シリーズ「南極観測隊エピソード」第16回
- 2019.04.22
- 第17回 メルマガ
- シリーズ「南極観測隊エピソード」, 観測隊, 南極
南極観測と朝日新聞その16 アムンセン・スコット基地で極点旅行隊を出迎える
柴田鉄治(元朝日新聞社会部記者)
第9次越冬隊の村山雅美隊長ら11人の「極点旅行隊」に、朝日新聞の高木八太郎記者は村山隊長の意向で同行できなくなったが、南極点で私が旅行隊を出迎えるという計画のほうは、順調に進んでいた。
米国の駐日大使館に「極点旅行隊の南極点到達を報道するため、朝日新聞社の柴田鉄治記者を米国のアムンセン・スコット基地に送り届けてほしい」という依頼書を提出すると、報道に理解のある米国らしく、すぐに「OK」の返事が来た。
「1969年の12月上旬に、米国のマクマード基地と南極点のアムンセン・スコット基地への飛行隊の司令部があるニュージーランドのクライストチャーチで待機するように」というのである。
香港、オーストラリア経由でクラストチャーチに着くと、「飛行便までしばらく待つように」と言われ、ゆっくり街見物ができた。クライストチャーチは街の中心にきれいな川が流れ、大きな、美しい公園があって、実に素敵な都市である。
話は変わるが、先日、テロ犯が銃を乱射し、47人を死亡させた大事件があったが、そのニュースを聞きながら、クライストチャーチのイメージとどうしても重ならない、不思議な感覚を味わった。
クライストチャーチから米国の南極最大の基地、マクマード基地までの飛行は、ざっと8時間ほどで、マクマードへの輸送船の上空をすれすれに飛んで、海氷上の空港に着陸した。マクマード基地は夏の間の滞在者が1000人を超えるという大きな基地で、中心部には教会まであったが、そこでまた待たされた。
日本隊の上空までサービス飛行、空から雑誌をプレゼント
マクマードから南極点までは南極山脈を越える約3時間の飛行だ。このC130輸送機で、共同通信社の向記者とNHKの隈部記者と一緒になった。南極点に近づくと操縦室から3記者にお呼びがかかった。南極点を超えて日本の旅行隊の上空まで飛んでくれるというのだ。
操縦室から眺めていると、やがて白一色の大平原に1本の細い線が現れ、その先端に雪上車と橇が見える。その上空を低空飛行すると、雪上車から降りて、手を振っている人の姿が見えた。飛行機からその人たちをめがけて、雑誌『プレイボーイ』が落とされた。プレゼントだという。
翼を振ってUターンをすると、あっという間に南極点の空港に着陸した。南極点は海抜2800メートル。真っ平らな雪原だが、高山の頂上に降り立ったわけである。雪原上を歩き始めたが、すぐ胸がどきどきして息苦しくなったので、しばらく休んだら直った。
ふと横を見ると、NHKの隈部記者が苦しそうにしている。共同通信の向記者は、山男なので平気なようだ。私もすぐに治ったが、隈部記者はとても苦しそうな重症だ。隈部記者の手を取るようにしてアムンセン・スコット基地の入り口に来ると、トンネルのような口が開いており、基地は地下街のようになっていた。
南極点基地は10年間で氷の中に沈み、地下街のよう
米国が南極点に基地を設けたのは国際地球観測年(IGY)のときだから、ざっと10年が過ぎている。その間に、基地の建物は自らの重みと空から降る雪のため、氷の下に沈み込み、地下街のようになってしまった。氷の上にはアンテナと空気孔しか見えない。
トンネルから中に入ると、立派な地下街が開けていた。基地には、第8次越冬隊長の鳥居鉄也氏がすでに着いていて、旅行隊の出迎えは、鳥居さんと記者3人の計4人。
翌日、日本の旅行隊の到着を出迎えに、米国隊員らと一緒に南極点に向かった。南極点は真っ平らな雪原にポツンと星条旗は立っているだけだが、基地からざっと1キロほど離れている。
いや、基地から離れているのではなく、基地のほうが南極点から離れたのだ。基地は南極点の上に建てられたのだが、10年の間に氷の下に沈んだだけでなく、氷と一緒に流され、南極点から離れてしまったのだ。真っ青に晴れ上がった空のもと、やがて、地平線上にポツンと動くものが見え、だんだん大きくなって日本隊の雪上車と橇であることが分かるところまで来た。
ふと傍らをみると、NHKの隈部記者がテレビ用のカメラからフィルムを抜き出しているのはないか。真っ青な顔をして、苦しそうな表情だ。訊くと、昨日から高山病のせいか気分がすぐれず、そのうえカメラの調子がおかしくなって、修理しているところだそうだ。
旅行隊が間もなく到着するというのに、テレビにとって最も大事な到着のシーンが撮れなかったら、はるばる南極点まで来た甲斐がない。しかし、私はテレビ用のカメラなど触ったこともないのだから、修理を手伝うわけにもいかない。それに私自身も到着のシーンを写真にとらなくてはならない。
雪上車の上に乗って「海軍旗」を振りながら南極点に到着
やがて橇を引いた雪上車が近づき、よく見ると雪上車の屋根に乗って旗を振っている人がいる。旗は日の丸ではなく、海上自衛隊旗(昔の海軍旗)なのだ。
星条旗の前に到着して、雪上車の屋根から降りてきたのは、なんと村山隊長だったのだ。なるほど、それなら昔、海軍にいた人だから海軍旗も分かる。出迎えの米国基地の隊長と握手を交わし、11人全員が星条旗の前に並んで、出迎えの米国隊員らと記念撮影して、セレモニーは終わった。
旅行隊のひとりが星条旗の竿を握って、その周りをクルクルと回っている姿が見えた。なるほど、あれで、地球を何周もしたという記録にするのだろう。
ふと見ると、隈部記者は雪上にしゃがみこんで、カメラとの格闘を続けている。結局、到着場面は撮れなかったわけだ。高山病のせいか、あるいは、カメラの故障のせいか、真っ青な顔をして、苦しそうな表情だった。
そのことを知った村山隊長は、「翌日、到着シーンの撮り直しをしよう」と言って、慰めただけでなく、翌日、実際に雪上車と橇を出して、到着シーンの再現をやってくれたのだ。
(以下次号)
柴田鉄治(しばた てつじ)プロフィール元朝日新聞社会部記者・論説委員・科学部長・社会部長・出版局長などを歴任。退職後、国際基督教大学客員教授。南極へは第7次隊、第47次隊に報道記者として同行。9次隊の極点旅行を南極点で取材。南極関係の著書に「世界中を南極にしよう」(集英社新書)「国境なき大陸、南極」(冨山房インターナショナル)「南極ってどんなところ?」(共著、朝日新聞社)「ニッポン南極観測隊」(共著、丸善)など多数。 |