シリーズ「極地からのメッセージ」 第11回

「水先案内人」北極海へ~ピースボートクルーズ乗船記

朝日新聞社会部 中山 由美

カナダ東岸近くを航海中、出会った氷山=7月8日

 朝5時過ぎの成田空港。タクシーを降りると、妙な静けさに心がざわめいた。出発2時間前の余裕の到着……のはずだが、誰もいない。扉も閉まっている。警察官が近寄ってきた。「まだ開いてませんよ。あちらの扉から入れるかも」と誘導してくれた。出発ロビーに入ったものの無人で、カウンターの明かりさえついていない。警備員がやって来て「何時の飛行機ですか?」と不審そうに聞く。「出発、成田空港ですか?」

 えっまさか!?まずいこれは!すぐに察した。羽田空港発だ。案内書を見直すとチケット受取場所には「成田空港」と書いてあるが、フライトスケジュールには「HANEDA」とあった。急がなきゃ!でも早朝で電車もバスもない。待合のタクシーもいない。タクシー会社数社に電話したが「近くにいないですね」「6時からです」との答え。焦る中、たまたま客を乗せて帰ろうとするタクシーが目に入った。「すいません!」と追いかけて止めた。

 高速道路をとばすタクシーの中、「ドラマでは見るけれど、本当に成田と羽田を間違える人っているんだ」と我が失敗ながら他人事のように改めて驚いた。早朝だったのが幸いで、なんとか出発30分前に羽田空港に滑り込む。慌ててザックも手荷物で乗り込もうとしたら、アーミーナイフが検査でひっかかる。廃棄はいやだ!「落とし物にでもできないですか?」なんてわがままが通る訳がない。手段は一つ。出発ゲートを一度出て、そばのコインロッカーに放り込んで戻った。超過料金が心配だが……何はともあれ間に合って良かった。やれやれ。

 北京、NY経由でアイスランド・レイキャビクに翌朝到着。空港の外に出てキャリーバッグを持ち上げた途端、取っ手が外れて転げる。北極海への旅はとんだ幕開けだった。

 7月、第98回ピースボート地球一周の船旅「北欧・北極航路クルーズ」の「水先案内人」として乗船した。これで北極圏入りは8回目になる。といっても取材はグリーンランド5回とスバールバル諸島スピッツベルゲン島(ノルウェー)に1回で、あとは学生時代にノルウェーのナルヴィクまで北上したのと、今回「ちょっと北極海へ入ってみた」になる。

 「水先案内人」と称するのは、クルーズ船内で乗客に話をする講演者のことだ。南極観測隊OBの先輩の方々が、南米からの南極海クルーズで船上講師を務められた話はよく聞くが、長期の旅程は勤め人には無理な話、引退後と思っていた。ピースボートの船は5月初めに横浜を出発し、帰国は8月下旬で総行程は3カ月半だが、途中の寄港地で政治や社会文化、芸術、平和など国内外の様々な専門家「水先案内人」が入れ替わり乗船する。私の乗船はアイスランドからカナダ・ハリファクスを経由し、NYまでで2週間ほどで行けそう。会社の上司と相談し、夏休みにして行くことにした。

 ピースボートといえば、かつては若者たちが集う平和活動&国際交流のイメージが強かった。最近はどうなのか私も知らなかった。

 アイスランドのレイキャビクの港に着くと、立派な船が停泊していた。ピースボートが使うオーシャンドリーム号、1400人以上が乗れる客船だ。乗船口の先にはホテルのようなフロントと照明が美しいロビーが広がる。4階のレストランは広くて立派だ。9階にもあり計3カ所、バーもある。イベントができる大きなホールが2つ、小さなプールにスポーツジム、洋上保育園など様々な施設が整う。船室は個室と2人部屋、4人部屋。

ピースボートのクルーズ船「オーシャンドリーム号=7月13日、ニューヨーク港

 単純に「船で世界一周したい」と参加した高齢者が多いのは、昨今の”クルーズブーム”を映しているようだ。ただ豪華客船の旅とはやはり違う。乗船した途端「中山由美さんだ!写真一緒に撮って下さい」と、あちこちから声をかけられた。テレビの特集番組の録画をご覧になったそうで、私の顔と名前を覚えられたお客さんたちがあいさつしてくれる。最初からフレンドリーな雰囲気に包まれた。写真をせがむ中には海外の方も大勢。中国や台湾、香港、マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシアからの方もいる。乗客約千人、和気あいあいとにぎやかだが、実は7割以上が一人で参加した人と聞いて驚いた。船内ではピースボートが用意した講演やヨガ、語学教室といった様々な企画のほか、折り紙や星座、ダンス大会など客たちが企画した集まりやイベントのメニューが毎日ぎっしり。相部屋になったり、イベントに参加したりして、友だちが増えていくそうだ。

 学生や仕事をやめたり休んだりして乗船した20代、10代の若者もいた。ほかの豪華客船より割安で、ピースボートでボランティアすれば、活動に応じて安く参加できる方法もあるからだ。若者向けには洋上の「地球大学」講座もある。水先案内人の講義を受けたり、寄港地でNGOや学校を訪問して交流するなどのプログラムがあるという。

