南極にチャレンジする女性たちー医療担当 西山 幸子ー

第57次南極地域観測隊 医療担当 西山 幸子

インタビュアー:福西 浩

福西 最初に西山さんに自己紹介をしていただきたいと思います。まず医師になろうと思われたのは何歳くらいの頃で、何かきっかけがあったのでしょうか。 No3_3_3_nishiyama
西山 医師になろうと思ったのは15歳くらいの頃です。きっかけはあまりドラマチックなものがあった訳ではないですね。その頃は、将来何になろうかという、漠然 とした夢が目標に変わる時期でした。進学の話にもなってきて、漠然と人が喜ぶとか、人のためになることがしたいなあ、と思った時に、例えば調理とかお花屋 さんとか、どんな仕事でもみんなが喜んでくれる面というのがそれぞれあると思うんです。私の場合、母と話していた時に、母から「お医者さんに向いてるん じゃない」と言われたのが一番のきっかけでした。別に自分の家は医者の家系ではないんですが。あとで母に聞いてみると、目標があった方がこの子は楽しいん じゃないかと思ってそういうことを言ったということでした。まあそれは結果的に見ると、自分に合った道でしたので、今は母に感謝したい気分なんです。
福西   具体的に大学はどちらにいかれたんですか。
西山 自治医科大学です。医者になろうかなと思った次に、医学部を探し始めたんですが、その時にこの大学を知り、行きたいなと思ったんです。自治医科大学というのは、医療的な僻地と言いまして、医者の人数が住民の人数に対して非常に少ない地域に卒業生を配置できるような教育をする目的のために設置された大学でしたので、ちょうど私がやりたいことに合っているなと感じ、ここを目指しました。
福西 それで卒業されたあとはどういう方向に進まれたのですか。
西山 自治医科大学は自治体の方から予算を出していただいて、私たちは奨学金を貸与される形で勉強して、卒業後に9年間、自分の出身県に戻って勤務をすれば奨学金の返済を免除されるシステムでした。そこで9年間は神奈川県で、県庁の指定する病院で仕事をしておりました。
具体的には、研修医2年間が必修なので、それを県立足柄上病院というところでしまして、3年目からは津久井赤十字病院で働きました。今もう相模原市と名前が変わって津久井という名前が残っていないのですが、神奈川県の中では僻地で、湖と山とがある地域です。そちらで内科、外科をして、さらにそこから山梨と東京との県境にある藤野診療所という、外来と往診だけをするような所に住み込みで2年間勤務しました。
さらにそのあとは厚木の方の保健福祉事務所で、結核の予防などにたずさわりました。最終的には後期研修といって、9年間のすべてが地域医療ではなく、自分の身になるための研修を受け、それをまた地域に還元するという趣旨で勤務先を選ぶことができます。そこで神奈川県立がんセンター乳腺内分泌外科に2年間行きまして、乳がんの診療をしていました。
福西 南極観測隊員になる直前の勤務先は聖マリアンナ医科大学ですね。
西山 ええ、そこの医局に勤務していました。がんセンターで乳腺内分泌外科をやっていた頃に、南極観測隊の医療担当に応募して1回試験を受けたんですけれども、残念ながら選考されず不採用でした。そこで南極にいくためにもっと身につけるべきものと考えて、救急医学かなと思いましたので、それで聖マリアンナ医科大学に入局しました。
福西  お話を伺うと、これまでにいろいろな経験をされてこられましたが、西山さんの専門というと何でしょうか。
西山 そうですね、いわゆる専門でいうと、外科は専門だと思っています。外科専門医を取得し、トレーニングも受けてきたし、外科医として勤務してきて、さらに救急と集中治療も一番最近やっていましたので、これらも自分が得意だと言えるよう勉強し続けたいと思っております。
福西 南極観測隊員になることを目指して聖マリアンナ医科大学で救急医学に進まれたそうですが、最初に南極観測隊に応募しようと思われたのはいつ頃ですか。
