シリーズ「南極料理人のお店」第1回

西荻窪 「じんから」

第55次南極地域観測隊 調理担当 竪谷 博

第55次南極地域観測隊の越冬隊で調理を担当した竪谷博(たてやひろし)さんが、2015年7月に東京の西荻窪に「じんから」というお店をオープンしました。早速お店を訪問し、南極料理人になった経緯などをお伺いしました。

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インタビュー(2015年10月28日、「じんから」にて)

インタビュアー:神山文子(公益財団法人日本極地研究振興会)

神山 料理人になろうと思ったのは何歳頃ですか。
竪谷 父の勧めで、16歳の頃から、中学を卒業して、昔でいう丁稚奉公じゃないですけど、知り合いの料理屋さんに入ったのがきっかけです。当時は料理人になろうと思って入ったわけではないのですけど、やっていくうちに段々はまっていったという感じなんです。気がついたらもう何年もやり続けていて、南極に行けるくらいになっていたと。(笑い)今となっては父に感謝しています。
神山 ご家族のバックアップで料理人を志したのですね。
竪谷 そうですね。家族というか、父がメインで、「絶対お前だったらいけると思うから」と。どういう所からその自信みたいなものがきたのかわからないのですけれども。子供の頃からお勝手に立っていたのと、プラモデルを作っていたりして、指先を使う事が好きだったのですね。たぶんそういうのを見て、勧めてくれたのだと思うのですよ。
神山 南極観測隊に応募したきっかけは何ですか。
竪谷 知り合いが、お前だったら南極に行けると思うから、よかったら推薦状を書いてやるぞと、飲んでいる席の軽い話の中にそれが入ってきたんです。最初は自分が南極に行けるなんて思ってもいなかったので、そんな所に行けるわけないだろ、と流していたのですけれど、2回目に会った時に、この時も飲んでいる席でしたが、その人がまた勧めてくれたんですね。それで、ある日新聞を読んでいたら、南極観測隊員公募開始という記事を見まして、応募しようと思いました。
神山 声をかけて下さったのは国立極地研究所の関係者ですか。
竪谷 いえ、日本無線に勤めている方で、本人は南極に行ってないんですが、南極観測隊の通信担当隊員に、この機材はこうだよ、ああだよと教える人で、僕の知り合いだったんですね。
神山 1回目の応募ですんなり採用されたのですか。
竪谷 1回目は、書類選考は通って面接までいったんです。でもそこで落ちまして。で、落ちてみたら、今度は逆に悔しいもんで、もう一度やってみようかなと思いまして、1年間自分なりに南極という所をいろいろと勉強させてもらいました。南極関係の人に聞いたり、本を読んだり、ネットで調べたり。それで知識を入れて、南極への心構えもできたので、2回目の応募をしてみたんですね。
神山 それで第55次越冬隊の調理担当隊員に採用されたのですね。ところでこれまでの越冬隊では調理担当は和の料理人と洋の料理人の二人でしたが、55次隊は一人だったそうですね。それはどうしてですか。
竪谷 最近、昭和基地周辺の海氷が年々厚くなり、53次隊、54次隊と2年連続で南極観測船「しらせ」が昭和基地に接岸することができなかったんです。そのために昭和基地の備蓄燃料がかなり減ってしまい、55次隊は越冬隊員の数を例年の30人から24人に減らしたんです。それで調理は一人になりました。
神山 では越冬隊での料理についてお伺いします。一番の人気メニューはどんな料理でしたか。
竪谷 人気メニューにはいろいろありますが、隊員の皆さんが麺類が好きで、昼食にラーメンを出すと大喜びなんですね。塩ラーメン、しょうゆラーメン、味噌、とんこつ、酸辣湯(サンラータン)とか、色々な種類を出したりしました。今日はこの味、次回はこれだよ、と変えて出しました。
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神山 大量の麺をどやって茹でるのですか。
竪谷 当直さんにはスープを入れてもらって、僕が茹でて、ラーメン屋さんみたいにちゃっちゃっちゃ、と入れて。行列ができましたが好評でした。
神山 それは楽しそうですね。竪谷さんが学んだお店は、西荻窪にある有名な創作居酒屋「野人料理 風神亭」さんなんですが、そこでのお料理と南極のお料理は関連ありましたか。
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竪谷 風神亭で出していた料理を南極の昭和貴地で出していたわけではないのですけれど、お店で培ったノウハウというのが、昭和基地で活かされたと思っています。
