第4回 メルマガ

シリーズ「南極料理人のお店」第1回

西荻窪 「じんから」 第55次南極地域観測隊 調理担当 竪谷 博 第55次南極地域観測隊の越冬隊で調理を担当した竪谷博(たてやひろし)さんが、2015年7月に東京の西荻窪に「じんから」というお店をオープンしました。早速お店を訪問し、南極料理人になった経緯などをお伺いしました。 インタビュー(2015年10月28日、「じんから」にて) インタビュアー:神山文子(公益財団法人日本極地研究振興会) 神山

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第4回

雪氷上滑走路 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.南極点への初飛行 1903年(明治36年)のライト兄弟の初飛行から26年後の1929年(昭和4年)11月29日、米国のリチャード・バードは、南極点上空から米国国旗を落下し南極での米国の存在をアピールしました。上空からとはいえ南極点に到達したのは1912年(明治45年)のスコット以来の出来事でした。英国人のスコットは、ノルウェーのアム

シリーズ「南極観測隊エピソード」第3回

南極観測と朝日新聞その3 元朝日新聞社会部記者 柴田鉄治 日本の南極観測の「恩人」を一人挙げよ、と言ったら、みなさんは誰を挙げるだろうか。第1次から第3次まで隊長を務めた永田武・東大教授を挙げる人が多いかもしれない。あるいは、第1次越冬隊長の西堀栄三郎氏か、あるいは、永田隊長を支えて日本の科学界をまとめた当時の日本学術会議会長、茅誠司氏か、あるいはまた、南極観測を国家事業にした当時の文部大臣、松村

第1次南極観測隊で見た幻のほうおう座流星群に58年ぶりに再開

東京大学名誉教授 中村 純二 私、中村は、我が国南極観測隊の夜光・極光観測隊員に選ばれ、第1次、第2次、第3次隊に参加した者です。 観測船「宗谷」で昭和基地まで3度往復したわけですが、「宗谷」船上では夜光観測を行い、第3次に昭和基地で1年間越冬した時には、極光、すなわち「オーロラ」の観測を行いました。 月のない夜でも、空が晴れていれば星あかりにより、ある程度野道でも歩くことが出来ます。しかし全天の

シリーズ「南極・北極研究の最前線」第5回

衛星によるオーロラ研究の現場から 国立極地研究所助教 西山 尚典 はじめに: 極域の夜空を舞うオーロラは,太陽と地球間の相互作用の結果流入するエネルギーが,高度100-300 kmの地球大気で光へと変換される現象だと理解することができます.オーロラ現象のさらなる理解のために,南極昭和基地では1957年の第1次観測隊による目視観測から,現在まで連綿とオーロラの地上観測が続けられてきています.図1に代

シリーズ「南極観測隊〜未知への挑戦」第2回

雲はつかめるかー採餌記録計のはなし 国立極地研究所名誉教授 内藤 靖彦 近年ヒトが排出するCO2のために気候が大きく変わった。その影響は海洋の生き物にも及んでいる。そして海洋生態系もこの影響を受けている。ここでは海洋生態系と一言で済ましているが、その中身は極めて複雑である。簡単にいうと海洋で生活するすべての生き物の「食いつ食われつ」の相互関係が変わるという話である。とは言っても、膨大な量の海洋生物

シリーズ「南極にチャレンジする女性たち」第2回

やりたいと思ったら行動することが一番 第57次南極地域観測隊 地殻圏変動モニタリング観測担当 笹森映里 現在、昭和基地には第56次南極地域観測隊の越冬隊が滞在し、気象、オーロラ、雪氷、生物、地学など様々な分野で観測・調査活動を行なっています。この隊と交代する第57次南極地域観測隊の越冬隊にはこれまでで最多の5名の女性隊員が参加します。越冬隊の総数は30名なので、女性の比率は17%となり、日本の南極

シリーズ「極地からのメッセージ」第4回

白瀬中尉の見果てぬ南極の夢を追って 夢を追う男 阿部 雅龍 浅草で人力車をひく(2015年11月) 大和雪原を踏んで南極点まで単独徒歩で到達する。その夢を抱いたのは、幼い頃からの白瀬中尉への憧憬があるからに違いありません。 白瀬中尉を初めて知ったのは僕が10歳の時。「未知の世界を開いた探検(金の星社)」という学習漫画からです。学校推薦図書の購入用紙が小学生達に配られていました。用紙に欲しい本を記入