西山 それは30歳過ぎの頃ですね。自治医科大学を卒業して6年目の頃です。卒業後9年間は私の出身県の神奈川県が指定する医療機関で働くことが義務づけられていますが、そのあとどうするかを考え始めたのがちょうど6年目の頃です。それまでは外科医でいたいなと思っていました。乳がんに興味があったので乳がんが診れて外科ができる医者としてやっていくのかなと思っていたんです。
ちょうどその頃に「南極料理人」という映画を観て、隊員の中にお医者さんもいると、その時に始めて知りました。それで行きたいな、行くにはどうしたらいいかなと思って調べたら公募をしていることがわかりました。きっかけはそういうことです。実際挑戦したのは9年間の義務年限が終わってからです。
福西  映画「南極料理人」を観て、南極はどういうところだと想像しましたか。
西山  そうですね、もともとすごく厳しい場所だし、寒い場所だろうと思っていたんですが。でも映画では楽しいところとか、楽しいながらもケンカしちゃったりとか、おかしい人間模様が強調されてましたので、厳しい場所なんだろうけどああいうところで暮らせたら面白いなというふうに感じました。
福西 57次隊にはこれまでで最多の5名の女性隊員が越冬隊に参加します。最初の女性越冬隊員は今から18年前の第39次南極観測隊の坂野井和代さんと東野陽子さんでした。坂野井さんは東北大学の私の研究室から大学院博士課程の学生の時にオーロラの研究で南極に行きました。それから今日まで女性越冬隊員の数はあまり増えてなく、女性が参加しない越冬隊もありました。ですから南極は依然として女性にとってはチャレンジングな場所だと思います。西山さんは特に大変とは思わなかったのですか。
西山 本当はその大変かどうかについて自分でもっと考えるべきかもしれないんですけれども、直感としてはあまり感じていません。自分としては健康でいたいと思って生きてきていますので、身体の面では心配ないと思ってます。ただ、重労働とかになると、やっぱり男性には及ばないのでご迷惑をかけちゃうかなということはあるんですが。あとは今、この隊員室で勤務して思うのが、あまり女性であることで引け目を感じることがないというか、大変居心地良い空間です。なのでつい忘れてしまうんです、大変さを。むしろ男性の皆さんがしてくれている気遣いに自分が気付けるようになるべきなのかなというのが自分の課題です。
福西 それではこれから越冬隊で担当される医療についていろいろとお伺いします。まず一般の方が知りたいこととして、どの程度の医療設備が昭和基地にあるのか、教えてください。
西山 大きな診療所もしくは小さな病院くらいの設備はあります。通常外来診療で済むような、お腹が痛いとか、どこか怪我したとかは対応できます。手術室もあります。手術といってもいろいろなのですが、例えば健康な人でもなりうる虫垂炎などの病気には対応できます。ただ、脳神経外科の専門的な手術だとか、心臓血管外科の手術だとかにはやはり対応できません。医療隊員二人ですので、できることに限りがあります。病院では医師だけじゃなく、臨床工学技士とか薬剤師さんとか、看護師さん、リハビリ担当の理学療法士とか、いろんな方に支えられてますので、やっぱりそういう複合的な医療には対応できてないと思っています。できる範囲でやっていくために、医療隊員二人でなんでもやるほかに、他分野の隊員の皆さんにもお手伝いをお願いする予定です。
福西 医療担当隊員の役目として、緊急の怪我などへの対応以外に、健康管理がありますよね。健康管理はどうふうになさるんですか。
西山 そうですね、まず自分の健康は自分から始まる、ということをみんなに自覚してもらって、規則正しい生活だったり、南極ではむずかしいですけれども適度な運動だったり、暴飲暴食をしないだとか。そしてやはり怪我が問題になるので安全に気を配り、怪我をしたときに我慢したり隠したりせずすぐ言ってもらえるような雰囲気作りが大事と思います。恥ずかしいとか怒られるかもとかで言い出せずにいて結果対応が遅れると致命的になることもあり得ますので。