 航海中の船上が「国際会議」の場ともなっていた。私と同じ時期、フィジーやパラオ、東チモールなど7つの島の若者が乗船していた。気候変動や異常気象、環境汚染の影響を受けるリスクがある故郷の島々について乗客たちへ、また寄港先の人々へ紹介し、互いに交流を深めていた。私も船内で彼らとセッションをさせてもらった。北極の海氷やグリーンランドの氷の減少で起きうる気候変動や生態系への影響などへの関心は高かった。

「ピースボート」の精神ももちろん忘れていない。オーシャンドリーム号の船体に、折れ曲がった核爆弾と「ican」の大きな文字が描かれていた。2017年のノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のロゴマークだ。今回の航海でノーベル賞メダルのレプリカも乗せ、核廃絶や平和へのメッセージを発信していた。

 「北極航路」の話に戻るが、レイキャビクを出た船は北上し、翌朝、北極海に入った。海上は白いガスに包まれていた。朝6時ごろ、厚着で看板に出てきた乗客たちは「何も見えないねえ。どこにいるかわからない」と残念がる。

 「水先案内人=極道の女」の講演は、その日から始まった。日本各地で講演をさせて頂いているが、ほぼ同じお客さんに連続4回の講演という例はまずない。しかも英語、中国語、韓国語の通訳が入る。事前に通訳の方たちと、難しい用語や表現を念入りに確認した。

 初回は定番の南極&北極のお話で、両極の違いや観測などを紹介。その後に質問を集めて、2回目はQ&A。「コンパスはどうなる?」「観測隊はどんな仕事をしている?」「極地へ行って人生は変わった?」など多くの質問を頂いた。

 3回目はグリーンランドの犬ぞり猟に同行して半月、600キロを旅した話。動画も多く、通訳さんたちにはがんばってナレーションも訳して頂いた。

 4回目は極地の生き物たち。国内なら、南極の氷山の氷を披露することもあるが、今回は無理なので、代わりにグリーンランドの猟師に頂いたホッキョクグマの毛皮の端切れを持って行った。クマの話の後に「ご覧になりたい方はどうぞ」と見せたところ、大人たちが一気に押し寄せ、バーゲン会場のような騒ぎになった。スタッフが「一列に並んでください!順番に」と叫ぶほど。一人ずつ触って「わぁ結構しっかりしている」「気持ちいい」と大興奮。大人でも子どもでも”実感する”って大切なんだと実感した。

ピースボート航海中、船内で開催した「南極写真展」=7月5日

 乗客たちの極地への関心は高かった。ピースボートの船旅でも南極や北極へ行くクルーズは人気だそうだ。「南極へ行った」という中国人、「再来年の南極クルーズへ申し込む」という日本人もいた。そんな中、印象的だったのは「極地へ観光客がたくさんいけば環境が破壊されないか」と心配する台湾の女性だった。何度も何度も聞いてきた。観光ではなく研究だとしても、人間が足を踏み入れたら汚染はゼロにはできない。素晴らしい自然に触れることで、地球や環境への関心や意識を高めてほしいと願い、私も取材や講演を続けているが、旅行者でもそういう問題意識を持っていることはありがたいと思った。

 いろいろ勉強させて頂いたピースボート初体験。最後に明かすが、アイスランドからの乗船が私には魅力的だった。グリーンランドを訪れる度に上空の飛行機から眺めていたが、行ったことがなかった。見たかったのは、巨大な岩の壁が両側にたちはだかる「地球の割れ目」だ。北米大陸とユーラシア大陸の境界がみられるシンクヴェトリル国立公園、噴き上がる間欠泉、巨大な滝、氷河のアイスクライミング……。壮大な景色を前に地球のエネルギーを体感できる見どころが実に盛りだくさんだ。

アイスランドのグトルフォスの滝=6月28日

 楽しかったのはもちろんだが、観光地として行き届き過ぎるくらい充実しているのに驚いた。日帰り、数日の観光ツアーが数えきれないほど用意されている。レンタカーでまわっても宿が名所の近くにはたいがいある。どこもきれいに整備され案内もしっかり、治安もいい。どこでもカード支払いができて、現金は一度も使わなかった。たどり着くだけで大変な辺境の未開地が多いグリーンランドとはまるで違う。欧米の観光客が多かったが、日本人にはほとんど会わなかった。お薦めしたいが、難点は物価が高いこと。日本の倍か3倍くらいを覚悟しないと!

 ちなみにアイスランドは北極圏外で、北部のグリムセイ島だけは入っている。愛らしい顔のパフィンがすむ島だ。

中山 由美(なかやま ゆみ)プロフィール

朝日新聞社会部記者。第45次南極観測隊越冬隊員、第51次南極観測隊夏隊員。南極は2回、北極6回、パタゴニアやヒマラヤの氷河も取材し、地球環境を探る極地記者。45次越冬隊は女性記者初の同行で、ドームふじ基地で氷床掘削も取材した。51次夏隊ではセールロンダーネ山地の隕石探査・地質調査に同行した。グリーンランドへは5回、氷河や海氷の観測、犬ぞり猟、氷床掘削を取材。ノルウェー北部やスバールバル諸島も取材した。著書に「南極で宇宙をみつけた!」「こちら南極 ただいまマイナス60度」(草思社)、共著で「南極ってどんなところ?」(朝日新聞社)など。

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