南極さんぽ-Oh the places we can go!-#3

 林 由希恵

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林プロフィール

PORTAL POINT(ポータル・ポイント)

目の前に広がる南極大陸。氷河と氷壁に阻まれ、上陸地点はほんのわずかである。
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序章

1912年、いまから110年も前に白瀬矗が南極に上陸しその時の最南到達点から見渡す限りの一面を「大和雪原」と命名した。実際はその地点周辺は海にせり出す棚氷(海の上にせり出す氷河の氷)の上だったわけで、白瀬矗は一片の岩石も持ち帰れなかったことを悔やんだそうだ。白瀬矗は南極に上陸した、といえるのか?と多くの国際機関においていまだに審議されるものとなっている。「上陸」とは?「陸の定義」とは?
南極に訪れる観光客には様々で、一度も船外に出ないクルーズ船で海岸線から500m以上離れたところを航行するだけの人もいれば、私が働くエクスペディション船のように、船外活動を行い、小石転がる海岸を踏みしめ歩くことを目的としてくる人もいる。「その場所で眠ること/一晩明かすことが重要なんだ」とキャンプすることを望む人たちも多い。コンディションが悪く大陸本土に上陸ができなかったときに泣き崩れる人もいた。慰める言葉もなく、慰め方もわからなかった。

上陸の朝

南極には生活音や文明の音がありません。張り詰める空気の音さえ聞こえてきそうな静寂のなかに、海面に浮かぶ氷山の最後のかけらたちが爆ぜる音や遠くの氷河の崩落や割れる音が遠雷のように聞こえてきます。ポータル・ポイントは南極大陸本土の数少ない上陸地点であり、大きな湾の入り口に位置する景観素晴らしい場所でもあります。そんな特別な日は、朝早くから船の甲板に心落ち着かない乗客の人たちが見かけられます。みんなそれぞれがここまでくる想いをもってこの朝を南極で迎えているんだなあと思いながら、ただただこの天候がもってくれますようにと強く目を閉じて願った後、朝食を片付けに船内に戻ります。

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上陸へのアプローチ

ほんの20年前、1991年に南極条約協議国によって採択された「環境保護に関する南極条約議定書」により、南極では人工物の設置、建設などが一切禁止されています。

上陸地点に桟橋や港は一切なく、自然の浜辺や露出した岩の上に強化ゴムでできたゾディアックと呼ばれる小型船で乗りつけます。近年ではカヤックで上陸地点へ向かったりなど様々なアクティビティーが取り入れられています。

ドライスーツを着てオープンカヤックに乗り上陸を目指す。
氷壁に近すぎる場所には上陸はできない。

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カニ食わないのにカニクイアザラシ

南極海で最も見かけることの多いアザラシは、ヒョウアザラシ、ウェッデルアザラシ、カニクイアザラシの3種です。
その中でもカニクイアザラシは「犬づら」といわれるゆえんの鼻が突き出した見かけで、最も体が小さい種類のアザラシです。

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ただ分布と頭数のカウントは一番多く、シャチや時としてヒョウアザラシに狙われることもあります。群れでいることが多く、氷山の上でころころと転がっている姿がよく見られます。

『カニクイアザラシ島(氷山)』―数えたら24頭が休んでいた
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カニクイアザラシという名前は誤解から生まれたもので、まったくカニは食べません。エサは主にオキアミや小魚です。
場所ゆえにまだまだ生態を研究することが難しい南極海の生き物たち。秘密に満ちた生物たちは今日も人間の世界からはるか遠く離れた場所でひと時の夏を謳歌しています。

ホーム(湾)に帰ってくるクジラたち

氷に海が閉ざされる南極の冬(4‐9月)の時期、南半球のクジラたちは赤道周辺へと移動し、出会い、恋をして、子供を産みます。もしくは暖かい海でのんびりとしたパーティータイムを楽しみます。その後おなかがすいて、生まれた子供にたくさん栄養・エサを与えるために、南極の海氷が溶け出す夏(10―3月)の時期は食料の豊富な南極海に帰ってきます。氷河に削られた大小さまざまな湾がある南極半島周辺には多くのクジラたちが集まり、それぞれがお気に入りの湾に落ち着いていきます。南極海(南半球)のクジラたちは、さほど船や人間に触れ合うことがないため警戒心が薄く好奇心が強く、遊び心いっぱいなアクションを見せてくれることがあります。
ホエールウォッチングに関しては厳しいルールがあり、それが順守されています。クジラ優先、クジラを追わない、進路を妨害しない、決められている距離以上に近づかない。嬉しいボーナスはエンジンを切って静止した小型船へ、好奇心旺盛なクジラたちのほうから近づいてきてくれることです。

終章

この南極を擁する空の下に来れただけで特別なことだと思う。圧倒的に存在している南極を目の前にとらえることが100年前に比べてどれだけ有難いことなのか、それを思うと人間が決める価値観や定義は少し窮屈に思えたりもする。でもやはり、上陸地点で足裏に岩肌や小石を感じ、夏の日差しに溶け出している雪の上を歩き、そこに住むペンギンやアザラシたちと同じ地面に立ってみることは、確かに空の下で大陸を眺めるだけと違いがあるんだろうなと思う。
この南極という唯一特殊の大陸が、かなうことならこのまま変わらずに私たちを迎え続けてくれるといいなと、今日も一回深呼吸してゾディアックの船外機エンジンをスタートさせる。

執筆者紹介

林 由希恵

極地専門の探検船(観光・調査補助等)オペレーターであるQuark Expeditions社にて1年のうち南極5か月+北極5か月間に及ぶ期間を極地の専門ガイドとして両極で過ごしている。IAATO(国際南極ツアーオペレーター協会)やAECO(北極クルーズ旅行運営協会)の認定ガイドとして経験を積み、2019年にはPolar Tourism Guides Associationの日本人唯一のSenior Polar Guide(上級極地ガイド)に認定された。主な活動域は南極半島・亜南極の島々、北極4圏(ロシア、ノルウェー、グリーンランド、カナダ)。