福西 健康診断はどの程度実施されますか。
西山 これまでの越冬隊と同じように3ヵ月に1回実施します。内容は、血液検査、尿検査、レントゲン、心電図です。全部毎回やるわけではないですけど、その中で例えばコレステロールが増えてきたとか、尿酸が増えてきたとか、生活習慣病が明らかになる方もいますので、隊員決定の前に十分そういう方に対しては指導が入っているわけですけど、越冬中に悪化するようなことがあったら注意を促したり改善の方法を一緒に考えたりするのも仕事です。
福西 南極観測隊が必要とする物資は年に一回、南極観測船「しらせ」が届けるしかないので、医療担当は出発前に1年分の医薬品を用意する必要があるわけですね。どういうふうに準備されているのですか。
西山  いままでの医療担当隊員の方々の経験の蓄積から、これぐらいあったらいいんじゃないか、というリストがあります。プラス昭和基地に現在滞在している第56次越冬隊の医療担当の方から、これが期限切れになるとか、これが減ってきたとかの情報をいただいて、さらに自分たちでこれもいるんじゃないか、と医療担当の二人で相談しながら決めています。
福西 医療担当のもう一人は男性の森川博久さんですね。お二人の仕事は、協力する部分と分担する部分があると思いますが、そのへんはどうですか。
西山 まず二人の専門の違いがあります。森川さんは内科の方が得意で、慢性疾患とか生活習慣病とかが得意です。あと精神科も得意ということです。私の方は、急性疾患、怪我だったり急病だったり救急だったり、外科的なものが得意です。整形外科は専門ではないですが訓練してきたので対応できます。お薬や機材の調達はそれぞれの得意分野で分担しています。とは言ってもお互いがそれぞれを両方できるのが理想だと思います。例えば、調査旅行隊に一人が参加すれば昭和基地の医療は一人で担当しなければならないので。そこで得意でないものは互いに聞きながら学んでいこうと思っています。今のところは始まったばっかりなので、分担はそんな感じで漠然としております。
福西 実際に越冬中に考えられる病気はどういうものがあるのか、過去の隊ではどうでしたか。
西山 小さなもの、多いものから言いますと、お腹を壊した等の胃腸系だったり、小さな怪我、例えば何か機材を扱っていて指を切ってしまったとか、重労働で腰を痛める等はよくあります。大きなものでは、高所から落下した怪我だとか、機械や重機の扱いで挟まれた等があります。あとは珍しいケースですけど、急性虫垂炎が、今までに2例だけですが起こっていますので、そういう病気への対応も考えなければいけないと思っています。また南極特有のものとして凍傷だったり、最悪の場合低体温症になることもあるかもしれませんね。あとはちょっと違ったところで、日本とは全く異なる環境で、気持ちが落ち込んだりとか、お酒の量が増えたりだとか、精神面の問題も出てくるかと思っています。
福西 寒さのせいか、歯が悪くなるケースもけっこうあると聞いていまが、歯の治療に関してはどうされますか。
西山  私が聞いているところでは、歯の詰め物がとれることがよくあり、その原因として寒さなどが考えられるそうです。そこで歯に不安のある人は南極に行く前に完治しておきましょうと呼びかけています。
福西  歯の詰め物を治すなどの治療は南極に行く前に訓練されるのですか。
西山 はい、これからなんですけれど。自分たちの歯の検診をして下さった先生にそういう訓練を中心に教えていただく予定にしています。
福西 南極特有の環境はまず寒さですよね、寒さに対する健康管理や対策についてはどうですか。
