前授業は、一つは子供の理科離れを防止する意味も含めて、自然科学への関心を持ってもらいたいということでやっています。先ほどご紹介した一関出身の越冬隊経験者は、岩手県の小学校で、自分は南極に行きたいとずっと思っていて、それでこの会社でいろいろな仕事をしながらやってきて、実際に南極に行くことができたという話をしました。夢を描くことができれば、それは達成できるというメッセージにふれて、南極に行ってみたいと思ってくれた子供たちもいたようです。
福西 南極くらぶへの依頼はどういう形で来るのですか。
稲葉 南極くらぶという取り組みを知られた学校の先生・関係者の皆さんから開催をしてほしいという依頼がたくさん来ています。越冬隊経験者の皆さんには、小学校、最近では中学校にも次々と行ってもらっています。この8月も学校は夏休みということもあって、東京都の教育委員会のイベントなどにも参加させていただきました。
釘光 私もプロジェクトマネージメント協会からPMシンポジウムで話をしてほしいとの依頼を受け、昨日講演をしてきたばかりです。「南極」というキーワードでいろいろと話してほしいという引き合いはたくさんありますので、出来る限り社会貢献の一貫として対応していきたいと思っています。
福西 これまでのお話でNECとNECネッツエスアイがどのようにして南極観測を支えてこられたかよく分かりました。最後に南極観測以外に、NECグループが現在進めおられる様々なプロジェクトの中で、チャレンジングなものをいくつか紹介していただけないでしょうか。次世代を担う若者たちへのメッセージという意味も込めてお願いいたします。
釘光 NECの宇宙事業は、「宙(そら)への挑戦」(http://jpn.nec.com/ad/cosmos/)というホームページで紹介されています。たくさんのプロジェクトがありますが、その中で今日は、「宙から測る」というページにある「準天頂衛星システム(http://jpn.nec.com/ad/cosmos/qzss/index.html)」というプロジェクトを紹介させていただきます。準天頂衛星システム(日本版GPSと呼ばれる)プロジェクトの全体は内閣府のホームページ(http://qzss.go.jp/overview/intro/index.html)で紹介されています。このプロジェクトは、民間資金を活用するPFI事業として国が進めており、NECはその参画企業の一つとして、NECがこれまで培ってきた宇宙関連技術や様々なノウハウを活用して取り組んでいます。NECネッツエスアイは工事関係を中心にして一緒にやらせていただいております。このプロジェクトでは、高精度の測位を可能にするとともに、様々な公共サービスを提供する事業を考えています。
福西 ネットワーク社会に役に立つ新しいサービスを提供していこうということですね。
釘光 そうですね。新しい事業会社が設立されており、その会社が中心になって今後いろいろなサービスを展開しようとしています。第一は、現在使われているGPSを補完して、GPSではなしえなかった高度な測位を実現して、正確な位置情報を提供する事業です。位置情報の精度に関しても、メーター級での精度向上とセンチメーター級での精度向上があります。この他に、災害や安否確認のためのサービス、航空管制への活用などがあります。この衛星システムを使って、幅広くいろいろなサービスを提供していきたいと考えています。
福西 3年後には準天頂衛星「みちびき」が4機体制になると聞いていますが、その頃に事業がスタートできるように準備されておられるのでしょうか。
釘光 そうです、2018年からサービスインをする形で、ちょうどいま準備中です。
福西 位置情報を用いた新しいサービスとして期待しています。他に未来の社会を意識したプロジェクトはありますか。
稲葉 準天頂衛星プロジェクトでは、NECととともに、私たちNECネッツエスアイも参画させていただいていますが、NECネッツアイ独自の事業をご紹介させていただきます。弊社は企業、通信事業者、官公庁といった幅広いお客様に、SI(システムインテグレーション)から施工・サービスまでの幅広い情報通信を提供してきました。この強みを生かして、会社のオフィスの働く環境を変え、新しい環境で働けるように、「Empowered Office(エンパワードオフィス)」というコンセプトでオフィス周りのシステムをご提案しています。
エンパワードオフィスの一つの形として、「SmoothSpace(スムーススペース)」というシステムの販売を始めました。基本的にはTV会議システムですが、従来のシステムと違い、複数のカメラを使い、プロジェクションマッピング技術を用いて、これまであまり利用されてこなかった部屋の隅の壁に等身大で立体的な映像を投影することが可能になりました。
遠隔地の映像を常時映しておくことで、TV会議の時だけではなく、向こうのオフィスとこっちのオフィスがずっと繋がっている状態になります。そこで非常に気軽に向こうにいる人と会話ができるようになります。ちょうど同じオフィスにいる隣同士のように、オフィス同士で画面を見合いながら、誰々が歩いているとか、呼びかけて、コミュニケーションをとることができるようになりました。TV会議はもう珍しくなくなってきていますが、このように常時オフィス同士をつないで、コミュニケーションをとれるシステムがこれからは注目されると思っています。
福西 若い人はとても興味を示すと思います。こういう素晴らしいコミュニケーションツールがこれからの社会をどのように変えていくか楽しみです。
福西 最後に、南極での活動を企業としてどう位置づけているか、うかがわせて下さい。
NECネッツエスアイ 執行役員 伊藤康弘氏から
当社は、社会インフラを支える様々な通信システムの構築、運用に携わっており、南極における多目的衛星データ受信システムの運用と保守は、当社の事業を象徴する名誉ある業務の一つです。また、通常の業務の場合、技術者はある限られた範囲での業務遂行を求められるのに対し、南極では、越冬隊員の一員として周囲のメンバーの協力を得ながら、非常に広範な業務を遂行していく必要があります。このことは、越冬隊に参加した社員の視野の拡大、リーダーシップ能力の向上等、人材育成の観点からも非常に貴重かつ有意義な機会となっていると考えます。
福西 本日はどうもありがとうございました。

