観測隊

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シリーズ「南極観測隊員が語る」第7回

隊員たちに喜ばれる料理を作りたい 第58次南極地域観測隊 越冬隊員 調理担当 青堀 力  内村 光尚 青堀 力さん 内村 光尚さん インタビューは2016年10月27日に国立極地研究所(東京都立川市)の南極観測センターで行いました。 インタビュアー:福西 浩 福西 本日は第58次南極観測隊で調理を担当される青堀さんと内村さんに、南極を目差す動機などいろいろとお伺いしたいと思います。内村さんは今回が

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」 第8回

南極昭和基地での太陽エネルギー利用 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1. はじめに  昭和基地は南緯69度にあり、太陽高度も最大で40度と低いため、エネルギーとしての太陽光利用はあまり期待できないと思われがちです。しかし、年間の積算日射量は、日本国内と同等であり、夏期には東京の約3倍の量があります(図1)。 図1 昭和基地と東京の全天日射量  南極で日射量が大きい理由として第一にあ

シリーズ「南極観測隊員が語る」第5回

第58次南極地域観測隊 越冬隊員 一般研究観測担当 鈴木 裕子 インタビュアー:福西 浩 インタビューは2016年10月25日に国立極地研究所(東京都立川市)の南極観測センターで行いました。 福西 最初に子供時代のことが知りたいのですが、出身はどこですか。 鈴木 新潟県出身で、現在は新潟市に編入されているのですが、昔は西蒲原郡と呼ばれていた所です。小学校は木山小学校という、ちっちゃな、全学年1クラ

シリーズ「南極観測隊員が語る」第6回

第58次南極地域観測隊 越冬隊員 環境保全担当 葛西 尚 インタビュアー:福西 浩 インタビューは2016年10月25日に国立極地研究所(東京都立川市)の南極観測センターで行いました。 福西 今回、南極観測隊に応募されるきっかけは何だったですか。 葛西 応募するきっかけは、インターネットでいろいろなホームページを見ていた時、たまたま自分と同じ消防職員で南極に行った方のホームページにヒットしました。

シリーズ「南極観測隊エピソード」 第7回

南極観測と朝日新聞その7 4次越冬の福島伸隊員の遭難死 元朝日新聞社会部記者 柴田鉄治  生きていたタロ、ジロを発見した第3次隊の活動をピークに、南極観測事業に対する国民の関心もしだいに冷めてきて、朝日新聞社も特派員を同行させることを、第4次隊をもって一旦打ち切り、第5次、第6次隊には同行記者を送らなかった。  第4次隊に送り込まれた朝日新聞の同行記者は犬養堯記者で、優れたセンスを持った名文記者と

シリーズ「南極観測隊員が語る」第4回

第58次南極地域観測隊 越冬隊員 医療担当 大江 洋文  服部 素子 パキスタンカラコルムのバツーラ氷河で 米国ジョシュア・ツリー国立公園で インタビュアー:福西 浩 インタビューは2016年10月27日に国立極地研究所(東京都立川市)の南極観測センターで行いました。 福西 最初に、子供時代は何に興味があったのか、また、南極のことを考えたことがあったのか、その辺のことをお話しください。 大江 私は

シリーズ「南極観測隊員が語る」第3回

第58次南極地域観測隊 越冬隊員 野外観測支援担当 土屋 達郎 インタビュアー:福西 浩 インタビューは昨年11月25日に、日本極地研究振興会の立川事務所で行いました。 福西 最初に、土屋さんの小中高時代を教えてください。 土屋 産まれた所は、東京の保谷市、当時はまだ市じゃなかったと思うんですが、ひばりが丘です。小学校は練馬の小学校で、両親の都合で転校して、東村山市の秋津小学校に通いました。中学校

シリーズ「南極観測隊エピソード」第6回

南極観測と朝日新聞その6 生きていたタロ、ジロ 元朝日新聞社会部記者 柴田鉄治  第2次観測隊を乗せた「宗谷」が氷に閉じ込められて動けなくなり、米国の観測船「バートンアイランド号」が救出に来てくれたが、それでも昭和基地には近づけず、結局、第2次隊は「本観測だ」としていた越冬隊を残すことができなかったことは前回記した通りである。  その教訓を生かして、第3次隊は物資の輸送方法を1,2次隊とはガラリと

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」 第7回

南極基地での廃棄物と汚水の処理 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.南極に持ち込む物資と持ち帰る物資  1957年、日本の第1次越冬隊11人が昭和基地で生活を始めてから、途中3年間の中断はあったものの、来年2017年で南極観測は60年を迎えることになります。第1次隊の越冬物資は、150トンあまりでした。現在「しらせ」が毎年運ぶ重量は、コンテナ容器などを含めて約1,100トンです。こ

シリーズ「南極観測隊〜未知への挑戦」 第4回

南極オゾンホールの発見-最初の出会い 第23次南極地域観測隊員 忠鉢 繁 はじめに  南極オゾンホールは、8月から9月ごろ南極上空に出現し、12月頃には一度消える。そして翌年の8月から9月ごろまた出現する。これを毎年繰り返す。現在は毎年観測されているこの現象を、我々第23次日本南極地域観測隊が1982年に昭和基地で越冬中に観測し、1984年にギリシャで開かれた国際会議(オゾンシンポジウム)で発表し

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