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神山 昭和基地で必要だったノウハウというのはどんなものですか。
竪谷 和洋中、何でも一人で作らなければならないという状況だったので、アジアン系の料理とか、中近東系の香辛料が効いたやつとか、カレーは勿論なんですけど、カレーもいろいろな種類のカレーを作ったですね。そんな風な事ができたのも、風神亭でジャンルにとらわれずに創作料理を長年やらさせてもらっていたという事が活きたなと思っています。
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神山 デザートなども作られたのですか。
竪谷 はい、お菓子も作りました。評判良かったのはシュークリームです。洋菓子のパティシエが友達にいて、南極に行く前に、そこにちょっと1か月くらい修行に行かせてもらいました。
神山 何個くらい焼かれたのですか。
竪谷 それはもう、オーブンに何十個も。大きなオーブンがあるので、生地がなくなる限り、何十個も作りました。完売でした。(笑い)
神山 お一人だととても大変だったこともあるのではないでしょうか。最も大変だったことを教えてください。
竪谷 正直、僕の中では、つらい、嫌だなと思った事は一度もなかったです。体力勝負なので、ブリザードが開けたら、人が少ない隊だったから除雪に行ったり、手伝いに行ったりしなくてはならなかったんです。
時間が限られている中で、お昼ごはんを、30分前に戻ってきたら、すぐ食べられるように段取りをつけておく。その時間配分、これを作るのにはこのくらいの時間がかかるよ、ここまでやっておけば、例え30分前に厨房に戻って来ても間に合うよ、という段取りを毎日作ってゆくというのが、これはそんな簡単なじゃなかったですね。
気力と体力のバランスが大事なので、あんまり疲れすぎると嫌になってしまうから、そこらへんも考えながらやりました。どうしても時間に余裕がない時はカップラーメンとか、「しらせ」の乗組員からいただいた乾飯とか、そういうので済ませたこともあるんですが、3回も越冬経験がある先輩の隊員からお褒めの言葉をもらいました。こんなにお菓子やカップラーメンが減らなかった隊はないねと。手作りの料理をたくさん、腹一杯食べてもらうことが出来たということでしょうか。
神山 嫌だなと思った事は一度もなかったとお聞きして、とても前向きに楽しみながらやっていらっしゃった様ですね。
竪谷 そうですね、重いものが冷凍食品にはいっぱいあるんです。1箱20kgとか30kgを超えるものがざらにあるのですけれど、誰かしら手伝ってくれました。調理隊員が一人って大変なんだなと思った事もあるのですが、つらい、嫌だとか、そこまではなかったですね。
神山 南極観測船「しらせ」で1年分の食材を昭和基地に持ち込んだわけですが、食材で足りなくなったものはないのですか。
竪谷 実際、足りなくなって食べつくしたものもいろいろありましたね。
神山 野菜は足りましたか。
竪谷 野菜は、冷凍野菜をいっぱい持って行ったのですけれど、それでも足りなかったですね。52次隊から54次隊までの最近3年間の越冬隊の資料を見て、どんな食材をどのくらい持って行ったのかをよく調べ、これくらい持っていけば足りるんだなと思いながら調達したんです。どの隊の調理隊員からも、野菜はいっぱい持っていった方がいいよと言われて、僕もいっぱい持っていったつもりだったのですけれど、まだあっても良かったかなと思っています。
神山 昔より野菜を食べる人が増えたという事ですか。
竪谷 そういう事ですかかね。冷凍の技術も上がって、青い野菜が解凍しただけで、青いまま、今茹でたんじゃないのという感じで、もどるんですよ。そういうのがすごく重宝しましたね。
神山 生野菜は食べられましたか。
竪谷 生は、勿論食べたのですけど、オーストラリアで購入して持っていった白菜とかキャベツは、もう4月くらいでなくなってしまうんですね。11月にオーストラリアで船に積み込んで、既に食べ終わる頃には半年くらい経っているんです。どんどん皮をむきながら、最後、中心の方の黄色くなったのを千切りにして。それでも皆、生野菜に飢えているので、美味しい、美味しいと食べてくれましたね。
神山 毎日皆さん喜んで食べていたようですね。お料理も含めて南極で感動した、嬉しかったという事は何でしょうか。
竪谷 そうですね、料理に関してまず言えば、皆、お世辞だったのかもしれないけれど、何でも美味しい美味しいと食べてくれたというのが、南極に来て一所懸命やっている甲斐があるなと思ったことです。