西山 寒さの問題の一番は露出している部分が凍傷になることですね。凍傷の始まりは自分自身では気づかないそうです、私は経験がないので伝え聞いていることですけど、お互いの顔を見て、白くなっていると凍傷の始まりなので、互いに注意することが大事だそうです。また作業しづらいからといって手袋をしないと凍傷になる危険性が高いので、自分の身体は自分で守りましょうと言っていきたいと思っています。
福西 南極ではオゾンホールの問題もあって、紫外線が非常に強力で、特に夏期の野外作業では唇が日焼けによって炎症を起こしてしまうことがよくあります。紫外線対策は何か考えていらっしゃいますか。
西山 紫外線対策は医療担当ではまだ特別話題にはなっていないんですが、装備担当が日焼け止めとかUVカットのリップクリームを配ることになっています。でも多分それだけでは足りないと思いますので、追加は自分たちで準備してもらい、夏期の作業で紫外線を浴びることは避けられないので、サングラスをかけ袖の長いもので皮膚を覆うなど、いろんな方法で紫外線に気をつけてもらうようにしたいと思います。
福西 南極はすごく乾燥しており、静電気などもすごいんです。皮膚は乾燥に弱いので皮膚対策も大事なような気がするんですが。
西山  そうですね、医療の備品の中にユベラクリームとか、しっとりさせるものや、ビタミンEを補給させるものが入れていまして、乾燥に関しては寒さ対策や紫外線対策といっしょで、やはり予防が大事だと思います。皮膚が割れる前に自分でケアしましょうということを言っていかなければいけないと思います。自分は女性なのでけっこう乾燥なんかに気をつけるんですが、かかととかお肌とか。ただ男性の方は日本では気にすることがあまりないかもしれないですね。皮膚対策もきちんと伝えていくべきかなと思いました。
福西 越冬生活で楽なことは寒い環境にもかかわらず、風邪をひかないことですね。
西山  風邪の原因となるウイルスというは人が運ぶもので、ウイルス単独では存在できないのです。そのために人の出入りがほとんどない南極では風邪をひかないのでしょうね。
福西  逆に越冬生活で厳しいことは、30人の越冬隊員だけの閉鎖社会で、文明圏から隔絶されて1年間にわたって集団生活をすることです。日本ではそうした閉鎖社会の長期の集団生活はありませんので、南極に行って始めて経験することです。南極では心身ともに健康を保つことが大事になりますが、そのへんはどう感じていらっしゃいますか。
西山 そうですね、そういう中で鬱憤がたまるのは避けられないと思うので、そういうのを何かの形で発散する、例えばスポーツだったり、宴会だったり、それが大事でしょうね。発散できそうにない人がいたらさりげなく、自分たちの方からいろいろとお話ができないか考えてみたいですね。全くいざこざがないなら、それはそれで不自然だと思うので、いざこざがあった時にも思いやりを持って解決できるような雰囲気を、毎日お互いに築いていきたいですね。
福西  私の昭和基地での三度の越冬生活と越冬隊長をやった経験から少しお話しさせてください。「しらせ」が夏隊とともに昭和基地を離れ、2月からは越冬隊だけの生活が始まりますが、大体1ヵ月くらいの間に、必ず何人かの隊員の間にちょっとした対立が出てくるんです。でもそれを乗り越えたあとに本当のいい人間関係ができ、互いの友情が育っていくんです。だから対立が出てくることは自然だと思うんですね。違った環境で育ったもの同士が閉鎖空間に閉じ込められわけですから。自分と違うやり方が気に食わないというのは、人間の本性だと思うんです。初めはお互いに本当の自分を出さないで遠慮しているうちに、だんだんストレスが溜まってきますが、逆に出したあとに本当のいい関係が生まれます。そういう場面を何回も見てきました。ですから、対立が起こることは全然心配なことではなく、そこで本音を出して貰うことが大事です。
西山 なるほど、それは得難い経験ですね。
福西 その時に、やはりお医者さんとか隊長とかが、要するに客観的に片方だけを見るんじゃなく、両方を見て、全体を見てアドバイスできればすごくいいですね。