岡本 博(おかもと ひろし)

プロフィール

NEC パブリックビジネスユニット 宇宙システム事業部統合システム部シニアエキスパート。1980年にNEC入社。入社以来、主に宇宙通信における地上システムの開発、設計、システムインテグレーションに従事。気象衛星ひまわり、NOAAの受信処理装置から始まり、「もも1号」から「だいち」までの国内のすべての地球観測衛星およびLANDSAT等海外観測衛星用地上システムの開発に携わる。1987年~1988年 国立極地研究所様向けの多目的衛星データ受信システムの開発に参画し、出荷までのとりまとめと、運用開始後の日本側でのサポートを担当。現在も、リモートセンシング地上システム関係の拡販・開発業務ならびにプロジェクトマネージャ育成に従事。

釘光 信一郎(くぎみつ しんいちろう)

プロフィール

NECネッツエスアイ 社会インフラソリューション事業本部 社会公共システム事業部統括マネージャー。1985年にNECトランスミッションエンジニアリング(現NECネッツエスアイ)入社。入社後、キャリア事業者向け伝送装置の設計、保守に従事。1994年 社内人材公募により南極観測隊員候補として宇宙部門へ異動。1995年 第37次南極地域観測隊へ多目的衛星データ受信システム担当として参加。1997年に自社へ復帰、以後、宇宙開発事業に従事。現在は、自社内の宇宙関連事業を統括。

有吉 英俊(ありよし ひでとし)

プロフィール

NECネッツエスアイ 社会インフラソリューション事業本部 社会公共システム事業部第一宇宙システム部担当部長。1983年にNECネッツエスアイ入社。入社後宇宙開発機器の検査、現地調整業務に従事。1988年に第30次南極地域観測隊に参加し、多目的衛星データ受信システムの設置工事、現地調整試験、運用,保守に従事。1990年に帰国後、海外向け衛星通信システムの検査,現地工事,現地調整試験に従事。1992~1993年に南極インテルサット衛星通信システムのインフラ設計を担当。その後、国内向け衛星通信システムのインフラ設計、システム設計、宇宙開発機器のインフラ設計、設置工事業務等に従事。現在は、自社内の準天頂衛星システムプロジェクトを統括。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

東北大学名誉教授、理学博士。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了後、米国ベル研究所、国立極地研究所を経て東北大学教授として宇宙空間物理学分野の発展に努める。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。2007年から4年間、日本学術振興会北京研究連絡センター長を務め、日中学術交流の発展に尽力する。専門は宇宙空間物理学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。

目次に戻る