メールマガジン 第5号(2016年4月10日発行)

シリーズ「南極観測隊エピソード」第4回

南極観測と朝日新聞その4 元朝日新聞社会部記者 柴田鉄治 矢田喜美雄記者と早大山岳部を追い出した東大派閥? 敗戦後、僅か10年、まだ貧しかった日本が、国際地球観測年(IGY1957~58年)に参加して南極に観測隊を送ろうと提案し、実現させたのは朝日新聞の矢田喜美雄記者だったことは前回、記した。 南極観測隊は、観測を支える科学者たちが約半数、生活面を支える設営部門の人たちが約半数、といった構成になっ

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」 第5回

南極での風力発電機の利用 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.第1次隊が持ち込んだ風力発電機 第1次隊が南極に出発する年の昭和31年2月、南極地域観測機械関係準備委員会が日本機械学会に発足しました。この組織は、南極特別委員会の協力要請により遅ればせながらできたもので、民間会社の協力を得て、機械関係のいっさいの企画・準備を行い、観測隊に様々な製品を持たせました。そこで決めた方針は、①

インドネシアのスラウェシ島での皆既日食

元高度情報科学技術研究機構常務理事 狐崎晶雄 2016年3月9日に起こった皆既日食を見てきた。皆既日食は全世界でみるとほとんど毎年1回は世界のどこかで見ることが出来る。天は地球のどこが都市でどこが田舎なのかということを知らないので、多くの場合、皆既日食を見に行くということは辺鄙な僻地(へきち)を訪ねることを意味する。この点で極地研究者の仕事と共通点があると言えるのでないだろうか。筆者は定年退職後の

南極での日本初のオーロラ観測

東京大学名誉教授 中村純二 1958年のIGY(国際地球観測年)に協力すべく、1955年11月の閣議決定によって設置された南極地域観測統合推進本部は、1956年秋に予備観測隊(第1次観測隊)、翌1957年に本観測隊(第2次観測隊)を南極プリンス・ハラルド海岸に派遣することを決定した。永田武隊長率いる第1次観測隊は1957年1月に東オングル島に昭和基地を建設し、西堀栄三郎越冬隊長以下11名の越冬隊を

シリーズ「最新学術論文紹介」第3回

白瀬氷河下流の氷山を活用したGPSブイによる氷河流動と海洋潮汐の観測 国立極地研究所助教 青山雄一 東南極リュツォ・ホルム湾の最南部に流れ込む白瀬氷河 (図1a) は、 南極氷床で最も速く流動する氷流のひとつである。氷流は氷床の氷質量を海洋へ輸送し、全球的な海面上昇に作用する。そこで我々は、地球環境変動監視の一環として、GPSを活用した白瀬氷河流動の直接観測を実施してきた。今回、これらの観測結

シリーズ「南極・北極研究の最前線」第6回

南極湖沼、何を探ったら(もっと)面白いのか? 国立極地研究所准教授 工藤 栄 2014年に出版されたLaybourn-Parry and Wadham「Antarctic Lakes」でまとめられている議論を元に、自分なりの考えをまとめてみた。 1.南極湖沼の概論 南極大陸はその面積のおよそ98%の氷床で覆われ、2世紀ほど前までは人間活動の全くない隔離された寒冷な大陸である。大陸縁辺や内陸部の限ら

シリーズ「南極観測隊〜未知への挑戦」 第3回

南極海に中深層巨大生態系はあるか? 国立極地研究所名誉教授 内藤 靖彦 科学・技術が高度に発達した21世紀は宇宙の時代と言われています。お蔭で、我々は月の裏側から宇宙の果てまでも、さらには宇宙から地球の隅々までも見渡すことができます。まさに我々は宇宙の時代に生きているといえるでしょう。面白いことに、多くの宇宙飛行士は宇宙から見た地球は「青い」と感動しています。遠くから見ると「地球は青い」ということ

シリーズ「極地の観光」第2回

南極・北極の自然に魅せられて 極地旅行家 藤井紀子 インタビューは3月26日に東京都内のご自宅にお伺いし、行いました。 インタビュアー:福西 浩 福西 南極旅行から帰られたばかりのお忙しいところ、お時間を作っていただきありがとうございます。今回はどちらに行かれたのでしょうか。 藤井 今回は、亜南極と南極大陸ロス海沿岸を巡るクルーズに参加しました。ニュージーランド最南端の町インバーカーギルに集合し、

シリーズ「昭和基地だより」第1回

30人の越冬生活始まる 第57次南極地域観測隊 越冬隊長 樋口和生 越冬の始まり 第57次南極地域観測隊越冬隊は、30人の体制で現在昭和基地に越冬中だ。2月1日に越冬交代式を行ない、1年間基地を守り続けてきた56次越冬隊から基地運営の一切を引き継いだ後、部門間の引継ぎや夏期作業支援のために最後まで残留していた56次越冬隊と57次夏隊の一部の人が2月14日に南極観測船「しらせ」に引き上げる最終便を見