西山 本当にそうですね、どっちかに肩入れしちゃったりせずに。それは医者が普段から、もしかしたらやっていることだったり、得意だったり、期待されてることなのかもしれないですね。
福西 お医者さんの言葉はそういう時にすごく説得性があるような気がします。隊員みんなを常に見ているのは、隊長はもちろんそうですけど、その次はやはりお医者さんのような気がします。
西山 自覚が生まれてきました。そうですね、医者は全員を診る仕事ですし、全員をよく知っていなければできない仕事ですので、そういう時にお役に立てるお仕事ですね。
福西 越冬隊は日本に帰ってからしばらく経つと、越冬の仲間が懐かしくなり、私が参加した隊も毎年集まって旅行したりしています。南極が一生の中でとても大事な期間になっていくんです。すごく面白い閉鎖社会で生活したという経験がその後の人生に活かされていくと思います。
西山 そういうお話を聞くと越冬生活が楽しみになります。前向きに捉えて楽しみたいですね。
福西 南極観測隊の場合は少人数なので、自分の担当の仕事だけやるのではなく、どんな仕事にも協力し、自分の専門以外の仕事もどんどん積極的にやっていかなければないですが、医療を離れて、南極でぜひやってみたい仕事は何かありますか。
西山 そうですね、特定の分野では特にないんですが、医療としての通常業務は他の分野に比べるとずっと少ないと思いますので、普段はどんな仕事もこなす隊員でいて、医療もできる、というような位置づけで考えたいなと思っています。そんなわけで他の分野の仕事が入ってくると大変嬉しいですね。例えば、「ペンギンセンサスをして下さい」とか、「生コンクリート工事をやって下さい」とか。依頼を待ってるんじゃなく、仕事を見つけにいけるようになりたいな、と思ってます。
福西 他の分野の人の手助けをどんどんやっていきたいという気持ちは越冬隊では大事ですね。ところで南極の大自然は本当に素晴らしいので、それをぜひ楽しんでもらいたいと思うんですが、そのへんはどうですか。
西山 自分が南極に行きたいなと思った時、何が一番いいなと思ったかというと、地球の端っこにあって、太陽の動きとかが日本と全然違うこと、そのために起こる、夏は太陽が沈まないし、冬は出てこないし、南極という場が起こすいろいろな自然がとても楽しみだったんです。そういうのが全部楽しみですね。自分が久しぶりに出てきた太陽に対してどんな気持ちになるかも、そういうのを楽しみにしてます。
福西 南極の原生的自然は昭和基地だけにいたら分からないですね。南極大陸の中に雪上車で入って行くとか、あるいはリュツォ・ホルム湾の宗谷海岸にある露岩地域を探索するとか、いろんな調査旅行もあると思うんで、ぜひそういう旅行に参加して、南極というものの本当の自然を知ってもらいたいですね。そういうことに興味がありますか。
西山 ものすごく興味はありますね。ただ調査旅行隊のメンバーになるには、自分がそういう調査旅行に行って役に立てること、野外に出しても安全であると判断してもらえることが条件になると思いますので、そういうことも意識して身に着けていきたいと思います。南極の自然を見にいくのはものすごく楽しみで、やりたいことです。
福西 南極で行動するには、安全というものを常に意識し、自分の身体は自分で守る必要があります。特に昭和基地を離れて野外にいる場合は危険度が高くなります。安全対策は考えていらっしゃいますか。
西山 自分の趣味の一つに山登りがあるんです。みんなで行くこともあれば一人で行くこともあります。どっちにしろ山に行ってしまうと、忘れ物をしたら誰かに借りるか、一人で行った場合はどうしようもないわけですので、行動する前に準備を十分することをやってきました。あとは、ここから先は危険かもしれないと思った時に、最悪の事態を想定して無理をせず撤退とか、そういうことが重要だと思ってます。
福西 いつ頃から登山を始めたのですか。
