南極

9/13ページ

シリーズ「南極観測隊員が語る」第3回

第58次南極地域観測隊 越冬隊員 野外観測支援担当 土屋 達郎 インタビュアー:福西 浩 インタビューは昨年11月25日に、日本極地研究振興会の立川事務所で行いました。 福西 最初に、土屋さんの小中高時代を教えてください。 土屋 産まれた所は、東京の保谷市、当時はまだ市じゃなかったと思うんですが、ひばりが丘です。小学校は練馬の小学校で、両親の都合で転校して、東村山市の秋津小学校に通いました。中学校

シリーズ「南極観測隊エピソード」第6回

南極観測と朝日新聞その6 生きていたタロ、ジロ 元朝日新聞社会部記者 柴田鉄治  第2次観測隊を乗せた「宗谷」が氷に閉じ込められて動けなくなり、米国の観測船「バートンアイランド号」が救出に来てくれたが、それでも昭和基地には近づけず、結局、第2次隊は「本観測だ」としていた越冬隊を残すことができなかったことは前回記した通りである。  その教訓を生かして、第3次隊は物資の輸送方法を1,2次隊とはガラリと

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」 第7回

南極基地での廃棄物と汚水の処理 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.南極に持ち込む物資と持ち帰る物資  1957年、日本の第1次越冬隊11人が昭和基地で生活を始めてから、途中3年間の中断はあったものの、来年2017年で南極観測は60年を迎えることになります。第1次隊の越冬物資は、150トンあまりでした。現在「しらせ」が毎年運ぶ重量は、コンテナ容器などを含めて約1,100トンです。こ

南極観測60周年を振り返って~永田武先生から学んだもの

日本極地研究振興会常務理事 福西 浩   南極昭和基地から見たオーロラ  今年は南極観測60周年を祝う記念行事が各地で開催されている。1956年11月8日、南極観測船「宗谷」が永田武観測隊長率いる観測隊員53名、乗組員77名、計130名を乗せて東京港晴海埠頭を出航した。そして翌年の1957年1月29日にオングル島に昭和基地が開設され、西堀栄三郎越冬隊長率いる11名の越冬隊の未知への挑戦が始まった。

シリーズ「南極・北極研究の最前線」 第8回

地球最後の磁場逆転は従来説より1万年以上若かった 国立極地研究所助教 菅沼 悠介  過去の地磁気の変化は地層中に古地磁気記録として残される.従って,古地磁気記録を調べることで地磁気の極性が過去に何度も逆転を繰り返してきたことが明らかにされてきた.特に,最後に起こった地磁気の逆転は,「ブルン-松山境界」(Brunhes-Matuyama境界)と呼ばれる最も顕著な地質年代基準面の1つであるため,この境

シリーズ「昭和基地だより」 第2回

10年ぶりに流れた海氷 第57次南極地域観測隊 越冬隊長 樋口 和生 南半球の春分を目前に控え、一日の半分の時間太陽が顔を見せてくれるようになった。 南極入りして約9ヶ月、越冬生活が始まって8ヶ月を迎えようとしている。太陽が昇らない極夜を越えてきた身としては、暖かさを増した日の光がことのほか嬉しく思える。我々57次越冬隊は、これまでのところ大きな事故やトラブルもなく、隊員は精力的に任務をこなし、昭

シリーズ「南極にチャレンジする女性たち」第3回

南極に行くことが子供の頃からの夢だった 第57次南極地域観測隊 夏隊同行者 大学院生 白水 薫 南極昭和基地南方のスカーレン露岩地域で(2016年1月3日) 第57次南極地域観測隊は、昨年12月2日に空路でオーストラリアのフリマントル市に到着し、そこで砕氷艦「しらせ」に乗船し、南極の昭和基地に向いました。この観測隊に参加した白水薫(しらみず かおる)さんは南極に行くことが子供の頃からの夢でした。な

シリーズ「南極観測隊〜未知への挑戦」 第4回

南極オゾンホールの発見-最初の出会い 第23次南極地域観測隊員 忠鉢 繁 はじめに  南極オゾンホールは、8月から9月ごろ南極上空に出現し、12月頃には一度消える。そして翌年の8月から9月ごろまた出現する。これを毎年繰り返す。現在は毎年観測されているこの現象を、我々第23次日本南極地域観測隊が1982年に昭和基地で越冬中に観測し、1984年にギリシャで開かれた国際会議(オゾンシンポジウム)で発表し

シリーズ「南極・北極研究の最前線」第7回

JARE57重点研究観測-南極氷床上中層掘削- 櫻井俊光(国立極地研究所 特任研究員)  国立極地研究所(以下、極地研という)に赴任して1年が経とうとした頃に、第57次南極地域観測隊(以下、JARE57という)に参加することが決まった私にとって、はじめての南極、はじめての掘削である。このような私がメールマガジンに投稿させていただくことに恐縮するとともに、とても光栄に思う。  今回の掘削プロジェクト

シリーズ「南極観測隊の生活を支える技術」第5回

雪の吹き溜まりから建物を守る 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1. 第1次隊の建物  第1次南極観測隊は昭和31年(1956年)11月に「宗谷」で南極に向けて出発しましたが、南極観測隊が使う建物を検討したのは、主に日本建築学会から選ばれた南極建築委員会の方々でした。強風への構造的な耐力や暖房の熱損失などを考慮し、図1のような斬新な案も検討されましたが、隊長・副隊長の強い要望もあり、

1 9 13