あとは、手付かずの大自然ですね。南極に行かないと見られないという自然ですよね。オーロラにせよ、星空にせよ。氷山とか南極大陸は勿論なんですけど。雪と氷だけで何にもないって思うかもしれないんですけど、毎日見ている風景でも、ちょっとずつ色が変わってゆくんですね。季節によって氷山の光の当たる角度が変わってくるので、いつも見ている氷山が、時に宝石のようにキラキラ輝くんです。それを見ているのも楽しみの一つだったんですね。同じ氷山なんですけど、毎日のように写真を撮っていましたね。
神山 名残惜しい気持ちで日本に戻られたのですか。
竪谷 最後はね、名残惜しいと思いましたね。もう終わるんだって感じで。
神山 そういう体験をされて日本に戻ってこられ、半年も経たずにこのお店を出されたのですが、お店を出すきっかけを教えてください。
竪谷 きっかけは、僕の娘から、遠いところに行って仕事をするのはもう絶対許さないと言われたことです。その一言ですね。船に乗る仕事とか、在外大使館の料理人の話とか、あったのです。海外の大使館に行ったら、お正月とか、1年に2回くらいはお休みもらって日本に帰って来られるみたいですけれど、基本2年は帰って来られないです。「みらい」とう名の船かあるんですけれど、あれも乗船したら4か月とか、長いと半年とか帰って来られないです。僕自身はそういう自然を相手にしている人たちと暮らしながらご飯を作るのは嫌いじゃなかったのですが、娘が絶対だめだと言った一言であきらめました。
神山 それでどうなされたのですか。
竪谷 南極から帰った時は店を出すつもりはなかったので、これは困ったなと最初は思いました。どこかのお店に入ってまた勤め人になるのもなんか、もうちょっと違うなと思って。じゃあ、これが店を出すタイミングかなと思って、知り合いの八百屋さんで、お手伝いさせてもらいながら、西荻の北でも南でもよかったのですが、どこか物件が空くのを待ってたんですね。その間、中央線沿線で他も探したのですけれど、なかなかなくて、どんどん武蔵境から立川の方に向かって行ったんです。でも意外とないですね。あまり遠く離れてしまうと、今度は通えなくなってしまいますし。
でも、2か月しか待たないで運よくここを紹介されました。不動産屋さんの社長がたまたま果物買いに来てくれた時に、「まだ探してるの」って言われて。「じゃあ、うち、一つ空いた所あるから見に行く」って言われて連れてきてもらったのですよ。それで中を見させてもらった時に、なんかこう、ピンとくるものがあって、ここでいいかなと決めました。それでオープンしたのが7月5日です。3月末に南極から戻って来て、5月にここを紹介してもらって、6月から借り始めて、急いで工事して。1か月後にはオープンなので、なんか、とんとん拍子に進んだなと、お世話になった方々に感謝しています。
神山 「じんから」というお店の名前はどういう意味ですか
竪谷 中国の今から2,500年前の孔子の教えをまとめてお弟子さん達が作った「論語」、あの本を見ていて、仁、義、礼、智、信...いろいろ言葉がある中で、人というのは、仁がないとダメなんですよという教えを読んで、あ、仁から始まるというはいいなと閃らめいたんです。
神山 「仁」から始まるという意味の「じんから」なのですね。では、お店のメニューを紹介して下さい。人気、お勧めメニューはありますか。
竪谷 メニューは、毎日日替わりで変わってゆきます。特にお刺身は築地に毎日通って新鮮なのを仕入れているので、お魚が今メインで推しているメニューです。
神山 自ら選ばれて仕入ているのですね。
竪谷 はい、魚って、肉より仕入れ値が高いんですよね。鮮度がすぐ落ちてしまうもので、難しいんですね。なので、ちょこちょこ自分の目で仕入れにいって選んでいます。リーズナブルな値段で提供できるっていうものを仕入れてやっているので、お魚がまずお勧めですね。
あと、信州の八ヶ岳の麓で作っている鶏肉があるのですが、うちは炭火焼ではないのですが、その鶏自体がすごく美味しい鶏なので、それを塩焼きにして出すとか。その、もつなんかも美味しいです。甲府の鳥もつみたいに、もつだけ煮たものとか。甘ったるくないんで、お酒のあてにもなる。甘いとご飯のおかずみたいになってしまうので、甘さをグッと控えて、さらっとした醤油の香りの効いた辛口のもつ煮、これがお勧めですね。
あとは、和牛の刺身。肉の問屋さんと仲良しなので、刺身にできる、和牛の部位を安く譲ってもらってます。ごく一部しか取れないんですけど、その牛刺しがすごくいいですね。
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神山 鮮度にこだわったものが多いようですね。