西山 そうですね、ここ3年くらいですね。一般向けの山で、あまり冒険的なクライミングをすることはないです。南極の訓練のために始めたわけではなくて、旅先で偶然誘われて始めたんです。結果的に山で考えていることは南極で活かせるんじゃないかなと思っています。
福西 日本の社会で安全というと、誰かが作ったルールを守るという、どうしても受け身になりますよね。だけど南極の場合はそれぞれが別々の行動をとるので、一人一人の判断力を高める必要があります。それに越冬隊のルールを考える場合も、隊長が押し付けるのではなく、隊員たちが自分たちの経験をもとによく考え、隊員同士で安全のためのルール作りをする、それが大事だと思います。越冬中に経験がどんどん増えていくので、それに応じてルールも変えていく意識が必要だと思います。
西山 なるほど、よく分かりました。確かに、「越冬内規というのをみんなで作る」と聞いて、みんなでルールを作っていく、というのは今までに経験の無いことなんですが、南極ではそういうことが必要なんですね。
福西 最後にお伺いしたいことですが、南極に出かける前にメールマガジンの読者に伝えたいことは何かありますか。
西山 そうですね、「南極に行きたいなあ」というのは最初は自分の個人的な夢でした。それで職場を変えたりする中でいろんな人に「自分はこういう夢を持ってます」と言う機会が増えて、それとともに応援して下さる人が増えて、どんどん南極に近づいた、加速していった感じがあります。まだ夢は叶ってないんですけど、その夢の入口に立てたのは、回りの人のおかげだなと思ってます。南極に行ったら、越冬中も、「南極はこういうところだ」ということを応援してくださった皆さんに伝えることをぜひやりたいなと思っています。
福西 ご両親からは何か言われましたか。
西山 父は自分がやりたいことを今までも応援してくれていたので、ちゃんと元気に帰ってくるならいいんじゃないかというような立場ですね。
福西 全然心配していないのですか。
西山 心配はしているかもしれないんですけども、あまり口に出さないですね。それを口に出してもらえるぐらいもっともっと話した方がいいのかなという気もしているんですが。南極に行っている間に自分になにかあったら家族は心配するし、家族になにかあったら自分も心配するし、家族が大変な時に自分がいられないことが申し訳ないと思うことがあるかもしれません。でも私は父と姉に、「自分の夢を大事にしたいです」と伝えたところです。「じゃ、幸子が安心して南極行けるように私たちも元気で楽しく頑張るよ」と言ってくれたので、感謝しています。
福西 南極観測隊の越冬隊員になって1年以上にわたって南極で暮らすのは一生の中でも滅多にない機会です。また越冬生活の価値は日本に戻ってきてから分かるものです。医療担当という責任は重いですが、南極の自然と越冬生活を十分に楽しんできてください。今日はどうもありがとうございました。

西山 幸子(にしやま さちこ)

プロフィール

1978年生まれ。医師。得意な分野は外科、地域医療、災害対応。からだを動かすこと、遠くに行くことが好き。今までにしてきたスポーツ・武道はバレーボール、空手道、剣道、マラソン、駅伝、登山。今までに行った国は、中国・フィンランド・ペルー・ウガンダ・ラオス・モロッコ・フランス・ポルトガルなど。好きな山域は黒部周辺。

インタビュアー:福西 浩(ふくにし ひろし)

プロフィール

東北大学名誉教授、理学博士。東京大学理学部卒、同理学系大学院博士課程修了後、米国ベル研究所、国立極地研究所を経て東北大学教授として宇宙空間物理学分野の発展に努める。南極観測隊に4度参加し、第22次隊夏隊長、第26次隊越冬隊長を務める。2007年から4年間、日本学術振興会北京研究連絡センター長を務め、日中学術交流の発展に尽力する。専門は宇宙空間物理学で、地球や惑星のオーロラ現象を研究している。

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