「しらせⅡ」を眺めながらの「南極・北極グッズ販売」
-もう一つの南極観測の成果の普及と啓発活動- 岩坂泰信(一般社団法人環境創造研究センター) 要旨 2019年10月5日、6日の両日、名古屋港のガーデンふ頭で(公財)日本極地研究振興会の南極記念品販売をおこなった。当日は、しらせⅡ(現在、就航中の南極観測船しらせを先代のしらせと区別)が名古屋港で一般公開中であった。両日とも天気に恵まれ順調に記念品販売が進捗した。今後も継続されるであろう販売活動の参考
日本極地研究振興会のWEBマガジン
-もう一つの南極観測の成果の普及と啓発活動- 岩坂泰信(一般社団法人環境創造研究センター) 要旨 2019年10月5日、6日の両日、名古屋港のガーデンふ頭で(公財)日本極地研究振興会の南極記念品販売をおこなった。当日は、しらせⅡ(現在、就航中の南極観測船しらせを先代のしらせと区別)が名古屋港で一般公開中であった。両日とも天気に恵まれ順調に記念品販売が進捗した。今後も継続されるであろう販売活動の参考
第39次・44次南極地域観測隊 小田 幸男 新潟東港に入港した砕氷艦「しらせ」 「しらせが新潟東港に入港!」この突然の情報が入ったのは意外にも(公財)日本極地振興会の片島さんからだった。私が南極観測隊に参加した当時、片島さんは国立極地研究所の事務職員で、いろいろとお世話になった。なぜ極地振興会から? 電話の向こうの片島さんとひとしきり懐かしさのあまり当時の思い出話と近況報告で盛り上がった。
福岡大学理学部教授 林 政彦 博多港に入港した南極観測船・砕氷艦しらせ しらせが8年ぶりに博多港(9月22~24日)にやってきました。一般公開は定員7000名の予約制となっていました。見学当選者には、あらかじめ名札が送付され、見学時間も指定されていました。その原因は、博多ふ頭の「国際」ターミナルに着岸したことです。近年、中国や韓国からの環境客が増えて、国際ターミナル周辺の出入国管理が厳格になってい
(公財)日本極地研究振興会常務理事 福西 浩 第60次南極地域観測協力のために11月12日に南極に向けて出航する南極観測船・砕氷艦しらせは、8月~9月の期間に総合訓練を実施しました。総合訓練の内容は、①各種部署訓練、②航空機発着艦訓練、③観測関係者への艦上訓練支援です。当初の計画では、総合訓練期間の土日に、清水港、横浜港、苫小牧港、新潟東港、博多港、高松港の6港で一般公開を実施することになってい
宮﨑好司艦長へのインタビュー 南極観測船・砕氷艦しらせは、毎年11月に南極に向けて東京港晴海埠頭を出港し、5か月間にわたって南極地域観測協力行動を実施しています。その任務は、昭和基地への人員と物資の輸送、野外観測支援、基地設営支援、海洋観測支援と多岐にわたります。厳しい南極の自然の中で安全にこれらの任務を遂行するために様々な創意工夫がなされてきました。第59次南極地域観測協力行動を終え、本年4月に
隅田祥光(第46次南極観測隊・地学、長崎大学教育学部) 長崎水辺の森公園埠頭に停泊した「しらせ」 平成29年9月18日の敬老の日、南極観測船「しらせ」の一般公開(長崎水辺の森公園埠頭)に合わせ、南極観測の社会的な理解と認知の向上を目的に、日本極地振興会から委託を受け、南極・北極関連の書籍、カレンダーなどの販売活動を行いました。 当初、「しらせ」の一般公開は9月16日から18日の3日間実施される
(公財)日本極地研究振興会常務理事 福西 浩 南極観測船・砕氷艦しらせは11月12日に南極に向けて出航しますが、そのための準備として8月~10月に総合訓練を実施しました。総合訓練の内容は、①各種部署訓練、②航空機発着艦訓練、③観測関係者への艦上訓練支援などです。総合訓練のために「しらせ」は国内を巡行し、船橋港、仙台港、八戸港、酒田港、長崎港、神戸港、名古屋港の7か所に寄港しました。 総合訓練の寄港
南極OB会・阪神支部 支部長 林原勝美 神戸港に入港した「しらせ」 南極OB会・阪神支部では、南極観測船「しらせ」が国内巡航(平成29年度総合訓練)で神戸港に寄港し、一般公開を行うのに合わせ、振興会オリジナル商品の委託販売を行いました。同船の神戸港への寄港は平成23年9月以来、6年ぶりのことであり、神戸市は「神戸開港150年記念事業」として2日間で9000人の参加者を募集しました。 「しらせ」ヘリ
鮎川恵理(八戸工業大学工学部准教授) 八戸港八太郎4号埠頭P岸壁から出港前のしらせ 左は三菱製紙八戸工場 しらせ5003が国内巡行で八戸に入港したのは、震災のあった2011年夏以来、2度目。2017年9月2,3日に八戸での一般公開が行われました日本極地研究振興会の依頼で、八戸在住の私は丸2日間、グッズ販売のため船上で過ごしましたので、その時の様子を紹介いたします。 台風15号が太平洋を北上して
大鋸寿宣艦長とモーソン基地ジョン・レーベン隊長 105年に前に始まった南極での日本とオーストラリアの友情 今から105年前の1911年、イギリスのスコットとノルウェーのアムンゼン隊が南極点一番乗りを競いましたが、全く同じ年に日本の白瀬南極探検隊もわずか204トンの開南丸で南極点を目指しました。でも日本出港が遅れたために南極大陸氷縁到着は南極の夏が終わった3月12日になり、厚い海氷に前進をはばまれ、