竪谷 南極に行って、考えが変わった、というのがあると思います。あまり、ごちゃごちゃしないで、こう、さっと出す。日本って野菜も魚も、いいものがいっぱいあるので。あんまり、ごちゃごちゃソースだの、あれとこれと一緒に煮込むとか、しない方がいいなって、帰ってきてすごく思った事なんですね。
アスパラをただ焼いただけとか、今だったら(インタビュー時10月)松茸と一緒にして塩蒸しにしてスダチを絞って食べる、とか。シンプルな料理が、一番その素材たちが活きて、お客様にも喜んでもらえる。もちろん、鮮度があっての料理なんですけど。いろいろイタリアンとかフレンチとか中華とかあるんですけれど、もう、そういう風にしても勿論美味しいのですけれど、まずは、これで食べてみて、という出し方を心がけている、そんな感じですね。南極から帰って来て、自分自身が変わったのだと思います。
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神山 鮮度へのこだわり、自然へのこだわりも南極料理と呼んでもよろしいのでしょうか。
竪谷 そうなるんでしょうね。南極にいたから、日本を見つめなおす事ができた。日本にいた時の自分を見つめなおす事ができた、そういう時間を神様がくれたと感じます。
神山 ご飯ものの炒飯も美味しく、ああいった味を出すのは大変でしょうね。
竪谷 店で出すのは「チェンマイチキン炒飯」と言って、タイ風炒飯です。鶏肉のあっさり塩味、ナンプラーを最後に鍋肌にシューっとかけまして、香りをつけた炒飯です。シャンツアイが好きな方は、熱々の出来立ての炒飯にシャンツアイをざっくり混ぜて、半生みたいにして食べるんですよ。ライムの爽やかな酸味とシャンツアイの独特な臭みがすごくマッチするのですよ。正直言うと、思い付きでやり始めたのですが、それが、やめられなくなって、皆に、今日ないんですか、と聞かれます。
神山 ジャンルにとらわれず、素材・自然にこだわるという共通項の中で、刺身もあり、ナンプラーもあり、ですね。
竪谷 はい、トマトソースをかけたチーズ焼きとか、そういうものもあり、日本酒はもちろんですがワインもいろいろ置いてあります。
神山 美味しいトマトも出していますね。
竪谷 トマトは、築地に行った時に美味しいトマトが安く売っていたので、これちょっとちょうだいって言って仕入れました。その日に散歩がてらに歩いて目にとまったものを、すっすと買っていくという楽しみが市場に行くとあるんですよね。顔見知りになってゆくのも、楽しみの一つです。
神山 最後に、南極関係者やメルマガ読者の皆様にお伝えしたいことはありますか。
竪谷 国立極地研究所が立川市にあって、中央線沿線では僕みたいな南極経験者がやっているお店はないようなので、南極関係者や南極が好きな人は大歓迎です。平日なら結構時間もあるので、終わりころなら僕も一緒に飲んだり話したりできます。南極に関心がある皆さんが集まる場になればいいなと思っています。話がわかる人同志で集まると、酒も美味しくなりますよね。何次隊とか枠を超えて、遠慮なく来ていただきたいと思っています。そういう時は何かサービスしますよ。酒なのかつまみなのか、わからないですけれど。(笑い)
女性も来やすい雰囲気だと、女性の方に言われます。女性客のリピート率も高いです。女性の客様に来ていただくと、雰囲気がぱっと明るくなります。花がある、という感じですね。そうすると男の人もぎゃーぎゃー騒ぐ感じではなくなり、一緒に柔らかな雰囲気になりますね。(笑い)
お店もぎすぎすした狭い作りではないので、満タンになっても斜めになって座らなければならないようなことはありません。掘りごたつ式なので、会話を楽しみながら、ゆっくりしてもらっています。男性も女性も、ご家族でも、南極観測隊OBも、ぜひいらしてください。
神山 今日は楽しいお話をたくさんありがとうございました。
じんから
〒167-0042東京都杉並区西荻北3-32-9 営業時間:16:00~24:00(L.O.23:00)
アクセス:JR西荻窪駅北口5分

竪谷 博(たてや ひろし)

プロフィール

1972年東京都生まれ。日本料理店での修業を経て、西荻窪本店のほか都内に6店舗をかまえる風神亭チェーンの料理人となり、和食をベースとし た創作料理で腕をふるう。41歳で一念発起し、第55次南極観測隊の調理担当に志願する。2013年12月から2015年1月まで昭和基地に滞在し、ただ1人の調理担当隊員として越冬隊24名の生活を支える。帰国後の現在は、西荻窪北口徒歩5分の所に居酒屋「じんから」を経営。

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